表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
自灯籠  作者: 葦原爽楽
自灯籠 天蝶乱舞
150/211

プロローグ 少女の日の思い出

前回、QandAコーナー


祝!投稿回数150回目! よくここまで続いたな~

なにはともあれ、自灯籠 天蝶乱舞 はじまりはじまり



「――、万人に共通する願いは何だと思う?」


とある平行世界の、とある地球の、とある時代の、とある国。

外を眺める大きな窓がある部屋に、幼い少女と、軍服を着た男性がいた。

年は40代後半だろうか。落ち着いた様子の男性は椅子に座り、少女は喜色満面の様子で、自らの父親に寄り添う。

男性は笑顔で、少女に疑問を投げかけたのだ。


――と言われた少女は、小首を傾げながら答える。


「万人の、共通する願いですか?

そうですね、幸せになりたい、でしょうか」

「ああ、そうだね。それは誰しも願うことだ。

なら幸せになるためには、どうすればいいだろう」

「え、・・・・・う~ん。

それは人によって違うと思います。美味しい物を食べることが幸せだって言う人もいますし、家族がいれば幸せだって言う人もいます。

ちなみに、私の幸せはお父様と一緒にいることです!」

「ははは、ありがとう。嬉しいよ」


娘の回答に、父親は破顔(はがん)し、娘の頭を撫でる。

娘もそれに満面の笑みを浮かべる。よほど父親が好きなのだろう。両者の間では朗らかな家族関係が形成されている。

男性は再び窓に目をやり、遠い雲の先を見つめた。


「私はね、より高く、より善い(ところ)に行くことが人の幸せだと思う。

より高い地位に、より幸福な状態に、自らが望む処へ。最たるものは天国だ。

人は古くから翼ある者に憧れていた。鳥や天使がそう。空を飛べるそれらを羨望の眼差しで見つめていたんだよ。

なぜなら、それらは自分たちよりも高い場所にいるから。天国に近いから。

だから人は空を飛ぶ機械を生みだした。彼らと同じく空を飛ぶために」


空に対する羨望。今よりも高い場所への憧れ。

それは少女にもある。いつか尊敬する父親と肩を並べるくらい大きくなりたいし、父親の仕事を手伝っていっぱい褒めてもらいたい。



「話は変わるが、この世で最も美しい生き物はなんだと思う?」

「最も美しい生き物、ですか。

私は蝶だと思います!何と言ってもあの美しい羽が綺麗です!

まるで宝石みたいで・・・・・・あ、あと長い触角も可愛いです。それにストローのような口も。まん丸なお目々も、胴体も。

可愛らしさと繊細な美しさが見事に調和していると思います」


蝶こそ至高の美だと断言する少女。

あの羽ばたく姿のなんと美しいものか。蛹から(かえ)る姿の、なんと神々しいことか。

生命の神秘というものを、あれほど感じさせる生物は他にいない。


「そうだね、確かに蝶は美しい。

空を飛ぶ輝く宝石だ。魅了される者も多い」

「はい!」


お父様が認めてくれた。少女にとってはそれだけの事実が、この上なく嬉しいもの。

母親が死去して以来、彼女の世話を一心に焼いてくれる父親。

軍人の仕事をこなして、帰ったら少女に様々なことを教えてくれる。

間違ったことはきっちり怒ってくれる。駄目と言ったことを、本人がすることは決してない。

感情に囚われず、いつでも整然と正しいことをする。部下からの信頼も厚く、決して能力が足りないからといって見捨てることはしない。

誠心誠意(せいしんせいい)の愛情を惜しみなく注いでくれる。本気で自分の幸せを考えてくれる。そんな親に対して、他に何を要求すればいいのだろう。

少女が将来父と同じ軍人になりたいと言った時も、ただ優しく頷いてくれた。


理想の父親。憧れの存在。将来の夢。

心の内の大部分を占める人物。それが少女にとってのお父様。

そんな人物に認められることがどれほどの幸福か。


「お父様も、最も美しい生き物は蝶だと思いますか?」

「私は、少し違うな」

「少し?」

「ああ、蝶と非常に似ていて、だけど世間一般にはあまり良いイメージがない。

その生き物はなんだと思う?」


むむむ、と少女は頭を悩ませる。

蝶と似ている・・・・・・あまり良いイメージがない・・・・・・

なんだろう。そんな生き物いるのかな。


「あっ」


その名前が頭の中に浮かんで、だけど本当にそれが正しい答えなのか疑問に思う。

だって、その生き物は確かに蝶と似ている。だけど蝶と比べれば地味と言わざるを得ない。

それが美しい?なぜ?


「答えは分かったかな」

「もしかして、()、ですか?」


恐る恐る、間違ったらどうしようと、少女はその生き物の名を言う。

反面、父は口角を上げた。


「その通りだ。

蛾はよく、夜行性だとか醜いとか、そういうイメージが先行することが多い。

だけどそれは間違いだ。昼に飛ぶ蛾もいれば蝶よりも美しい蛾も存在する。

なんなら体毛がもふもふでふわふわの蛾もいてね。ああ、あれは良かった。可愛かったよ。

ともかく、蝶と蛾の違いを明確に区別することは難しいんだ」

「だけど、なぜ蛾なのですか?」


教えて教えてと、少女は父親にせがむ。

父親は少女の頭を()でながら、その理由を語った。


「飛んで火に入る夏の虫。蛾の最たる行動はそれではないかな?

専門用語では、光に対して正の走性があると言う。

つまり光に誘われるということだ。それは我々の本能にあたる性質で、長い時間の中進化してきた結果、彼らが身につけたものだ。

遙か昔、(ろう)の翼を手にしたイカロスが、遠くの太陽に向かって羽ばたいた。その神話を、彼らはなぞっているんだよ。

螺旋(らせん)を描いて上昇し、(ほのお)に焼かれて死を願う。

それは我々から見れば儚く、切なくて、だが命の力強さと神秘がある」


話が後半になるにつれ、父の目の輝きも増していく。

自分が好きなものを話すその目はまるで少年で、とても40後半の男性のものとは思えない。


「金粉を、こぼして火蛾(かが)や、すさまじき」


突如、父親が歌った。そのリズムは聞き慣れないもので、未知への好奇心をくすぐられる。


「日本の俳人である松本たかしの俳句だ。

火蛾は炎に焼かれた蛾を意味する」

「色んなことを知っているんですね」

「好きだからね、調べていれば自然と色んなことを覚えてしまうものさ。

お前も好きなことはすぐに覚えられるだろう?」


その言葉に少女は頷く。彼女も図鑑を見て、出てきた蝶の名前や羽の色を逐一(ちくいち)覚えていたものだ。


「夏の夜、街灯の明かりに集まってくる蛾の、生命力の強さを(うた)ったものらしい。

まるで死を生に変えるように、街灯に焼かれながらも空を舞う蛾の美しさ。

私もその光景を見た。普段は気にすることもないような光景だ。

だがそれを見て、私はなんだか、形容することができない怪しい想いに捕らわれてしまったんだ。

美しいと思った。炎に焼かれるその姿も、それでも光源に近づく姿も。

ただ目で鑑賞し、楽しむものではない。

心の内側から湧き上がる、魂を揺さぶるものだった」


少女はそれを聞いて呆気にとられる。

自分なんかとは感想の次元が違うと思った。より深く、着眼点がまるで違う。

父と自分の差。それに対して不満や嫉妬などさらさらない。

ただ憧れだけが強まるばかり。いつか自分も父と並ぶのだと思うと、身震いして嬉しさを体現したくなる。


「さて、話を戻そうか。

万人の望むものは幸福。それは今いる場所よりも高い場所にある。

そんな場所に手を伸ばす人の在り方を、私は蛾の姿と重ねた。

もちろん侮蔑の意味はない。高き処へ憧れる姿が、まさにそれだと思ったんだ。

身を焦がしながら高き処を目指すその在り方。

蝶も蛾も、我々を導いてくれる天国への道しるべであり偉大なる先人。

私はそう思っている」


空を舞う可憐な生き物。その鱗粉(りんぷん)は我々を天国へと導いてくれるのだと。

蛾という生物に対して、新たな知見を学べたと喜ぶ少女。


少女にとって後から分かることだが、蝶は人の魂の象徴だという。

だから父親の言葉は比喩ではなく、ある種の真理を指していた。


「死は終わりではなく新たな始まりだ。

さながら脱皮のように新生を繰り返し、恒星の先まで飛び、狭き門を潜り抜け、いずれ天に到達する。

この年になってようやくそれを悟れたよ」


父が少女から視線を外し、机の上にある一冊の本に目をやる。

少女もそれを見る。タイトルは『Selige sehnsoght』。著者はゲーテ。

近い国の言葉だ。どういう意味だろう。お父様が最近読んでいるのは見た事がある。

父はその本から目を離し、少女の名を呼ぶ。


「――。お前も、そして私も。全ての者が天の国に到達できる日が来ればいいな」

「はい!私もその日が来ることを願います!」


父の言葉に、少女は一切の疑いを持たずに頷く。

そこはきっと、無常の幸福で満たされているのだろう。









「・・・・・夢か」


蝶が舞う庭園。蝶で構成された庭園。

椅子に座る彼女、ファルファレナは少しの身じろぎの後に目覚めた。

その目に宿るのは逡巡(しゅんじゅん)か、郷愁(きょうしゅう)か。はたまた悲哀(ひあい)か。

彼女の原点。その想念が決定したあの日。

私の全ては、あそこから始まった。


「今になって遠い過去を思い出すとはね。もう過ぎたことだろう・・・・・・」


周りには誰もいない。だからこの言葉は単なる独り言で、自分を納得させるためのもの。

だがその響きに、どことなく哀愁(あいしゅう)を感じるのは気のせいだろうか。


当時の名は捨てた。自分でさえ思い出せない。だから思い出の中の父の言葉がうまく聞き取れなかったのだ。

名を捨てるということはそれまでの自分を捨てること。決別と別離を意味する。

ファルファレナはそうして、住んでいた世界を捨て堅洲国に来たのだから。

誰も連れず、独りのままで。

だが、それでも成し遂げねばならないことがある。それだけの話。


「支障はないようだな」


いつの間にか、見知った顔が私の目前にいた。

亜麻色(あまいろ)の髪。赤く、死んだように濁っている双眼。

白と青のコートを纏い、直立不動のまま私に是非を問う。

眉一つ動かすことはない。その様はまるで絵画のようで、周囲の煌びやかな風景から浮いている。


「それを聞きたいのは私だ。

柱は全員配置につけたのかな?彼らがまともに話を聞いてくれるとは思えないが」

「問題はない。説得は既に終わっている。

後はお前がタイミングに合わせて引きずり込めばいいだけだ」

「ああ、そう。ならいいんだ」


ファルファレナは会話を区切り、飛来してきた蝶を手に止めただ見つめる。

最終確認は出来た。後は二人ともするべきことをするだけ。

全てが上手くいけば、もう会うこともないのだから。

ガブリエルもこれ以上の話はないと悟り、その場から立ち去ろうと(きびす)を返す。

だが、ファルファレナがその背中に声をかけた。


「ガブリエル」

「なんだ?」

「いやなに、今まで甲斐甲斐(かいがい)しく私を手伝ってくれた君に礼を言っておきたくてね。

ありがとう。君と初めて会った時は疑問と不信感しか湧かなかったが、ここまでお膳立(ぜんだ)てをしてくれるとは内心思わなかったよ」


率直な感謝の気持ち。それを受けたガブリエルは眉をひそめる。


「今さらどうした。そもそも可能性のある熾天使を手引きするのが私の仕事だ。

お前を選んだのはあの時点で最も素質があったからであり、それ以外の理由などない。

決して無償の働きをしているわけではない。それはお前も知っているはずだ」

「だとしてもだ。こんな素っ気ない態度を取っていてそうは見えないだろうが、君には感謝以外の気持ちが存在しないよ。

もう会えなくなるかもしれないから、せめてそれだけは伝えておきたくてね」


お前の望みを、世界に描きたくはないか?


あの時、熾天使になったばかりの無名の私に、目の前の男はそう言った。

ガブリエルが言うようにそれが彼の仕事だ。決してファルファレナ個人のために采配(さいはい)を振ったのではなく、与えられた仕事をこなすために彼は動いている。

好意などなく、ただ自分の目的を果たすために手段としてファルファレナを使う。



だが、そんなことはどうでもよかった。

計画を立案し、そのために必要なものを用意し、今に至るまで舞台を整えた。

それがファルファレナにとってどんなに無味乾燥(むみかんそう)な理由だとしても、数年以上も働いてくれた彼には敬愛の念すら思う。


・・・・・・いや、この殺戮の地で、殺し合い以外で誰かと関われることがただ嬉しかったからかもしれない。

単純に独りが嫌だったのかもしれない。

感謝の理由はもはや自分でも分からない。

ありがとう、友よ。君が私のために尽くしてくれたこと、きっとこれから先ずっと忘れないよ。



「例え、君が私に何か隠していようともね」



だからこそ、ずっと前から思っていたことを口に出した。


「・・・・・・・・」

「沈黙は肯定だ。もしかして気づいていないとでも思っていたかな?

君が裏で何を企んでいるのかは分からないが、私を超越者にするだなんて嘘だろう?

いや、この言い方は妥当じゃないね。本命が別にあって、それに比べると私は優先順位が低くなる、と言った方がいいかな。

となるとその本命がなんなのか、思い当たる節はあるが」

「ふむ、なるほど。お前の感謝には利用されたことに対する返礼の意も込められているのか。

認めよう。確かに私はお前に言っていないことがある」

「なんだ、嘘で(つくろ)わないんだね」

「今さらだろう。ここまで事が運んだ以上誰も止められはしない。

お前も、桃花も、全ては予定調和(よていちょうわ)の運命だ」


言い放つ七大天使・ガブリエルはそれまでと全く変わりない。嘘を指摘され、焦る気配など欠片もない。

天使が下す預言はいつも一方的。今さら真実を知ったところで何もできやしない。変えることなどできない。

彼の言葉には、少なからずその意が込められている。

だがファルファレナの気持ちは変わらない。


「勘違いしないで欲しいな。

それを含めて感謝していると言っているんだ。

真意がどうであれ、君の活躍は嘘ではないからね」


そもそも七大天使を完全に信じるなど正気の沙汰ではない。

熾天使の中でも上位に位置する咎人にして神の(しもべ)。構成員は例外なく超常の域で、狂っているということは言うまでもない。

上手い話には必ず裏があり、ついぞファルファレナはその疑問を捨てなかったということ。


だがそれと、友への感謝は話が別。

自分がそうしたいと思ったのだから。そこに理屈など差し込んでも(しら)けるだけだろう。


「・・・・・・そうか」


ガブリエルはそれだけを呟き、背を向け今度こそ、その場を去って行った。

彼らしい別れの挨拶だ。言葉に出さずとも、放つ気やわずかな身体の動きから、ファルファレナはそれを察する。

唯一の未練がなくなり、椅子から立ち上がったファルファレナは頭上に輝く太陽を仰ぎ見る。




お父様。見ていてください。

必ず私が成し遂げてみせます。

この世に天国がないというのなら、

私がその永遠楽土を作り上げてみせる。



狭き門をこじ開け、天国の光をもたらすため、一匹の蝶はただ上を目指す。

何処までも何処までも、螺旋を描き上昇する。それが彼女の顕現なのだから。

いずれ(はね)を休められる、その時まで。



次回、お悩み相談


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ