第二十六話 ニライカナイ
前回、決着
おまけ編です。先にネタバレしておくと、情景描写や説明が主で、戦闘描写はありません。それと、次回以降も今回のように一話一話の文量が多くなる可能性があります。
あっちを見ても、こっちを見ても、上下左右全てが赤で染まっている。
踏みしめる大地には骨が混じり、グチャリと何かを踏みつければそれは生々しい肉だ。
空気はもれなく濃い血の臭い。ほんの一瞬呼吸しただけで、数千万に匹敵する戦火の香りが鼻に叩き込まれる。
血のように赤い世界。堅洲国。
俺――海曜集は店長である否笠さんに連れられ、その紅の世界を歩く。
といっても、今回俺たちは咎人を粛正するわけではない。
堅洲国内部に存在する異界、通称『ニライカナイ』を訪問するためにそこにいた。
前を歩く否笠は、道中ニライカナイについて説明する。
「まずニライカナイとは、堅洲国に存在する異世界のことです。
堅洲国は1~9層に分かれたバトルフィールドと、そのニライカナイを合わせて構成されていると思ってください。
前者が私たち粛正機関や高天原が担当する粛正場所。後者が、これから私たちが向かう粛正機関・総本部の粛正領分です」
「てことは、ニライカナイはその総本部が一手に担当しているんですよね。
大丈夫なんですか?ニライカナイってやばいところって聞いたんですけど」
「ふふ、そう考えるのも当然ですね。
なんたって天使から熾天使まで、堅洲国では住み分けができている住人達が一堂に会する場所です。
加えて葦の国から移住してきた客人の手により様々な技術や価値観、思想がもたらされる文明の終着点。
異なる宗教、信条、価値観、文明、倫理、道徳等々が一箇所に押し込まれる。これでトラブルが起きないほうがおかしいですね」
「あ~、なんか想像できそうなできないような」
パッと頭に思いついたのはアメリカ。だが平行世界中から色んな存在がニライカナイに来るということは、宇宙規模を軽く超えた超多文化な世界なのだろう。
・・・・・・駄目だ。どう考えても平和な世界が思い描けない。
なまじ堅洲国のバトルフィールドを見てきたから、ここでは赤く染まった世界以外を想像できない。
「もちろん問題は起こります。というか毎日起きてます。
一時間で兆とか京単位で死にますが、それは珍しくもない日常風景。なんなら毎日世界が滅びかけてますからね。
咎人もそこに住んでいますし、なんなら咎人たちのコミュニティだって腐るほどあります。
そんな彼らが唯我独尊を唱え、自分の法に従って活動したらどうなるか。想像に難くありません」
「はい。色んな意味で終わりますね」
「そんなニライカナイの秩序を保つために存在するのが粛正機関・総本部。
正式名称、粛正機関・ガーデナー。
粛正機関の中で最大規模の人員を誇り、熾天使とも渡り合える精鋭揃いです。
誇張でもなんでもなく、最大最強の粛正機関。
そんな彼らが最前線で対処していますから、ニライカナイはなんとか日々存続できています」
「熾天使とも・・・・・・」
それを聞いて俺は思考する。
この前俺たちが遭遇した咎人・ファルファレナ。
一瞬だが、画面越しで見たあの神威。あの圧倒的な暴威。
それに比肩する粛正者たちが存在する。それはとても心強いことだ。
え、だとしたら、今日俺たちがガーデナーを訪れるのって――
「あの、もしかしたらファルファレナの粛正に対して、助力を求められるかもしれないってことは?」
「難しいでしょうね」
俺の期待を、しかし店長は即座に切り捨てた。
「先ほども言った通り、ニライカナイには天使から熾天使まで、数多の強大な者が存在します。
そんな彼らの対処に日夜問わず駆り立てられるのです。
確かにファルファレナの粛正は優先事項でしょう。ですが、言ってしまえば彼女も幾百万いる熾天使のたった一人。
精鋭揃いといえど、それでも手が足りないのが実情なんですよ。
加えて言えば、彼らの領分はあくまでニライカナイ。他の粛正機関が堅洲国しか担当しないように、ガーデナーもニライカナイでしか粛正を担当しません」
「そう、なんですか」
駄目か。本音を言えば少しでも助力があれば嬉しかった。
話が途切れ、再び赤い大地を歩く。
ニライカナイについて思慮を巡らし、そこでふと思いついたことを店長に質問する。
「それにしても『ニライカナイ』ですか。
あくまで俺の印象なんですけど、常世って名付けた方が良かったんじゃないんですか?
ニライカナイって琉球の異世界ですよね。高天原とか葦原中国とか堅洲国とか、どれも記紀神話で出てくる名前だからてっきり統一されてるのかと」
記紀神話。日本において有名な、古事記と日本書紀の二つの歴史書を合わせてそう呼ぶ。
粛正機関では、それなりに記紀神話で見聞きする単語がでてくることが多い。
それらの名称は、高天原が決めているってアラディアさんから聞いたな。
対して琉球神話は、沖縄で信仰されている神話だ。
その神話の中にニライカナイという異世界が出てくる。
俺もあまり詳しくはないけど、曰く神霊や祖霊が住む世界だとか。
そして、俺と店長はそのニライカナイの名を冠する異世界に行く最中だ。
「ああ、確かにその通りですね。
ですが、『常世』という名称はすでに使われています。だから代わりとしてニライカナイという名称を使ったのでしょうね」
「使われてる?俺は今まで聞いたことないですよ」
「ええ。ほとんどの方にとってあまり関わりのない世界ですから、あそこは」
常世。そんな世界がどうやらあるらしい。記憶の片隅に入れておこう。
また歩いていると突然、前を歩く店長が止まった。
「話をしていたら、見えてきましたよ」
指し示す方向を見る。
そこには、いかにも異世界に繋がってますよと主張している捩れた空間がある。
まるでブラックホールのように黒い中心部。そこから周囲に青白い光が放出されているが、それに触れても特に異常はない。
周囲には何もない。だがその空間の前に、無数の足跡が残っている。
それがゲートの、何よりの証明だ。
「ニライカナイへのゲートは堅洲国の至る所にあります。
あれに触れれば大きさに関係なくニライカナイに転送され、同時に橋に着きます」
「橋?」
「それは行けばすぐに分かります。さあ、入りますよ」
店長が歪んだ空間へ脚を踏み入れる。
体がそれに触れた瞬間、店長の身体が吸い寄せられ、やがて跡形もなく消える。
ニライカナイへ行ったのだろう。俺も続かなければ。
少し覚悟してからその空間に触れる。
これから俺が行くのは死亡率99%以上の魔界。超常、異常が日常の世界。
高天原、葦の国、堅洲国の三界の中で、最も特異な場所。
人外魔境。ありとあらゆる存在が跳梁跋扈する異空間。
吸い込まれるように光が溢れ、すぐにこれまでとは違う景色が目に入ってきた。
何だこれは・・・・・橋?
俺の目の前に飛び込んできたのは、一定間隔ごとに塔が立っている石造りの斜張橋。本来、斜張橋は川や海を挟んだ土地への移動のために架けられるものだが、これは広さと長さが尋常じゃない。
一瞬自分が小人になって、巨人の世界に迷いこんでしまったのかと錯覚した。
横幅だけで何千万㎞あるのだろう。天にそびえる塔は雲海を突き破り、星域にまで到達している。
巨大にも程がある。橋の全容と比べれば俺なんて点だ。
「集君。こっちです」
唖然とする俺に呼びかける声。
声のした方を見ると、橋の入り口にいる店長が手招きしていた。
俺は店長に走り寄る。ここは魔境。何が起こるか分からない以上、なるべく店長から離れたくない。
「店長、ここが、ニライカナイなんですか?」
「ええ。正確にはこの橋を渡った先ですが、この入り口で少し手続きがあります。着いてきてください」
言うと店長は歩を進め、橋の入り口――古代ローマにありそうな、石造りのアーチ状をした――に差し掛かる。
俺も続く。アーチ状の入り口はまるで門のようで、奥行きはそれなりにある。
突然店長が立ち止まり、左横に向き直り話し始めた。
「少し用があって来ました。二人です。
滞在も居住もしません」
一体誰と話してるのか。気になった俺は店長が話している方向へ目を向ける。
そこには柱内部の空いた空間に、椅子に座る異形の姿があった。
まるでグソクムシが巨大化したような有り様。
十二はある目が俺たちの姿を捉え、二十以上ある手がそれぞれペンを走らせ忙しなく動き、空間に展開されている電子的な画面に情報が記入されていく。
店長とその異形の間でどんなコミュニケーションがあったのか。少しして再び店長は歩き出した。
「入国手続きのようなものです。
ニライカナイに出入りする際、その人物の名前やら特徴やらが自動的に記録されます。
居住を希望する方はここで申し込めば、相応の土地とその範囲内における空間占有権を得られます。分かりやすく言うのなら、家と土地が貰えるものだと思ってください」
横に並んだ俺に店長は説明する。
ニライカナイは来る者を拒まない。むしろ積極的に歓迎する。
だから土地と家のプレゼントもそのサービスの一つ。なんとも懐の大きいことで。
店長の後ろを歩く。やがてポツポツと、俺たち以外の人影が見えてきた。
いや、むしろ人影が少ないな。
様々な異形の群れ。我が物顔で中央を歩く巨躯の獅子。空を泳ぐ魚。スーツを着て二足で歩く牛頭。石畳を泳ぐ人魚。人面の蜘蛛の群れ、鎚を担ぐドワーフ・・・・・・。
俺の足下並の大きさの者もあれば、俺の何十倍も大きい者もいる。
堅洲国で異形には見慣れたものだが、その彼らが悠々と俺たちの前に姿を現す。
その光景に驚いているのは俺だけ。彼らや店長は当然のように、何の疑問もなく橋を歩く。
「初めてこの世界に来た人はカルチャーショックの連続で脳内が混乱するかもしれません。
まあ、そのうち慣れますよ」
俺が店長の言葉に相槌を打とうとした瞬間、
ズシン!!!と、背後からこの世の終わりみたいな爆音が聞こえた。
振り返ると体高数万メートルはありそうな巨大マンモスが、通行人たちを踏み潰しながら悠々と、その山のような巨体を揺らしている。
中央を歩いていた巨大獅子がまるで蟻んこのように潰され、周りに内臓や体液が飛散する。
大木のような脚が持ち上がり、それに合わせてパラパラと小さな石や破片が落ちてくる。
次にその巨影が差したのは俺たち。脚の着地点にいる俺は、真上から巨大なプレス機が落ちてくる恐怖と似たものを味わう。
「ちょ、店長!これやばいんじゃ・・・・」
「大丈夫ですよ。彼だって蒙昧ではありません」
突然、巨木のような脚がピタリと止まった。
代わりの足場を求めるように、俺たちに差す影が消える。
再びズシン!と大きな音が鳴り響き、巨体が俺たちを通り過ぎる。
店長の言葉通り、あのまま脚を踏み込ませていたら、巨大マンモスの脚は真っ二つになっていただろう。店長の手で。
とりあえず危機は去った。
その他にも巨大な怪獣やら異形やらを見ながら歩を進めると、だんだん遠くに建築物が見えてきた。
だけど、何だ?遠目に見ても何かがおかしいことが分かる。
中心に見える塔。細長い線が天を貫き、まるで支柱のよう。
摩天楼がそびえていると思ったら、突然山々が姿を見せる。
ジェンガブロックのような何を目的にしたか分からない建築もあれば、その横には日本式の城が建っている。
ゴミやガラクタを集めて、今にも倒壊しそうな家屋もあれば、蜂の巣のような何かが空に浮いている。
めちゃくちゃ。バラバラ。
まるで環境や全体としての外観、効率なんて一切気にせず建築したような、そんな無秩序さ。
その街に近づくにつれ、周囲の人口密度が一挙に増えた。
それに次いで喧噪が大きくなる。情報処理で耳が忙しくなる。
大都市の人口に負けず劣らず。いや、それ以上の音が響く。
やがて橋が終わりに近づき、街を間近で見ることになる。
遠目から見えた違和感はより一層強まった。
やがて街の入り口に差し掛かり、店長が俺に向かって微笑む。
「ようこそ、ニライカナイへ」
■ ■ ■
「・・・・・・・・・」
ニライカナイに入って早々、俺は口を開けて呆けていた。
感想?じゃあ簡潔に一言で。
カオスだ。
ネオン溢れるサイバーパンクな都市。
そこから少し歩いたら、突然足が土を踏み、周囲を見渡すと広大な田園風景が広がる。
少し横道に逸れただけで見えてくる路地裏の風景。
いかにもやばそうな色の煙を円筒から排出する工場群。
川を横切る西欧風の橋を渡ると、なぜか日本の江戸時代の大通りが出現する。
コンテナ建築群が並んでいたと思ったら、突如現われた巨大樹。その枝の隙間に幾つもの建物が並んでいる。
突然周囲の気温が下がり、雪と共に寒波が俺たちに吹き付ける。100歩も動かないうちに太陽が燦々と照りつける荒野の砂漠が出現する。
洞窟内部に潜入したはずなのに、なぜか空へ続く階段を上っていく。
空に浮かぶ空中庭園。空中城砦。空を飛ぶ島。不思議な事にそれらが幾つもある太陽を塞いでも、光は透過してしっかりと俺たちを照らす。
ここはどこだ?日本?アメリカ?ヨーロッパ?ロシア?エジプト?中国?オーストラリア?北極?南極?
まるで色んな時代の、色んな文化の、色んな建造物を全部混ぜてみましたと言わんばかりのカオス。
もちろん文化の融合も各所で見られる。
立ち並ぶ無数の店。飲食店。散髪店。酒屋。お土産屋。本屋。公園。果樹園。病院。
レストラン。ミュージアム。寺院。温泉。映画館。宿泊施設。カジノ街。風俗店。動物園や水族館。牧場や農園。あと何か訳分からん店多数。
目がさっきから行ったり来たり。初めて外国に来たらこうなるのだろうか。
当然、店長への質問も止まらない。
「店長。あの中央にある塔ってなんですか?」
「あれはですね、心の御柱と言います。一種の世界軸ですね。
ですがニライカナイの住人は単純に『塔』と呼んでいます。
堅洲国最大規模のコミュニティであるレディエラが存在する塔です」
「レディエラ?」
「どこかの世界の言語で、生痕という意味の言葉らしいですよ。
道楽コミュニティの一つで様々な研究や芸術活動が行われていますね。
自分の趣味や興味を持ったものを、とことん追求できるところですよ」
「へえ。例えば、釣りとか読書の分野もあるんですか?」
「ええ」
「じゃあ、ゲームとかも?」
「もちろんですよ。趣味に限りはありませんからね。
しかも特に見返りを要求しません。好きなだけ遊んでいられますよ」
まじかよ最高か?
それを聞いて一気に興味が湧いてきた。是非とも一度見に行きたいな。
「もちろん、非合法的な人体実験や犯罪行為も平然と行われていますがね」
「・・・・・・・・・」
その一言で一気に興奮気味のテンションが下降した。
「それ、ガーデナーとかは対処しないんですか?」
「時々立ち入ったりしますが、基本放置です。難しいところなんですよ」
「明らかに誰かが害を被るのにですか?」
「ええ。ようは価値観の問題ですね。
何が善で何が悪か。人によって違います。ましてそれがifの世界ならなおさらに。
死刑制度の是非って国ごとに違うでしょう?それと同じです。
倫理や道徳。それを最重要に掲げる者もいるでしょう。
ですが、ここでは命の価値が塵以下です。
その代わり重要なのは魂、そして想念。
自らの道を行くために、どれだけの犠牲が出ようが構わないと思っている者など、ここに見える範囲で何千人いるのでしょうかね」
辺りを見渡して、店長は呟く。
この大通りにいる大勢の存在。
信じている宗教も、大事に抱えている信条や事情も、その想念や過去も。
全員違う。同じなんてありえない。だからこそ衝突も発生する。
俺もそう。俺が店長から話を聞いて拒絶反応を示したのも、あくまで俺の生まれた世界で俺がそういう風に育ったから。そういう価値観の下で育ったから、そういう常識を持っているだけ。
数秒後、店長が再び言う。
「ですがご安心を。因果は必ず回るもの。破滅を回避できる者はいません。
罪は必ず何らかの形で償われます。多くの場合それは死ですがね。
あの塔の住人も、それはそれで苦労しているんですよ?
自称正義の使者が押し寄せて問答無用に殺されることもあります。誰も彼も命懸けなんです」
「例外はないんですね」
「ええ」
この世に絶対なんてない。それは店長がこれまでも言っていたことだ。
だからこそ、それを求める者は後を絶たないのだろう。
話は終わって、俺は周囲を見渡す。
相変わらず数歩歩けば文化がまるっきり変わる風景だが、それらに共通することもあった。
「それにしても、もっと死体とかが山のように積み重なっているのかと思ったらそうでもないですね」
「ああ、そうですね。そもそも死体が残ること事態が少ないですし、残ったとしてもすぐに食い尽くされますから」
「食い尽くす?」
「ええ。スカベンジャーの彼らがね。残滓を喰らいにどこからともなくやってくるんですよ」
人が死んでも、その死体や周囲には生前抱えていた想念が残っている。いわば残滓のようなもの。
堅洲国のバトルフィールドでは、それが紅蓮華という花で現われる。これを喰らい、少しでも想念を自分に溜め込もうとする者も多い。
堅洲国でスカベンジャーとは、そういった他者が喰らった想念のおこぼれに預かる者のことを言う。
「だから死体がそんなに見えないんですか」
「ええ。仮にスカベンジャーがやってこなくても、一時間そこらで空間の消去システムが発動しますからね。
それゆえに死霊魔術師や死体愛好家はすぐにでも駆けつけてきます。どうにせよ需要はありますからすぐに消えますね」
「へえ。そうなんですか」
「ええ。なんなら今からでも見れますよ」
え?何を?
俺が疑問に感じていると、店長の目の前に何かが立ちはだかった。
奇怪なモンスターがスーツに身を包み、二メートルはあろうその体躯と三つの目で店長を睨み付けていた。
何やら不穏な雰囲気。俺が気を張っていると、その怪物が口を開いた。
「おい、爺と餓鬼。
その魂俺に喰わせろや」
不安的中。どうやらやばい奴に絡まれたらしい。
「集君。このように、恐喝や脅しが日常茶飯事なんです。
白昼堂々殺人や強盗に走ったり、大規模なテロ活動が行われたり、当たり前すぎて珍しくないんですよ」
威圧する化け物に対して、店長は平常時と変わりなく俺にレクチャーする。
眼中に入っていないような、入っていたとしても会話する必要がないと思っているような、そんな扱いだ。
「爺、無視してんじゃ――」
苛立たしげに捲し立てようとした怪物。だがその先を続けることはできなかった。
ズッシャアアアアァァァァ!!!!と、店長がいつの間にか持っていた剣を振ると同時に、その身体が斜めにぶった切られたからだ。
噴水のように辺りに飛び散る鮮血。通りの建築物に血をぶちまけながら、切断された怪物は血だまりの中に沈んだ。
「辺りを見てください。この光景に目を見開いて驚いている方はいますか?」
驚くほどに平時と変わらない声色で、店長は手を周囲に向ける。
俺も周りを見る。驚いたことに、立ち止まり悲鳴を上げる者も、何が起きたか分からないと呆然とする者もいなかった。
反応があったとしても精々ちらりと見る程度。その足は止まらず、ぶちまけられた血の海を歩いて行く。
なんなら両断された怪物の肉をグチャッと踏みつける。彼等はその行為に疑問にすら感じていないようだった。
唖然としているのは俺だけ。なんか恥ずかしく思えてくる。
驚愕もつかの間。家の隙間、排水溝、天井、床下、至る所から何かが這い出てきた。
それは大きな一つ目を持ち、人間の上半身と蛇の下半身を合わせたような、全体的に白いこれまた異形だった。
それらが地べたを這いずるように死体によってたかって、ガパッと鋭利な歯を見せ肉に噛みつく。
ぐちゅ、ブツッ、ミシッ。肉を引き裂き骨すら砕いて、豪快に肉を喰らって血を啜っていく。
丹念に床に広がった血の海すら舐め取ると、30秒かそこらで、わずかな血痕を残して死体は消えた。
「ね?」
店長がそれを見て、俺にそれまでの説明の正否を示す。
いや、ね?と言われましてもね。
まあ、とにかくそういうことにしておこう。
「しかし、毎日こんな事態が起きてるんじゃ、ガーデナーも大変なんですね。
俺らって基本一日一業務って感じですから、さっき言ってた人手が足りないってのは分かる気がします。
粛正機関以外にニライカナイの治安を守ってる人っていないんですか?」
「もちろんガーデナーだけではありません。
ほら、あそこにある刑務所が見えますか?」
店長が指し示す方向。遠くに一区画が存在する。
まるで一つの街。四方に長い柱が建ち、それがまるで内部を監視しているようでもある。
厚い城壁で外と区切られ、まるで侵入も脱出も許さない堅固な要塞にも見えた。
「あれ刑務所だったんですか。ということは警察みたいな治安維持隊がいるんですか?」
「ええ。獄府・タルタロス。
凶悪犯罪者や咎人などを収容する、一種の封印場所。
そこを治めるのは収容所の名前にもなった熾天使・タルタロス。及びその従者。彼等が独断と偏見で適当にここの住人を捕まえます」
「・・・・・・・・・・」
独断と、偏見で、適当に?
なんつー曖昧な基準だ。捕まった人はたぶん抗議していい。
その後も店長がバスガイドのように、歩き回りながら目に付く設備やら施設やら、ニライカナイの特徴を解説してくれた。
「あの宙に浮かんでいる巨大な球体、何だと思いますか?」
「あの、サッカーボールに似てる丸いのですか?なんでしょうね、あの中に誰か住んでるとかじゃないですか」
「あれはですね、超大型永久機関です。内部が全次元対応型の幾何学的な構造になっていましてね。
ここで生成したエネルギーを空間中にばらまいて、諸々の施設や個人が好きに利用できるようにしています」
「永久機関が存在できるのは今さら良いとして、あれなんで浮いてるんですか?」
「私も詳しくは分かりませんが、設計者及び制作者が『なんかでっかい球体が空に浮かんでるとかロマン溢れるよね!』という意思でああしたのだとか」
「なるほど、ロマンなら仕方ないですね」
「空に島とか都市が浮いてますけど、あれ何ですか?」
「あれは単純です。ただ単にその土地の所有者が、空に浮かせたいと思ったから浮いてるだけですよ」
「所有者がですか。そういえば居住する人には土地と空間占有権が与えられるって言ってましたけど、あれもその結果なんですか」
「はい。空間占有権とはすなわち、その空間内では何でも決められる権利のことですよ。
空間の自由度を上げ下げして、その個人の望むがままの住居を創造できる。
だから空に飛ばすことも、逆に地中深くに埋めることもできる。堅洲国でいうのなら縄張りのようなものです。
今まで多種多様な施設を見ましたね。収容所だったり、お店だったり。
それらも全て、渡された空間占有権で好きにデコレーションした結果ああなったんです」
「へえ。家をお店にすることもできるんですか」
「まあ、思ったままに家を改築できるシステムだと思ってください」
「そういえば」
「?」
「集君。今スマホ持ってますか?」
「いいえ。店に置いてきました」
「そうですか。実はですね、ニライカナイにはネット環境が整備されてるんですよ」
「え、ネットあるんですか?」
「ありますよ。平行世界中の情報を閲覧できます。もちろん動画も」
「まじっすか。スマホ持ってくればよかった」
「回線や通信速度もなかなか速いですよ。
なんたって超光速情報伝達システムや因果律操作式ネットワークを利用していますから。
動画を見ている途中でカクカクすることも一切ありません。なんならネットワークの利用料金も0円ですからね」
「羨ましい」
「そういえば、近くに駅がありますね」
「駅?列車が通ってるんですか」
「ええ。かなり速い列車です。ニライカナイの端から端まで一瞬でしょうね。
加えて車内は時空断絶仕様です」
「なんですかそれ?」
「ほら、列車に乗ったりすると、乗り心地の良さに眠ったり景色を楽しんだりすることも醍醐味でしょう?
だから外と中とで時間感覚にズレを生じさせるんです。外では一瞬で列車が移動してますが、中にいる方は1分でも12時間でも、好きな感覚で車内を堪能できます」
「つまり、列車内の時間を操っていると」
「その通りです。いいものですよ。列車にガタガタ揺られながら外の風景を好きなだけ堪能して、好きなだけ眠って、飽きたら目的地に降りればいいんですから」
「あそこにあるレストラン、通称『ダイニングテーブル』と呼ばれています。
ニライカナイ最大の飲食店であり、毎日大勢の方々が利用します。
総料理長はMr.コックという熾天使ですが、彼が作る料理がとっっっても美味しいんですよ!
まさにこの世のものとは思えない。美味い以外に形容できない味。
是非とも集君に食べて貰いたいですね。彼以上の料理人はいませんから」
「べた褒めですね。仮にも飲食店を経営している店長が」
「ははは、それほど彼の腕前には心酔してるのですよ。
しかも料理はどれだけ食べても無料です」
「無料!?それ店成り立つんですか?」
「ええ。趣味のようなものですし、なにより仕掛けもありますから」
「・・・・・?」
「では、ちょうどお昼も近いですし、さっそく寄ってみましょうか」
歩き出す店長の後を追って、俺はそのレストランの内部へ足を踏み入れた。
次回、いざ街道へ