第二十七話 異常の日常
前回、ニライカナイ
今回懐かしい『あいつ』が登場します
「うっっっま!!!なんすかこれ、めちゃくちゃうめぇ!!」
俺たちはその後、ニライカナイ最大の飲食店『ダイニングテーブル』に立ち寄った。
早くて旨いという噂は本当で、席に座り料理を注文したらものの数分で料理が運ばれてきた。しかも全品無料。
俺が食べているのは大きなロブスター。真っ赤な殻に対照的な湯気を立てる白い身。
これがうまいのなんの。身がプリップリで噛むのが楽しいわ塩味と甘さが上手く調和されてるわ匂いも素晴らしいわ、嬉しさのバーゲンセールにも程があるぜ。
口いっぱいに放り込める身の大きさ。そのロブスターがあと五匹も残っている幸せ。
奥まで身がぎっしり詰まってる。一欠片も残すまいと殻の奥まで指でほじくる。
水はセルフサービス。だけど水も単なる水じゃない。
コップを持ち上げても、重さがまったく感じられない。
変な匂いもしない。霞のように喉に透き通っていく。
周囲では同じように、椅子に座ってニライカナイの住人たちが食事を楽しんでいる。
楽しげな喧噪が絶えない。程度はあるとはいえ、皆が食事を楽しんでいるようだった。
いつも見ている血みどろの世界が、この一瞬だけは見えない。
早くも二体目のロブスターに手をかけた時、自分の頼んだパスタに未だ手をつけていない店長が、
「女神ペルセポネはザクロを食べて冥界に囚われ、白雪姫はリンゴを口にした途端に死んだ」
「?」
「集君。突然ですが、貴方は黄泉戸喫って知ってますか?」
「え、あれですよね。黄泉の食べ物を食べたら元の世界に戻れなくなるって――」
言いかけて、俺は手と口を止めた。
自分が食べたロブスターと、店長が未だ手をつけていないパスタを見比べる。
そして俺が言った黄泉戸喫という言葉の意味を改めて思い返し、ある可能性に思い至った。
血の気が一気に失せ、唇がわなわなと震える。
「え、店長、まさか・・・・・・」
「あはははは、冗談ですよ。
お客さんに対してそんなことするわけがありません。
ですが、黄泉戸喫を元にした魔術ならたくさんあります。
同じ釜の飯を食うとは、その共同体に属するということ。
死者の国の者を食べれば、自らも死者となる。
ですから誰かに食べ物を渡されたら警戒してください。葦の国に戻れなくなりますよ」
「・・・・はい、気をつけます」
この世界の事情に詳しい店長の言うことだ、信憑性がある。
俺は改めて二匹目のロブスターに手を伸ばしかぶりつく。
その時、店内を飛び回ってるテレビ画面から、ことさら大きな声でニュースが報道された。
見ると、兎耳がついているフード。短い茶髪に紫と緑のオッドアイ。顔には奇異な紋様。ゴスロリドレスを着て、何らかの動物の尻尾がついた属性てんこ盛りの小柄の女性がぴょんぴょん跳びはねながら、テレビ画面からこんにちはしていた。
『みんなー!ここでニュースですよー!
先ほどまで南側で暴れていた七罪・憤怒のイーラ。ガーデナーの粛正者により見事再封印が成されたとのことでーす!
軽く見積もって数十兆単位の命が消し飛びました!戦闘が行われた場所は燃えさかる炎で何もかも沸騰しています。
残り火は最低でも三日は燃え続け辺りを焼き尽くすでしょう!
しかしイーラは不死の炎。何度封印を施しても一ヶ月後には易々と鎖を引き千切っちゃいます!
事態を収束したガーデナーに拍手を!そして、イーラ。一ヶ月後また会いましょう!!チャオ!!!』
画面には焦土と化した地形が映る。大地の亀裂は赤く発光し、ゴポゴポとマグマが煮えだっている地獄。
なんとも軽快かつ楽しげな声で、被害状況と事態の収束を報告するニュースキャスター。
俺がいつも見てるニュースと比べて、真面目にやっていない様子がよく分かる。
けど、対照的にとても楽しそうだ。
それを見た客席の反応は。
「数十兆か、今回は少なかったな」
「あー畜生!今度こそはイーラの奴が勝つ方に賭けてたのになあ!!」
「イーラが現われてこれで何度目の封印だ?5000はいってるか?」
「正確には4972度目だな。一々数えてたから憶えてるぜ」
「封印が温いんだよ。永続的に霊格ごと縛り付けねぇと何度でも繰り返すぞ」
「無理無理。イーラはその程度で止まらねぇよ。この前封印専門家が2万4904通りの方法で封印しようとした結果逆に殺されちまったじゃねぇか。その場その場の足止めが精一杯なんだよ」
「イーラはね、一種の浄化装置だと思うんだ。今回現われた南側は小汚い連中が多いだろ?」
「いや、その理屈だとイーラの進路方向が毎回違うことの説明にならないだろう。この前は比較的綺麗な西で暴れたじゃねぇか」
「どのみち奴は自由放置されている眷属。主君が認めない限り何度でも蘇りかねん」
「一ヶ月単位で復活すると言わてるけど、細かい日時は毎回ランダムなのよね。だからガーデナーもいつ復活するか内心ドキドキしてるのかも」
「いやいや、もう慣れてるでしょ」
「あー、裂喰女ちゃん今日も可愛いなー。結婚したい~」
「希望を叩き割るようで悪いが、裂喰女には恋人がいるって話だぞ」
「嘘だあ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ーーーーーーーーーーー!!!!!!」
それぞれが、各々の感想を口にする。
数字が馬鹿げていて現実味がないのか、それとも当たり前すぎて疑問に思わないのか、数十兆の住人が死んだことを悼む者が誰一人としていない。
店長はどうだ?俺はテレビを見ている店長を見る。
店長はパスタを食べながらテレビを眺めている。
が、俺の視線に気づいたのかこちらに顔を向けた。
「知っていますか?あのニュースキャスターの裂喰女という方。実は羽鶴女さんのご親戚だとか」
「・・・・・・・・・え?まじっすか?」
「まじです。昔羽鶴女さん本人から聞いたことがありましてね。
仲の良い友人がニライカナイでニュースキャスターをすると言い出したそうなのですよ」
「へ、へえ。羽鶴女さんにあんな知り合いが」
俺は改めて画面を見る。
一度見れば嫌でも脳に刻み込まれる姿のニュースキャスター。今もピョンピョン飛び跳ね、今日起きたニュースを楽しげに報告している。
彼女が羽鶴女さんの親戚ね・・・・・。
「裂喰女さんがニライカナイに行くと言って、羽鶴女さんはもちろん反対しました。
危険ですし危険ですし、何より危険ですから。
ですが、裂喰女さんはこう返したようです。『死ぬのが怖くて報道なんかできるかヒャッハー!!』って」
「はは、世紀末な方なんですね」
三匹目のロブスターを食べ終え、残り二つのロブスターに手をかける。
しかし、このロブスターは細かい量まで考えられている。
てっきり食べ進めたら腹に来ると思っていたのだが、そうでもない。
味に飽きがないだけでなく、胃にも優しい仕様。
残り一つのロブスターを食べたところで、見事腹八分で収まりそうだと俺は安堵した。
「しかし店長が言ってた通り本当に美味しいですね。
こんなことなら美羽ちゃんと蛍君も連れてくればよかった」
「大丈夫ですよ。『ダイニングテーブル』はテイクアウトにも対応しています。
桃花の皆さんにお持ち帰りはできますから、後で皆にも食べてもらいましょう」
パスタを食べ終わった店長が、窓から外を一望する。
俺も釣られて外を見る。相変わらずバラバラの景色。古代と中世と近代と近未来と遠未来がごっちゃであふれかえっている。
下を見れば奈落に通じているのではないかと思わせる暗闇が広がる。蜘蛛の糸のように張り巡らされている道路が、建築物の隙間から垣間見える。
上を見れば絵の具をぶちまけれたのではないかと思わせる極彩色の宇宙。空中に浮かぶ家、城、街。あ、今半透明の鯨が横切った。
時代も背景も土地も文化も住人も、何もかもが違う超多文化社会。
何もかもがバラバラな世界で、それぞれがそれぞれの価値観と意思で生き、世界にその存在を刻む。
そこから目を離した店長が、サングラスの位置を直して、俺に向かい合う。
「さて、集君。せっかくニライカナイに来ましたから、自由行動していいですよ。
ガーデナーに顔を出すまでまだ時間があります。
散歩するなり何か買ってくるなり、頃合いを見て呼びますのでどこへでも行っていいですよ」
「ほんとですか!待ってました!
実はずっと楽しみにしてたんですよ」
最後のロブスターを頬張りながら、俺は喜色を顔の全部で表現する。
そうだよ。このままだと観光地に来て観光せずに帰るようなものだ。何しに来たんだよ。
初めて来たニライカナイ、ということで恐怖心はある。だけど、それでも好奇心が勝る。それに用事もあるし。
店長が空気中に電子的な画面を表示して、それがスクロールして俺の目の前に展開される。
そこには店や家屋、主要機関などが色分けで表示されていた。Goo〇leマップみたい。
「あまり地図など役に立ちませんが、中央部はいつも変わらないはずです。
この辺りはいつもお祭り騒ぎするくらい賑わっていますから、初めて来た人におすすめできるのはここでしょうね。
危険だと判断したらすぐさま駆けつけますからご安心ください」
「毎度わざわざすいません。
じゃあ行ってきます!」
ロブスターを食べ尽くした俺は、殻を皿の上に置いて立ち上がる。
食器は後で店員が勝手に片付けてくれるらしいからそのままでいい。
さあて、地図をぱっと見しただけでも行きたい所はいっぱいあった。
店長の言う頃合いまで、精一杯観光を楽しもう。
■ ■ ■
店長はお祭り騒ぎが連日行われていると言った。
まさにその通りで、俺が向かった商店街は耳をつんざく音で溢れていた。
歓声。叫声。怒声。時々悲鳴。
30秒に一回はどこぞで爆発が起きて、そのたびに誰かの血が飛び散る。
それを気にすることもなく、道行く者は自分の道を行く。
それにしても、予想していた通り人型が少ないな。
蠢く蛇のような影が俺の近くを通り過ぎた。足が五メートル以上もある多足生物が器用に通行人を避け街を行く。
豪華な衣装に身を飾るペンギンが、ペチペチと可愛らしく王様の如く闊歩する。
紳士服を着た鶏の周りを、ボディーガードらしきひよこ四羽が囲み、厳重な体勢で鶏を護衛する。
他にもゴブリンやらオークやらリザードマンやらスケルトンやら、アニメとか漫画とかでしか見ないそれらが間近で見ることができる。
いやぁ、人口密度が半端ないな。人じゃないけど。
ここに訪れた人はまず街並みに驚くだろうけど、次に驚くのはその人口だろう。
当然、客引きやら勧誘やらの声も途絶えることがない。
「そこの人、お代はいらねぇからこの『ガネーシャ』はどうだい。
え?『ガネーシャ』ってなにかって?
かの快楽王が作った特製のドラッグのことだよ!
舐めただけで魂が昇天しちまう一級品さ!
普通の麻薬に飽きたんならおすすめだぜ。依存率1000%の劇薬だからな、あははははは!」
「貴方、忘れたい記憶はありませんか?私ならその記憶を痕跡ごとこの世から消してあげられますが」
「へい兄ちゃん!ゲームのアバターみたいに、自由に自分の体でキャラメイクしたいんなら『イデアルカスタマイズ』がおすすめだー。今なら性転換までなら無料だよ」
どう考えてもやばい言葉のオンパレードだ。
勧誘の手をすりぬけ、俺は道を進む。
さて、俺が目をつけた店はどこかな。
確かこの先を曲がって裏道に入った三軒目横にある店のはずだ。
裏道に行くと道行く者は少なくなったが、それでも自分の三メートル位内に二人はいる密度。
やがて現われる木造の、雑貨屋のようなお店。窓から光があふれ出るが、外から覗くと中の様子が見えない。
扉のノブを掴んで、引く。
チリンと鳴り響く鈴の音。
目の前にカウンターがあった。木製の椅子に座ってギーコギーコと身を揺らす主人は、座っているが俺よりでかい。立ったら三メートル以上はあるな。
人型。だけど全体的に太って丸まってるな。首が見えない。童話に出てくるおじいちゃんみたいだ。
新聞を読んでいる彼の眼は細すぎて、閉じているようにも見える。
鈴の音を聞いて、球体のように丸まっている彼がこちらに目を向けた。
「おんや~?客だなんて珍しいな。どしたあんちゃん」
「えっと、ミニオンショップってここですよね?」
俺は念のため、彼に店の名前を確認する。
ミニオンは使い魔の一つの言い方。だからここは使い魔を専門で売買するはずだ。
問われた彼は頭をポリポリと掻いて、重い腰を立ち上げる。
「あ~、あんちゃん使い魔が欲しいのか。
奥だ。ついてきな」
丸太のような足で、店の奥、カーテンで仕切られたその先へ消えていく。
俺もその背中に続く。カーテンを開くとその先には、
「ガラス瓶?」
まるで図書館のように、何列にも分けて並ぶ棚。
その棚に間隔を空けて置かれているのはガラス瓶。一つの棚に50個くらいある。
その中には植物が入っていたり、山が連なる山脈地帯を模したものがあったり。
まるで自然風景そのものをミニチュア化したような。風景の一部を切り取ったような。
こういうのを、確かテラリウムって言うんだっけか。あれ、店間違ったか?
「容器の中の宇宙。
聞いたことないのか?その名の通り、容器の中に造った宇宙だ。市販でも売ってる」
「随分スケールが大きいですね。そんなもんが流通してるんですか」
「そりゃあ、ここはニライカナイだからな。
詳しい話は知らねえが、内部の自由度を弄って、あとは少し調整すれば好きな環境を再現できるって代物だ」
別名、『フラスコの中の宇宙』。
ニライカナイで多く用いられる代物であり、店主が言ったとおり市販で普通に流通している。
容器の形もなんでもいい。ペットボトルでも空き缶でも、置き場所に合わせてサイズを変更することができる。
用途は様々だが、主に研究で重宝される。様々な天地創造説を検証したり、歴史の変化を観測したり等。
そしてここの店主は使い魔の入れ物として使っている。
理由は単純。
「うちの使い魔は全て天然だ。そして良質な環境で育ててる。
ケージに入れとくとストレスが溜まっちまう。ペットもそうだろう?というかこんな小さな店に入りきらない奴もいてな。
ちょうど良い入れ物なんだこれは。どこまでも走り回れる上に身の危険が迫ることもない。餌も充分ある」
「なるほど。この小さな容器の中に入れてるんですか。
というか、天然ってどういう意味ですか?」
「・・・・・・あんちゃん、ニライカナイに来るのは初めてか?」
少しの沈黙の後、彼が疑問を浮かべる。
けど仕方ないだろう。ここでは常識と思われている単語が続々と出てくるが、俺はそれを知らない。
聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥だ。
ここは一つ彼に教えて貰おう。
店主は違う棚を見ながら説明する。
「ニライカナイじゃ魂の創造なんざ珍しくもなんともない。生命のデザインもな。
そもそも外では全能なんて言われてる奴らが跳梁跋扈してる世界だからな。そんな奴らからすれば、一生命体の創造なんざわけもない。
そうして人為的に作られた魂や存在を『加工物』と呼んで、自然に発生した存在を『天然』と呼び区別してんだ」
「それって、見分けとかつくんですか?クローンみたいなもんですよね」
「難しいな。見ただけじゃ分からねえ。だが、加工物に一つ共通していることがある。
作られた魂は、決して顕現を発現できない。つまりどれだけ育てても三層より下には行けないってことだ」
「顕現を?どうして?」
「さあな。それは、塔の学者共が今も解明しようと無駄な足掻きをしてる最中だ」
無駄な足掻き。辛辣な言葉だが、つまりそれだけ解明するのは不可能だということ。
察するに、これまでも顕現についての研究を塔の研究者はしているのだろう。
だが長年かけてもその正体が分からないまま。だから無駄。
店長もいつか言ってたな。顕現は不思議なことが多いって。
「顕現の有無。葦の国じゃどうとでもないが、堅洲国じゃあ重要な問題だなあ。
ここは全てが許される世界。自分の法と想念を、思うがままに発揮できる世界。
こと自分の想念の結晶である顕現は、個人が持つ最大の価値だ。
加工物にも同情することがある。どれだけ願ってもそれが得られないんだからな」
店主はそう言って、いくつかの瓶を手に取り俺に差し出す。
「顔を近づけて見てみな。中の様子が分かる」
言われた通りに、俺は森の中を再現した瓶の中身を見る。
吸い込まれるように、俺の視界はその中に入り込む。
目に映ったのは白い鹿。鹿といっても馬ほどの大きさで、足下の草を食んでいる。
「探索用の使い魔だ。堅洲国でなくても日常生活で使えるぜ」
「あの、戦闘用の使い魔はいますか?」
「戦闘用?いるっちゃいるが、どういうのがお好みだ?」
「どういうの、か・・・・・・。
どういうのなんでしょうね。とにかく見せて貰えませんか?」
店主はありがたいことに、一通り使い魔を見せてくれた。
幾千万ものイナゴの群れ、影のように実体がない獅子、雷を纏う猪に、氷と炎を操る蜥蜴。
戦闘用といっても様々な使い魔がいる。主の戦闘を補助するものも、一緒に戦闘に混じるものもいる。
選択肢が多いのはいいことだが、同時に悩むな。
数十のガラス瓶を前に悩む俺に、店主は告げた。
「あんちゃん、もしかしたらあんちゃんの欲しいもんはここにないかもな」
「え?」
店主の言葉に耳を疑う。
俺の欲しいものがここにない?
あれか?あまりにも俺がもたついてるもんで時間の無駄と思われたか?
違えよと、店主は続ける。
「使い魔ってのは確かに用途ごとに使い方があるが、顕現者の戦闘についてこれるやつはそうそういない。今から揃えるのは手間だな。
あんちゃんあれだろ。たぶん粛正者だろ?
同僚か、あるいは先輩から新しい攻撃手段の一つでも揃えてこいって言われたんだろ?」
図星だった。この人、見かけによらずなかなか鋭い。
「顕現者の戦闘についてこれるもの。
それならもっといい場所がある。あんちゃんの顕現に、最適な武器を作ってくれる店が」
店主はどこからともなく紙を取り出し、それに何かを書いていく。
数秒後書き終わったであろうその紙片を、俺に手渡した。
「コシャル・ハシス。聞いたことないか?
心の御柱で鍛冶・武器製造を担っているコミュニティだ。
高名な熾天使もそこに通ってるって話だ。品質は保証する。
物は試しだ、一度行ってみな。少なくとも使い魔なんざ比べものにならねぇはずだ。
その紙にはコシャル・ハシスまでのルートが刻まれてある。
そんでどうしても使い魔が欲しくなったら、またここに来な」
■ ■ ■
結局その後俺は店を出た。
あの人の言う通り、一度コシャル・ハシスまで向かうことにした。
初対面なのに色々お世話して貰った。いい店主だ。
再び俺は街道に。様々な種族でごった返しているこの道を、不慮の巻き添えを避けながら目的地まで歩く。
加えて足下にまで注意を向けないといけないのだから困ったものだ。小人や虫、果てには小さな円筒が足を伸ばし這いずっている。
知ったことではないと踏み潰すものもいるが、俺はそんなことをしたくない。
彼らに聞けば、『お前らだって蟻を踏み潰しているだろう。その大きさが変わっただけだ。何を躊躇う』とでも言うんだろうか。
『god bless you.
god light you.
if you are right、gods giht falling from heaven in the form of manna』
周りの建造物に取り付けられたテレビ画面から、とある歌が聞こえてくる。
その歌を聴いて、俺は思わず足を止めた。
内容的に賛美歌、か?
いや、そんなことよりもだ。
この声。この歌い方。
透き通る清涼剤のような、
春に降る雪のような、
泣いているような、それでいて笑っているような、
場面場面で、子供と大人の声を使い分けているような、
使い古されている言葉だが、天使のような歌声だ。
俺はテレビ画面を見る。
そこに移っていたのはイラスト、そして白い文字で歌詞が表示される。
どこかで聞いた、なんてもんじゃない。いつも聞いてるこの声は――
「あ、あの。あれ歌ってる人って誰か知ってますか?」
俺は道行く一人に声をかけた。
万が一、億が一でも聞き間違いの可能性を潰すために。
人の身体にテレビ画面が頭部の奇妙な方は頭を傾げ、その返答がテレビ画面上に表示された。
『誰って、歌い手の粉ニマじゃないのか?』
!?・・・・!!!?・・・・・・・!!??!!!???!?
今日最大の衝撃に、俺は一瞬自分の全てを喪失した。
五秒後、混線した脳内を無理矢理落ち着かせ、俺は再びテレビ画面を見る。
この声。そうだよ、そうだよな。
俺が毎日聞いてる粉ニマさんの声だよな。
いや、重要なのはそれじゃない。
なんでニライカナイの住人が粉ニマさんのことを知ってるんだ?こういっちゃあれだが、俺のいる世界の一歌い手だぞ。
葦の国全体で言えば歌い手なんて無限にいる。それを、なぜピンポイントで。
『なんでって、粉ニマはニライカナイで歌ってみた動画あげてるからな』
What!??!
ええと、じゃああれか。粉ニマさんはここに住んでいると?
え、じゃあ俺がいつも聞いてるあれはなんだ。
『さあ?誰かが葦の国でも動画あげてるんじゃないか?』
ニライカナイの住人も、詳しいことは分からないようだ。
俺は未だ全身を駆け巡る衝撃に心を奪われていた。
情報の影響力というのはすごいものだ。わずか少しの会話だけで、俺の心臓がバクバクして止められない。
そっか、この広いニライカナイの中に粉ニマさんがいるのか。
なんだかニライカナイがとても素晴らしい場所に思えてきた。
俺は質問に答えてくれた人に礼を言い、歌が流れてくるテレビ画面に近づき、その声に耳を傾けた。
透き通る歌声。いつも聞いているその音。
呆然と立っていたのは果たして何分か。
忘我の中で、心の中に飛び込んでくる魂の波動をずっと受け取っていた。
「なるほど、いい歌声ですね」
一方、否笠はダイニングテーブルの中でそれを聞いていた。
否笠が座っている席は外に近い。少し顔を寄せればニライカナイの乱雑な景色が見える。
店内でも粉ニマの動画が流れ、否笠は新たに注文したチャーハンを頬張りながら静聴していた。
以前、集から紹介があり聞いてみたが、なかなかの美声。
例えるなら、そう、まるで天使のよう。
ニライカナイに歌姫と呼ばれる存在は多々いるが、その者たちと比べても劣らない音色。
(しかも、触発型ですか。
本人が気づいているかどうかは分かりませんが、堅洲国では重宝されるタイプ。
咎人たちにとってもここに飾っておきたいはず。勝手な想像ですが、籠の中の鳥ですかね)
否笠が考え込んでいると、奥からドカドカとこちらに一直線に歩いてきた男を捉える。
その人物は否笠の前方、先ほどまで集が座っていた席にいきなり腰掛けた。
無論、知り合いではない。
誰だ?・・・・・ああ、彼か。
突如現われた謎の人物は、黒いローブを纏い、フードに隠された隙間からしたり顔を覗かせる。
そして胸元にある戦乙女のエンブレム。
軽薄な声で、彼は否笠に話しかけた。
「久しぶりだなぁ、老人。
元気そうで何よりだぜ」
「貴方は、ヴァルキューレのリーダーさんですか」
否笠は、久しぶりに会った彼を思い出す。
『ヴァルキューレ』。ニライカナイに居を構え、葦の国で顕現者の誘拐・拉致を担当するコミュニティ。
かつて、高欄帳という顕現者を保護する際現われ、否笠と対峙したヴァルキューレの一体。
粛正機関に属する否笠とは敵対関係。どころか高天原からも要粛正対象に認定されている咎人だ。
「そういや、本名言ってなかったな。
俺の名前はファミリアってんだ。まあ、憶えなくていい」
「今日はあの二人はいないのですか?」
「二人?ああ、マリノとリックのことか。
仕事は他の奴に任せてあるから二人は休暇だよ。
休みくらい一人でゆっくり過ごしたいだろ?」
「まあ、そうですね」
まるで友人のように会話する二人。
本来なら、否笠はすぐにでもファミリアと名乗った男を粛正すべきなのだろう。
だがここはダイニングテーブル。食事をする場所。それ以外のいざこざを持ち込む場所ではない。
例え敵対関係であろうと、二人とも最低限時と場所を弁えてはいる。
だからこそ、ファミリアは偶然見つけた否笠と話すために近寄ったのだろう。
否笠も否笠で大雑把な性格なので、今ここで敵だ味方だなど論ずる気などさらさらなかった。
「そういや、あの時の顕現者のガキ。あの後どうなったんだ?」
「無事保護されましたよ。今はお兄さんと一緒に高天原で過ごしています」
「・・・・・・・・・そうか」
それを聞いたファミリアは、何かを考えるように目を下げた。
「未練があるのですか?」
「まさか!
俺たちだって忙しいんだぜ?顕現者が観測される度にあんたら粛正機関や高天原よりも早く拉致んないと行けないんだ。
たかが一人に未練も感じてらんねぇよ」
忙しい忙しいと、彼は大仰な手振りで肩をすくめながら続ける。
「世界は無秩序な増大を望む。世界が増えれば顕現者も増える。
すると俺たちの仕事も増える。お互い楽じゃねぇな~。
俺たちも多忙でね、最近人員を増強しようか考えるところだよ」
「それは勘弁願いたいですね。私たちの仕事も増えてしまいます。ただでさえ今は忙しいのに」
「あぁ?咎人でも殺しまくってんのか?」
「いえ、ある咎人を追っていましてね。ファルファレナという咎人を知っていますか?」
有益な情報など期待していないが、もしものこともあるだろうと否笠は質問する。
ヴァルキューレ程のコミュニティなら、最近の情勢をいち早く察知しているはず。
せめて特徴なり顕現なり知らないものかと、望み薄だが否笠は聞き出す。
対してファミリアは、
「ファルファレナ?あぁ、あいつね。懐かしい名前が出てきたもんだ」
「知ってるんですか?」
「知ってるもなにも、あいつを咎人に引きずりこんだのは俺だぞ」
「・・・・・・・・・は?」
思わず素の声が出てしまった否笠。頭上にはクエスチョンマークが浮かんでいる。
それに構わず、ファミリアはその時のことを話だす。
「初めて会ったのはいつだったかな~?
どこかの平行世界に行って、仕事のついでに面白そうな軍人がいたからそいつを勧誘したんだよ。
そん時はファルファレナなんて名乗ってなかったな。まあ忘れたが。
今は堅洲国中に蝶をばらまいてるんだっけか?ははっ、面白いことするじゃねぇかあいつ」
嬉々として語るファミリア。それを聞いていた否笠は頭痛がしてきた頭に手を当てる。
ああ、なるほど。なるほど、つまり。
全ての元凶は目の前のこいつだと。
こいつがファルファレナを教唆した結果、今自分たちは早急な対応に追われているのだと。
時と場所は弁えるが、一瞬否笠は目の前のファミリアをぶった切りたい衝動に駆られた。
だがそれを抑え、せめて有益な情報を探ろうと思った。
「貴方がファルファレナを咎人に引きずり込んだとして、彼女の顕現がどのようなものかは分かるのでは?」
「残念だがなぁ、老人。俺は一から十まで全部話すほど親切じゃねぇよ。
つーかあんたらでもどういうもんか薄々予想ついてんだろ」
「あくまで予想の域を超えません。可能な限り近づけたいのですよ」
「ふぅーん、そうか。
実を言うと俺もあんまり知らねぇんだ。
けど、ヒントを一つ言うなら・・・・・」
彼はニヤニヤしながら指を一つ立て、その言葉を呟いた。
「奴が目指してるのは、『天国』だよ」
次回、ヴァルキューレの事情