第十六話 邪魔しに来ました
前回、悪辣な指示
・否笠視点
高欄帳が隠れていた場所まであと一歩の所まで迫っていた否笠。
彼の目前で、その現象は発生した。
「!」
世界が変わる。高欄帳の存在自体が空間に浸透する。世界が彼女そのものになる。
それと同時にあふれ出す彼女の顕現。
あと少しの所で、高欄帳の顕現が発動してしまった。
「あらら、少し遅かったようですね」
否笠にも襲いかかる空間の侵食。顕現者である美羽と蛍を飲み込んだ波動は、平等に否笠にも向けられる。
その直撃を受ける。身体に押しかかる顕現の能力。一瞬目の前に見えた白い街の光景。
しかし否笠はそこにいた。本来なら白い街に捉えられ、抜け出せないはずなのに、彼は平然と月夜に照らされた暗い場所に立っている。
そのまま、事象の中心である高欄帳の元へ歩み出す。
周囲には誰もいない。美羽も蛍も目の鋭い男も、ただ彼女だけが無人の大地にたたずんでいる。
こちらに向かってくる否笠を、驚愕と疑問が入り交じった目で見つめている。
「なんで、貴方は、いなくならないの?」
「ふふ、格が最低でも五つは違うからですよ。それより、貴方が高欄帳さんですね」
その言葉に少女は頷く。間違いないようだ。
「そうですか。色々辛いこともあったでしょうけど、私が来たからにはもう安心です。
ああ、申し遅れました。わたくし、否笠と申します。蛍君や美羽さんの上司に当たる者です」
「否笠、さん」
「そうです。美羽さんと蛍さんは、貴方の世界の中にいるのですか?」
帳は顔をうつむいて、答える。
「うん。けど、どうやって二人を出すかはわからない」
「それなら心配いりません。
貴方のそれは顕現に慣れていないゆえのものです。
自転車と同じですね。慣れない内は何回も転びますが、その内すいすい漕げるようになる。
展開型は世界の操作が最も上手なタイプ。
多少複雑ですが、私が教えた通りにすればすぐにでもこの現象は収まります」
「そうなの?」
「ええ、もちろん。二人も、街の人もすぐに戻ります。
では今からその方法を――」
否笠の言葉が途切れる。そのまま視線は背後に。
「どうしたんですか?」
帳の疑問に返答せず、何もない空間をじっと見つめる否笠。
いかにも好々爺じみた笑みが消え、口を閉ざし、ただ一点を見ている。
その目も顔にも、一切の表情がない。
素人目にもただならぬ雰囲気だと分かる。
しかし次の瞬間にその雰囲気は消え、否笠は笑顔で帳に振り返った。
「申し訳ありません。少し急用ができてしまいました。
なるべく早く終わらせますので、少しここで待っていてください」
すると否笠は彼女の周り、そこに何かを指で描いた。
『四天結合』
呟くと同時に、帳の周囲に透明な壁が現われた。
壁は帳を包み、外界と遮断する。
まるでキューブ。帳が内側から触れると、確かにそこには堅固な壁が存在した。
「なに、これ?」
「怖~い天使たちから貴方を守ってくれる結界ですよ。
その中にいればひとまずは安全です」
「天使?」
「見ていれば分かります」
再び否笠は振り返る。その右手にはいつの間にか長剣があった。
血の赤色に濡れたロングソード。初老を迎えた否笠がそれを持つ光景は異常だが、しかし剣と老人は一体であるかのように馴染んでいる。
それと同時に否笠の眼前、何も無い空間から『何か』が発生した。
ズズズズズズズズズズと、黒い影が三体、地面から吹き出したと思ったら粘土をこねるように形を成していく。
蠢くその姿は間違いなく人のものではない。混沌そのものが、自らを物質化している異常な様。
やがて影は人型を形成し、三人が否笠の前に現われた。
全員が黒いローブを纏い、顔はフードで隠されている。
否笠はその姿、その外観、そして今までの経験から、その正体を特定した。
胸元にある戦乙女のエンブレム。間違いない、彼らだ。
「やれやれ、あなた方も仕事熱心ですね。
たまにはさぼってもいいのでは?」
「ははは、あいにくそうもいかないんだよ」
中央の一人が笑いながら呟く。軽薄な声だ。
もちろん否笠も冗談のつもりで言ったことだ。戦闘を避けられないことはわかっている。
「咎人、ヴァルキューレの一員ですね」
ヴァルキューレ。堅洲国にいる一組織。
粛正機関でも広く認知されている咎人集団だ。否笠も今回が初めての遭遇ではない。
その役割は葦原中国で発生した顕現者のスカウト。
と言っても、やっていることは顕現者を堅洲国に無理矢理拉致するだけだ。
「その通り、今回この平行世界で顕現者が現われたと聞いて回収しに来たのさ。
一人だけかと思ったら見る限り弱そうな奴があと二人もいてウハウハしてたんだが、あんたがいるとは聞いてないなぁ~」
あ~、どうしよ。
咎人は芝居がかった大仰な素振りで考え込む。
先ほど男が言った見る限り弱そうな二人は、美羽と蛍のことだろう。
そう言い切ることができるとは、最低でも二人より実力は上ということだ。
中央の一人が背後の仲間に振り向く。
「おい、お前らも案山子になってないでどうするか考えろ」
「考えてますよリーダー。ノーリスクノーリターン、ハイリスクハイリターン、どちらがいいですか?」
「リック、何言ってるか解説しろ」
「このまま逃げるか、それとも粛正機関を殺して顕現者を三人ともいただく、ということですな」
「なるほどね~。マリノ、模範的な提案どうもありがとう。
じゃあハイリスクハイリターンでいきますか」
マリノと呼ばれた、高い声と顔立ちからして女性のヴァルキューレ。
リックと呼ばれた、髭を生やした高身長の老男性。
そして中央のリーダーと呼ばれた男。彼らがその方針を決めた。
それと同時に、彼らの背中から2メートルほどの翼が噴出する。
それは樹のようにも見えた。
光輝を纏う黄金の翼は生物のように脈動し、殺人的な力をため込んでいく。
戦闘合図だ。否笠も構える。
「というわけで、あんたを殺して顕現者三人ともいただくことになりました。
悪く思わないでくれよ?」
「いえいえ、お互い様ですよ」
お互いに笑顔。とてもこれから殺し合いが行われるとは思えないほど、平和的な笑顔。
直後、その二人が真っ正面からぶつかり合った。
・高欄帳視点
目に映らない。
比喩では無い。あの老人が作った結界の中にいるが、結界は無色透明で中からも外の様子が見える。
目を決して離さなかった。ずっと見続けていた。それなのに、否笠と名乗った老人と、フードを被り軽薄そうな笑みを浮かべていた男が、突如として消えた。
一拍置いて男の背後にいた二人も消える。それからは無人の光景が広がった。
全員が消えた数秒後に、その衝撃はやってきた。
「きゃあぁっ!!」
空間が破裂する音。衝撃は円上に広がり、周囲の物体を吹き飛ばす。
近くの橋が衝撃に飲み込まれ崩壊する。ぼろぼろに形が崩れ、破片が彼方に飛んでいく。
その衝撃の中で、結界だけが無事。周辺は瞬時にして荒野と化していた。
被害は橋の向こうの街にも及ぶ。街に光る羽が数枚落ちてきたと思ったら、太い柱が出現する。
天を貫く火柱。雲海を蹴散らし、その熱でビル群が融解している。
と、思ったら根元から柱が切断された。周囲の建造物どころか、視界に映る建物全てが両断されている。
まるで神話の光景。この現象を、否笠といった老人と、ヴァルキューレという三人が起こしているのか。
(あれも、顕現っていう力なのかな)
顕現。自分が抱えている想いを、現実にできる力。蛍はそう言っていた。
今、自分が発動しているこれも、顕現。
自分の想い。自分が思う、世界がこうなればいいなという想い。
帳にとってのそれは、『遮断』だった。
彼女なりに世界を見て、彼女なりに考えた結果。遮断と隔離が世界に対する回答だった。
高欄帳の周囲の環境は、お世辞にも裕福とは言えない代物だった。
就ける職など限られている。賃金は低く、生活は貧しく、それゆえ諍いも生じていた。
それは高欄帳の家庭も例外では無い。
父はよく母と私、そして止めに入った兄を殴った。それが変えようもない現状への苛立ちから来るものだというのは家族全員わかっていた。一家の大黒柱である自分が、満足に家族を養えない現状への苛立ちから来るものだと分かっていた。わかっていたから、私達は何も言わなかった。
母もよく不平不満を呟いていた。そのたびに疲れきった顔を見せられるのは辛かった。
街行く人、子供、大人、老人、皆平等に疲れていた。
帳の周りには常に雑音、雑音、雑音、雑音。雑音で溢れかえっている。
朝起きた時から、夜寝る時まで、ずっと、耳に届くノイズ。不愉快で、耳を塞ぎたくなる音。
いっそこの耳を切り落とそうかと、考えたのは一回や二回ではすまない。
兄はよく言っていた。
皆、自分の意見を押しつけあっているから疲れてるんだと。
確かにそうだと思った。人のストレスの全ては、他人との関わり合いから生まれるという一説もある。
学校の先生は学習することを生徒に押しつけ、自身も教師として生徒に教育することを社会に強制される。
道行くカップルは互いに愛を押しつけ、それが上手くいかないと言葉と暴力で相手を傷つける。
親は子に成長を押しつけ、子は親に愛を要求する。
ひどく醜かった。表面だけ体を装っているが、中身はぐちゃぐちゃで見る影もない。
腐敗した果実。人間を表現するのに、これ以上の言葉は無い。
社会という集団に属する以上、必ずその諍いは生じる。
ならこの国は樹だろうか。しかし樹に実を結ぶ果実は誰にも収穫されず、やがて腐って地に落ちるだけ。
それは人である限り逃れられない原罪なのかもしれない。
(それなら、一人の世界に閉じこもっていればいい)
皆、自分だけの世界を造って、その中で一生を終えればいい。
関わり合いを徹底的に拒絶し、絶対に壊せない壁で遮断する。
その人だけの世界を造り隔離する。世俗から切り離され、たった一人の世界で揺蕩う。蛍が感じた居心地の良さはそれに起因する。
それが彼女の顕現。世界に対する絶対権限。
その世界に捕らわれた者は、一切の生命がいないそこで一生を遂げる。
好きなだけ飲んで食べて、壊して、やがて死ぬ。
それが個としての幸せ。無音の中で朽ちていく。白い街の中で、誰とも関わることなく、一人で死んでいく。
今も帳の顕現は拡大し続けている。
宇宙空間を漂う衛星から星を確認すれば、国一つから人が丸ごと消えているのが確認できるだろう。
このまま放っておけば、いずれは星すら飲み込んでしまう。
(・・・・・・・だけど、これでいいのかな?)
帳の顕現が進行すれば、この青き星はそのうち無人の星と化す。
世界から諍いも争いも無くなる。全人類が願った世界平和がやってくる。人は自分の世界で、待ち望んだ一人を謳歌するのだ。
それでいい。帳自身も、自分の顕現を否定する理由は無かった。
無かった、はずなんだ。
けれど・・・・・・。
『とりあえず朝まで寝てな。何かあったらお兄ちゃんが起こすから』
十数年一緒にいた、兄のことを思い出す。
『約束したでしょ。必ず君を守ってみせるって』
数十分前に出会った、優しい笑みの男性を思い出す。
『大丈夫、きっとなんとかなるから』
自分のために戦ってくれた、黒髪の彼女を思い出す。
彼らともう会えないのは・・・・・・・・・・寂しいな。
次回、化け物