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自灯籠  作者: 葦原爽楽
自灯籠 星姫と狂乱の騎士
144/211

第十五話 騎士の過去・3

前回、美羽とアンジュのバトル



「っうわ!!」


手にした練習用の鉄剣が地面に突き刺さる。

僕は地に腰をつけ、こちらに剣を突きつけるルッジェーロさんを見上げた。


「今回はここまでだな」

「は、はい・・・・・」


僕は立ち上がり、彼に礼を言って身なりを整える。

本日の剣術指南(けんじゅつしなん)も、まともな結果を残せず終わってしまった。



僕がこの屋敷に来た日、あの後アンジュのご両親に挨拶をした。

お父さんとお母さんは、これまた絵に描いたような貴族の身なりで、正直僕なんて一目見て追い出されると思った。

けれど僕の見識は案外狭くて、ご両親は(こころよ)く僕を迎え入れてくれた。

アンジュの良い友達になってくれと、僕の居住働きを認めてくれた。

初めて、親というものを知ったと思う。


それから僕の毎日は決まった。

朝5時半には起きて服を着替える。洗面台で顔を洗い、調理場で料理を作って、それからアンジュの部屋に行く。

ノックは3回か4回。最近覚えたことだ。

アンジュを起こして、一緒に食事をとる。眠そうに目をこする彼女も、朝ご飯を見れば眠気が吹き飛ぶ。

その後は食器を下げて、全員分のお皿を洗って、こうして執事(しつじ)のルッジェーロさんに稽古(けいこ)をつけてもらっている。


騎士には必要なことだと、アンジュに言われたから。

その結果がこれだ。いまだに剣の重さに振り回され、ほんの数分で息を切らす醜態(しゅうたい)をさらしている。

こんなもので本当にアンジュが望む騎士になれるのだろうか・・・・・。心配になったが、ルッジェーロさんは何も言わず稽古(けいこ)を手伝ってくれる。

今現在教わっているのは基礎まで。余計なことは一切教えないらしく、今まで基本の三つしか教わっていない。


ともかく今日の稽古は終了。後は自由時間に練習だ。

これから後はプラダマンテさんと一緒に食料の調達。

街に出て、(かご)に魚やら卵やらにんじんやらを詰め込み、歩きながら話をする。


「しかし、ローラン君が来てもう二週間になるのか。

どう?慣れた?」

「はい、初日から比べればだいぶましになりました。

皆さんにも手伝ってもらいましたから」


そう。路地裏(ろじうら)育ちでまともに(がく)もない僕は、メイドの皆さんに勉強を教えてもらっている。

特に礼儀作法(れいぎさほう)を重点的に。そりゃそうだ。アンジュの騎士である以上、騎士の振る舞いに欠ける行いなんて出来るわけがない。

今も、買い物をしながら計算の練習をしている。

お魚を三匹買うのに銀貨が、一つだっけか、二つだっけか。まずい、わからない。

苦心(くしん)しながら会計を支払い、待っているプラダマンテさんのもとへ。


「アンジュ様とは最近どうですか?」

「どう、ですか?

いつも通りだと思います。夜にアンジュの部屋で色々話しますけど、僕の話を熱心に聞いてくれて。

あ、アンジュが宝石が好きだって聞きました。綺麗な宝石に目がないって。僕の目もサファイアみたいって気に入ってくれました」

「ふふふ、いいですね。いかにも同年代って感じで。

アンジュ様には(おな)(どし)の友達がいませんでしたから。

貴方がアンジュ様の元に来てくれたのも、一種の運命なのかもしれませんね」

「運命?」


何のことかと聞いたけど、プラダマンテさんはニコニコ笑うだけで答えてくれない。

買い物が終わると、その後は寄り道せずに帰って、夕食の支度をする。

最初は包丁(ほうちょう)の扱いもおぼつかなくて、よく手を切っては痛い思いをしていた。

今もジャガイモの皮を剥くのに苦労する。だって難しいよこれ。

それが終わったら皆で食事。

僕はアンジュの隣で、彼女の笑顔に最も近い場所で、会話をしながら美味しい食事を食べる。


それが終わったら皿洗い。

全て終わったらお風呂に入って、身体を綺麗にする。

そして、一日が終わるその前に、僕はアンジュの部屋に寄る。

『Angelica』とプレートに書かれた部屋の前に立ち、四回ノックする。


「入って!」


命令があってからドアを開ける。

開かれた室内の中で、ベッドの上に寝そべるアンジュの姿を見つけた。

おいでおいでと僕を招くその白い手。

近くに来た僕は、アンジュに手を引かれ、転ぶような形でベッドに倒れる。


「わ、っぷ。アンジュ、今さらだけど毎回強引だよ」

「こうでもしないと、ローランはずっと立ったまま話を聞くじゃない。そんなの嫌よ。

毎日楽しみにしてるお話がそんなんじゃつまらないわ。

私の思い描いているナイトはそうじゃないもの」

「じゃあ、どんなのが君にとっての騎士なの?」


僕はアンジュの近くで、顔を合わせながら聞く。

一転して笑顔になり、アンジュは理想を語り始めた。


「ええとね、まず朝私を起こしてくれて、そのまま一緒に私の好きなブリオッシュを食べるの!

その後街まで一緒に散歩して、買い物に付き合ってもらったりして。

夜は今みたいに、今日あったこととか明日どうしようかとか、好きなことだったり夢だったりとかを話し合う。

まぁつまり、いつも私の側にいて、世話してもらいたいの!」

「それだと、ナイトなのか執事なのか分からないよ」

「ナイト(けん)執事よ!あ、ナイトが六割で執事が四割の比率ね」

「・・・・・・君のナイトはそういう役柄(やくがら)なんだ」

「ふふ、嫌?」

「ううん、全然。

そうなれるように頑張るよ」


僕は君の騎士だから。

君だけが僕に手を伸ばしてくれたから。

救ってくれたから。

だから君の願いは、全部叶えてみせる。


アンジュはベッドの下から一冊の本、いや、図鑑(ずかん)を取り出した。


「じゃーん!これな~んだ」

「ええと、宝石、図鑑?」

「そう!私がキラキラしたものが好きなのは知ってるでしょ?

宝石とか、見ているだけでわくわくしてくるわ」

「僕も、目がサファイアみたいって言ってたね」

「うん。あの路地裏(ろじうら)で貴方を見つけた時、その宝石みたいな目を見て足が止まったの。

薄暗い世界で、ただ貴方だけが輝いていて、だから見つけることができた」


思い返し、目を細めるアンジュ。

アンジュにとっても、あの出会いは記憶に残っている。

それが嬉しい。


「さあ、今日はこの図鑑を一緒に見ましょう!

分からない言葉は私が教えてあげるから、遠慮(えんりょ)無く聞くのよ」


そう言ってアンジュは図鑑を開く。

出てくる単語や絵は、どれも僕が知らないもので、そのたびにアンジュは丁寧に教えてくれた。

ルビーも、サファイアも、エメラルドも、オパールも、オニキスも・・・・・・。

金銀財宝(きんぎんざいほう)の山を見て、アンジュは一際(ひときわ)目を輝かせていた。

一生に一度でいいから、宝物の山に囲まれてみたい。

そう、嬉々(きき)として語るアンジュ。

その横顔を見つめる僕は、星のようなその輝きに惹かれていた。


やがて図鑑を見終わる頃には、もう深夜になっていた。

後半は二人とも眠気と戦いながら、図鑑のページをめくっていった。


「ねえ、ローラン」

「なに?」

「今日はもう、このまま寝ちゃいましょうか♡」

「っ!!?いや、いやいやいや!!出来るわけないよ!!!

自分の立場分かってるの!?」

「あ、プラダマンテと同じこと言ってるー。

いいじゃない、子供らしいこと言っても。それとも私の命令に従えないの?」

「そ、その言葉は卑怯(ひきょう)だよ」

「ふふん、いいのよ。

プラダマンテたちには(しか)られるでしょうけど、私がなんとか言いくるめてみせるわ。

むしろ、今夜を無事乗り切れば、貴方の忠誠心(ちゅうせいしん)が本物だって証明されるんじゃない?」

「・・・・・・・それってどういう――」

「さあ、眠いしもう寝ましょう。このベッド私には大きいくらいだし、二人くらい入れるわ。

枕は同じのを使えばいいし、パジャマは・・・・眠いしこのままでもういいわね」


そう言って毛布の中に潜り込むアンジュ。

ぴょこっと顔を出し、おいでおいでと僕を招く。

僕は逡巡(しゅんじゅん)し、だけど眠気に抗えず、結局アンジュの毛布に潜り込むことに。

灯りを消し、夜闇に静まる室内。


その中で僕たちは、至近距離で互いに顔を合わせる。



「ねえ、ローラン」

「なに?」

「私のこと、好き?」

「え・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・好き、です」


長い、長い沈黙の後、僕は頬を紅潮(こうちょう)させながら答える。

毛布に顔を隠しながら、でもアンジュの反応を見るために目だけ出して。


「良かった!私もローランが好きよ!」

「っ!ほんと!?」

「ええ、ほんとのほんと。

初めて会った時に、なんかこう、運命のようなものを感じたの。

ああ、私の騎士は、私の好きな人はこの人なんだって」


その言葉を聞いて、(せき)を切ったように、胸の内からよく分からない感情が飛び出して、心臓がバクバクといつもより鼓動を早める。

寒かったのに、朝日に照らされたように体が熱をもって。

あれほど眠かったのに、頭の中が霞がかってたのに、それが一瞬で消え去った。


「だからね、ローラン。ずっと、私の側にいてね。

私はそれを何よりも望むし、お父さんやお母さんも、プラダマンテもルッジェーロもそれを望んでいると思うわ」

「うん!ずっといるよ!!

君が望むなら、いつまでも君の側に!!」


何かもう、わけが分からない衝動がそのまま言葉に乗って、とにかくアンジュの言葉に(うなづ)きたくて。

全身を使ってその感情を表わそうにも、今は布団の中だから、ただただ言葉で想いを伝えた。


「そう、ありがとうローラン。

大好き」


目を細めながら、親愛の言葉を口にするアンジュ。

彼女は寄せるように僕の頭を抱きしめる。

柔らかい人肌。トクン、トクンと鼓動する心臓。反対に爆発しそうになる僕の心臓。


太陽のように激しくはなく、月のように静かではない、お星様の輝き。

今までずっと、冷たい路地裏で届かないそれを見上げていた。

だけど、今それが近くにある。

ああ、なんて贅沢な日々なんだ。なんて幸福な瞬間なんだ。

このままずっと続いてくれ。他には何もいらない。僕にはアンジュがいてくれればそれだけでいい。それだけで・・・・・・・・



■ ■ ■



あれから、蛍は苦戦を強いられていた。

想造による攻撃は全て通じない。となると、あとは長刀以外に攻撃手段がない。

だがそれすら通じない。ローランは軽々と僕の一撃をいなす。


「ふっ――」


目の前で放たれる四つの斬撃。空間を超え、切り裂き、僕の肉体を骨まで切断する。


「ぐぅっ、、はあぁ!!」


魂を(むしば)む痛みに耐えながら長刀を振るう。

光輝を纏った刀身が、時空に断層さえ生じさせる。

それに対して、ローランは見ているだけ。もはや防御もしなかった。

腕をダラリと下げ、その剣で打ち合うこともない。

なのに、彼に放った斬撃が、彼の目の前で何かに(はじ)かれた。


(天都さんのようにワイヤーを張り巡らせている?いや、違う。これは別種の何かだ)


目に見えないほど小さい何かがあるわけではない。本当にそこには何もないが、何かが存在する。


「弱いな。それじゃあ何も守れない」


溜息(ためいき)と共に、憐れみの込められたローランの声が聞こえる。

僕を見るその目は、もはや自分の命を脅かす敵との戦闘ではなく、入り込んだ虫を追い払う雑務(ざつむ)のものに戻っていた。

それは分かっている。さきほど顕現を使っていないローランでさえ、僕と美羽の二人がかりでやっと一撃入れられたんだ。

そのうえ顕現を使ったローランに対し、僕一人ではあまりに旗色が悪い。


「っ!!!」


ローランは何もしていない。それなのに、不可視の何かが僕の身体を通り抜け、切断する。

防壁を切り裂き、僕の皮膚と肉と内臓と感覚器官を(ことごと)く分割していく。

まただ。この切断現象。一体何が起きているんだ?


「術技の極地だ。努力の成果だよ」


振りかぶったローランの剣を、僕の長刀で受け止める。

ドバッ!!!と、長刀をすり抜けて足下の床が大きく二分される。

至近距離。僕が展開している防壁の内側に彼は侵入している。

毒と消滅と麻痺と炎熱と極低温と・・・・・多重な攻性防壁の中にあるのに、ローランはそれを一切気にする素振(そぶ)りはない。

舞い散る火花。彼との距離が近い僕の腕が、縦に横に切れ目が走って切断されていく。


「う゛っ――」


ドズッと、腹部に強い衝撃。蹴られた僕は床を転がり、顔を上げた瞬間には剣が迫っていた。


「ある者は言った。剣の極致とは、剣を捨て、自らが剣そのものになるのだと」


身体を回転させ、直撃を避ける。

だが体の内部から溢れ出る血は止まらない。避けたはずなのに、何かが僕を切り裂いている。


「つまりだ。術技の極地の一つして、その求める対象との同一化がある」


剣に極光を溜め、放つ。

それがローランに触れる間際、何かに(はば)まれた光が四方から無数に切り裂かれ、僅かな光りすら残らず消えた。


不可視の何か。正体は段々分かってきた。

あれは剣だ。ローランが言ったように、彼は剣の道を極めた結果、自らが剣となる領域にたどり着いたのだろう。

その結果、彼の全てに切断現象が付属(ふぞく)した。彼の眼光、周囲に放つ殺気や思考など、その全てが剣の色に染まっている。

さっきから僕を触れずに切っていた正体はそれ。だから僕の攻撃を触れずに防いでいたんだ。


「それは狭き門であるけれど、誰にでも門戸(もんこ)は開かれている。

人も動物も植物も、あらゆる存在に等しくそのチャンスは与えられる。

極論(きょくろん)を言ってしまえば、誰にだって到達できるものだ」


その言葉に、思わず苦笑を漏らしたくなった。

確かに極論だ。ローランがその領域にまで到達するのに、一体どれだけの歳月と努力をつぎ込んだのか、僕には皆目見当(かいもくけんとう)がつかない。

だが一撃ごとの剣の()え、ミリ単位のズレも迷いもない流麗(りゅうれい)な剣術、最大効率で放たれるそれらが、彼の血の滲む努力を嫌でも僕に思い起こさせる。

美しく、芸術的でさえある。彼に比べれば僕なんてごっこ遊びのようなものだ。比較することさえおこがましい。


だけど負ける訳にはいかない。

僕に向けられる視線。それに宿った剣。

視界に収まる全てが原子レベルに切断される刃の奔流(ほんりゅう)

僕はそれに切り刻まれながら、長刀の能力でその切断を切り裂く。

再創造し、支配権を奪って束ね、そのまま彼にぶつける。

自分の攻撃が通じないのなら、相手のものを利用してしまえばいい。

子供でも思いつくほど単純明快で、しかし筋の通った確かな理屈。


不可視の斬撃が地を裂きながらローランに牙を剥く。

彼は目を細め、剣を構えると、無造作にそれを横に()ぐ。

不可視の斬撃ごと僕を真っ二つに切断し、再生も許さないまま死を与えられる。


しかしこの程度では終わらない。

彼のすぐ側で蘇った僕は、次元を急上昇する。

過去最高の無限次元にまで到達し、遙かな高みから顕現を振るう。

感知も視認も接触も不可能。高次元から低次元の干渉はいつだって一方的なのだから。


「無駄だよ」

「なっ!?」


それなのに、彼の目線は僕に向けられた。

片腕で僕の長刀を掴み、自らの元へ引き寄せ、その頭突きが炸裂する。

単なる頭突き。だが智天使が行うそれは幾千の平行世界を消滅するに十分な威力を持つ。

頭部が粉砕した僕は、想造のアクションを取った後再び次元を上昇。


無限といっても種類がある。自然数の無限がアレフ0で表されるなら、それより大きなアレフ1やアレフ2だって存在する。超限数(ちょうげんすう)の話だ。

数の領域拡張。無限は無限に存在するという原理。

ローランはそれを使って、僕と同じように次元を上昇しているのだと思った。

だけど直感が違うと告げる。彼がさっきから特別何かしているとは思えない。


そして、それは当たっていた。

彼の気に当てられ切り裂かれる身体。彼に長刀を向けようとも、まるで指先から消えるように切断されていく。

彼が纏う剣気は、それだけで防壁の役割を演じている。侵入者は斬滅され、粒子の欠片にいたるまで切り裂かれる。

アレフ1000の領域にいたろうと、アレフ無限の領域にいたろうと、どれだけ次元の数価(レベル)を上げたところでそれは一切変わらない。

数の外にいる。これと似たようなことが、ファルファレナと出会った時も感じた。


「今の君は次元という名の箱の中。そこで、同じように次元(はこ)幽閉(ゆうへい)されている他者と競い合ってるだけ。

対して僕は箱の外。次元なんてとうに超越した。君がその中で何をしようが、外にいる僕に何か出来るとでも?」


超越。彼の言っていることはそれだ。

霊格の増大に伴う付属効果。概念や事象の超越。

僕たちがエンケパロスと戦い、時間を超越したように。

ローランもまた、空間や次元を超越し、それに縛られていない。

どれだけ高次の存在だろうと、次元そのものを超越した存在に敵うはずがない。

そんな領域に到達した彼から見れば、いまだそれらの内側にいる僕は相当に不完全な存在なのだろう。


彼は剣を構え、刀身に想いを凝縮(ぎょうしゅく)させる。


「さあ、そろそろ終わらせよう。アンジュが心配なんだ。

彼女にこれ以上怖い思いをさせないために、さっさと散ってくれ」

「――ッ!!!」


再び襲いかかる斬撃の嵐。数の領域にある全ての次元ごと切り裂いて、僕の全てを切り落としていく。

その切断が恐ろしく精密なので思わず目を見張る。爪が綺麗にそぎ落とされ、皮膚と肉が消えたと思ったら骨と骨の間が分離する。

空気中に(ただよ)う微少な(ちり)も、酸素も窒素も、粒子すら切り裂いて。

彼の視界の前、何もかもが絶無と化す。


対切断に特化した防壁ですら、多少せめぎ合った後に突破され、身体に不実体の剣が突き立てられる。

顕現による再生を目まぐるしく繰り返す。たった一瞬で、僕は数千億回は死に、その何倍も生き返る作業を繰り返した。


これも駄目。あれも駄目。僕の使える手札では、ローランに太刀打ちできる可能性が皆無だ。

可能性があるとしたら美羽の助力。だけど仕切られた壁からは音沙汰(おとさた)もない。先ほどまで戦闘音が聞こえていたのに。

助太刀(すけだち)は期待できない。むしろ何が起きたか不安だ。今すぐにでも壁を壊して確認したい。


ならばどうする。ローランの実力は遙か上。ファルファレナを除けば、これまで相対(あいたい)した咎人の中で最も強大であることは言うまでもない。

技量も上。魔術を使っても焼け石に水。顕現は弾かれる。


絶体絶命・・・・・・・・・・いや、あれがある。

不確定要素が多すぎてあまり使いたくなかったっけど、今はそれに頼るしかない。

この際何でも使ってやる。今さら危険がどうだなんてどうだっていい。


いまだ死と再生が繰り広げられる渦中(かちゅう)で、僕はそれを発動させた。


「アイン・ソフ・オウル――ドラゴン」


来たれ、明星。

ジュデッカすら突き抜けた地獄の中枢(ちゅうすう)に座す、全ての罪悪の王よ。


人から神へ。

赤き竜骸(りゅうがい)を纏う者へ。


祈りは海の底に到達するほど、深く、深く、深く。

自身の根源に接触する。神樹の底に、あるいは頂点に座す大元に。

天へ昇れ。周極星(しゅうきょくせい)の上に玉座を置け。北の山に座せ。雲の上に立ちいと高き者になれ。


鎧のような赤い鱗が僕を包む。

ローランと同じように、口元を(あぎと)のようなマスクが覆う。

人から竜に、赤い蛇に変貌を遂げていく。

そして黒く、赤く染まった目を見開いた。


「ガアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」


覚醒の咆哮で、自身を切り裂く刃の群れを吹き飛ばす。

僕を切り裂いていた無尽(むじん)の刃。それが今や鱗に浅い傷をつけるので精一杯で、それ以上切断することが不可能。

今にも崩壊し、消し飛びそうになる自我を意思で押しとどめ、暴走を食い止めながら騎士に相対する。


「何だ、それは・・・・・・」


驚愕の念を(あらわ)にするローラン。整った顔をしかめ、わけの分からないものを見る目をする。


全身に爆走する理解不能で形容不可能な力が、身体と諸機能の強化を超速で行う。

前のめりに倒れ、四足で大地を踏みしめる。

背中から噴出する血の霧は、まるで翼のよう。


そして神速の疾走。足下の爆発も、移動しただけで砂のように崩れる闘技場も、影に触れただけで消滅する床も、あらゆる現象が後に生じる。

僕の腕がローランを捉え、彼が言葉を発する前に闘技場の壁に殴り飛ばした。


「――なっ!!?」


彼のマスクが砕け、口元から零れる血。

拳を握りしめ、それでただ殴るという極めてシンプルな暴力。

だがそれだけで、彼の防壁を残らず砕き、今まで無敵を誇っていた彼に血を流させる偉業を達成した。

壁に叩きつけられ、地に膝をつけたローランは、信じられないとばかりに目を見開く。

それから、忌々しげに呟いた。


「はっ、騎士(ぼく)に対して竜か。なかなか面白い趣向(しゅこう)を凝らすな、君はっ」


立ち上がり、剣を構え、これまでで最大の殺意を僕にぶつける。


「来い、それでようやく対等だ」


呟いてすぐ、僕たちはぶつかった。

全力の剣と全力の殴打。

一瞬の間に(せめ)()いが終わり、結果二人とも床を削りながら後退する。

威力は同等。剣の刀身が多少欠け、刃を通さなかった鱗が切断される。

ローランの言葉通り、僕がこの状態になったことでやっと対等になれたようだ。


一足で退いたローランに接近し、打撃の嵐を見舞う。

殴打、打突、貫通、刺突、切断。

残像すら残らない千を超える暴力。その内の九分九厘(くぶくりん)をローランは(さば)いたが、剣閃を掻い潜った一撃二撃をもろに食らう。


「ぐふっ!!

っ聖ゲオルギウスよ、()の竜の翼を切り裂き失墜(しっつい)させ、その鱗を貫く力を与え給え!!!」


だが即座に反撃体勢を整える。右手に持つデュランダルとは別に、左手に輝く粒子が集い、身の丈を超える程の大剣が具現化する。

それは竜を切り裂いた剣。性質上、今の僕に特攻の威力があることは間違いない。


屠竜の剣(アスカロン)


その一閃は、防御のために交差した腕ごと、僕の身体を切り裂いた。

鮮血が切断箇所から噴き出し、刹那の後にそれすら切り裂かれ消える。

魂魄(こんぱく)を断ちきられた感覚が分かる。ただでさえ魂が呑まれかけているのに、これ以上の負荷はまずい─!!


「ぎっ、ゴアアアアアアアぁぁぁぁああああああ!!!」


先ほどの意趣返(いしゅがえ)しとばかりに、間近で剣を振り抜いた彼に頭突きを食らわせる。

ゴッ!!と、鈍い音を響かせて、もろに顔に食らい後ろによろめくローラン。

チャンスだ。僕は右手を開き、その名を叫ぶ。


神の傲慢(ヘレル・ベン・サハル)!!!」


僕の呼びかけに応じ、右手に白い長刀が発生する。

柄を手にした瞬間に、腕に根が絡みつく。

身体全体の細胞が、その奥深くから歓喜の叫びを上げ、

刀身から発せられる光焔(こうえん)は、太陽の輝きすら凌駕してなお光量を増し続ける。

脆弱な者なら、その輝きを見ただけで、炭化は逃れられない。

光そのものと化した長刀で、彼に暁の理を叩き込む。


明星(みょうじょう)の光に包まれるローラン。その光輝は今までとは比較にならない。

先ほどまで自らが発する気だけで霧散させた光が今、自分の全力をもってして(あらが)わざるをえないこの状況。

聖人の剣、なんするものぞ。砕け散るアスカロンの破片が、光に触れ一瞬で融解する。

光の斬撃から逃れられず、ローランは切断された箇所から塩になっていく。


「なぁ、めるなぁぁぁああああああアアアアアア!!!」


だからなんだと、咆哮と共に幾千もの剣がきらめく。

爆裂の光を引き千切り、ローランの剣がうなりを上げる。


負けられない。負けるものか。

アンジュが待っているんだ。僕のせいで悲しい想いをさせてしまって、僕が守れなくて。

次こそは僕の手で守り抜くんだ。そのためなら、たかがこの程度で止まるわけがないだろう。


アンジュのためなら死ぬまで戦える。死んでも戦える。

因果を超えてでも、必ず君を守ってみせる。



だがそれは蛍も同じ。


負けられない。負けられるはずがない。

美羽が一人で戦っている。僕が負けたら、美羽はローランとアンジュの二人を相手取ることになる。

そうなったら劣勢は間違いない。この二人はペアになれば文字通り無敵を誇る。それを防ぐために分断したんだ。

最悪の場合は、美羽の死もあり得る。

それだけは認められない。容認出来るわけがない。

決めたんだ。二人で生きる未来を創るって。

だから、こんなところで負けてたまるか!


「「おおぉぉぉぉぁぁぁぁあああああああああアアアアアアアア!!!」」


騎士と竜の絶叫(ぜっきょう)が闘技場に響く。

全力をぶつけ合った二人の衝撃で、闘技場が全壊しかける。

二人の行ったことは単純。ただ自らの全力を剣に込め、ぶつけるだけ。

戦略も何もあったものじゃない。だが、だからこそこれまでの何よりも苛烈(かれつ)で、想いの全てをさらけ出していた。


白い長刀がローランの腕を肩から切断・焼却する。

切った箇所の歴史を破壊し、零から全てを創造する。

再創造が行われるより前に、ローランは切断箇所を切り落とし、それ以上の改変創造を食い止める。


名剣が鱗の上から肉を切り裂く。切れぬものなど何もない剣閃は、たとえ現実に存在しない未出現のものだろうと問答無用で斬り伏せる。

魂魄を切る。精神を切る。熱も物体もエネルギーも感覚も能力も魔術も、森羅万象(しんらばんしょう)斬り尽くす。

絶対の領域に至った剣の術技は、一切りごとに蛍を死に近づけていく。


血と肉と骨と、互いの存在の削り合いを、優に五十以上は繰り返す。

沸騰し、今にも散り散りになりそうな意識を、負けてたまるかという意地だけで()り合わせる。

限界などとうに超えて、もはや蛍は生きているのか死んでいるのかすら明瞭(めいりょう)ではない。

だけど、この想いだけはあるから。

それだけで、生きる理由には十分すぎる。


「はあぁっ!!!」


裂帛(れっぱく)の気迫で剣を振るうローラン。剣と長刀が打ち合った結果、蛍が押し負け弾かれる。

刹那に放たれた斬撃が肩から両腕を切断し、身体から離れた腕が切断の嵐に巻き込まれ粒子すら残らず切り刻まれる。


「とったぁアアア!!!」


放たれる突き。狙いは蛍の頭蓋(ずがい)

その威力、鱗を貫き脳を破壊することは必然。

ドッ!!と、世界に風穴が空く。

蛍の背後。突きが繰り出された剣先から、時空が粉々に壊れた結果、破片の合間から漆黒が除く。

手応え有り。確かに蛍を貫いた。


「なっ!??」


手応えは有る。肉を貫いた。

けれど蛍は頭を捻って、頬を突き刺した名剣をその牙で挟み、受け止めていた。

それが分かった瞬間に、妙な浮遊感がローランを襲う。

足下が浮いたと思ったら、視界が急回転して天地が廻った。

それは剣を歯で受け止めた蛍が、そのままブンッ!!とローランを振り回したから起きたこと。

巨大なクレーターを作りながら石畳の床にたたきつけられるローラン。すぐさま立ち上がろうとして、眼前に自分を踏み潰そうとする足を見つけた。


「――!!!」


石畳の床が残らず粉砕された。

宙に飛んだのはローランの頭部、ではなく踏み潰そうとした蛍の脚。

真下から振るわれた必断(ひつだん)の剣が、頭部粉砕の一瞬前に脚を切り落としたのだ。


蛍を蹴り上げ、立ち上がると同時に真横に剣を振り抜くローラン。

全てを切り裂く斬撃は、既に縄張り内に収まりきっていない。

縄張りの外――堅洲国にまで飛んで、空に大規模な亀裂を刻む。

その直撃を受けた蛍は、床に膝を付け、今にも崩れ落ちそうな身体に鞭打(むちう)ち立とうとする。

想造による再生など出来ない。あれは創造すら切断する。

一度死に、無から蘇ろうと、蛍が負った刃の傷は残ったまま。

蛍の有する不死能力。最後の生命線が切れかけている。

ついにこのレベルの相手が現われた。蛍が大丈夫だと見定めた安全地帯を踏破する者が。



もがく蛍の様を見て、敵ながらタフな奴だと呆れるローラン。

こいつは、もう生死の狭間をふらついているのではない。()()()()()()()

生命も死も断ち切った。だが滅びはしない。つまり生死の概念を超越したのだろう。

そうなれば生きながらに生きることは当然で、死にながらに生きることも可能にする。

完全に討滅しないかぎり、決着がつくことはありえない。


朦朧(もうろう)としながらも、脚で身体を支え立ち上がる蛍。

ふらつく脚とは対象的に、その目は不屈(ふくつ)を訴える。

この程度でどうしたと、血涙を流しながらローランに続きを促す。


対するローランも既に死に体。身体は受けた致命傷は二十を超え、空中に解けるように身体が粒子となって崩壊していく。

彼を支えるのはアンジュへの愛。ただそれだけ。

ただそれだけで、ローランは天地神魔の全てを敵に回せるのだから。

だから滅ぼす。絶対に。


騎士と竜が、その神威(しんい)を残らず武器にそそぎ込む。

二人の高鳴りに応じ、鳴動する縄張り。

踏み込みはもはや陥没を超え、足場を踏み砕き前に進む。

二人の目にはもはや相手しか映らず、死に体にも限らず感覚が刃のように研ぎ澄まされている。


あわや決着。そう思われた瞬間――。


「ッ!!」

「――ぇ?」


突如、闘技場を二分し、遮っていた壁が内側から爆砕し・・・・・・。



次回、その質問は、騎士の本質に迫る

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