第十七話 セラフィムダンス
前回、帳の心中
・否笠視点
初撃の激突の後、否笠は高欄帳から離れていた。
いかに結界を張ったといえど、衝撃の直撃を受ければ彼女を守れる保証はない。
ヴァルキューレの狙いは自分だ。こちらが移動すればついてくるだろう。
戦いの舞台は橋を渡った隣街へ。
ビルの一つに飛び乗った否笠は上空に目を向ける。
空に翼を広げるのは三人の天使。煌々と輝く翼を羽ばたかせる。
放たれたのは羽。弾丸のように一直線に、否笠に向けて飛来する。
ビルを蹴り横に跳ぶ否笠。直後ビルに触れた羽は光の柱となり、周囲を熱で溶かし尽くす。
五軒隣のビルに着地したが、さらに数十の羽が否笠の元へ舞い降りる。
終わりのない羽の襲来はまるでマシンガンだ。街に巨大な柱が何本も屹立する。
街そのものの気温が急激に上昇する。建物に取り付けられている温度計が一気に上限を超えた。
(少し鬱陶しいですね)
地面に降りた否笠は手にした長剣で横に切る。
サンっと、街の建造物もろとも光の柱は根こそぎ切り落とされ、その巨塔が地面に落下する。
幸いなことに高欄帳の顕現で人はいない。死傷者を出すことなく、大規模な戦闘をすることができる。
触れた地面を融解させながら、柱は地の底へ消えていった。
それを見ていた否笠に影が射す。上空に目を向けるとヴァルキューレの一人が翼を構え迫っていた。
「うらぁぁああああっ!」
叩きつけるように翼を振る。その声から察するにリーダーと呼ばれた彼だろう。
その一撃を手にした剣で受け止める。
腕に伝わる莫大な力。腕がひしゃげそうな衝撃。
さもありなん。直撃すれば星を核ごと打ち砕く一翼なのだから。
なかなかに重い。相当の霊格であることが分かる。
(美羽さんと蛍君が顕現に巻き込まれたのはある意味幸運でしたね。
あの二人では刹那も持たない)
こうして否笠と殺し合えているのがその証拠。
否笠はノーダメージ。しかし足場はそうはいかない。
否笠を通じた衝撃が大地に吸い込まれる。足場は沈み、陥没する。
ともすれば足場がぐらつき体勢を崩しそうだが、否笠は大地を蹴って、当然のように空中に立つ。
「なかなかできますね。位階は熾天使ですか。
お仲間がいなくてもあなた一人で仕事を完遂できそうですがね」
「そうもいかないんだよ、老人」
互いに睨み合う状況で、リーダーと呼ばれた男は上空を指さす。
その先にはマリノと呼ばれたヴァルキューレがいた。
「さっき俺がマリノって言った奴いるだろ。あいつ今回初めての仕事でね。
親、というわけじゃないが、きちんと仕事できるか間近で見守ってやりたいんだよ。
というわけであいつに加減してやってくれねぇかな?」
「ははは、難しいですね。
加減なんてしたら私が死にかねない」
今回初めての仕事、そして保護者。
彼と立ち位置が似ているためか、つい否笠は戦意が緩くなってしまう。
少々和んだ戦場に、上空から女性の声が響く。
「リーダー、くたばって」
「リック、今度はなんだって?」
「子供扱いするな馬鹿、と言っています」
「はっ、ならてめえも混ざれ! 良い経験だ。一度は粛正機関と殺し合ってみろ!!」
「・・・・・・言われなくても」
リーダーの言葉を聞いて、マリノが流星のように地上に落ちる。
その手には槍。翼と同じく光輝く槍の切っ先が否笠に向けられる。
地面に急降下しながら、その槍は投擲された。
「おっと」
ステップを踏んで横に避ける。
その刹那後に、否笠のいた場所を槍が通過する。
槍は惑星内部を貫通しそのまま宇宙空間を突き進む。その進行方向にある星々を幾つも消し去りながら、宇宙の果てにまで流星は消えていく。
(派手ですねぇ、高天原の仕事が増えてしまいました)
マリノは手に光輝く槍を生みだし、否笠の胸に突き立てようと距離をつめる。
常人なら槍の穂先を向けられただけで消滅する程の神気。
超光速で放たれた突きは、否笠の剣とぶつかり合う。
火花が散り、鉄のぶつかる音がした。
「ふっ」
一撃を防がれたマリノは後方に距離を取り、槍を横に一閃。
槍の刃先と半円状の衝撃が否笠を襲う。否笠は槍の刃を避け、その衝撃には打たれる。
ビル群を塵にまで分解し遙か彼方まで吹き飛ばす程の威力は、否笠に傷一つつけることはできない。
マリノもそれがわかっているのか、槍を構え直し否笠に接近する。
連続攻撃。打撃、刺突、切断のオンパレード。三百六十度、上下左右前後から放たれる攻撃は否笠から一切の逃げ場を奪う。
その攻撃の嵐を否笠は手にした剣で捌き、そらし、相殺し、避けていく。
都合50以上の剣戟。やがて100を越えた所で、逆に否笠は攻勢に回っていた。
否笠の速さは徐々に増し、いつの間にか攻撃を仕掛けたマリノの方が防御に回ることになる。
三百六十度、上下左右前後から放たれる否笠の斬撃、斬撃、斬撃。
それに対処するマリノから、だんだん余裕が無くなっていく。
(なかなかの腕前ですが、熾天使に到達して日が浅いのでしょうね。
戦闘経験はまだまだ)
先ほどリーダー格の男が言った通り、今回が初めての仕事のようだ。
咎人たちのランク。堅洲国において咎人の危険度を表す天使の階梯。
以前美羽たちに説明した、堅洲国の階級。
危険度が低い順に、天使、大天使、権天使
能天使、力天使、主天使
座天使、智天使、熾天使。
熾天使は咎人たちの、一応の最終到達地点。最高位。
もちろん咎人の実力もそれ相応に高い。
天使の階級は否笠たちにも適用できる。例を挙げるなら、美羽や蛍は能天使、先輩である集は主天使。
そして否笠の位階は熾天使。それも古株だ。
年老いてかつての勢いは衰えたが、それでもその技腕は衰えていない。
少なくとも、熾天使に上リたての初心者相手なら腕一本で対処できる程に。
その否笠に対して、ここまで対抗できたマリノも相当の経験を積んでいるのだろう。
やがてマリノは限界を迎える。首元の防御ががら空きになった。そんな致命的な隙をさらす。
もちろん狙わない手はない。タイミングを見計らい、隙を逃さず剣を振るう。
彼女の首元、その数㎝にまで迫ったところで。
「リック!」
リーダーの言葉と同時に、否笠の背後に気配がした。
咄嗟に地面を蹴り距離を取る。そこにはヴァルキューレの一人、リックと呼ばれた男が立っていた。
年齢は否笠と同じかそれ以上にも見える。白い髭を生やし、その顔は傷だらけ。そして巨漢だ。二メートル近くはあるだろうか。
リックは深々と頭を下げ、礼儀正しく否笠に挨拶する。
「ヴァルキューレの一人、リックと申します。此度はマリノの付き添いとして参りました。
粛正機関の否笠殿とお見受けいたします。お会いできて光栄でございます」
殺し合いの最中だと言うのに、相手への敬意を忘れない。
こうも紳士的な対応をされては、逆に困るのは否笠の方だ。
頭を下げ挨拶を返す。
「これはご親切にどうも。先ほども私の背後を取っていながら攻撃するチャンスはあったでしょうに」
「いえいえ、挨拶というのは大事なものです。ましてやそれもせず命を狙うなど相手に対して無礼千万。
せめてその道理は私の中で貫き通したいのですよ」
「なるほど」
短いやりとりで否笠はリックに対する警戒度を引き上げる。
殺し合いが常の堅洲国において、一々礼儀作法などを気にしていては死に直結する。
それにもかかわらずここに立っているということは、自らの信念を突き通す力を持っているということだ。
リックはゆったりと一歩を踏み出す。巨漢に似合わず、軽やかでゆったりとした動き。
先に仕掛けたのは否笠の方だった。
その場から消え、瞬時に相手の背後を取る。
そのまま剣を首元に振り下ろす。極限まで無駄を排除した精緻な一撃。
その一撃を、リックはその場で急旋回し、拳で打ち抜く。
「っ!」
「ふむ」
そのままの勢いで両者激突を重ねる。剣と拳が幾千、幾万。一瞬の間に無数の火花が散る。
「ふん!」
リックがその拳を掲げ地面に突き落とす。
容易く大地を砕き、星の中枢を打ち砕く豪腕。
その圧力、まるで隕石のようだ。間近にいる否笠のイメージはそれだった。
「おっと」
後方に飛び退く。しかし打撃の衝撃は地を這い否笠を追尾する。
否笠も腕に力を溜め思い切り剣を振り払う。
二つの衝撃はぶつかり合い、飛び散り、世界に破壊的な爪痕を残す。
その衝撃で、否笠とリックとの間に距離ができた。
リックがその場で拳を構え、打ち抜く。ともすれば空振りのようにも思えるが、弾丸のように空気の塊が発射された。
否笠は避けようとするが、しかし四方から光の槍が飛んできた。
「相手は一人じゃない」
女性の声、マリノだ。先ほどから隙を覗っていたのだろう。否笠が回避に意識を向けた絶妙なタイミングで槍が放たれている。
「もちろん、わかっていますよ」
その場で回転し、空気の塊ごと槍を剣で切り裂く。切り裂かれた槍は勢いを失わず彼方に飛んでいった。
前にリック。後ろにマリノが着陸する。二対一の状況。あまりよろしくない。
ちらりと上を確認する。上空ではリーダー格の男がニヤニヤ笑いながらこちらを見ている。彼が参戦することはなさそうだ。
「はあぁッ!」
マリノが袈裟切りの要領で槍を上から振り下ろす。
剣で防ぐ。そのまま槍ごとマリノを弾き飛ばす。
すかさずリックが正拳を打ち込んできた。
空いている左手でその拳を抑える。しかし予想以上の重量と強度に面食らう。
(もちろんですが、魔術を使ってさらに上乗せしていますね。
ああ、痛い)
なんとか防いだが、押さえ込んでいる右手は肉が裂け、骨が砕けそうな圧力がかかる。
ミシリと筋肉の悲鳴が連続して聞こえる。
このまま拮抗して不利になるのは否笠の方だ。
「ふっ!」
否笠は剣を捨て、もう一方の手でリックの腕を掴み、ついでに足を払って体勢を崩す。
背負い投げ。マリノが弾き飛ばされた方向へリックの巨体を投げる。
「なんと!」
リックの感嘆したような声を聞いた。
マリノは高速で飛んでくるリックを確認し、その巨体へ手を伸ばす。
華奢な彼女の腕はいとも容易くリックの巨体を受け止めた。マリノの顔にも苦痛の表情はない。
「リック、大丈夫?」
「これは申し訳ない。私は大丈夫ですよマリノ。
それより前方に注意してください」
ハッとマリノが顔を上げる。間近には既に否笠がいた。
慌ててマリノは翼を広げる。防御のつもりだろう。だが無駄だ。
剣が光輝く翼を切断する。壊滅的な暴威を振るっていた翼がまるでバターのように切り裂かれる。
翼のカーテンを開かれ、焦った表情をするマリノ。
続く二撃目を放とうとしたその時、否笠は咄嗟に腕で身体を防御した。
横から蹴りが飛んできた。マリノでもリックでもない。上空で傍観を決めていたリーダーだ。
「ほぉ、今のを防ぐたぁやるじゃねぇか」
「おや、傍観を決め込んでいたのでは?」
「あのままだとマリノが危なかったんでね。
一応保護者を気取ってんだ。俺も参加させてもらう」
男は両翼を広げ否笠をはさみ打つ。
生物のように脈動する翼は、光輝く羽を周囲にばらまきながら否笠を追う。
羽は周囲を爆砕し火柱を立てる。その合間をくぐり抜けながら、否笠は自分を追う翼を切り裂く。
状況はさらに悪化して三対一。これからどうするか考えていた否笠の思考を、リーダー格の男が遮る。
「さっきあんた、あの顕現者に結界を使ってたよな」
「?」
唐突に、これまでと脈絡の無い話をする。
「四方に印を描き、それを中華の四聖獣と対応させて発動した魔術。
結界術の中じゃメジャーなものだな。確か呪術大国の日本の都にも似たようなもんは使われてんだっけか」
この男も魔術には精通しているのだろう。否笠の使用した魔術を簡潔に説明する。
しかしそれが今どうしたというのだ、単純に否笠の腕前を褒めたわけではないだろう。
「ええと、確かこうかな?」
男が体内で魔力を錬成する。これから彼がすることに思い至った否笠は周囲を確認する。
立ち上る火柱に紛れ、羽が東西南北、所定の位置で光輝いている。なるほどそれが狙いか。
「四神相応・丹楹粉壁」
羽から羽に光る線が走り否笠を囲む。
瞬時にして大規模な結界が形成され、否笠は透明な壁に閉じ込められた。
先ほど否笠が使った魔術。しかしこの結界はその数倍以上の規模と強度だ。
「ですがこの程度で――」
「あんたを止めることは出来ねぇわな。だけど少しの間足止めを出来ればそれでいいんだよ」
リーダー格の男。彼は天を指差す。
空、いつの間にか莫大な力をため込んだ光球ができあがっている。
大きさは男の二十倍以上。光量が強すぎて目が白一色に染まる。
周囲の時空が歪曲し、世界の法則が崩壊している。終末の光と呼ぶにふさわしい光景。莫大な力が集まっていく。
明らかに先ほどまでとは別次元の力に否笠は少し焦った。
「え、ちょ、まじですか?」
「大丈夫だよ、どうせ高天原の連中が後で直すんだから」
軽い言葉と同時に、光球は否笠のいる結界へ振り落とされた。
星々の輝きさえかき消して、光は音もなく世界を飲み込んでいった。
次回、天が降りてくる