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自灯籠  作者: 葦原爽楽
自灯籠 星姫と狂乱の騎士
131/211

第二話 白黒

前回、古き思い出



スライムに飲み込まれ、暗い視界が明けたと思うと、そこは白いトレーニングルーム。

思いっきり戦闘できるように、余計な機材などは置かれていない。

白いタイルはどこまでも広がり、四方を壁が囲んでいる。

光源不明の照明がどこからか僕たちを照らす。


美羽が腕を伸ばしながら僕の向かいに立つ。

美羽は特訓と言ったが、具体的に何をするのかは聞いていない。


「美羽、僕は何をすればいいの?」

「えっとね、私と戦って欲しいの」

「・・・・・・・・え?」


聞き間違いかと思ったが、美羽は顕現を発動させて腕と脚を黒化させる。


「これまでも何回か手合わせしたでしょ。それ、本気でやってほしいの」

「つまり、殺すつもりで来い、と?」

「うん。私もそうするから」


つま先で足をトントンと鳴らして、美羽の準備が終了する。

手合わせ。確かにこれまでも二人で戦闘を行ったことはある。

けれど、正直僕には合わないと思っていた。


アラディアさんいわく、僕が無意識で負けようとするからだ。

そりゃそうだ。美羽に傷一つでもつけた日なんか、絶対眠れない程の罪悪感に(さいな)まれるから。それだけは死んでもできない。

だから天都さんが代わりに、これまで二対一での手合わせをしてくれていた。


それなのに今回美羽の方から手合わせを申し込まれるとは。しかも殺す気で。

けど理由を推測すれば納得できる。桃花の中で美羽と実力が近いのは僕しかいない。

格上とも格下ともまともに戦闘にならないのが顕現者の定め。

先ほど美羽は試したいことがあると言った。それが僕でないと検証できない。

だから今回、僕との手合わせを願ったんだ。


「顕現 神の傲慢(ヘレル・ベン・サハル)


覚悟を決め、僕は自分の顕現を発動させる。

こうなったら美羽の言う通り、殺す気で望まないと失礼だろう。

美羽の望む特訓にならないし、なによりこれは僕にとっても(えき)のある話だ。


僕の高まる戦意を感じ取り、美羽は構え、目を細める。

けれど、その細まった目が血のような赤に染まって、


「美羽、その目・・・・・・」

「え、目?」


僕の指摘に、美羽が自分の目に触れようとする。

一瞬、張り詰めていた美羽の警戒が解けて、



チャンスだと思った僕は、その目ごと脳を突き刺そうと一瞬で目の前に走って突きを繰り出した。


「ッ!!!」


声にならない悲鳴は美羽の喉から。

目のわずかナノメートル先。あわや貫通と思われた僕の長刀を、美羽は身体を一気に反らしてギリギリ避けた。

長刀の先。突きは勢いそのまま空を突き進み、壁に大きな空洞を空ける。

空中に舞う黒い髪。本体と分離したそれがパラパラと落下する。

そのまま僕は美羽を両断するため、両手で剣を振り抜いた。


ドバッ!!!と、トレーニングルーム全体に巨大な剣閃が切断面を残す。

美羽は間一髪それを避けたようだ。50メートル先でこちらを睨んでいる。


「卑怯とは言わないよね?」

「・・・・・・うん。本気で来いって言ったのは私だから」


そう言って、美羽は精一杯の笑顔を浮かべる。けれど口の端がピクピクとひくついているのは見間違いなんかじゃない。

許してくれ美羽。不意打ちも立派な戦法。非力な僕はそうでもしなくちゃ勝てないんだ。

だけど、美羽の目が赤く、黒く染まっていたのは事実。今もだ。それは僕の意図したものではない。

あれは一体何なのか。脳裏に置いておくと、今度は美羽が、


「蛍こそ、目の色が変わってる。もしかしてカラコンつけてる?」

「つけてない。同じ手には乗らないよ」


苦笑いしながら美羽の言葉を否定する。

仕掛けた本人である僕が同じ手に引っかかるなんて、恥ずかしいにも程があるだろう。

けれど、美羽の目は相変わらず怪訝(けげん)な表情のままだ。


「髪が白くなったり、最近蛍色々おかしくない?

さっきもシチュー、お肉だけ残してたよね。

前もお弁当の唐揚げ残してた。お肉食べられなくなったの?」

「えっと、それは・・・・・」


事実を列挙(れっきょ)されて、思わず僕は口ごもった。

そういえばそうだ。昨日は髪が一気に白く染まった。明日どうなるかなんて考えたくも無い。

肉もそう。なんだか口に入れたくなくて。食べようとしても嫌悪感が湧いてきて。食べたらきっと()()()()()()と分かって。

結局、さっきシチューの肉だけ残してしまった。

最近の異常。対咎人に意識を向けて、思考の底に封印しているが、どうしても気になるのは事実だ。


「蛍の目、エメラルド色で綺麗」


僕の目を遠くから覗き込む美羽が、手合わせ関係なしに純粋な感想を口にする。

いよいよ僕は自分の目を確認したくなり、左手に鏡を創造して、自分の顔を映す。


あ、ほんとだ。目が綺麗な緑で――。



思考が唐突に途切れたのは、僕が自分の目に見とれていたからではない。

手に持つ鏡を突き破って、美羽の黒い腕が僕の首を掴んだからだ。


「!?!」


勢いそのままに、美羽は僕を地面に叩きつけた。

トレーニングルームの床にクレーターが生じ、そのまま僕の頭を床に押しつけながら、美羽は走り出した。

僕の頭部をむき出しの脳髄ごと削りながら、美羽は一気にトレーニングルームの壁まで到達し、僕を思い切り叩きつけた。

ドチャッ!!!と、固体と液体の中間の物体を叩きつける音がした。

思考が、できない。何らかしらの方法で思考が潰されて、想像できない。

左手で僕を押さえつけながら、右手に黒い塊を生成した美羽は、それを呟いた。


「顕現 不浄なる蝿王(ドゥルジ・ナス)

「!!?!?!!」


掌に凝縮される、世界の臨界点を軽く超える殺意を感じ取ったが、時既に遅し。

黒球は最速最短の動きで僕に叩き込まれ、全身を覆い尽くすように広がっていく。

どころかこのトレーニングルーム一切を消し去るかのように、美羽の前方にある壁が包み込まれた。

死ねと、殺せと、主の命令を受けて黒球は僕を蝕んでいく。


黒球の中は物理法則を超えた異世界そのもの。温度が天井知らずに上昇、絶対零度を超えて下限を繰り返し、異界の熱で全てを凍結させ焼き尽くす。

発狂死を免れない、この世全ての苦痛を凌駕する艱難辛苦(かんなんしんく)

呪詛と殺意を極限まで凝縮した爆弾。

身体が一瞬で消滅し、塵一つ残すことなくこの世から消え去る。

世界の全てを破壊し尽くして、黒球は0に収縮し、最後美羽の手によって握り潰される。


美羽の目の前。壁があったであろう場所には巨大な空洞が生じ、真空すら残らない無と化していた。

けれど、美羽の目は後ろに向く。

そこには顕現を叩き込まれる寸前、なんとか思考を蝕む毒を魔術で解毒し、ギリギリで顕現を発動させて逃げた僕がいた。


「・・・・・・・ちっ」

「舌打ち!?いや、確かに僕が不意打ち狙ったのは謝るけど、あんなの食らったら間違いなくお陀仏(だぶつ)だったよ!!?」

「加減はしてるよ。あのまま食らってれば()()()()で済んだのに。なんで避けるの蛍?」


なにか日本語がおかしい気がするが、美羽は不思議そうに『あのまま死んどけば私はハッピーだったのになんで避けるの?』という意味の視線を僕に送る。怖い。

最強の一撃を叩き込む程度には怒っているのだろう。ますます悪いことしたな。

絶対零度の視線に魂の奥底まで凍てついていると、美羽が溜息と共にその殺人的な気配を消した。


「というのは冗談で、本番はこれから。

何されたって不平は言わないから、遠慮無く不意打ちでも何でもしていいよ」

「あ、そう?ならよかった」

「うん。でないと特訓にならないから、ね」



そう言って、再び美羽に殺意が戻る。

ジェムとの戦いで、智天使の階段を上った顕現者の殺意。

それがもたらすのは莫大な質量、熱量。さっさと死ねと、物理的かつ霊的な超圧力がかかる。

全身にビリビリと淡い痺れが走る。

それを浴びただけで、一体幾つの宇宙と世界が壊れて消えるのか、皆目見当もつかない。


戦意を解き放った顕現者に近づくことそのものが本来自殺行為だ。

太陽に近づけば蝋の翼が溶け落ちるのと同じで、美羽という超存在に近づくことすら困難。

たぶん、今の美羽が格下の縄張りに入ろうものなら、その存在の巨大さで咎人もろとも縄張りが押し潰されるだろう。いつかのファルファレナのように。

だが、それは自分も同じ。だからこうして相対することができるんだ。


長刀を握る手に力を込め、最速最高の思考回路を形成する。

互いが互いを即座に殺せるよう、何が必要か何がいらないか、取捨選択を高速回転し数多の可能性を探っていく。


先に動いたのは美羽だった。

ゾブッと、床に腕を突っ込む。

触れた箇所はまるで泥のように液状化し、黒い泥が広がって瞬く間にトレーニングルームを覆い尽くして、白い空間が黒に塗りつぶされた。

床だけでなく左右の壁も、天井も。光と白が黒の波に浸蝕される。


危機を感じて空中に飛び、そのまま立つ。

黒い海の中に、何か(うごめ)くものがいる。

不特定多数で形状しがたいそれらは、空に浮かぶ僕だけを視界に捉え、今か今かとその牙を鳴らす。


「来い、フラフストラ」


美羽の言葉で、海が爆発した。

幾億もの、黒い水で構成された黒一色の化け物が飛び出し、一直線に僕に飛びかかる。


あるものは蛇だった。

あるものは蛙だった。

あるものは蝗だった。

あるものは蠍だった。

あるものは蜘蛛だった。

あるものは鳥だった。

あるものは豚だった。

あるものは熊だった。

あるものは猪だった。

あるものは人だった。

あるものは狐だった。

あるものは狸だった。

あるものは狼だった。

あるものは竜だった。


嫌悪すべき蛇蝎(だかつ)の群れ。魔物の巣窟(そうくつ)魑魅魍魎(ちみもうりょう)逢魔(おうま)(どき)の境界から召喚された化け物。

美羽は一瞬にして世界を蠱毒(こどく)の壺に変えてしまったのだ。

魔物の大きさはランダム。一メートルもない体躯のものも、五十メートルの体躯を誇るものもいる。


「くっ!はあぁぁっ!!」


毒液を滴らせる巨大蛇を切り裂き、長刀に光を溜め込みトレーニングルームに放つ。

光に蒸発し、幾千の化生(けしょう)が消し飛ぶ。切り裂かれた大地は再創造され、そこだけ元の白さを取り戻す。

だが魔物の数は変わらない。今も四方八方から僕めがけて押し寄せている。


想造。数には数で対処する。

万を超える武器が虚空に出現し、一体一体に狙いをつけ発射。

黒の魔物たちは切り裂かれ、宙にその残骸(ざんがい)(さら)す。

だがこれで終わりでは無い。残骸は速やかに黒の水に戻り、そこから元の形状を取り戻す。

魔物の強さもなかなかのものだ。僕の勘違いでなければ、一体一体が力天使や主天使と同格の力を有している。

そのレベルの魔物が無尽蔵に創造される。まさしく悪夢のような光景。


(けど、これくらいならなんとかなるな)


魔物を無視して美羽に接敵する。確かに一体一体の強さはなかなかだが、逆に言えばその程度では足止めもできない。

僕の行く先に、巨人が立ちはだかった。

黒い水で構成された巨人は、天を掴むと幻視させるような腕を振りかぶる。


(邪魔だ。消えてくれ)


想造。巨人はピタリと止まり、次の瞬間にはパッと消えた。

いかに美羽の創造物であろうと、想造の干渉力が勝る。


フラフストラの妨害を断ち切って、長刀の切っ先を美羽に向ける。

創造原理そのものであるこの顕現を食らえば、いかに美羽とはいえどうにもできないはず。

だが、突っ込む蛍を囲むように数多の魔方陣が出現した。


(これは、美羽の魔術かっ!!)


赤黒い魔術円から飛び出したのは血で濡れた剣、茨、杭、回転刃。

慌てて想造し、魔術を使い、長刀で切り裂いて、囲まれた窮地を脱する。

顔の皮膚が引き裂かれたが、被害はその程度で済ませる。


視界が霞む。感覚が鈍る。全身に回る毒を感知し、顕現で速やかに解毒。

そうこうしている間にも美羽の魔術は止まらない。

フラフストラの群れは再び版図(はんと)を広げながら、幾億もの牙を闇に(きら)めかせる。

地中から飛び出す大剣。魔方陣から連続で射出される剣。超光速回転の刃。隙間を縫うように無数の(いばら)が飛んでくる。

黒一色となった世界。たった一人に殺到する数の暴力。


対する僕も想像をフルに使う。自分の周囲に5重の障壁を張り巡らし、幾多の武器を創造し、とどめに長刀から極光の光を放つ。

神話の裁きをモチーフにした光は、莫大な熱を伴い照射(しょうしゃ)した対象を塩に変える。

無明の闇を切り裂いて、白を世界に取り戻す。


切り裂いた黒の先。迫る閃光を視界に収めて、美羽が唱えた。


「歪曲」


(まが)あれ。すなわち曲がれ。

美羽の前方の空間が歪曲する。そこはどこでもない場所に繋がり、閃光の行く手を阻む。

歪曲させた空間を、擬似的な障壁として機能させたんだ。

それだけではない。僕を中心として景色が歪んでいく。

自分の魔術やフラフストラも巻き込んで、空間が歪んでいく。

(きし)みを上げ、無理矢理外部から与えられる干渉に悲鳴を上げる。

やがて限界を迎え、ねじ切られ壊れる空間。


ガラスの破片のように、空間がはじけ飛び細かい断片になる。

巻き込まれた人間は、間違いなく空間と共に微塵になっているはずだ。

だが歪みの中心点。僕は無傷で剣を構えていた。

手に持つこの長刀。これがある限り、僕を巻き込んだ大規模攻撃には意味が無い。

切れば造り変える顕現。どんな事象や概念であろうと、それが僕よりも格上でなければ問答無用で効果を及ぼすのだから。

これは美羽の顕現も同様だろう。美羽の腕や脚など、黒化した四肢に触れたものは有象無象問わず壊される。当然、美羽の全身を丸ごと消し去るような攻撃も対象だ。

ゆえに、狙うは生身の部分への攻撃。防御が手薄な箇所への攻め。

広範囲を焼くミサイルよりも、相手の心臓を狙い穿つ銃弾。求めているのはそれだ。


同様の結論に至った美羽も、自分から接敵することに決めたようだ。

脚に力を入れる。全身から迸る黒炎が美羽を包む。

腕をゴキンと鳴らし、命を刈り取る最速の構えを取る。


その気配を感じて、今なお襲いかかる魔術と魔獣群を想像で蹴散らしながら迎撃の姿勢を取る。

交差する視線。ぶつかり合う殺意。

スタートは両者同時に。

瞬きの一瞬で距離を0にして、黒腕と剣が至近距離でぶつかりあう。

想念の結晶である顕現。この世で最も強く、価値あるもの。自分にとっての絶対を真っ正面から振り下ろす。

破壊と創造。互いの能力と理を無効化しながら削り合う。

ガッキィィィィン!!!と鋼がぶつかり合う音がして、結果両者とも傷無し。


床を滑り、即座に体勢を整えて、二撃目を用意する。

黒炎が渦を巻く。それを切り裂いている隙に、視界外の美羽が蹴りを放った気配がした。

しかしその速度。これまでの比ではない。


最大の教師は敵。

今日粛正したジェムはこう言っていた。

スピードは戦闘において重要なファクター。だからそれぞれ工夫するのだと。


だから今自分ができる工夫を精一杯成す。

体内の時間操作。空間移動。因果の操作による過程の消去。

列挙し、試行する。

先ほどまでの二人ですら、残像を見ることすらできない速度域を更新する。

後頭部を狙った蹴りを、僕は同じように加速して長刀で防ぐ。

互いに狙っていることは同じ。いかに相手の一撃を防ぎ、自分の攻撃を叩き込むか。


受け止めた蹴りの威力をそのまま利用し、下から振り上げられる剣閃。

美羽は避ける。そのまま接近戦を続けようとして、突如剣が切り裂いた地面から植物が産まれた。


巨大な樹の根。(つた)。それらが美羽に絡みつき、ほんの一瞬動きを止める。

ヘレル・ベン・サハル。切断したものを自分の意思の通りに再創造する顕現。

天地創造を成し遂げるその顕現にとって、大地を切り裂いて植物を生成することなど朝飯前。

一瞬止まった美羽に対して長刀を振り下ろす。加えて美羽の後方には数多の武器群を創造済み。この距離、外すなどありえない。

だが攻撃が届かない。先ほどと同じく歪曲した空間が、それを許さない。

斬撃は遠く離れた場所に刻まれ、後方から突き立てる武器は見当違いの場所に突き刺さる。


そうこうしている間に、炎によって植物が焼き尽くされ、その場を退く美羽。

壁のように立ち塞がる黒炎に遮られ、追撃の機会を逃した。


空間の歪曲による防御。厄介だ。

あれがある限りこちらの攻撃が一切届かない。美羽の周囲、防壁のようにそれを展開し、隙がない。

どうするか。脳内で解決策を数十、数百見つけ出し、有効的なものを2、3に絞る。


魔術。例えば世界に存在する魔剣・聖剣の伝承を挙げる。

『血を吸うごとに切れ味を増す』『鉄や石を容易く切断する』『必ず殺す』『切った傷が癒えない』『狙った獲物を逃さない』

それら伝説の効能を一時的に付与。主に切れ味、強度の増加を主目的に力を込める。


加えてルーン文字。指を噛みきり血で長刀に、戦神テュールを意味するルーン文字を刻み込む。

1000,2000・・・・・。

超高速で指が動き、刀身が真っ赤になるほど殺傷力に特化させる。


(全ての神々の中で、最も勇敢なる神テュール。

汝の力と神威(かむい)を授け給え)


北欧神話に登場する戦神テュール。

アラディアさんの話によると、かつてテュールは戦争や詩の神オーディン以前の主神だったとか。

その信仰は、テュールという名が神を現す一般名詞になるほど。

だが時代とヴァイキングの信仰は移り、主神の座を追われることになった。


伝説によると、いずれ破滅を招くフェンリル狼を封印するために、テュールは右腕を失いながらもその役目を成し遂げた。

身体の一部、特に四肢が欠けている者が王座に就くことはあまりない。それはケルト神話のヌアザ神の例でも確認できる。王権の喪失(そうしつ)を意味するからだ。


そんなことを一瞬のうちに思い返して、その戦神に力を乞う。

長刀を介して、全身にみなぎる異次元の力。

あの障壁を突破する方法。僕が選んだのはつまるところ、ただの力押しに違いなかった。


だが侮るなかれ。膨れ上がる力が、まるで地鳴りのようにトレーニングルームを揺らす。

あれこれ考えるより、ごり押しで成し遂げられることもある。

その力を一挙に刀身に集め、全てを切り裂けと(はし)らせる。


初動で最速に到達し、閃光になった蛍は、そのまま美羽に長刀を振り下ろす。

白い一筋の線が、歪曲する空間の先にいる美羽にまで走り、

歪んだ空間ごと、その先にいる美羽の両腕を切り裂いた。


「!!」


肘から先を切り落とされ、血の代わりに黒い液体が空中に散る。

切った腕の先から身体が塩に変わっていく。それと同時に、蝕んで行くように身体の動きが止まる。

塩結晶の形に封印されていく。何もしなければこれで詰み。

しかしこれだけでは終わらない。決定打を入れるために、至近距離から長刀を横に振るう。

だが髪が乱れたその先、美羽は薄く笑っていて。


「――なっ!」


長刀が到達する前。美羽の身体が蠢き弾け、黒い液体とともに美羽の中から幾千もの血と羊水に濡れた凶器が現われた。

槍が、鎌が、大剣が、斧が。赤く濡れた鋼が華のように咲き誇り、全身に突き刺さる。

それと同時に牙を突き立てる魔獣たち。今の美羽はその身体そのものが魔獣の巣窟になっている。

接近してくることは想定内。見事僕は誘い込まれてしまったようだ。

魂に走る激痛をこらえながら、武器をへし折り魔獣を千切り、串刺しの状態から脱する。


美羽は欠損部位から腕が生え、元の形を取り戻す。

これでは黒い水が人の形を取っているようなものだ。美羽は人の形を失うことに抵抗を感じていたが、十分人外じみていると思う。

痛み分けの結果となった二人は最初の位置に戻り、次なる激突に備える。



次回、黒白

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