第十八話 神様
前回、粛正機関VSセラフィム
・美羽視点
「顕現 暴虐の御手!」
流動的な黒が美羽の両腕に絡みつき、漆黒の双腕を形作る。
蛍と同様、美羽もこの空間からの脱出を試みていた。
目の前の空間を引き裂く。破壊に特化したこの顕現は有形無形に関わらず対象を破壊する。
それは空間とて例外では無い。美羽が顕現を使うと大気に破壊痕が残るが、それは空間を壊している証だ。
だから通じる。そう思った美羽に反して、目の前の空間は揺らぎもしなかった。
「・・・・・・・・・・」
一発で駄目なら何発でも喰らわせる。軽く息を吸って、秒間百発を超える連打を目の前の空間に浴びせる。
猛烈な勢いの拳打は大気に波紋が広げ、小さな街ならその衝撃波だけで崩壊しかねない。
しかし、やはり目の前の空間はぴくりともしない。小さな罅すら走らない。
(そう甘くはないか)
壊れない空間に戸惑いを感じながら、冷静に原因を分析する。
今までの空間とは強度が違うのだろう。顕現、その展開型は周囲の空間を丸ごと自分のものとする。それは自己との同化を意味する。
必然的に、その空間の強度は顕現者に依存する。
顕現者の創造する世界が、ここまで強固なものだとは思わなかった。
(仕方ない、あれをやるしかないか)
決断した美羽は体勢を落とし、右手を掲げる。
「形象、変化」
左手から黒が抜け落ち、元の腕に戻る。
反対に掲げている右手はその左手の黒を吸収し、さらに膨張する。
更に禍々しく、その形を変えていく悪魔の腕。
収まりきらない暴威が黒い瘴気となってあふれ出す。
背丈ほどに大きさを増した右手。巨人のものと言っても過言では無い。
目を閉じて、意識を一つに集中する。
息を吸って、ただ壊すことだけを考える。
想う。望む。破壊を望む。壊滅を尊ぶ。
全感覚を動員して、殺意を研ぎ澄ます。
十秒くらいそうして、それだけを求めて。
そして目を開く。
これこそ、私が用意できる最強の一撃。
鏖殺の槍を掲げよう。
「El Diablo Cojuelo(穿て、跛行の悪魔)!!!」
この世に絶対なんてものはない。
万物は絶対に壊せる、滅ぼせる。不死不滅の存在であろうが、必ず殺せる。
ならば、私に砕けないものなんてない。
私の踏み込みで地面が陥没する。
一瞬だけ光を越え、走った私はその右手を振り下ろす。
バキッと、何かを壊す確かな感触が私の手に伝う。
破れた亀裂からは外の光景が見れる。元いた場所。あの橋の近く。
そして、その近くにいる帳ちゃん。
バリン!! と空間が砕け、白い街が崩れ去る。
夜の冷たい外気。白以外の色。
私は夜の街に舞い戻った。
しかし籠の中から脱した感慨に耽る間もなく、私は違和感に気づく。
街が無かった。
「え?」
荒れ地。もしくは戦地。
ビルや建築物の群れ、夜を照らしていた街灯。その全ては焦土と化し、見る影も無い。
火が大地を舐めるように這い、幾本もの巨大な光柱が屹立している。
空気は火のように熱い。常人なら肌がただれ、肺が焼け焦げる程の熱気。美羽が無事なのはひとえに顕現者ゆえにだ。
「お姉ちゃん?」
声のした方を振り向く。そこには四角い透明の結界の中に入っている帳ちゃんがいた。
「帳ちゃん、大丈夫!? これは一体」
帳ちゃんの結界に近づく。黒い腕で触れるが、壊れはしない。
「あの、否笠さんっていう人が危ないからって、これを張ってくれたの」
否笠、その名前を聞いて安堵する。否笠さんは帳ちゃんと接触できたようだ。
だがこの光景はどういうことだ? そしてこの結界は何のために張ったんだ?
「ねえ帳ちゃん。何が起きたかわかる?」
「えっと、否笠さんの前にフードを被った人が三人現われて、その後全員消えて、そしたらこうなった」
帳ちゃんの言葉が終わると同時に、遠くから雷にも似た轟音が聞こえる。
ここから離れた街。一瞬光ったと思ったら、そこから光のレーザーが私の近くを通り過ぎた。
大地を切り裂きながら走るレーザー光。
光はこの惑星に留まらず、宇宙空間に飛んでいった。
「なっ――」
今の光に込められた力の総量に驚く。量ることすら馬鹿馬鹿しい、気を失いそうになるほどの莫大な力。
私なんて千人いても瞬時に消し飛ばされる。
帳ちゃんは嘘は言っていないようだ。どうやら店長は誰かと戦っている。それも、かなり強い。
念のため顔を腕で隠して姿勢を低くする。こんなことしかできない状況に歯噛みしながら、私は事態が収束するのを待った。
・否笠視点
(ええぇぇえええ!!? まじですか! 出てくるんですか美羽さん!!)
リーダー格の男が放った光球。それをなんとか防いだ否笠は、今度は逆の意味で窮地に陥っていた。
だが、それは否笠が危機的な状況に陥ったのではない。
高欄帳の近く。空間を突き破って美羽が飛び出してきた。
自力で脱出したんだ。高欄帳の顕現を超えて。
それは本来喜ぶべき事だが、ただでさえ三対一のこの状況。結界も使えない美羽はこういったらあれだが、お荷物だ。
ヴァルキューレの攻撃。その飛沫でも浴びたら彼女は耐えられないだろう。おそらく魂ごと消滅する。
完全に予想外。まさか展開型の顕現から無理矢理抜け出すとは思わなかった。その成長は予想外すぎて困る。
「おやぁ? 閉じ込められてたと思ったら、生きのよさそうなやつが飛び出してきたな」
当然、美羽の気配はヴァルキューレ達にも悟られていた。
リーダーがニタリと笑い、その手に光を溜め込む。
(あ、まずい)
急いで男の前、美羽たちのいる方向に立つ。そして放たれるレーザー。光は直線上に存在する全てを薙ぎ払っていく。
手にした剣で迎え撃つ。剣と光は幾ばくか拮抗し、光は横にずれた。
レーザー光はわずかに角度を変え、美羽の隣を通り過ぎる。
内心冷や冷やしたが、なんとか当たらずに済んでよかった。
もちろん追撃が飛んでくる。マリノが頭上から槍を振るう。槍の穂先から放たれた破壊光は洪水のように否笠に押し寄せる。
その合間を縫ってリックの拳が飛んでくる。否笠はガードを重ね、数発身体に貰う。
(美羽さんを人質に取られている状況で熾天使三人相手はきついですね。
・・・・・・・仕方ない、顕現を使いますか)
否笠の身体を中心に、大気が震えだした。
それを確認したマリノとリックが同時に距離を取る。
否笠も、ヴァルキューレたちも、先ほどまでの戦闘など加減も加減。相手の実力を探っている状態。いわば手合わせのようなもの。じゃれ合いに近い。
顕現など使わない。切り札は最後まで取っておくものだ。
否笠が可能な限り回避に専念していた理由がそれだ。ここにいる四名とも、その気になれば世界を消し飛ばす程の霊格を持ち合わせているのだから。
しかし状況が状況だ。顕現を見せてしまうのは避けたかったが、致し方ない。
「へえ、使うのか。使ってくれるのか、顕現を」
リーダー格の男が今までで最高の笑顔を見せる。はめられているようで癪に障る。
顕現を使うからには相手に対策を練られる前に即殺を狙う。
否笠がヴァルキューレの三人を殺害する最短経路を想像し、実行に移そうとした瞬間――
突如上空から、白い火が戦場に降り注いだ。
「!!?」
街全体に降り注ぐ業火。奇妙なことに否笠だけを避けて、ヴァルキューレたちの全身を炎が包む。
「ああっ!? なんだこりゃあ! 誰だ!!」
リーダー格の男が苛立ちながら火の粉を払う。これからが面白いところだったのに、邪魔された彼の心境は荒れに荒れている。
上空。割れた雲の中心から黄金に光り輝く梯子が地上に伸びている。それは階段のようにも見えた。
天梯子。境界を操作し、世界に君臨する移動術式。
あれを使用するのは奴らしかいない。あの忌まわしき神々しか。
高天原。世界の守護者にして、咎人殲滅組織。葦原中国の支配者。
男は光の中に数人を確認した。その中にいる、規格外の存在も。
それだけではない、ヴァルキューレたちを取り囲む形で、既に数名が周囲に潜んでいる。
「リーダー、どうする?」
「引くか、戦うか、と聞いています。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ちっ」
リーダー格の男が踵を返す。どうやら引くようだ。
「帰るぞ。十二天がいやがる、厄介だ」
「はい、リーダー」
「了解しました」
三人は来たときと同じように、黒い影となって消える。
完全に形が崩れ去る。その前に、男は否笠に言葉を残す。
「今日はなかなか楽しめたよ。身体を大事にしな、老人」
やがて三人は闇に沈む。戻ったのだ、堅洲国に。
ふう、と溜息をつく。結果として顕現を使わずにすんでよかった。
否笠は大地に降り立つ。それと同時に、接近してきた一人に頭を下げる。
「御支援ありがとうございます。いや、一時期はどうなることかと思いましたよ」
「またまた、否笠殿の実力なら切り抜けることもできたでしょう。むしろいらぬ事をしたかと内心ハラハラしていました」
褐色の肌。ウェーブのかかった白色の髪。柔和な表情を携え、その額には目をかたどった金細工が、まるで第三の目のように垂れ下がっている。
なにより驚くべきはその霊格の巨大さ。
否笠は一目で、彼女が何者か理解した。
「紹介が遅れました。高天原・十二天の一柱、シュヴァラと申します。
今回咎人が現われたとのことで、急いで部隊を編成し駆けつけた次第です」
礼儀正しく頭を下げる女性、シュヴァラ。そこには強者が持つ力なき者への傲慢は見受けられなかった。
十二天。高天原において専属の部隊を率いることを許可された、いわゆる部隊長。
それぞれの部隊が葦原中国の管理、咎人との戦闘、調査・研究等を担っている。
そして、十二天は高天原のトップに次ぐ地位と力を持つ。
まあ要するに否笠たちのお得意様で、お偉い様の一人だ。
「これはどうも。それと、あちらに我々の管轄ではない顕現者がいます。
名前は高欄帳と言います。彼女の保護が、今回我々が受けた任務の内容です。
ついでといったら悪いのですが、あの子も高天原へ連れて行ってはもらえませんか?」
もともと高欄帳は否笠たちが保護した後、高天原へ送るつもりだった。
もう障害はない。このまま彼女たちが連れて行ってくれたら助かる。
「もちろんです。羽鶴女から話は伺っています。
世界の修復と同時に、あの子を高天原へ招待します」
「重ね重ねありがとうございます」
シュヴァラは振り返り、背後の部下に指示する。
「みんなは改変の用意をお願い。数人は帰って先に報告しといて。
咎人は追っても意味ないから、痕跡だけ回収して。
あと一応咎人が来ないようにも見張っとくこと。私は顕現者の方へ行くから」
言葉を聞いた部下は迅速に動き、数人ごとにチームでそれぞれの活動を開始する。
シュヴァラの話しぶりから、チームと言うよりは仲の良い友人たちの間柄のように思えた。
「では、向かいましょう。高欄帳の元へ」
次回、終結