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自灯籠  作者: 葦原爽楽
自灯籠 千紫万紅の夏休み
176/211

第十話 約束・中編

前回、過去編開始



行動を共にした否笠とケイ。

二人が向かったのは、まずケイの自宅だった。


手がかりが少ないこの状況。唯一解決への足がかりとなるのはそれだけ。

ケイを襲った組織が証拠隠滅のために出戻ってくる可能性もある。必ずしも無意味だということはないだろう。


そして、今二人は自宅の前にいるのだが――


「・・・・・・本当にここが、貴方のご自宅で?」

「はい・・・・・・・ないですね」


そう。なかった。

その一区画だけ、まるで爆撃にでもあったかのように、建造物と呼べる物体は見当たらなかった。

中心には高温で焼かれた大地の焦げ痕。周囲には破片らしきものが飛散している。


ニライカナイの災害によって、建造物が吹き飛ぶというのは多々ある。

いかに超テクノロジーの結晶を費やし、魔道科学の最先端を突き進んでいるニライカナイの技術であっても、抗えない災厄は存在する。

多くが強大な鼠たちによって。それ以外にも超常の災害によって。

しかし、ピンポイントでここだけ建造物が消え去るというのは明らかに人為的な意図が感じられる。

事実、右隣には傷一つなくマンションが建っているのだから。


「まあ、家はまた建て直せばいいです。

そんなに落ち込むことでもありませんね」


否笠の言葉通り、このニライカナイでは、家に対する愛着というものは薄い。

よく壊れるし、よく建て直すし、よく引っ越す。

空間占有権を与えられている以上、秒もかからず元の外観を取り戻すことも可能だ。

だから建造物への損害自体は特に重要ではない。


問題は、なぜケイの自宅がなくなっているのか。そこに尽きる。


「証拠隠滅のためでしょうね。

魔術でそれらしい痕跡を探していますが、髪の毛一本、指紋や靴の痕すら見つけられません。

貴方のお姉さんを攫った組織は、とりあえず隠蔽はしておきたいようです」


できるだけ自分の脚を掴ませたくない。そんな意図を感じた否笠は、とりあえず自宅があった場所の中心部へと足を踏み入れる。

黒く、炭となった破片を踏み砕き、めぼしいものを探す。

しかし、写真の一枚も見つからない。


「なんで」


否笠が散策していると、家の残骸を見ていたケイがポツリと言葉を零す。

誰に聞いているのでもない、問うわけでもない、独り言。


「なんで、姉さんが」

「偶然でしょうね」


それに対する否笠の答えはシンプルなものだった。


「運悪くあなたのお姉さんが選ばれたんです。

世界のどこかでは常に誰かが死に絶え消える。

その順番が、今回あなたのお姉さんに回ってきたんですよ」

「・・・・・・・・・」

「あなたもニライカナイに住んでいるのなら分かるでしょう。

1日で無数の命が消し飛ぶのがこの世界。

それを知識では分かっていても、実際に見ないとその悲惨さが分からない。

経験しないとその悲劇が理解できない。

主観的な視点しか持てない生物の宿命ですね。

だから『なんで自分だけ』という考えが生じる」


作業の手を止めずに、否笠は持論を唱える。


「家族が連れ攫われた。自分の大事な人が死んだ。

別段珍しくもありません。取り立てて騒ぐことでもない」


その言葉に、ケイは苦い表情をする。

自分の抱えているこの絶望が、この苦悩が、他者にとってはどうでもいいことなのだと、断言されたこと。

それが、心に浅くない爪痕を残す。

理解していたことだ。だが、いざそれを突きつけられると、心の奥底が不快に揺れる。それが子供ならなおさらに。


しかし、否笠はぎこちないアルカイックスマイルを浮かべて振り返る。


「ですが、それはあくまで第三者視点での話。

あなたにとっては最悪の事態であることは間違いないでしょう。

ならそれでいいんです。自分が悲しいと想うのなら悲しい。

嬉しいと想うのなら嬉しい。それでいい。それでいいんです」


重視するのは他人の視線よりも自分の在り方。

他者の言葉を受容するのも構わない。自分の意見を貫き通すのでも構わない。


「大事なのはそれを踏まえて、今何をしたいか。

諦めても構いません。絶望して命を絶っても構わない。

なんなら今わめき散らして、私を殺そうとしてもいい。

何をしてもいいんです。葦の国ならともかく、ニライカナイは全てを許しますからね」


それがここの、唯一のルールなのだから。

否笠は言葉を切り、ケイに目を向ける。

あなたはどうしたいのかと、その視線が問いただす。


だが、答えはとっくに決まっているし、誰に何を言われたところで変わらなかった。


「俺は、姉さんを助けたいです」


初めて会った時と変わらぬ言葉だった。


「たった一人の家族なんです。

今まで両親の代わりに俺を育ててくれて、碌な恩返しもできてないんです」


ケイが思い出すのは、意識が芽生えてから今までに至るまでの、姉の姿。

優しくて、正しい人だった。

自分より5歳年上なのに、勝負事となると一切手を抜かない性格だった。

寡黙な自分と対照的に、よく喋りよく笑いよく泣いて、感情豊かな人だった。

男勝りな性格で、女っぽさなんて凝視しないと見つからない。

得意料理のパンプキンキッシュなんて、舌が飽きるくらい食べた。


そんな断片的な記憶が、今は懐かしい。

当たり前すぎて分からなかったが、それがとても価値あるものだと今なら分かる。

無くしてはならないものだと、魂が叫んでいる。


「それに、姉さんが連れていかれる前に、約束したんです。

絶対に助けるって」


約束だけは絶対に守れと教わった。

事あるごとに、そう言ってくれた。

だからそれを履行しなければならない。

それをもって、初めての恩返しをする。

その決心は揺るがない。


その覚悟を聞いた否笠は、懐かしむように目を細める。


「私も、もっと早くに気づけていればね・・・・・・」


その言葉は、本人含め誰の耳にも届かなかった。

懐旧(かいきゅう)の想いを消し去るように、否笠は再びケイに声をかける。


「ケイ君」

「はい。なんでしょうか」

「今のままでは手がかり一つ見つけられません。

ですので、あなたがもう一度似たような事態に遭遇した時のために、便利な魔術を教えましょう」


そう言って、否笠は大地に手を触れる。

その手を通して、意味のある言語が大地に流れて、その命令文が浸透していく。

すると、立体的な映像が浮かび上がった。


「過去に、その場で起こった物事を映し出す魔術です」


情報を探し出す魔術は多数存在する。

これはその一つ。特定範囲内の記憶を読み取り、それを指定した時間内に立体的な映像として再生する。


厳密に言えば、その場所に刻まれた事象を、三次元的に再現するものだ。

ニライカナイには時間を超越している者も多い。なので過去や未来を探ろうとしても、正常に機能しない。時間という箱の外側にあるのだから。

だから時間に依らないこの魔術の方が、より精度が上がる。


浮かび上がった映像には、武装した白スーツの集団がいた。

人、だけではない。二足歩行の猫犬蜥蜴蛞蝓・・・・・・・。

様々な種族が入り乱れ、様々な色の肌が映る。

それ自体はこのニライカナイでは別段珍しい風景ではない。


その中央にいるリーダー格と思わしき男。その人物が何かを持っている。

水晶を削って創られた、15㎝ほどの球体。

それはまるで、人の目玉のよう。


「ここだ。ここに『巫女』がいる。

積乱緑雲が生じる前にさっさと済ませるぞ」

「『巫女』以外の奴はどうします?」

「用はない。殺せ」


近くにいた鳥頭が小さく頷く。

それから全員が銃身を構え、一人が先頭を切ってドアを蹴破る。

椅子に座っていた少女――おそらくケイのお姉さんが、その第一発見者だった。


リーダー格と思しき男が、瞬き一瞬の時間で女性に近づき、その身柄を拘束する。

接触と同時に発動する幾十の魔術。無力化、拘束、思考停止、神経不働化、感覚遮断、睡眠・・・・・。

目の色が抜け落ちる。叫ぶ間も無く、女性は鎮圧された。


「姉さん?」


その時、音を聞きつけて二回から現われた少年――ケイがその場に現われた。

反応する襲撃者たち。速やかにその銃口を少年に向けトリガーを引く。

その一瞬前、声に反応した女性は、一時覚醒し声を張り上げる。


「逃げてっ!!!」


それが功を奏したのか、銃声が轟き渡るよりも早く、ケイはその場を飛び退いた。

数瞬後には、銃口からマズルフラッシュが走り、超技術によって製造された魔の銃弾がその場に殺到する。

E=mc²の物理式に好きな数値を代入することで、要人の暗殺や大規模破壊まで成し遂げる45口径の弾丸。

尋常外の速度とエネルギーは、ケイの家を破壊貫通し、着弾した対象を即死させる。

だが、血が噴き出ることも肉片が散ることもない。逃したようだ。


「姉さん! 絶対に助けるから!!」


そんな言葉がどこから聞こえる。

同時にその場から立ち去る足音。

それを確認したリーダー格と思しき男が指示をする。


「二手に分かれるぞ。一つは今のガキを追え。

もう一つは俺についてこい。この巫女を運ぶぞ」


返答はなく、代わりに迅速な行動で部下は答えた。

その場で隊を編成。15人ほどの人数が、消えたケイの行方を追い外へ出た。


「この後、逃げた先でマックスさんに会ったんです」


映像を見ていたケイが言う。

今ケイが無事ということは、追っていた襲撃者たちは、逆にマックスの銃弾に撃ち抜かれたのだろう。

彼なら造作もないことだ。


そして、巫女を抱えた男は部下に指示し、全員の姿が見えなくなった。

迷彩、不可視化の魔術を使ったのだ。

数秒後には、その場から気配が全て消え、代わりに残された一つの爆破物。

それが内側から弾け、周囲に高温と爆風が蹂躙する。何らかの方法でケイの自宅を焼き払われた。

それから先、映像は途切れた。


「さて、追いましょうか。

彼らの足取りを辿れば、アジトに到着するでしょう」

「でも、姿が見えません」

「安心してください。私は見えます。

私の跡に付いてきてください」


そう言って、否笠は自分の周囲に記憶再現の魔術を展開しながら、襲撃者たちの歩んだ方向へ歩く。

ケイも最低限の魔術――見鬼の術は学んでいるが、それでも髪の毛一本も見えない程の隠蔽術を襲撃者たちは纏っている。

使用する術のレベルが違うのだ。


表通りに出て、反対から歩いてくる者たちにぶつからないよう、早足で後を追う。

再び二人の間で無言の時間が流れる。ただ後を追うだけなのだ、会話など起きる訳がない。


その時、否笠の横に電子的なスクリーンが開き、自動で声が再生された。


「やあ、否笠。調子はどうだい?」

「おや、よくも連絡をよこせましたねシェーレ(ぼんくら)

私たちは歩き回っているというのに、貴方は高級でふかふかな椅子に座っているだけなんて羨ましいです(意訳、『くたばれ』)」

「はははっ、実はそういうわけにもいかなくなったんだよ」


笑う声は先ほどと同じで、しかしどこか疲弊した様子でもあった。


「部下にさっきの事を話したら、

『お前なんていてもいなくても同じだ、たまには働け穀潰し』

なんて言われてね。絶賛僕も動き回ってる最中だ」

「ますます貴方の部下は有能じゃないですか。

上が駄目なら下は自分で育つものなんですかね」

「その通りさ! うん、だから僕はいつもだらしない頭首を演じて、部下が自分で考えるよう誘導しているんだよ」

「戯れ言は聞き飽きましたよ。本題に入ってください」


一刀両断で切り捨てる否笠に、シェーレは一瞬怯んで、その後話始めた。


「僕の人脈を使って、気になる情報を手に入れたから君にも共有しておきたいと思ってね。

もちろんケイ君がらみの事だ」


シェーレの声が幾分か低いものに変わる。

これで公私は切り分ける男だ。この声になったということは遊びではないことを意味する。


「手に入れたのは魔道具に関する情報だ。

データを送るから、自分の目で確認してくれ」


電子スクリーンに、シェーレの言っていた情報が映される。

そこに書かれていたことは・・・・・




〈魔道具 №93 『高樹』〉

その名の通り、100メートルにも及ぶ巨木である。

四季の影響を受けず常に青々と葉を茂らせ、枯れることなくいつまでも自然の生命を感じさせるが、反面恐ろしさを感じさせるほど静的であり、周囲の時が止まっているのではないかと見る者に錯覚させる。

構成原子、法則性など、通常の木々と異なる点は見受けられない。

しかしこの魔道具は植物ではなく、発生する奇跡は自然を超越している。

その効果は『神宿し』。一種の降霊術である。

『高樹』は神が宿る触媒であり、それに対して巫女を物理的・霊的に融合させることで、神と人との境界を崩す。

つまり『高樹』の中で行われるのは神人融合であり、一定時間経過後に、高樹の中から一体化した巫女が姿を現す。


現状、どのような神霊が宿っているのか、宿る神霊の種類は、等多くの疑問が解消されていない。

しかし神霊とは膨大な力を保有する霊格であり、度重なる検証を行う必要性は充分にあると思われる。

神霊を降ろすためには犠牲――『巫女』を捧げる必要がある。

無論、巫女に選ばれる基準はあり、誰も彼もが巫女になれるわけではない。

現状、理解している基準は五つある。


1、男を知らぬ清らかな女性であり

2、産まれてから20の歳月を過ぎておらず

3、毎日4回以上の信仰を捧げ(ただし、信仰対象は問わない)

4、魔道具№67 『鏡目』に選ばれ

5、記憶、歴史、魂に至まで、全く白紙の状態でなければならない


1~4までは符合する人物を見つければいいが、5の作業については我々が『洗浄』を行う必要がある。

我々は既に『鏡目』を保有している。この魔道具の居場所を示す・魔道具の発動条件、それに必要なものを保持者に示す。という性質を使えば、条件に適合する人物はすぐにでも発見できる。



考察

『高樹』という名称から、これは古代日本で行われた一連の宗教儀式を指すものであり、制作者はそれに影響を受けたのではないか。

詳細は省くが、天から降りた天津神は、手ごろな山に降臨し、人間が用意した樹木の中に神の霊魂が宿る。

その樹を川へ流せば、神の霊魂は川へ宿る。

神が川の中に出現するとき、神をまつる巫女は川の中に入り、神を川から掬い上げて神の一夜妻となる。

古来、神を祀る巫女は神そのものと同一視された経緯があり、神=巫女という方程式のもと、この魔道具は機能する




「・・・・・・なるほど、分かりました」


書かれていた内容に目を通した否笠は、それをスライドし、後ろに付いてきているケイに読むよう指示する。


「『巫女』に選ばれたのがケイ君のお姉さんで、襲撃者の目的は『高樹』による神の降臨ですか」

「これを読む限りではそうなんだろうね。

強大な力を欲する、とてもありふれた思考だ」

「そうですね、なんともつまらない。

ともかく私たちも襲撃者の後を追っている最中です。

何かあり次第こちらから連絡しますよ」

「ああ。武運を祈る」


そう言って、両者間の連絡が途絶える。

それと同時に、追跡していた襲撃者たちが、突如として道を逸れた。

細く暗い路地を軍隊の如く二列になりながら行進する。


きっとこの先に、襲撃者たちの隠れ家がある。

そこさえ突き止めれば後は簡単だ。殲滅して姉の居場所を吐かせれば良い。

ひどく簡単な話だ。

否笠は静かに笑みを携えながら、来たるべきその時を待つ。


「おや?」


否笠の足が止まる。

ケイがどうしたのか問おうとする前に、


「襲撃者の姿が消えましたね」

「え?」


否笠の言葉に嘘はない。

今まで記憶を投影化していたその映像から、急に襲撃者たちの姿が消えたのだ。

なぜ?



・・・・・・あ、



罠にはまったのは自分たちだと、否笠が気付いた時には、四方から襲撃者が躍り出ていた。



■ ■ ■



空から、路地の隙間から、躍り出る4つの影。

その内の一人。手を大きな刃に変えたゴブリンが、いち早く否笠とケイに襲いかかる。


「ギャハハハ!! やっぱり来やがったぜ間抜け共がぁ!!

ズタボロに解体してやらぁっっ!!!」


振り下ろされる鉄塊。

太い刃は否笠とケイの間を引き裂き、両者を物理的に分離させる。

分かたれた二人を、否笠に対して3人、ケイに対して1人が追いかける。


(ケイ君が・・・・・・・まあいいか)


否笠は別れたケイを追おうかどうか一瞬考えたが、すぐにその興味は失せた。

依頼内容はお姉さんの救出。それにケイ君自身は含まれていない。

それに、彼もニライカナイの住人だ。最低限の護身術は習得しているに違いない。


それにしても・・・・・・。

まるで追跡を待っていたかのような待ち伏せ。

それが気になる。

何にせよ、今は目の前の三体をなんとかしなければならない。


獅子と人間が合わさったようなキメラと、2メートルはあろう大男、そして武装している小柄の男。

その内の一体。開いた口内から炎を零しながら、二足歩行の獅子はその鋭い爪を否笠に振るう。

鋼鉄を超える強度の裂爪は大気を裂き、音速の100倍以上を初動で叩きだす。

否笠はそれを、上半身を捻ることでやり過ごし、反撃を入れる。


獅子人間は攻撃を意識しすぎて、防御がおろそかになっている。

なのでガラ空きの胴部。そこに手を当て、ポンと押す。

最小限の動作だけで獅子は路地の向かいにたたきつけられた。


まずは一体ずつ無力化し数を減らす。その後にケイを拾う。

方針を決めた否笠は、遠方からの銃撃を紙一重で躱し、その隙に大男の懐に入る。

拳を握りしめ、いかにも肥満体型なその横っ腹に、肉がめり込む程の打撃を喰らわせる。


「ぐぅ、お!!」


腕が肉に沈み、同時に骨がいくつか折れる感覚が伝わる。

そのまま顎を蹴り上げる。男はさながらトランポリンで跳ね上がったかのように上空を舞った。

それが落下するよりも先に、武装した男を始末する。

大した実力ではないことを感謝しながら、小柄な男の頭蓋骨を粉砕しようと腕を鳴らすと、


「待ちやがれ!!!」


先ほど、ケイを追っていったゴブリンの声が聞こえた。

視線を向ける。そこには、気を失い首に刃を押し当てられているケイの姿があった。


「!」


その姿に、思わず一瞬、体の動きが静止してしまった瞬間に。

背後から、強烈な衝撃を纏った拳が、否笠に突き刺さった。


否笠は吹き飛び、路地の向かいにある住居に大きな破砕痕を残しながら飛んでいく。

計13棟の家屋を突き破り、否笠はようやく停止した。


それを確認し、銃器で武装した男は大男に報告する。


「ヒュー、やりますね兄貴。砲弾みてぇに飛んでいきましたよあいつ」

「当然だ。この腕にいくらかけたと思ってやがる。能天使(パワーズ)の魂500だぞ。

コシャル・ハシスの連中に作らせた一級品だ。それくらいなけりゃあ困る」


大男がパチンと指を鳴らすと、ケイに刃を突きつけていたゴブリンの姿が蜃気楼のように消える。

幻影。否笠が見た光景は虚像であり、今もケイとゴブリンは争っている最中だった。


否笠ほどの実力者がそのような初歩的な手に引っかかるなど、あまりにも軽率かつ理にかなわないことだ。

しかしこうなった背景には理由が存在する。


まず、否笠は人との交友関係事態が極端に少ない。

かろうじて友人と言えるのはガーデナーのシェーレと、あと一人だけ。

すなわち、誰かを守りたいと思ったこと自体少ない。

そんな彼が、可能な限り生かしておきたい人物が人質に取られる状況におかれて、一瞬でも行動を停止してしまった。


つまり、否笠は守るという作業が慣れていない。

だからこその今がある。

100棟のビル群を一撃で薙ぎ払う拳が直撃したのだ。形があることの方がおかしい。


それでも立ち上がろうとする否笠。

だが、その前に、


「あ? まだ立ちやがるのか」


大男は巨体を揺らして、否笠の元まで駆け寄る。

そして、自慢の拳を握りしめて、


「さっさと死ねや!! この塵屑がァ!!!」


思いっきり、否笠に振り下ろした。

ドッ!!! と、大気を震わせ、地震が起きたのではないかと錯覚するほどの衝撃が、周囲に伝達する。

生身の人間がこれを喰らえば、一撃で肉塊となることは間違いない。


そんな打撃が、秒間に1000発。

あまりに振り下ろす速度が速いため、千を超える打撃音が一つの音として聞こえる。

過剰な暴力。先ほど否笠から一撃を貰ったことを根に持っていることもあるが、それだけが彼の暴虐の全てではない。


ニライカナイの存在は不死など珍しくもない。むしろ標準装備で、他者から殺されない限り寿命などで死ぬことはない。

だからこそ肉片一つも残さない。再生能力ごと打ち砕くために、大男は幾度と拳を振り下ろす。


そしてもう一つ。

単純に、男が他者を殺すのが好きだからだ。


手に伝わる肉を潰す感覚が。弱者の痛みに悶える顔が。

飛び散る生温かな血肉。そのたびに炸裂する耳をつんざく絶叫。

弱い者を一方的に嬲るこの快感。男にあるのは下卑たその感性のみ。

今まで、こうして多くの者がこの男に殺されてきたのだろう。

全ての価値観を認めるのがこのニライカナイであれば、弱肉強食の色が強まるのは半ば必然的なこと。

弱い者はより強い者の糧となる。最低限の力がなければ喰われるだけ。



「ああ、ええと」



だがそれは、この大男にも言えることだ。


パシッと、肉を叩く音が止まった。

巨漢の男の顔が驚愕と、そして恐怖に歪んでいく。

当然だ。千を超える殴打の嵐を喰らって、それに傷の一つも生じてはいない。

いわく特注の腕を掴み、立ち上がった否笠の顔からは、

まるで悪魔のような、嘲笑と玩弄と悪意を感じたからだ。


「高かったんですっけ? この腕」


言い終わると同時に、

ゴブシャア!!! と、腕が付け根から引き千切られた。


「う、が、ああぁぁぁぁああああああああああ!!!」


噴水の如く漏れ出る血。それが間近にいる、今まさに腕を分離させた否笠の全身を濡らす。

亀裂のような笑みを浮かべて、それでいて獣のような眼光に喜色を孕ませて。

引き千切った銀色の腕を弄び、そして力を込めて、バラバラに壊した。


「ゴミですね。安物にも程がある。

それにしても。あぁ、いかにもこれから殺されるモブみたいな声出しちゃってまぁ・・・・・」


労るような、魂まで馬鹿にした声で、否笠は腕を引き千切られた男を見下し、

そして大男めがけて足をあげ、


「塵屑はてめぇだろうが顔面崩壊野郎が!!

誰の許可で俺の前にそのきもちわりい(つら)晒してんだっ!!! あぁ!!?」


思いっきり、踏み潰した。

分厚い肉を服の上から地面まで貫通し、それに合わせて爆発したかのようにぶちまけられる肉と内臓。

周囲の壁、地面に飛び散る血の飛沫。


何度も何度も何度も何度も何度も何度も踏みつける。

凄惨に、より痛がるように、苦しむように、

自分が、笑えるように。


狂笑を顔に貼り付けたままに鏖殺する。

しかし、自分の靴にからみついた視神経、ぶらさがる眼球。そしてへばりついた肉。

それを見て、一転して不機嫌になった否笠は、徹底的にまで男を侮蔑する。


「チッ、クソが、おい肉塊。俺の靴がお前の血と肉で汚れただろうが。

ふざけるなよ、血が飛び散る方向くらい俺に配慮もできねぇのか!!??」


あまりに理不尽な要求と暴力。

踏みつけの連続で爆発する激痛と死の到来。この世のものとは思えない苦痛と恐怖の中で、大男は絶命を迎える。


しかし死なない。

死んでも、何らかの方法でその死を否定され、蘇り、そしてまた殺される。

その連続。殺戮の繰り返し。

終わることのない暴虐に、大男は絶叫すらあげられず、代わりに魂が泣き叫ぶ。


大きな図体が文字通りゴミのような肉塊となりはてて、先ほど彼を兄貴と呼んでいた一人は震えながらその場を動けないでいた。

仲間が圧倒された事実もそうだが、今目の前で行われている所業が、とても直視できたものではなかったから。

彼もニライカナイの住人。凄惨な光景や拷問現場など見慣れている。

だが目の前のこれは、彼が見てきたいかなるそれよりなお残忍で、かつ痛みに満ちていた。

胃の中のものが口にこみあげてきて、しかし緊張で飲むことも吐き出すこともできず、窒息で死にかけながらも、逃げることができず失禁しながらただ見ることしかできない。


粉砕作業が一通り終わり、満足した否笠の視線と、男の視線が交わる。

爛々と輝く狂気の瞳。

それを見た瞬間、失神しそうな程の恐怖が男を襲った。


「ひ、ぃぃぃっっ!!!」


恐怖に耐えかね、足は男の意を無視してその場を去る。

武装していた銃器など重りに過ぎない。放り捨てて、一刻も早く退散する。

だが、あまりにも遅すぎた。


「どこ行く気だよ、なあ?」


神速で、目にも止まらぬ速さで、否笠は男の背後に回る。

そして、思いっきりその頭部へ、手をめり込ませた。


「あぐ、あgaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa――!!!」


まるでバグったように、声が言語化できずに未変換のまま外に出力される。

それも当然。否笠の手は脳髄に達し、柔らかなそれを思いっきり掴んでいるのだから。


「おい、お前のお仲間はどこにいるんだ?」


否笠は、脳からの滅茶苦茶な指令で体を跳ねさせている男に質問する。

こんな状態で答えなど返ってくるわけがない。しかし精神に干渉した否笠はそれを無理矢理実行させる。


「ああああああぁぁぁぁぁぁ、み、南地区第五層24409―53715―14870。

赤い、ビル・・・・・・・・」

「ああ、そう」


答えを得た後、否笠の行動は速かった。

弄んでいる脳髄を、思いっきり握り潰す。

ブチュッ!! と、手を介して伝わる音。

手を引き抜くと同時に崩れ落ちる男。

だらしなく口を開け、舌と脳漿らしいきものがその間から零れる。


しかしこれで解放されたかというと、そうでもない。


「じゃあ、ゴミ掃除ついでにやっとけ」


否笠から次なる命令が下される。

指し示した先、そこには、否笠に踏みにじられ未だ生死の境を彷徨っている大男の姿。


処理と言った。つまり片付けろ。

それを確認し、生命活動が完全に停止したはずの小柄の男が、すっと立ち上がる。

その顔に表情はなく、血色もない。

死後も活動するという点に着目するのなら、それはゾンビと言えるのかもしれない。


脳を破壊され、まともな思考などできないが、それでも男には分かる。

その作業を成し遂げた後に、自分は自害するのだと。

そう命令された。だから逆らえない。

できるだけ時間がかかる方法で、苦しみながら、ゆっくりと死んでいくのだと。


必ず訪れる破滅を前に、堰を切ったように涙を流し嗚咽(おえつ)する。

足は強制的に動き、半ば液状化し今も生きている大男の前に辿り着く。

大きく口を開けて、それに思いっきり食らいついた。



■ ■ ■



一方、ケイと一匹のゴブリンは、路地裏を移動しながら激しい攻防を繰り広げていた。


「ギャハハハッッッ!!! ちょこまか逃げる鼠がぁ!!

できるだけ痛々しく解体してやるから止まってくれよぉォ!!!」


ゴブリンがその腕を刃に変え、ケイを切り裂こうと接敵する。

宣言通り、惨たらしくケイを殺すために。


しかしそうはならない。

空間に煌めく光。わずかな光の乱反射。

不可視のそれが、ゴブリンの刃を受け止め、なおかつ弾く。

それゆえに、ゴブリンは先ほどから攻められないでいた。


ワイヤー。それがケイの扱う武器。

既に路地裏中に張り巡らされ、うっかり触れれば切断される。

上下左右、四方八方に展開され、それを警戒し動かなければ、その隙に新たなワイヤーが襲いかかる。

それでいながらワイヤーを操るケイは自由自在に動く。

ワイヤーがある位置が分かるのか、それを踏み台に宙を駆け、空中に静止することも可能にする。

まるで自らの巣穴を自由自在に動く蜘蛛。そして、その表現は様々な意味で一致していた。


ケイがまず第一にしたことは陣形の生成。

相手を滅殺するために、自分にとって有利な場を整える。

既に空間中にワイヤーが張り巡らされている。

蜘蛛でいう巣穴の部分。糸に絡まった獲物は、時間をかけて死ぬか即座に死ぬかの二択だけ。

姉から教わった護身術。戦闘の心構え。その一つ。

それを忠実に守っているからこそ、ケイは敵の凶刃にかかることなく存命していた。


整えた空間は防御にも、攻撃にも転ずることができる。

両手の五指で操るワイヤー。それを操り命令を下せば、ワイヤーは自由に形を変える。

複数の糸が合わさり絡まりあって、先端を尖らせた一つの槍となり、音速を超える速さで射出される。

片手を思いっきり振り下ろせば、指に連動したワイヤーが路地道を切り裂き、鋭利な切断面を大地に残す。

ワイヤーの束は大地を生き物のように蛇行し、相手に触れれば、即座に巻き付いて動きを止める。


相手に逃げ回る以外の選択肢を与えない。

囲まれ、四方から狙われ、しかし相手は攻めに転ずることができない。

その状況に持っていけば、もはやケイの勝利は揺るがない。


そう断言できる理由には、ケイが操るワイヤーの強度が由来している。

このワイヤーは、糸は、たとえ高位の咎人であろうと容易に切り裂くことはできない。

ニライカナイ有数の絹織職人・荒絹の姫が織り上げた最高級の糸なのだから。

彼女を懇意にしていた姉が、日頃のお礼にと譲り受けたのがこの糸。


何から何まで姉譲り。

そのありがたさを噛みしめながら、目の前の危機を打ち破るために糸を走らせる。


先ほど否笠が思ったとおり、彼もまたニライカナイの住人。最低限の護身術、そして相手を殺す術は習得している。

それに、何より彼には、負けられない理由がある。

姉を助ける。例え自分の身が滅びようと。

それは決して、享楽を目的に殺戮を犯すという低次のものではない想念。


行動する事さえ躊躇われる糸の牢獄。

その中で、醜悪な顔をさらに歪ませてゴブリンは笑った。


「ああ、あああ、思い出した。

お前あれか。さっき攫った女の家にいた弟か。

ヒャハハハ!! こいつは笑えるぜぇ。なあおい、お前の姉ちゃんがどうなったか教えてやろうか?」


長い舌をチロチロと揺らし、大きな目を細め、いかにも人を馬鹿にした態度をとる。


「攫ってきた奴はな、俺たちの慰め役兼サンドバッグになるんだよ。

全員で楽しんだ後はそいつで作品作りだ。どうすれば悲痛な声で泣くか、グロテスクな肉塊になるか、色んな拷問方法で試すんだぜ?

その後飽きたら処分するんだよ。バラバラにして家畜の餌になるか、一生生かさず殺さずの状態で誰かのペットになるか。

なあ、お前弟なんだろ? 選ばせてやるよ、お前の姉ちゃんはどんな末路がいい?」

「馬鹿馬鹿しいし、下らない。そして考えるまでもない。

お前達の目的である神降ろしとやらが成立するまで、姉さんは生かしておきたいはずだ」


挑発を目的にした嘲笑を、しかしケイは冷静に断じる。

例え嘘であっても、その下卑た口調から発せられる言葉の数々は、神経を逆なでし殺意を抱かせることは間違いない。

しかしケイは動じない。

不動の心を持っている、わけではない。かといって心が死んでいるわけでもない。


自分の、最も大切な家族である姉。それを屑共に奪われ、一人逃走したあげく否笠に頼らなければならないこの状況。

しかし自分の無力さを嘆く暇は無い。ならば残るのはたった一つの感情のみ。

つまり、怒りすぎて憤怒以外の感情が出ないのだ。


例え手足がもがれようと、斬首されようと、目の前のこいつを殺すために体が動くと確信がある。

それほどまでにこの激怒は、燃え上がる焔は、苛烈で過激で自分でもどうしようもない。


「俺がお前達に要求することは一つだ」


ケイは腕と指を虚空で動かし、交差させる。

何の事情も知らない他人が見れば、その動作は滅茶苦茶で意図が分からないものだが、ケイにとっては精緻なワイヤー操作に他ならない。

命令を受けたワイヤーは、空気を裂きながらゴブリンの方向へ走る。


それに対して飛び、ケイと同じくワイヤーを足場にして空中に立とうとするゴブリン。

だが、愚策だ。


「っ!!」


足がワイヤーに触れた瞬間、ワイヤーが粘着する。それに気づき引き剥がそうとするが、まるで脚の大部分がワイヤーと一体化してしまったかのようで、抜け出すことができない。

どころか罠にかかった獲物を逃さないよう、四方からワイヤーが殺到し、その全身を絡め取っていく。

蜘蛛の糸。その性質を宿したケイのワイヤーは、所有者以外に対してその牙を剥く。


そして、その隙を逃すわけがない。


「姉さんを、返せっっ!!!」


ケイはワイヤーを束ね一つの槍を作り、それをゴブリンに射出する。

真っ直ぐに飛ぶ極太の槍は、ゴブリンの腹を突き破り巨大な穴を空けた。


「ゴブァッ!!!」


空洞から内臓を撒き散らして、空中で尋常ではない量を出血する。

しかし、それだけでは終わらない。


「知っているか? 輪ゴムを幾つも巻けば、圧力で西瓜が破裂するらしいぞ」


それはいつの日か、姉と一緒に試した思い出。

ゴブリンの全身にワイヤーが巻き付けられる。

それは数を増し、何十、何百、何千と重なり、強烈な圧力と共にゴブリンを締め付ける。

その様は、まるで包帯に巻かれたミイラのよう。


「ま、待て! 待って!! は、話し、話せばわかっ、

あ、がぁああああああああああ!!!!!、やめろやめろやめろイタイイタイイタイッッッッッ!!!」

「死ね、下郎」


容赦も情けもなかった。

ケイが、クンッと腕を引く。

それに合わせてさらに力を増すワイヤー。

それは臨界点を超え、ついに。


「ア」


呆気ない声と共に、ゴブリンはワイヤーの圧力に負け、爆発した。

内側から破裂するその姿。辺りに飛び散る肉片。

小さい頃の思い出の西瓜と、あまりにも似ている光景だった。


それを確認して、周囲に張り巡らせていたワイヤーを回収する。

糸はケイの手中に収束し、やがて糸の塊となる。

すぐに否笠の元へ戻ろうと思ったが、しかしその必要はなかった。

向こうからコツコツと歩いて行く影は、否笠のものだったから。


「ああ、無事殺せたようですね。何よりです。

これで少しは気を晴らせたでしょう」


なぜか、先ほどまでの無表情ではなく、晴天のような笑顔を浮かべている。

相好(そうごう)を崩している否笠に不気味さを感じながらも、ケイは返答する。


「まだです。まだ姉さんの安全は確保できていません」


そうでないかぎり、例え襲撃者を全滅させたとしてもこの気は晴れない。


「そうですね。こちらも襲撃者から情報を得ました。

彼らの隠れ家。それが見つかりましたよ」


その言葉に、ケイの目が変わる。

今すぐにでもそこに行きたいと、言葉にせずとも訴える。



次回、後編

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