第十四話 騎士の過去・2
前回、騎士と姫の出会い
「ここ、が?」
「うん!私の家よ」
道中、アンジュに手を引かれながら、僕の心臓は破裂しそうなほど鼓動していた。
女の子の手を握ることなんて・・・・・初めてだ。手に冷や汗が滲んで、頭はこんがらがってる。
当然、通行人の視線が僕たちに突き刺さる。僕の着ている服はボロボロで薄汚かったし、対照的に彼女の服は煌びやかでいかにも裕福な育ちが見て取れるから。
たどり着いたのは絵に描いたような豪邸だった。
まず目に飛び込んできたのは広大で、幾何学的な庭。デザインされた草葉や花壇、中央にある噴水からベールのように水が吹き上がる。
僕が住処にしている路地裏の、一体何十倍の大きさなんだろう。
「さあ、入って」
「え、でも・・・・」
「いいの!遠慮することはないから」
半ば強引に彼女に手を引かれ、僕はまったくの異世界に足を踏み入れた。
包み込むお日様と緑の香り。虹のように鮮やかな花々。そして、僕の手を引く何よりも輝く少女。
それに見惚れている自分がいて、だけど僕自身ではそれに気づかなくて。
これが夢なのではないかと、今でも思っている。だってそう考えた方がまだ現実味がある。
夢なのに現実を考えるとは、これいかに?疑問を抱えながら豪邸の前にまで歩くと、アンジュが庭の手入れをしていた従者を呼んだ。
「プラダマンテ!こっちに来て」
「どうしましたアンジェリカ様――な、なんですかその子は!?また拾ってきたんですか!!?」
しかも猫じゃなくて人!?!
メイドと思しきその人物が驚愕しながらこちらに走りよる。
その人は僕の身なりを見て絶句し、アンジュに苦言を呈する。
「アンジェリカ様。小動物だけではなく今度は見ず知らずの子供まで連れ込んで、お父様とお母様に怒られますよ?」
「説得するから大丈夫よ。それに見ず知らずじゃないわ。この子を私のナイトにするの!」
その言葉を聞いて、いよいよプラダマンテと呼ばれたメイドは呆れ果てた。
会話から察するに、どうやらアンジュは拾い癖があるらしい。
僕は気まずくて一言も発しないようにしていると、メイドの人はため息をついて、
「何はともあれ、まずはお風呂ですね。このままではあまりに不憫です」
「ええ。私が一緒に入って身体を洗ってあげるわね!」
「いや、いやいやいや!!!いいわけないでしょう!?
アンジェリカ様は貴族の御令嬢ですよ!?何かあったらどうするんですか!」
「何かって、なあに?」
「え、それは、その、私に言わせます?」
若干赤面し、しどろもどろに口ごもるメイド。
だがこれだけは譲れないと、アンジュと僕に顔を近づけて言う。
「館内にルッジェーロがいます。この子のお風呂は彼に任せましょう。
アンジュ様は私と一緒にサイズに合う服を探しましょう。押し入れを探せば一着や二着はあるでしょうから。それでいいですね?」
「それはいいわね!ねえ、ルッジェーロは元騎士で、今は執事をしているわ。
これから彼に手ほどきを受けて、貴方は立派な騎士になるのよ!」
「う、うん、分かった」
僕を置いてけぼりにして、話はどんどん急加速していった。
お風呂から上がった僕は、今まで触った事の無い柔らかいタオルで身体を拭いて、これまた見たことのない綺麗な服を着ることになった。
お風呂に入るのは何年ぶりだろう。臭くて冷たい川と違って、温かくて火傷しそうになった。
服のサイズは・・・・ぴったりだ。
ルッジェーロという老紳士が言うには、アンジュの部屋まで向かえとのこと。
だけど館の中はまるで迷路だ。僕が住んでいた路地裏もそれはそれで入り組んでいたけど、慣れない場所ということもあり、とても一人では空間を把握できない。
「こっちだ」
うろうろ迷っていると、見かねたルッジェーロさんが僕の前に立ち先導する。
一分くらい歩いただろうか。一つだけ他の部屋とは毛色が違うドアが見えた。
ドアには、『Angelica』と書かれたプレートがついている。
「お嬢様。少年をお連れしました」
「ありがとう。入って!」
計三回のノックの後、ドアの奥から軽快な少女の声が聞こえてきた。
ルッジェーロさんは僕のためにドアの前から退いた。
礼をして、僕も同じようにドアをノックし、ガチャリとドアを開ける。
目に飛び込んできたのは白とピンクを基調にした部屋の内部。天蓋付きのベッドに僕よりも大きいクローゼット。
壁には絵が取り付けられ、床に敷かれたカーペットには複雑な紋様が中心で渦を巻いている。
そしてベッドから飛び降りたアンジュが、僕の元まで走り寄る。
「わあ、すごく似合ってる!
サイズが合うかどうか分からなかったけど、うん、全然良いわ!ぴったり!」
「そ、そう?」
アンジュのあまりのはしゃぎようを見ていると、僕は心の奥が、なんかむずかゆくなってたまらなかった。
「お父様とお母様は夕方には帰宅するの。
だからその時に紹介するわ。大丈夫よ。二人が何を言っても説得してみせるから!!」
「あ、ありがとう」
「ええ。しぶとく言い張り続ければいずれ根負けすることはわかっているもの。これまでだってそうやって説得してきたわ。
貴方もきっと――」
突如、話を切って考え込むアンジュ。何か根本的な部分を忘れていたかのように黙り込む。
「どうしたの?」
「そういえば、貴方名前ないんだったっけ」
「え、うん、そうだね」
顎に手を当て、数秒考え込んだ後に、再び太陽のような笑顔が戻る。
「ねえ、名前がないなら、私が付けてもいい?」
「名前?僕にくれるの?」
「うん。だって名前がないと呼びづらいじゃない。とっておきの名前を考えたの!きっと気に入ると思うわ」
「ッ!アンジュ、教えて!」
さながら親に餌をねだるヒナのように、僕は僕の名前をアンジュに乞う。
アンジュはとびっきりの笑顔で、僕の名前を言った。
「ローラン。私が好きな、伝説の騎士の名前よ」
■ ■ ■
天から降り注ぐ黄金の光。
天幕にも似た、夜闇を照らす神聖な光は優しく世界を輝かせる。
花が芽生え、川が流れ、小鳥は歌い、暗がりから人を救う清らかな星の光。
空から伸びるその光は、慈母の如き優しさでその者を包み込むだろう。
だが、それは彼女の騎士に限ってのこと。
ローラン以外の者、侵入者に対しては苛烈な爆発光となり、全身の血液を沸騰させ内側から爆散させる。
美羽はそれを、身をもって体感していた。
「っ!」
光が射した床が、地の底まで融解し爆ぜる。
爆発規模はドーム状の縄張りを一つ丸々覆う程の大きさ。
美羽は光を躱し、爆発を防壁で防ぎながら、彼女に近づく術を探している。
ローランがアンジュと呼んだ彼女は、眩い光で暗がりを照らす星そのもの。
太陽に近づけば近づくほど蝋の翼が溶け落ちるように、彼女に近づくほど身を灼く光は強さを増す。
距離が開いているここでさえ、太陽の中枢へ放り込まれたような熱量を感じるのだ。
それが単なる物理現象であれば取るに足りない。だが顕現者の顕現であれば意味は全く異なる。
前者は顕現者に通じないが、後者は顕現者を殺しうる。
最近分かったことだが、額面の強さと内質の強さは別物であるようだ。
例えば、智天使と座天使の咎人がいるとする。
彼らはそれぞれ熱を発生させる。智天使が1000℃近くの熱量に対して、座天使は無限に上昇する熱量を。
額面通りなら後者の熱が勝る。なら実際に両者がその熱量を比べあったらどうなるか?
不思議なことに智天使が勝つらしい。その熱量に大きな差があるはずなのに。
昨日のジェムもそうだった。彼の宝石による電撃は100億ボルトを発生させる。
だけど蛍はそれ以上の電撃を実現できる。蛍はどんな絵空事の想像でも、容易く実現できるから。
そんな彼からすれば無限ボルトなんて馬鹿げた、子供しか思いつきそうにないことすらこの世に創造できる。
だが二人の間に格の差があれば、ジェムの放つ電撃が圧倒的に勝ってしまうらしい。
アラディアさんに聞いたところ、込められたそもそもの力が違うらしい。つまり攻撃の質が。
そういったものは額面で表されるものではない。
頭がこんがらがりそうになるが、まあそういうものなのだろうと納得した。そもそも下層の住人は数学という概念を超越した者が全てだ。0も1も∞も意味が無い。そう考えると例えが悪かった気がする。
だから何が言いたいかというと、美羽が座天使の時に使う不浄なる蝿王の熱量と、アンジュの光の熱量では、アンジュの光がより勝るということだ。まあそれは今関係ない。
機械のように無機質な瞳、表情。感情を一切感じさせないアンジュが、なかなか仕留めきれない美羽に対して次の行動を取った。
光が凝縮、槍を形成。
1~2メートル大の光の槍は、光速を遙か超えて天空から飛来する。
着弾と同時に、大地を融解させる間もなく貫通。貫通力を際立たせたそれは、美羽が張る防壁を一度に三つは破壊する。
それを確認すると同時に、わずかな違和感を抱きながら、美羽は黒腕に力を溜め降り注ぐ光の槍を迎撃する。
夜闇を照らしていた幾千の槍が引き裂かれ、再び闇が空を占めた。存在そのものが壊され、形と質量が無に変える。
「開け不浄門。夕闇を超え、深淵に座す御魂に願い奉る。
かの星を堕とすため、汝が御名を我が呼ぶ」
一瞬の空隙。それを逃さず、美羽は常闇に接続する。
光の射さない闇戸、一切闇の領域の鍵を開ける。
そこに揺蕩う、一柱の騎士の名を呼ぶ。
「七十二柱・序列15位、エリゴス。
彼方の未来を私に見せて」
『御意。御身の仰せのままに』
承諾。伝達。開眼。
その権能を譲り受けた美羽は、ここではないどこかを自分の目で見た。
映る未来のビジョン。次の一手が、その次の一手が、そのまた次の一手が・・・・・・。
ソロモン七十二柱の悪魔 序列15位・エリゴス。
黒い馬に乗り、これまた黒い鎧に身を覆った端麗な騎士。
その権能の一つは『未来視』。
顕現者同士の戦闘において、この先の未来や自分の知らない過去。それを顕現なり魔術なりで知ろうとするのは、実は結構難しい。
なぜならそれは、相手に対する干渉に入るから。
例えばこの場で、美羽が魔術を使ってアンジュがこれから先どうするのか見ようとする。
それすなわち、アンジュの霊格の総量を超える程の干渉力が必要になる。
魔術でそれは基本不可能。顕現でも難しい。格上は論外だとして、同格でも厳しいだろう。全知に格が存在するのはこれのせいでもある。
そうでなかったら咎人も粛正者も全員未来視を使っているんだから。
だから、美羽は葦の国から信仰という莫大な想念を吸収している霊体からそれを借りた。
その未来視は発動条件が戦場に限定される分、効果は並の未来視を上回る。
相手がこれから先何を行うのか。
無限の可能性の中から一番現実的であり得るものを、美羽に見せる。
まるで本の数ページ先を読んでしまったかのように、この先の展開が分かる。
だからこそ、光を束ね、一点を集中的に照り焼くピンポイント照射を、美羽は命中する前に躱すことができた。
「・・・・・・・・・」
アンジェの石のような表情は変わらないまま、ピンポイントで美羽を狙う光の束は熱と数を増す。
一人の人間に対し、天の彼方から幾筋もの光が降り落ちるその様は、まるで天罰。
だけど美羽は天罰の雨を躱しに躱す。どのタイミングで飛んでくるか、フェイントをかけてくるか、全てお見通し。
来ると分かっていても避けられない量なら話は違うが、それでも何十と張り巡らされた防壁を突破することはできない。
これ以上の攻撃はない。そう判断して、決着をつけるために美羽は顕現を発動した。
「顕現 穢る暴風破壊の侵犯」
発せられた波動。瘴気、呪い、それらが渦巻き黒紫の浸蝕が世界を覆っていく。
怨嗟、穢れ、闇。美羽の内にある負の奔流が、彼方の星を喰らいつくさんと天に手を伸ばす。
爆発光などなんのその。風前の灯火とはまさにこのことで、風に吹き消されて消えるように黒に飲み尽くされる。
あっという間に、アンジュ以外の全てが黒に浸蝕された。
この顕現の利点は、バケツの中身をぶちまけるが如く空間を埋め尽くすこと。
再びアンジュが光を発生させたとして、0秒で闇はそれを喰らって破壊する。形があろうがなかろうが無関係に、黒い海に引きずり込み沈める。
もう何も生み出せない。美羽は一足でアンジュの高さまでたどり着き、幕を引くために爪に力を込める。
それを振り下ろそうとした、その時、
「・・・・・に」
「?」
絶体絶命のこの状況でさえ、アンジュの表情は変わらない。
だけどその口から独りでに零れる声が、美羽の動きを止めた。
「彼を・・・・・照らす星になる・・・・・・・迷わないように・・・・・うつむいてしまわないように・・・・・・星に・・・・・・星に・・・・・星になる」
壊れたラジオのように、その言葉を繰り返すアンジュ。
その目は最初から、美羽に対する敵意や殺意がない。いや、そもそも美羽を見てすらいない。
ここで美羽も、先ほどから抱えていた疑問が表出した。
いくらなんでも弱すぎる。これは美羽が強いからでも、直前にローランという強大な敵と戦っていたから生じるギャップでもない。
智天使には到達しているのだろう。美羽の防壁を突破できるのだから。
だが実力差が開いている。ゲームでいうのなら、レベルの差が10も20も開いているような。
そして、そもそもの存在が薄い。
間近で見ればよく分かる。その霊格はいますぐにでも空中分解して消えてしまいそうなほどで、今こうして存在していることが奇跡のよう。
まるで残滓のような儚さ。霧が密集して、人型を形作っていると言っても過言ではない。
それは先ほど、コロンゾンの権能を使い、ローランとアンジュの縁を断ち切った時にも感じたこと。
分離した瞬間、彼とのつながりが途絶えた瞬間、一気にアンジュは希薄化した。
「彼を・・・・・照らす・・・・・星に・・・・・なるの。
光で・・・・・・彼を・・・・・」
呟く声は変わらず。ローランを照らす星になることを望み続ける。
だけど、その顔が一瞬泣きそうな、悲しそうな表情をして、
「・・・・でないと、彼は――」
「!!」
最後の言葉を聞いて、美羽は目を見開いた。
もしかしたらと考えていた、最悪の想像が現実味を帯びてきたから。
次回、竜と騎士の喰らい合い