第八話 私達は結局・・・
前回、ロウとエクシリア
8月。
夏休み真っ最中の頃、俺、海曜集は家でくつろいでいた。
クーラーはつける必要はない。俺の意識一つが環境に作用し、自在に気温を上げ下げできるのだから。
よって自室は冷涼そのもの。熱すぎることなく、かといって涼しすぎることもない、丁度いい。
ベッドで寝転びながら、スマホで今週の予定を確認する。
エクシリアちゃんと約束を交した後、堅洲国で彼女の練習に付き合っている。
内容は多対一における立ち回り。正直2人で多数と呼べるのか疑問だったが、エクシリアちゃん本人はいたって真面目だった。
自身が後方担当であることを自覚していて、戦闘で咎人とぶつかる俺を的確に援護し、針の目を通すかのような精密射撃を連続で行う。
かといって射撃しかできないというわけではなく、エクシリアちゃんがその気になれば手にした近接用の矢を武器に白兵戦すら得意とする。
その動きは基礎を徹底的に鍛えた洗練されたもので、型通りといえばその通りだが、それでも容易に崩せない程の鍛錬がそれにつぎ込まれている。
その最中で気に掛かったことだが、確かにエクシリアちゃんの顕現はどことなくおかしかった。
まずタイムラグ。彼女が発動した瞬間に効力が発揮されるのではなく、数瞬遅れてそれが行使される場面が多々あった。
次に出力。彼女の顕現『追放』は無形型。よほどの事がない限り、同格の相手には通用するもの。
しかしその効能は、同格の無形型と比べて見劣りしている。顕現の撃ち合いになれば押し負け、そもそも通用しないことだってあった。
エクシリアちゃんは自分の顕現に対して違和感を覚えていたけど、確かにその通りで、俺が思っている以上に危険かもしれない。
これはなんとかして解決しなければならない事態なんだが、生憎俺にできることがまじでない。
頼みの綱であるアラディアさんに助言を求めてみたが、『それは本人が解決する問題であって、てめえに出来ることなんざ0.5割もねえよ』なんて俺を踏み潰しながら言いやがるんだぜあの人。
なにはともあれ次の練習は三日後。
この夏休みは基本暇だし、桃花での粛正案件もない以上、なるべくエクシリアちゃんの一助となるためこの身を動かすのだ。
・・・・・ん? なんだ?
なにか、俺の知性が猛烈な違和感に襲われている。
何かを忘れているような。必死に思い出そうとしているような。
気づかなきゃいけないようで、だけど理性がそれを気づきたくなくて。
・・・・・・あ、やべえ、どうしよう。
店長に、エクシリアちゃんと一緒に堅洲国に行ってること言うの忘れてた。
「・・・・・・」
あれ、これどうなるんだ? もしかしてめちゃくちゃ怒られたりする?
だって、店長に無断で堅洲国行ってるようなもんだよな。
この場合どうなるんだ? 粛正機関の守らないといけないルールに抵触してないか?
・・・・・・・・・・・・・・どうしよう。
危険な香りを感じ、暑くもないのにうっすらと汗をかく。
スマホで時間を確認。時刻は午後1時28分。
曜日も確認。よし、今日は店やってるな。
急ぎ準備を整え、急ぎ足で桃花へ向かう。
こうなったら全てを話した上で、土下座して謝るしかない。
■ ■ ■
「し、しつれいしまぁ~す」
喫茶店・桃花一階。裏口の扉から、俺は店内に入る。
さすがに営業時間中にお邪魔するのは気が引けたので、店が閉まった後の時間に訪れた。
チラリと調理場を見る。誰もいない。そりゃそうか。営業時間終わったんだから。
「おや、集君。こんにちは。どうなさいました?」
俺が調理場まで入ったその時、階段を下る音と共に店長が二階から姿を現した。
「あ、こんにちは。ちょっと店長と話したいことがありまして・・・・・」
頭を掻きながら、とりあえず要点を伝える。
「ふむ、話ですか。
その様子から察するに、重要な話のようですね」
「あ、分かりますか。
えっと、やらかしたかなって」
頭を傾げた店長は、店内のテーブルを指し示す。
「まあ、なんにせよ座りましょう。
今飲み物持ってきますね。コーヒーでよろしいでしょうか?」
「はい。わざわざありがとうございます」
頭を下げ、調理場に向かう店長を見届け、俺は椅子に座る。
数分後、冷えたコーヒーを両手に、その一つを俺の方へ差し出して、店長は俺の対面に座る。
「では、どうぞお話ください。
集君は一体何をしでかしたんですか?」
「はい。実は――」
そして俺は事の顛末を話した。
別の粛正機関の顕現者と共に、店長に無断で堅洲国に行っていたこと。
店長はコーヒーを口にすることなく、うんうんと相槌を打ちながら聞いていた。
「――というわけなんです」
「なるほど。よく分かりました。
お疲れ様です集君。夏休みの間も他人のために働くだなんて、集君は偉いですね」
だけど、返ってきたのはなんと称賛の声だった。
それに皮肉の意味は感じられない。本当に、ただただ感心している。
「えっと、怒らないんですか?」
「怒る? なぜですか?
そもそも堅洲国に行くこと自体禁止されているわけではありません。
確かに無断なのはあまりよろしくないことですが、集君はちゃんと理由が存在します。
練習に手伝ってあげたのなら、桃花のルールである2人での活動に抵触もしません。
私が怒る理由は特にありませんよ」
そう言って、コーヒーを一口含む。
口元に笑みを携えて、ああ美味しいなぁと、その味を堪能している。
店長はいつもこうだ。いつも自分のペースを崩さない。怒ったところを見たところがない。
俺はそれが不思議に思っていた。けど今までそれがなぜかと聞かずにいた。
きっと熾天使である店長と、それ以下の俺たちでは視座が違うのだろうと、勝手に理由をつけて納得した。
でも、だ。俺も熾天使になったが、店長のように泰然自若とした心境でいられた試しがない。
今さっきも店長に怒られないかビクビクしていたことがその最たる証明だ。
だからその姿勢は、心持ちは店長固有のもの。
俺は、それが気になった。
「店長って、いつもニコニコして怒らないですよね。
それって、どうしてですか?」
「期待してないからです」
「・・・・・・期待してないから?」
店長の返答は、俺の予想していたものとはかけ離れていた。
「ああ、非難しているわけではありませんよ。
集君の頑張りはきちんと分かっています。
ですが肝心なところや、最後の最後で、結局私は誰にも期待してないんですよ。
だから他人が自分の思い通りに動かないとしても、私は特に何も思わないのでしょう」
だから、俺が無断で堅洲国に行ったことに対しても、何も思うことはない。
期待してないから。信頼していないのではなく、無用な期待や願望を俺に背負わせていないから。
彼ならできるだろう。やってくれるだろう。助けてくれるだろう。自分の味方であってくれるだろう。
それら、人が知らず知らずのうちに他者に対して抱いている押しつけがましい感情を、店長は廃している。
ある意味、ストレスフリーな生き方なのかもしれない。
「それって、咎人に対してもそうなんですか?」
「その通りです。彼らがどのような罪を犯そうが、仕事以外の理由で私が彼らを殺すことはあまりないですね。
欲に基づく行為も、その理想も、止める権利など私にはありません。
ですが、ファルファレナに対しては老婆心が湧きましたね」
ここで、気になる名前が発せられた。
ファルファレナ。以前俺たちが戦い、紙一重で勝利を収めた熾天使。
そんな強大な咎人に、老婆心? 一体なぜ?
「あのまま行けば彼女は絶対に後悔すると分かっていたのですよ。
邪魔するものはなぎ倒し、天の果てまで羽ばたいて、では辿り着いた先には何があるのでしょうね?
彼女の思い描いた世界でしょうか? 理想通りの桃源郷でしょうか?
ですが、全く同じ景色を何万年、何億年と見せられ続けて、飽きが来ない人などいるのでしょうかね」
「・・・・・・」
その言葉に、俺は考える。
俺だったらどうだろう。100年ただ突っ立ってろと言われて、本当にそんなことができるだろうか?
無理だ。間違いなく心が死ぬ。固定した時は、魂から色彩を奪ってしまう。出来上がるのは灰色の世界だ。
「かつての私も、そんな境地を夢見ました。
誰も届かず、誰も得られない永遠不変で絶対無比。
そこに到達すれば、全て叶う。満たされると。
ですが、そんな自分をもう諦めています。
諦観。諦念。それがファルファレナにはどうしようもない怠惰に見えたのでしょう。
彼女はどこまでも上を目指して進み続ける人ですから、私のように途中で立ち止まった人間を容認することは難しいはずです。
ですがね、彼女が私を哀れみの眼で見たように、私も彼女に対して憐憫を抱きました。
どんなきっかけで上昇という想いを抱いたのか。それは分かりませんが、彼女の行く道は途方もない難行で、成し遂げたその果てに見るのは地獄。
いたたまれません」
店長が目を閉じる。その言葉通り、店長の声には感傷の響きがあった。
「上を目指し、努力して、目指していた場所に到達して、それでも足りぬと上を目指す。
どこまでも永遠に、ね。馬鹿馬鹿しいとは思いませんか?
努力を否定するわけではありません。ただ今自分がいるそこが、本当に足りないものなのかもう少し吟味していただきたいんです。
お金を儲けたいのなら、今あるお金で本当に足りないのか。
高い地位を望むのなら、本当にその地位が自分にふさわしいものなのか」
目的と手段が混在していないか。自分が目指している幸せというものは、本当に今手にしていないのか。
前に進むことを否定はしないが、今の自分で本当に満足できないのか。
つまり、店長が言っていることはそういうこと。
店長も言ったとおり、ファルファレナの在り方を否定している気はないのだろう。
それが彼女にとっての幸福なら突き進めばいい。だがそうでない者も存在し、そんな人に示す道の一つが、店長の考えなのだろう。
でも、疑問もある。
先ほど、店長は他人に期待などしないと言っていた。
けど、今の店長の姿はそれと矛盾しているように見える。
本当に期待していないのなら、他者のどんな行動に対して何も思わないはずだ。
「店長は、今幸せなんですか?」
「幸せですよ。充足してます。
朝起きてコーヒーを飲む瞬間、慣れ親しんだその味にホッとします。今日も一日無事始まったとね。
桃花に来れば、アラディアさん、天都さん、霞さん、集君、美羽さん、蛍君たちと出会えます。皆さんから元気をいただければ、この老人の爪先から頭まで力がみなぎるのです。
私にはもったいないほど、皆さんは頼もしくて優秀です。
表の仕事をすれば、だいたいいつものお客さんがやってきます。彼らと話すことは毎日の楽しみですね。
裏の仕事を終えれば、今日も無事生き残ることが出来たと毎回安堵します。咎人のように死の臭いを纏う方々と接すれば、生きることの重要さを再認識できますからね。
そして仕事を終え夜眠る時、一日を振り返って『今日も素晴らしい一日だった』と言える。
それができる私は、充分幸せですけどね」
ありふれた事を幸せなことだと大事にして、かけがえのない事だと口にする。
なら店長の言葉は、『諦めた』というよりも『気づいた』と言った方が正しいのかもしれない。
自分の人生の目的、ゴール。それが階段を上り詰めた先にあるのではなく、たまたま横を見たらそこにあった。そんな感覚。
納得した。確かにその通りだと理解した。
けど、一つ気になる点があるとすれば、
「店長のライフサイクルに咎人の粛正が入ってますけど、店長は咎人がいなくならないこの現状を望んでいるんですか?」
咎人の存在。彼らを殺し処分するこの仕事。
その闘争に終わりを望むことはないのだろうか?
自分はどうかというと、こんな闘争の日々は終わるに越したことはないと思ってる。
それは単純な生命に対する欲求で、端的に言ってしまえば死にたくない衝動とも言える。
ならそもそも咎人の粛正に参加しなければいいのだが、あいにくそうもいかない。
自分一人の献身で助けられる命があるのなら、行動するに越したことなどないのだから。
だからこそ、咎人は根絶――という言い方はよろしくないが、いなくなった方がいいと思ってる。
なんたって被害の規模が違う。四層、いや三層の咎人が葦の国に現れただけで、甚大な被害を被ることは確実だから。
平行世界の一つを消し去っただけで無数の命と歴史が途絶える。恐ろしいことこの上ない。
そこらへんをどう思うのか、店長の意見を是非お聞きしたい。
それとも、咎人たちに期待などしていないから、どんな行動を起こそうが知ったことではないのだろうか。
店長はコーヒーを一口含み、喉に流して、一考して、
「そうですね。それは難しい問題です。
断言しますが、咎人は絶対に消えません。
例え堅洲国が今すぐにでも消滅し、咎人もろとも滅びたところで、
名を変え手を替え品を替え、全ての歴史と時代と世界に、魂が在るところ全てに出現するのでしょう」
「つまり、俺たちの活動は」
「無意味だと、思いますか?」
俺の言葉を先読みして、まさしく俺が言おうとした答えを言う。
アラディアさんほどじゃないけど、店長も店長で人の心を見抜くのが上手い。
「そう感じてしまうのも理解出来ます。
死に物狂いで戦って、咎人を倒して、しかし大局には影響しない。
世界なんて救えはしない。たった一人守ることで精一杯。いや、それさえ難しい。
この仕事はそれの連続です」
そう。その通り。
たった一人を守ることすら難しい。それを俺は、骨身に染みて分かってる。
死にたくなるほど無力感に襲われたし、俺にもっと力があればと何回も思った。
若輩の俺でさえそうなのだから、長年粛正稼業をしている店長は、比べものにならないほどの悲劇を見てきたのだろう。
救えなかった命も、たくさん。
それを踏まえて、店長は言う。
「ですが、それがどれだけ小さくても、世界から見て塵芥以下のものでも、1は1です。確かにそこに在るんです。
ならば、その1を救えたのなら、私にはそれでいいようにも思えます。
やがてその1が積み重なって、2にも10にもなれば、もう万々歳です。
よって、『クリキンディーの一滴』。私は自分の行いをそう思っています」
「クリキンディー・・・・・・」
「先代からの受け売りですけどね。
学校で聞いたことはありませんか?
『ある時、森が火事になって、動物たちは大急ぎで逃げ出した。
ところが一話のハチドリ――クリキンディだけはその細いくちばしで、水のしずくを一滴ずつ運んでは火の上に落とす。
そんなクリキンディを見て、動物たちは笑って言う。そんなことをして、一体何になるのだと?
するとクリキンディはこう言います。「私は、私にできることをしているだけ。」と』」
確かにそれは聞いたことがある。
小学校、道徳の教科書に載っていた、わずか数ページの話。
小さい頃はそれに対して、肯定も否定もせず、ただの一つの物語として特に感慨もなく見ていただけだった。
だが、今その話を元に、店長の言葉を噛み砕く。
誰も彼もが救世主になれるわけじゃない。誰も彼もが主人公になれるわけがない。
人には適正というものがあって、その役割とやらはきっと、努力や功績とは無縁の領域にある。
宿命論を信じている気はないが、やっぱり世界にはそんなものがある気がする。運命っていう不可視で巨大なうねりが。
自分で話を切り出しておいてあれだが、俺なんかが世界を救えるわけがない。咎人を一掃なんて出来るわけがない。
だってこんな、覇気もなければ大して強くもない俺が、そんな器か? 断じて違うだろう。
顕現者だって俺以外にも腐る程いる。俺なんてなんら特別じゃない。
誰かを救うことすら難しく、100回やって一度そんなことができたら、それだって奇跡のようなもの。
ならばそれで打ちひしがれるのか。たった一人しか救えないと嘆くのか。
いいや違う。一人でも救えたと胸を張ればいい。
それは無意味なんかじゃ断じてないんだから。
まるで、必要なことを教えてくれるように。
話さなければならないことを、一つ一つ。丁寧に、じっくりと、店長は教えてくれる。
俺は、それが疑問に思って、なぜか分からないけど不安になって。
「・・・・今日はどうしたんですか、店長。俺が話し始めたことですけど、やけに饒舌ですね」
「ふふ、いえいえ。私も歳ですから、ぽっくりと逝く前にどうしても話しておきたいことはあるのですよ」
「そんな、俺たち顕現者に年齢なんて関係ないじゃないですか。
寂しいこと言わないでくださいよ・・・・・店長がいなくなったら俺ら、どうなるんですか」
「どうもなりませんよ。なるようになるだけです。
この日々が永遠に続くとは限りません。ファルファレナに言わせてみれば、しょせん仮初めの日々ですから」
そう言うと、店長はコーヒーを飲み干して、椅子から立ち上がった。
「すっかり夕方ですね。
長い間ここに留めてしまって申し訳ありません。
詫びといってはあれですが、晩ご飯でも食べていきませんか?」
「え、作ってくれるんですか! 店長が!?」
「はい。さてさて、何を作りましょうかね。
エビチリか、オムライスか、ピザか、ハンバーグか。
お、ブラッドカレーがありますね。いかがですか?」
「いや、それだけは勘弁です」
俺も立ち上がり、ただでいただく訳にもいかないので手伝う。
普段作ってる店のメニューに、アレンジを加えながら、遊び心満点の料理を。
そうこうしている間にも、俺は先ほどの店長の言葉を思い出す。
この日々が永遠に続かない。
しょせん仮初めの日々で、いずれ終わりが必ず来る。
なら、その時俺はどうなるのだろうか。
皆いなくなって、それでも生きていけるものなのか?
桃花は俺にとって家と同じだ。それは同じ顕現者が集まるから。
異常な存在になった俺が、唯一その異常性を明かしても平気な場所。
俺が100%の俺でいられる場所。
それがなくなったら、それでも俺は、今のように笑っていけるのだろうか。
そんなことを考えたら、底知れない不安が襲ってくる。
次回、過去のお話




