第三話 その真実は本物か
前回、娘とお母さん
大学が、長い夏休み期間に突入した。
本来なら夏期講習や就職活動への準備、自習、あるいはアルバイトなどに精を出す学生が多い。
あとは遊びか。海行ったり山行ったり、エアコンついた涼しい部屋でゲームしたり。
後者の立ち位置に立つ俺、海曜集は夏休みの一日を使って、別の平行世界へと旅立っていた。
理由は単純。なんとか無事に帰ってこれましたという報告のため。
誰に?
俺が命を取り留めた原因を作ってくれた、同じ顕現者であるエクシリアちゃんに。
以前、俺が彼女の世界に行った時のように、専用の通行証を使って、光に包まれ彼女の世界へ飛ぶ。
一瞬真っ白に染まる俺の視界。
そして、すぐにでも見えてくる異なる光景。
この前と同じく、質素な茶色の室内。
「来ましたね、集先輩」
転送されると同時に、耳に届いたのは女性の声。
声の聞こえた方向へ目を向けると、そこにはツインテールの少女が、今まさに焼いたであろうクッキーをお皿の上に並べていた。
「この前ぶり、エクシリアちゃん」
「この前ぶりです先輩。今クッキー出来上がったばかりなので、先に机に座って待っててください。盛り付けますから」
「わかった」
もう少し遅く来れば良かったと内心思いながら、俺は指定された席に座る。
窓際の近く。外の景色が見える椅子に。
清々しい青色の空。白銀の太陽は眩しく光を大地に行き渡らせる。
それに反して崩れ落ちる建造物とひび割れたコンクリートの車道は、まるでそこだけ時が止まっているかのようで、地上だけ空気は死んでいるようでもある。
あの時と景色は変わってない。当然か。初めてここに来てから数日しか経ってないんだから。
「はい、どうぞ」
ドサッと、机の上にクッキーが盛り付けられたお皿が置かれる。
変な飾り付けがないプレーンクッキー。
鼻腔に飛んでくる甘い香りは、デコレーションよりも味の美味しさを優先した意図を感じさせる。
エクシリアちゃんが俺の向かいに座る。
どうぞと言われたので一つ手に取り自分の口に運んだ。
噛み砕け、口の中に広がる素朴な甘い味。
どことなくバタークッキーに似た風味がある。
サクサクと5回も噛めば口の中で溶け、ほのかな甘みが浸透する。
焼きたてということも相まって、香ばしい味わいが口内に炸裂した。
つまり、総合して言うなら、
「美味しい」
「クッキー作るの得意なんです。喜んで貰えたのならなによりですね」
無表情で言うエクシリアちゃん。だけど、どことなく口角が上がっているように見える。
彼女もクッキーを手に取り、口に運ぶ。
しばらく黙々と二人で食べ続け、全体の4分の1が減った時に、話は進んだ。
「無事、ファルファレナは粛正できたようですね」
「ああ。というか俺たちにできたのは足止めだけで、とどめは高天原からの援軍が刺した。
俺に関しちゃ何もできなかったけど」
苦笑交じりで答える。事実だ。
熾天使となり、俺の顕現も次のステージに突入して、複数の変換作業を一度に行えるまでになった。
だけど、それが上手くいったのはキラナの時だけで、羽化したファルファレナ相手には文字通り指一本で抑えられた。
あの時は、まるで役に立たなかった。
せいぜい協力意思に参加してアラディアさんたちを支援するだけ。だけどそれは、言っちゃあれだが他の誰でもできる。
アラディアさんはファルファレナと互角に渡り合った。店長や天都さんは前線で打ち合い、霞さんは空間を占領して有利な盤面を作り出し、美羽ちゃんと蛍君は見事に足止めの役を成し遂げた。
では俺は? 何が出来た? 守られてただけでは?
実はそのことでそれなりに落ち込んでいた。
あんな苦労して熾天使になったのに、最後まで足手まといで終わるとは。
けど肩をすくめる俺に対して、エクシリアちゃんはため息をつきながら言う。
「この前も私言いましたよね。『生きて帰ってきてください』って。
結果がどうであれ、先輩はそれを果たせました。ならそれで良いじゃないですか。私に怨まれることもなくなったわけですし。
勝利条件は複数用意しておいて損するものではありませんよ。
それともなんですか?
ファルファレナを自分の手で倒せないと、貴方の中では勝ったことにならないんですか?」
「・・・・・・・。
言いたいことは分かった。つまり、俺の勝敗観は狭いと」
「そういうことです。
一つしかない勝利条件にこだわって、挙げ句命を落とすなんて笑えませんよ」
生き恥をさらしてでも生き残れ。
この前エクシリアちゃんに言われたこと。
今回、ファルファレナという難敵を相手に生き残ることができたのだから、それでいいだろうと。
悔しいのならこれをバネにして、これから励めば良いのだと。
そう言外に言っている。
「私も早く熾天使になって、お姉ちゃんと一緒に高天原で働きたいです」
「高天原で、って。
アストレイアの活動はどうするの?」
「吸収合併されます。元々お姉ちゃんが高天原に行った時から、私もそうしたいなって思ってて。
お姉ちゃんにそれを話した結果、私が熾天使になったらって条件付きで許可して貰いました」
へえ、粛正機関の吸収合併なんて事があるんだ。
けどそうか。高天原も一つの粛正機関だから、それに統合するという形で粛正者はあり続けるのか。
仮に一つの粛正機関が高天原に吸収されたとしても、仕事の量自体はあまり変わらない。
むしろ少人数で粛正を行うよりも、高天原のように質も量も際立っている組織と合併した方が生存率は上がる。
「高天原、確かそこで働く粛正者は随神って呼ばれてるんだっけ」
「そうですよ。間違いなく世界最高水準の粛正者たちです。
業務自体はいつも大変だそうで、強力な咎人たちの対処に日夜追われているそうですけど」
「そんな大変なところで働きたいの?」
「ええ。たびたび彼らとも交流したことがあります。
優しい人たちが多いですし、なにより、お姉ちゃんがいますから」
「お姉さん、ロウさんが・・・・・。
尊敬してるんだね」
「そりゃあ、私のお姉ちゃんですから。
本当にすごい人なんですよ。
随神になってたった3年で十二天の一柱まで上り詰めて。
やることなすことがいつも正しくて、それが少し心配ですけど、なんにせよ自慢のお姉ちゃんです」
目を細めて、姉に対する憧れの心中を口にする。
その想いは間違いなく本物だろう。
俺には兄とか姉とかはいないから、兄弟姉妹に対する愛情ってのはいまいち分からないけど。
でも自慢げにお姉さんのことを話すエクシリアちゃんを見ていると、俺もそういうのが欲しくなる。
「あ、そうだ。
先輩。今度は私が聞いてもいいですか?」
「いいけど、何を?」
唐突に、今まさに思いついたという風に、エクシリアちゃんが俺に質問する。
正直エクシリアちゃんが知らないことを俺が知っているとは思えないが。
大方、熾天使に上がった感覚とか実感はどうかとか、そこら辺を聞かれるのかと思ったが、違った。
「先輩は、顕現を上手く使いこなせていますか?」
問われて、俺は固まった。
それは、どう答えていいか分からない質問だった。
「もちろん先輩を馬鹿にしているわけではありません。
私が言いたいのはその、顕現の本質を理解してますか? ということです」
訂正するように言葉を付け足して、エクシリアちゃんが続ける。
「最近、顕現を使っていて疑問に思うことがあるんです。
この使い方で本当に合っているのかって・・・・・・。
非常に感覚的で、上手く言葉で言い表せないんですけど、私の使い方は本来の使用用途じゃないというか。
本当の名前で呼んでいないような。そんな気がするんです」
言葉に詰まりながらも、エクシリアちゃんは自分の悩み事を呟く。
顕現の使い方。
つまり、あれか。
身近な例で言うと、火炎放射器をライターと呼んで使っているのと同じということか。
確かにどちらも火を発生させる道具には違いないが、その出力も使用用途も大きく異なる。
「私の顕現は、本当に『追放』なのか。ここのところずっと悩んでいるんです。
咎人に対して『あっち行け』っていう心に嘘はない。けど、それが本質ではないように思うんです。
だからでしょうか。なぜか私の顕現は咎人相手にあまり通じないんですよね」
エクシリアちゃんは目を落とし、自分の両手を見つめる。
想念の結晶である顕現に対する不信。それは顕現の強度や出力に対してマイナスに働く。
自分を信じれば信じるほど力を得られる俺たち顕現者にとって、盲目的なまでに己を唯一無二と信じることは必須条件。
自分に対する崇拝。自らの顕現への信仰。つまり自信。自分は絶対にできるのだと謳いあげる自負。
それを満たせないとなると、咎人との戦闘も不利になる。
だから、エクシリアちゃんの悩みは言葉以上に深刻な問題だ。
では俺に何ができるのかと言われると、悲しいことに何も無い。
俺自身そんなことを体験したことがないし、知り合いがそんなことになったと聞いたこともない。
だから明確なアドバイスなんて、できるわけもない。
(けど・・・・・・)
俺も自分の手に目線を落とす。
俺の顕現・変換。対象を自分の望むものに変える力。
魂から望み、そして手に入れた想いの結晶。
あの日、あの女の子が笑顔になって、それでこれからもそうしたいって思ったから芽吹いた顕現。
だけど、本当にそうか?
都合の良い事実を、勝手にそうだと推測してるだけではないのか?
この呼び名が、本当にあっているのか?
俺の顕現の役割はそれか?
本当の想いに、別の想いが覆い被さっていて、だから誤解しているだけではないのか?
俺は、本当に誰かが幸せになればいいと思っているのか?
・・・・・・・・・・。
「分かった。今度知人に聞いてみる」
疑念を一旦保留して、今は会話を進ませる。
「エクシリアちゃんは、それをお姉さんには言ったの?」
「いいえ、まだです。
お姉ちゃんは毎日家にいるわけではありません。仕事の合間にこっちに来る都合上、何日も来られないことも多いんです。
かといって忙しいお姉ちゃんを私が呼び出すわけにも――」
その時。
ギシっと、階段が軋む音がした。
「「!」」
俺とエクシリアちゃんの目線は後ろに。
二階へ続く階段。音源はそこから。
誰かが降りてきている。
やがて、その姿が俺たちの目に映った。
それを一目見て、俺は一瞬言葉を失った。
一部の隙も無い純白の鎧。そして頭部を完全に隠している獣のような兜。
まるで金剛石を、天女の羽衣で幾星霜と磨き上げ続けたかのような精錬具合。
フルフェイスゆえに、どのような顔立ちなのか、今どんな表情をしているのか、全く分からないし悟らせない。
歩く挙動。その指一本に至るまで、無駄な動きがまるで見当たらない。
武術を修めていることは明らかで、しかもかなりの武芸者。その気になれば、俺たちのすぐ横を、俺たちが気づけないまま無音で通り過ぎることも可能だと、確信する。
ではなぜ階段を降りる時に音が鳴ったのかというと、恐らく俺たちに存在を知らせるためだ。
その人が一階にまで完全に降りた時に、俺は緊張や恐怖とは別の感情を感じ取った。
まるで、常世神と対峙した時のような異次元さを。
何だ 誰だ これは
俺が困惑していると、エクシリアちゃんは声高く嬉しそうにその人物を呼んだ。
「親方様!
帰ってきたんですか?」
「ああ、今な」
エクシリアちゃんの声とは対象的に、その声は地獄の底から響き渡る慟哭のように低い。
兜を被っているのに、その声ははっきりと聞こえた。
「ロウは何をしている」
「お姉ちゃんは高天原で勤務中です。
呼びますか?」
「その必要はない。来るまで待つ」
そう言って、俺に一瞥すらせず奥の部屋へと足を向ける。
今だ現状を理解していない俺に、エクシリアちゃんは耳元で、
「前に、私たちが拾われたって話しましたよね。
拾ってくれて、育ててくれたのが親方様です。
ついでにアストライアのリーダーしてます」
一通りの説明を聞いて、『あ、これ挨拶しねぇとまずい』という結論に至り、俺は即座に立ち上がって礼をする。
「は、初めまして。
粛正機関・桃花所属の海曜集と申します。
今回、エクシリアちゃんと話したいことがあって訪れました」
「そうか」
親方様と呼ばれたその人物は、足を止めることなく俺の側を横切った。
・・・・・・え、無視された?
「意外と人見知りなんです。気にしないでください」
「はぁ、人見知り」
親方様が奥の部屋へと消えた後、エクシリアちゃんが俺に伝える。
よくよく考えれば、この室内に俺がいる時点でけっこう異常か。
エクシリアちゃんの説明で、この世界は彼女たちを除き全ての人間が息絶えている。
だからこの家はロウさん、エクシリアちゃん、そして今通り過ぎてった親方様の三人しか使わない。
自分の家に見知らぬ男がいたら俺だって驚く。
それと同じようなもんかと、俺は自分を納得させた。
「アストライアのリーダーってことは、親方様も顕現者なの?」
「はい。私は顕現を使うところを一度も見てませんけど」
「じゃあ、今まで堅洲国で咎人を粛正してたのかな?」
「さあ。親方様がどこに行っているのか私にも分かりません。
けど今日みたいに時々帰ってくるんです」
再びクッキーを食べ始め、今度は親方様のことについて話始めるエクシリアちゃん。
お姉さんのことを話す時と同じく、どことなく嬉しそうだ。
拾って、育ててくれた。それはもはやエクシリアちゃんの親代わりと言っても過言ではない。
つまり父親も同じ。ぶっきらぼうな態度こそ多いが、最低限の教育や食事は与えてくれたと。
「ねえ、集先輩」
「ん?」
「随神になると、チームとの連帯が重要視されます。
協力意思や数の利を最大限に生かし、咎人を倒すためです」
「ああ、俺もそれは聞いたことがある」
「ですけど、私自身誰かと一緒に共闘した経験は少ないんです。
お姉ちゃんと一緒に行うことが多くて、集先輩と初めて会った時みたいな連帯はほとんど無いです」
「ふむ」
「だから、集先輩さえよろしければなんですけど。
今度、私の任務に付き合って貰えませんか?
集団戦での自分の立ち回りとか、色々確認したいんです」
「なるほど。
分かった。俺で役に立てるのなら付き合うよ。
ちょうど桃花の仕事も大学も休みだし」
それを聞いて、エクシリアちゃんは丁寧にお辞儀する。
「無茶なお願いを聞いてくれてありがとうございます。
今思い出しましたけど、先輩はファルファレナと戦ったばかりで本来なら休養中ですよね」
「いいや、俺自身はそんなに疲れてないよ。
それに致命的な怪我もしてない。エクシリアちゃんが作ってくれたお守りのお蔭で。
だからその恩を返す」
あの時、お守りがなければ俺は咎人の顕現で死んでいただろうから。
エクシリアちゃんは命の恩人であることは間違いないから。
だからそれくらいのことはやってあげなくちゃ。
約束を交し、そのまま俺たちはクッキーを食べ終わるまで雑談にふけっていた。
次回、説明&考察




