第十二話 破約と家族 そして役割
前回、選ぶのは自分
赤いビル。その93階。
崩壊した壁から外の光が差し込み、頭上には満天の星が四人を見下ろしている。
その中で、滂沱の涙を流しながら屍を抱えているのはケイだった。
「姉さんっ、姉さん、ねえさん・・・・・・!
ごめんっ、俺、約束、守れなかったっ!!!」
その腕に抱かれる姉に、既に息はない。
ケイの操る糸によって胸を貫かれ、一撃の下に生気を失った。
だがその整った顔は、健やかな笑みを携えている。
こうなって良かったのだと、消えかけた魂が最後に作った表情だった。
だが加害者であるケイの心境は晴れない。そうでなければ悔悟の言葉を口にしたりなどしない。
約束を破る。それはケイの中で、最も犯してはいけない決まり事。
まして肉親だ。その罪悪感と自分への怒りは形容できるものではない。
最愛の人を自分の手で殺す。それに勝る悲劇など、ケイはこれまでに体験したことなどない。
マックスは事が終わり次第、踵を返してその場を去った。
ガーデナー本拠地へ帰って報告をする。そして、ケイをそっとしておくことが懸命と判断してのことだろう。
しかし否笠はその場に残っていた。
依頼は失敗。その結果こうなる。
誰も報われず、誰も救えず、涙を流す者しか残らない。
未来への教訓として、それを近い場所で知りたかった。
流れる涙と懺悔はどれだけ続いたか。
時間というものは残酷なもので、どれだけ悲しい過去も猛る憤怒も、その変化の波で洗い流してしまう。
だからいつまでも泣き続ける者はいない。それには必ず区切りが存在する。
永遠に誰かを忘れないことはできるが、その感情を永遠に持続させることは不可能に近い。
それゆえに、人は一歩踏み出せる。
「ねえさん・・・・・・」
冷たい屍を抱き、ケイは泣きはらした目から涙を拭って、離別の言葉を口にする。
「今度こそ、約束するよ。
この命、誰かを助けるために使う」
姉さんがそうしてくれたから。
姉さんが守ってくれた命だから。
俺は貴方に恥じない生き様を描く。
そうやって、命は、歴史は紡がれていくのだから。
だから俺も、その歯車の一つになろう。
そう誓い、そう想う。
その瞬間、ケイの中で何かが定まった。
発光するとか、莫大なエネルギーが放出されるとか、そんな分かりやすい変化はない。
しかし、パズルのピースが埋まったかのように、自分の永遠絶対が形成された。
自分の真理を見つけ出したのだ。
それはまさしく、
「顕現の発芽、ですか」
否笠は目を見張り、確認のために呟く。
新たな顕現者の誕生。
顕現の発現条件すらまともに分かっていない昨今、その瞬間に立ち会えたのは貴重なことだ。
ケイは姉の死骸を抱いて立ち上がり、否笠に向き直る。
「・・・・・・ありがとうございました。貴方のお蔭で俺は、けじめをつけることができました」
「そのお礼は筋違いです。今回の件は私が謝らなければならないことなんですから」
それを聞いて、微笑しながらケイは歩きだす。
■ ■ ■
そして時は戻り現在。
天都がいるのは広大な墓地。その一角。
質素な墓石。そしてその前に置かれてある一瓶の花。
それを見下ろしながら、天都は郷愁に耽っていた。
幼い時の家族の姿。何かあるたびに世話を焼いてくれた、愛しいあの存在。
比喩でもなんでもなく、姉の存在が彼にとっての全てだった。
ニライカナイに来る度に、天都はここを訪れ、そして黙祷を捧げている。
決して忘れないように、そして自らの想いをさらに確固としたものにするために。
天都は死に場所を求めている。
ただ死ぬのではない。それは自殺と変わらない。
後の世代に残して死ぬ。あの時誓ったように、誰かを助けるためにこの命を使う。その瞬間を望んでいる。
生きて、死んで、それを繰り返し、世界は廻るのだから。
死は恐ろしくない。命は素晴らしく死は遠ざけるもの、などという狭小な二元論の価値観を彼は持たない。
真に恐ろしいことは、しなければならないことができないこと。
それは義務ではなく、使命に近いもの。生まれた意味そのもの。
役割と言ってもいいのかもしれない。この世が舞台であるのなら、自らの最適な役をこなす。
誰もがそれを抱えて生まれ、それを果たして死ぬ。
いつか訪れるその時を。真に顕現の名を呼べる日を。
その時こそ、俺は貴方の元に・・・・・・・。
■■■
「おい、面見せに来たぞ」
粛正機関・ガーデナー 地下3階。
広大なフロアには、数多の実験器具、咲き誇る花々と植物、天に届くのではないかと錯覚させる本棚、そして千を超える魔術師が働いている。
彼らは24組に分かれ、それぞれが魔術分野の研究を担当している。
机には古い羊皮紙。古代のアーティファクト。ルーンを刻み込んだナイフや何千ページもある分厚い魔導書など、いかにも魔術と思わせる物が配置されている。
かと思えば数式を書き込んだ計算書類。薬物や電子機器。
宙に浮かぶ電子的な画面を操作する者や、白衣を着た科学者然とした者が闊歩している。
魔術には様々な定義が存在し、世界ごとに意味も呼び名が違う。
およそ学術と呼べるものを、広義的に魔術と総称しているだけ。
この広大無辺なニライカナイで、この場所は最も魔術研究が盛んな場所であることは間違いない。
そして、この場所を訪れたのはアラディア。
桃花の粛正者であり、同時に『魔術王』と呼ばれる百王の一柱。
今回、否笠と天都の二人がニライカナイに来るついでに、彼もこの場に訪れていた。
一魔術師である彼が勉学のためにここを訪れるのは自然なようにも思えるが、生憎彼の関心はそれではない。
先ほど彼が言った通り、面を見せに来た。
彼の目的はそれだけ。
「ああ、来たかアラディア。
この育児放棄野郎が」
中央。古風な椅子に座りこちらに背を向けていた何者かが、椅子を回転させアラディアに向かい合う。
中世に広まったつばの広い帽子を被り、その下には黒のヴェールを纏っている。
纏う和服とも洋服とも見える漆黒のドレス。
それ以上に黒いぬばたまの長髪は、その髪の一本一本に至るまで時空が歪む程の濃密な魔力が込められている。
鋭い宝石の目は、アラディアを捉え何よりも愛おしそうに、愛玩の意を込めて細まる。
「ひどい奴だよお前は。
最愛の妻と娘をほったらかしにして、葦の国で一人仕事にうつつを抜かすなんて」
「ほったらかしてない。三ヶ月に一回は顔を出してるだろ」
その言葉に、アラディアは顔をしかめながら反論する。
普段の彼からは考えられない。どこか子供っぽい返答。そして口調。
それも当然。女性の言葉の節々からは、いじってやろう、からかってやろうという意地の悪さが漏れ出ている。
それゆえ女性の言葉は冗談で軽快な風であり、本気でアラディアを責めているわけではない。意地悪な笑みを浮かべているのがその証拠だ。
非難の意はさらさらないが、その深い笑みには熾天使ですら恐れ戦く程の異質さが含まれている。
女性の名前はヘカテ。
モルガンにして、ディアナでもある魔女。
しかしその纏う雰囲気は、そこらの魔術師とは一線を画す。
魔女というよりも女王。女というよりは夜を統べる女神。
妖艶にして、美麗にして、悪辣にして魔的。
アラディアと同じ魔術王の一柱にして、同時にアラディアの妻だ。
アラディアはヘカテの前に立ち、虚空から椅子を取り出してその上に座る。
「今はその姿か。で、調子はどうだ」
「変わりないな。私もあの子も。
ああ、そうだ。せっかく父親が来たんだ。家族水入らずの時間を過ごそうじゃないか。
エヴァ、おいで」
「は~い!」
ヘカテの呼び声に応じて、奥の部屋から子供の声がする。
やがてドアがバタンと開き、中から一人飛び出す。
エヴァと呼ばれた少女は、アラディアの姿を認識して、満面の笑みを浮かべながら近寄ってくる。
「あ、おとうさん! 帰ってきてたんだ!」
「ああ、顔出すって約束したからな。
厄介な咎人も粛正して一段落したし」
抱きついてくる娘の頭を撫でるアラディア。
シルクのように触り心地のいい髪を、伝わる愛娘の体温を、愛おしむように優しく触れる。
とても、同僚(美羽と蛍)を拷問したとは思えない手つきだ。
それを見ていたヘカテは、何を思ったのか突然アラディアの頭をなで始めた。
「・・・・・・なんだ」
「いや、お前も撫でてほしそうだったから撫でているだけだが?」
「んなこと言ってねえよ」
「言わずとも察する。出来た妻だろう?」
ニタァと笑いながら、ヘカテはなお撫でる手を止めない。
いい加減鬱陶しくなったアラディアはしかめっ面でその手を払う。
傍目から見れば険悪そうにも見える二人の関係だが、両者とも相手を邪険にしているわけではない。
その行動は幼馴染みの男女のじゃれ合いに似ていて、相手を愛し想い合ってるからこその行動でもある。
・・・・・・時々殺し合いもするが、それも含めて仲の良い証拠だろう。
娘を膝の上に乗せて、アラディアは最近あったことを話始めた。
「この前、ミリアの奴に会った」
「ああ、なんだ。あの隠遁野郎生きていたのか。とっくにくたばったと思っていたが」
「あいつも魔女の一人だ。そこまで落ちぶれてはねぇよ。
だが俺の行動に疑問を持ってたな」
「ふむ・・・・・・ならあいつにもそろそろ話すべきかな。時期も時期だし。
仲間はずれにするのも可哀想だしな」
「仲間はずれって、ならシエルはどうする」
「あの変態か。連絡するにも高天原にいるしな。
時間があるならお前が会って伝えてくれよアラディア。
高天原と粛正機関の仲介役はいるんだろう?」
「繋げたところで簡単に通すとは思えんがな。あいつ一応は十二天だぞ」
本人たちにしか分からない会話が連続する。
意味を考察するのも面白いが、わたしにかまってちょうだいと、アラディアちゃんは父の膝の上で抗議する。
「おとうさん。おかあさん。
わたしも会話にまぜてよぅ」
「ん、ああ、そうだな。
エヴァ、最近母さんから何教えてもらった?」
「ええとね、四神相応式のアイオーン構築方法とか、古代マヤ・アステカ文化に仏教が到来した可能性においての混合神話術式とか。
それから言葉の重奏方法も教わったよ!
一回言葉を喋るだけで二つも三つも言ったことになるの」
「へえ、それでどれだけできるんだ?」
「今は一回で598が限界」
「おお、それはそれは」
僅かながらの驚愕と、多分に漏れた喜色の笑み。
自分がこの年なら476が限界だったのに、これとは。
天性の才は着々と花開き、それに値する努力がこの子をさらなる高みへ押し上げている。
その事実を嬉しく思いながら、アラディアは言う。
「いいぞ。そのままさらに学んでいけ。
知識はお前の肉となり、血となり、魂に付け加えられる。
他の顕現者どもは魔術を単なる戦闘道具としてしか見ていない。
これの持つ真意を知らない」
「道具であり、知識であり、真理であり、法でもある。
あらゆる世界を解読する万能ツールでありながら、独自の世界を生み出すための補助器具。
いかなる時代も、いかなる平行世界の設定も、これだけで説明をつけられるものだからな」
アラディアの説明に、ヘカテが横から補足を加える。
二人が語った事実。それを知るのはこのニライカナイでも十指にすら満たないのだろう。
魔女の太祖直伝の教えだ。魔術王である三人、そしてそれに比肩する者。それらしか知らない機密事項。
ヘカテは父親にもたれるエヴァを撫でながら、思い出したかのように呟いた。
「そういえば。お前の役割の方は進んでいるのか?」
アラディアはその言葉に、僅かに眉を上げ、それから答えた。
「進んでる。順調に育ってるよ」
「そうか。ならいいんだ。
もうそろそろだからな。完成間近で止まっていて貰わないと困る」
「・・・・・・そういうお前はなんも関わってねぇだろ」
「いやいや、もしかしたらお前と役目を変わっていたかもしれないからな。
導師としてお前がやっていけてるのか気になったんだよアラディア」
「魔術王である俺が、2人育てる程度でミスるかよ。
・・・・・・それよりお前はどうなんだヘカテ。釜は?」
最後の言葉は、それまでよりも感情が強く込められていた。
それは憎悪のような、あるいは悲観のような、それとも困惑のような。
いずれにしろ傲岸不遜なアラディアに似つかわしくない感情だ。
それを聞いたヘカテは、ニタリと笑う。
「なんだ、まだ気にしてるのか? 何をどうしたんだって、お前には無理なんだってば。
出来んことに執着するお前でもあるまいに」
「・・・・・・・」
「図星かよ。ははっ、全くお前は可愛いなぁ。
久しぶりにその仏頂面を見せてくれやがって、このこの」
そう言いながらヘカテはツンツンとアラディアの頬を指で突く。
先ほどと同じく振り払おうとしたアラディアだが、母に乗じてエヴァもツンツンしてきたため、なされるがままを保つしかなくなった。
ツンツンする指を止めないまま、ヘカテは話を続ける。
「悲しいなぁ。お前は色々とズレていた。
だからお前ではどうにもならなかった。名前は本物でも本質は違っていた。
期待されて産まれてきたのに、その役目を果たせない苦しみ。理解できるよ。
まあ、だからこそこの子がいるわけだが」
「・・・・・・・」
「不機嫌になるな。この世には個人ではどうしようもならないことがあるんだ。
それは私もお前も同じ。常世にいるあいつらも、な。
一人じゃどうしようもない難題だからこそ、手を取り合って立ち向かうんだろう?」
「ああ、その通りだよ」
ふてくされるように呟いて、今度こそアラディアはツンツンしている二人の指を払う。
軽快な笑いと共に立ち上がったヘカテは、
「さあ、仕事の話はここで終わろうか。
今日1日は私とエヴァに使ってもらうぞ。
喜べエヴァ。お父さんが遊び相手になってくれるそうだ」
「ほんと!? おとうさん」
「・・・・・・ああ。ほんとだ」
その言葉をアラディアは肯定する。
喜色満面のエヴァとヘカテに手を引かれ、アラディアは家族専用の部屋へ移動する。
折角の家族水入らず。団欒を楽しまなければもったいない。
残り少ない日数であるなら、なおさらに・・・・・・。
次回、デート




