第十三話 騎士の過去・1
前回、姫と騎士
どこかの世界の、どこかの星の、どこかの国の、どこかの路地裏。
汚い。汚らわしい。不衛生。ごみ溜めのような場所。
光は射し込まず、石造りの路地は裸足を通して身体から体温を奪っていく。
鼻が曲がりそうな悪臭はいつものことで、治安が悪く麻薬の売買や殺人が日々どこかで行われている。
死体が転がっているのは日常風景。やがて蝿がたかり蛆に塗れ、数日後には目も当てられない光景が生まれる。
そんな、暗がりの中にいたのが僕だった。
親は知らない。思いついた時からそこにいた。
周りにいた浮浪者から学び、奪い、時には人を殺すことで生きる術を学んだ。
なにもかもがごみのような生活だった。
社会というものが出来上がると、いつの時代にもあぶれる者は出てくるもので、運悪く僕はそのくじを引いてしまった。
ただそれだけの話だった。
朝起きて、まず襲ってくるのは空腹。鳴り止まない腹の音を止めるため、汚い川に頭まで突っ込んで空腹を紛らわすしかない。
昼には食料調達のために光の世界へ向かう。
道路で、りんごやら食料を売っている露店に目をつけ、店の前に並ぶ人の間から気づかれないようにそっと手に取る。
もちろん失敗する時もある。その時は店主に捕まり、思いっきり殴られ蹴られ、罵詈雑言を浴びせられるだけだ。
痛いが、殺されはしない。往来の場でそんなことをしては店の風評が悪くなるだろうし、法制度はある程度整っていた(と思う)。
夜は冷気に耐え、ボロ布を頭から被って目をつぶる。路地は冷たくて、眠りに落ちるまでに1時間か2時間は必要とするため、その間考えるのは無駄な事。
明日はどこで盗もうか。どうすれば気づかれずに上手く盗れるか。
僕の名前は何というのか。親はいるのか。僕を捨てたのか。今何をしているのか。
お腹が空いた。足が痛い。殴られた顔と蹴られたお腹が痛い。冷たい。冷たい。冷たい。
寒さと飢えが思考の九割を占有する。
このまま、僕は生と死の境に立ちながら、一生をこの暗がりで過ごすのだろうか。
・
・・・・・
・・・・・・・・・・・
光が射したのは、突然のことだった。
「貴方、綺麗な目をしてるのね!
まるでサファイアみたい!」
薄汚い路地に似つかわしくない少女だった。
ツインテールの茶色の髪。
エメラルドのような、澄んだ緑の瞳。
透き通る高い声は、まるで鈴のようで。
ほのかに紅潮する頬は天使を連想させる。
一目で高級だと分かる服装は、きっと僕が生涯を費やしても手に入れることが出来ないだろう。
綺麗だと思った。美しいと思った。
童話に出てくるお姫様。それが本の中から僕の目の前に飛び出てきた。ありえない話だけど、その時僕は本気でそう思ったんだ。
「私はアンジュっていうの。本名はアンジェリカ。
貴方、名前は?」
「え、あ、、僕は・・・・・・・」
人と話すのは何ヶ月ぶりだろう。
舌足らずな口調で、どうしようかと言いよどむ。
名前なんてない。誰にも聞いてない。そんなもの持ってない。
「名前、ないの?」
「・・・・・・・うん」
ただ、頭を縦に振って返答するしかなかった。
少女は少し悩み、それから満面の笑みで言った。
「貴方、私の家に来ない?」
「え?」
突然の申し出に、僕は何のことかと呆けてしまった。
「食事は一日三食。貴方専用の部屋も用意する。もちろんお給料も出すわ。
私の騎士として働いてもらうの!
悪い提案ではないと思うわ。少なくともこんな場所よりずぅっと温かいはずだから」
少女は手を差し伸べた。
罠かもしれない。騙しているのかもしれない。懐疑心は簡単に湧き出てくる。
けれどその時の僕は、蛾が光に惹かれるように、ただ少女に手を伸ばした。
だって、こんな暗い世界で僕を見つけてくれたから。
僕の薄汚い手を、彼女は優しく、力強く握りしめる。
久しぶりに感じた人の体温は、とても暖かくて。
そして、今この時に、僕の生は産声を上げた。
■ ■ ■
「なぜ、貴方は強奪を繰り返したんだ?」
打ち合う剣戟の中、最初に口を開いたのは蛍だった。
葦の国を襲い、宝物を奪いながら宇宙を幾つも滅ぼしたことが、ローランの罪であり咎。
その理由は何か。極めて単純な疑問だった。
命を賭ける戦闘中にお喋りとは何事かと憤る者もいるだろう。
だけど決して無駄な事では無い。
顕現は想念から生じるもの。想念とは信仰、渇望、願いや祈り・・・・・・。
その源流を探ることで、さらに具体的に顕現の性質や能力が推測できる。
現状、蛍はローランの顕現を詳しくは知らない。
アンジュに対してだけその能力が働き、因果やいかなる制限をも超え、自分たちではどう足掻いても突破不可能な防御能力を得る。その程度の認識でしかない。
実はそれで九割当たっているのだが、蛍はそれ以上の力がないかさらに思考を奔らせる。
さらに相手の想いを利用すれば、相手を協力意思に巻き込めるかもしれない。先ほど天都さんがしたように。
強奪の理由が単に「欲しかったから」だけでも構わない。
そもそも返答など期待していないし、何か言ってくれれば御の字だ。
だが、単に宝物が欲しいという理由は違う気がした。
先ほどの宝物の扱い。彼は豪邸の庭の中央に、まるで積み上げるかのように無造作に放置した。
雑すぎると思った。彼本人は宝物に対する関心が薄いと、その所作で分かった。
収集して眺める目的はないようだ。ならあとは何に使う。
「理由?そんなこと、一つしかない」
つばぜり合う刃を弾く。後退し、互いに一歩踏み込むだけの空間が開く。
あってないような距離。両者ともに間合いの範囲内であり、すぐにでも相手の首筋に剣を当てられる。
だがローランは剣を下げ、分断された壁をチラリと見てから、僕に言った。
「彼女に、アンジュに捧げるためだ。
アンジュは光り物が好きなんだ。きらきらした宝石を見て、いつも嬉しそうだったから」
「・・・・・・それにしても限度がある。あんなに大量の宝物、確かに渡されたら嬉しいだろうけど、ここまで収集する必要はないはずだ」
それに何なら、彼自身が宝物を無限に創造できるはずだ。
智天使は例外なく全能の位置に到達している。だから貨幣や宝物の価値がなくなる。無限に生みだせるから。
だが違うと、彼は首を振る。
「僕の知っている宝物の種類はほんの少しで、造形に詳しくもなければそういう職に携わったこともない。
一から学ぶくらいなら奪った方が圧倒的に早い。
それに、この程度じゃ全然足りない」
最後の言葉は焦燥と、どうしようもない絶望が滲み出ていた。
それを無理矢理かき消すように、彼は剣を握りしめ、再び振りかぶる。
「!!」
神速で距離を詰めたローランの剣と、蛍の長刀が交差する。
再び火花を散らす二つの剣。
腕に伝わる痺れる衝撃。剣からは彼の想いが伝わってくる。
「僕は塔を造る。金銀財宝で散りばめられた、夜でも星のように輝く塔を。
そしてそれは同時に階だ」
蛍の防壁を紙のように切り裂いて、一瞬のうちに走る剣閃は十八。
七つは防いだが、残った斬撃に身をさらす。
剣閃は全てが致命的で、正確に蛍の急所を突き機動を殺す。
四肢や首はもちろん、目、耳、鼻、口、頭部を切り裂かれる。
肉と魂が切り裂かれ、そして再生も許されずそのまま全身を一定間隔で切り裂かれる。
美羽と分断され、一人で対処する処理量が圧倒的に増えた。
今まで顕現未使用のローランと二人で互角だったんだ。この実力差も当然のこと。
顕現を使い、肉体と魂を創造した蛍は長刀を手に取り彼の首を狙う。
だがいとも容易く弾かれる。返す刀で長刀ごと真っ二つにされ、そのまま是非も言わさず絶命を迎える。
(――ならっ!)
一人で駄目なら無限人で立ち向かう。空間を埋め尽くすように現われた蛍は、その全てが手に武器を取り想造を使う。
無限の武器が四方八方から切っ先を突き立てる。無限の巨腕が殴りかかる。無限の光明が空から降り注ぐ。
ローランはそれを見て、面倒だと言わんばかりに腕を振るう。
洗練さもなにもない無造作な動作。
それだけで八割の蛍が消滅し、残った二割が単なる衝撃波で致命傷を受ける。
「アンジュは心を閉ざしている。僕が顕現を使う時でないと姿を現さない。
彼女がいる星の彼方に、僕は行くことができない。
だからこそ階を積み上げるんだ。
たくさんの宝物で喜んで欲しいから」
ただ、彼女に再び会いたいから。
そのためなら、何人死のうが宇宙が滅びようがどうだっていいから。
その想いが伝わった蛍は、再び自分を無限に創造し突貫を繰り返す。
分身たちはローランの足を止め視界を遮り、自分は後退して光の一撃を放つために。
分身は予想通り、莫大な力の前に一瞬で肉塊となった。
「君だって分かるだろう?一度でも心から好きになった人がいるのなら共感できるはずだ」
撒き散らされる血肉の先、光輝を束ねる蛍を見据えてローランは言う。
返答は言葉の代わりに、光を放つ剣閃で応じた。
莫大な光は縄張りを焦がし、一直線に通過した後の轍を塩の大地に変えていく。
白光は直線上に存在するものを触れた瞬間に消滅させ、空間と時間に断層を生じさせる。
全てを再創造する、蛍の必殺を冠する一撃。
真に彼女の事を想うのなら、他人を傷つけ、敵を作る真似をするべきじゃない。
悲劇は巡る。業は蓄積する。
この世に絶対など存在しない。どれだけ強大な存在であろうと、滅びる時は滅びる。
それは貴方も同じで、だからこそ今回自分たちが派遣されたんだのだと。
創造の光はローランを飲み込み、莫大な圧力が全方位から押しかかる。
「他人だと?僕の邪魔しかしない有象無象共のために、殺戮以外の何をしてやれと言う?」
だが創造の光は内から弾け、爆散した。
彼は何もしていない。ただその気を表に出しただけ。
それのみで蛍の最強を圧倒したローランは、無表情な顔はそのままに、今までで最も感情を込めた声で、
「アンジュだけが、僕を見てくれたから」
星のように、僕を照らしてくれたから。
「手を差し伸べてくれたから」
白く柔い肌は、人の温もりがあったから。
だから、
「それだけで十分なんだ。僕が存在する理由なんて」
だから彼女の騎士になりたいと、始めて会ったあの日から、ずっと想い続けた。
君がいるから僕は生きていられる。君が星のように照らしてくれるから、僕は迷わずに進んで行ける。
君と出会ったあの時に、僕の人生が本当に産声を上げたんだ。
「だから消えろよ侵入者。僕にはアンジュだけがいればいい」
振り下ろされた名剣は、容易く蛍を両断した。
次回、美羽とアンジュ