第十二話 ≠善人
前回、追う者、追われる者
・美羽視点
賑わう繁華街。ある者は会社の同僚と酒を飲みに、またある者は家族と夜食を食べている。
どんちゃん騒ぎの繁華街を抜けて、美羽たちは路地裏に入った。
私たちは周囲を警戒しながら、前を歩く店長の後を追う。
店長は迷い無く歩いている。まるでこの先に顕現者がいるのがわかっているかのように。
そしてそれは半ば正解と言っていい。
店長の目の前、そこに半透明の、霊的に発光した犬が私たちを先導していた。
店長が魔術で呼び出した使い魔。嗅覚に特化した個体らしい。
使い魔は霊体なので、普通の人には見えない。犬の後をついていくこの光景を不審に思われることはない。
既に高欄帳の臭いを覚え、その場所へ私たちをナビゲートしてくれる。
この使い魔の後についていけば、そのうち高欄帳にたどり着ける。
さて、そんなわけで私たちは複雑な路地裏を進んでいる最中。
度々現われる十字路を右に曲がったり左に曲がったり。先ほど屋上から見た時に建物が多い印象を持ったが、それゆえに迷路のような路地裏を築いているのだろう。
初めてここを訪れたら間違いなく迷う。高欄帳はここに通い慣れているのだろうか?
「ん?」
前を歩いていた店長が立ち止まる。
それにぶつかりそうになりながら、私は何があったのか前を見る。
狭い路地裏の道。そこに白い法衣を纏った異様な三人組が、周囲をじっと探っていた。
「店長、どうしたんですか?」
後ろの蛍が声をかける。その声に反応して、三人組がこちらに反応する。
(あっ)
まずい。またいつもの蛍の癖がでた。
三人組は突如現われた私たちに警戒しながら、一人が前に出た。
「貴様ら、何者だ。なぜここに来た」
「いえ、ここを通ると我が家への近道なので寄っただけですよ」
最初に反応したのは店長だった。
まるで息を吸うかのように自然と吐かれた嘘。あまりに自然なので一瞬本当にそうではないかと錯覚した。
その三人組に、今度は店長が質問する。
「逆にお聞きますが、あなた方はここで何をしているのでしょうか」
「お前に話すことでは無い」
三人組はまだ警戒しているようだ。そこに、店長が決定的な言葉を投げた。
「もしかして、高欄帳を探しているのですか?」
「!!!」
その言葉を聞いた途端、法衣の三人組が素早く動いた。
全員が店長に対して拳銃を構える。
「貴様、何者だ!!! どうしてその名を知っている! 貴様は別組織の者か!!」
矢継ぎ早な質問。脅迫するかのように、声を荒げて店長に詰め寄る。
「どうやら、ビンゴのようですね。蛍君」
「はい、なんでしょうか?」
店長が後ろにいる蛍に指示する。三人組の質問に、律儀に答える気はないようだ。
「彼らは恐らく高欄帳を追っている組織の一つでしょう。
記憶を探りたいので、気絶させてください」
「わかりました」
店長の意図を察した蛍が、顕現を発動させる。
蛍の視界を妨げないように、私と店長は左右に避ける。
こちらに早足で詰め寄ってきた法衣の三人組。彼らは突然事切れたかのように地面に倒れ込んだ。
「終わりました」
「ありがとうございます」
店長は倒れた三人組に歩み寄り、その内の一人の頭に手をかざす。
店長が声にならない声で何かを呟くと、法衣の男から魂のような青白い煙のようなものが湧き出た。
それに触れ、店長は記憶を読み取る。
その作業を見守ること十数秒。やがて得心したように頷いた。
「どうやら高欄帳を追っている組織の一つで間違いないですね。
武装宗教団体。あまり有益な情報を持っていないということは下っ端の可能性が高い。
彼女を探していたところ、私たちと出会った」
そしてこうなった。
哀れな三人組は地に伏せ、死んだように沈黙している。
せめて窒息しないように、身体を起こし、上体を建物に寄りかからせる。
「さて、いざこざがありましたが先に進みましょう」
「はい」
私たちは再び歩き始める。
使い魔はクンクンと鼻で匂いを嗅ぎ分け、その道筋を私たちに示す。
それにただついていくだけ。先ほどの3人組を除けば、今のところ特に目立った騒動はない。
「あの、店長」
「何でしょうか?」
前を行く店長に、私は気になったことを質問する。
「以前店長はこう言ってました。顕現や堅洲国に関することは超法的で、一般人はともかく、政府や総理大臣や首相でも知ってはいけない。
もしも知ってしまった場合、その人物の記憶を消さないといけないって」
「ええ、言いましたね」
店長はその理由を、面倒な事になるから、と説明していた。
顕現者という特異な存在。それを手にするために、くだらないことをしかねないから。
具体的に言えば、顕現者を生み出すために人体実験を繰り返す。それが国ぐるみで行われ、挙げ句の果てに地球規模で容認される。もちろん極秘で。
核兵器に代わる新たな抑止力として求められ、また好奇心旺盛な科学者に人権を無視した残虐な実験が行われるとか。
過去にそういった事例があるらしい。
そういった事態を防ぐために、記憶を消去する必要がある。
知らなくていいことは知るな。どうせろくでもないことになるんだから。
店長はくだらなそうにそう吐き捨てたんだ。
「今回の場合はどうなるんですか? 顕現の情報がかなり広範囲に広がっていると思いますが」
「ふむ。当然の疑問ですね。
確かにもう収集がつきそうにないですね。一人一人記憶を消すにしても時間と労力がかかる。
なので記憶を消す対象を人にするのではなく、世界丸ごと対象にします」
その言葉に、蛍が反応した。
「それは、世界を書き換えるということですか?」
「その通りです。聡いですね。
この世界を“顕現という事象が記憶から消去され、以降認知できない”ように書き換えるんです。
さすがにその作業は高天原が担当しますので、私たちの出番はありません」
「あ、そうなんですか」
高天原。堅洲国と同じく、一種の超次元空間に存在する組織。
曖昧にしか分かっていないが、そういう組織が存在すること。そしてそれが世界の全てを管理している神様のような存在であると店長に聞いた。
私たち粛正機関に咎人の粛正を依頼する。そして自らも咎人の粛正を担当する。
つまり粛正機関と高天原は仕事のパートナー。
葦の国の管理を担当しているゆえに、今回のような異常事態にも彼らが介入し、世界を正常に調整する。
店長の話を聞いて、ほっと胸をなで下ろす蛍。
その様子を見ていた店長は微笑みを浮かべ指摘した。
「もしかして、自分がその作業を担当すると思ってました?」
「あ、はい。そうなったら嫌だなぁって思って聞いてました」
どうやら図星のようだ。苦笑いを浮かべている。
確かに蛍はそれが可能だ。蛍の顕現は創造の力。
世界を再び構築し直すことも充分可能だ。だけどその分プレッシャーもかかるだろう。
「その考えはよくわかります。必要な箇所だけ残し、後は丸ごと書き換える。
あんな神業、人には必要ありませんよ」
なんたって世界を書き換える神業だ。元の状態と差異が生じないように、また変化するように書き換えるのは多大な注意と精神力を用いる。
何回か試した蛍曰く、豆腐のように土台がグラグラのジェンガから、慎重にブロックを引き抜くようなものらしい。
桃花店内で完全にそれを成すことができるのは、今出張中のあの人だけだ。
そんな作業しなくて良かったね蛍。
「神業といえば」
店長がふと思いついたように呟く。
「先ほどの宗教団体の人は、高欄帳を攫って、自分たちの宗教のトップに据えるつもりだったようです」
「・・・・・・それはまたどういう理由で」
「あれですよ。人は人智を超えたものを神として崇めるでしょう?
樹齢何千年の樹とか、富士山のような巨峰とか。
当然人にも当てはまります。異常な才能を持っている人とか、今回の場合はそれが彼女なんですよ」
「そんな理由で・・・・・・・」
当の本人にとっては迷惑でしかなさそうだ。
「双方合意の上でならまだしも、こうも一方的なものだと困りますね」
うやむやにするように笑う店長。表情も相まってか、店長の本音とは思えない。
そしてそれが気になった。
「店長は、それをどう思いますか?」
「私? 私がどう思うか、ですか?」
何気なく聞いた言葉。
店長は少し思案し、笑顔を消して言った。
「そうですねぇ、感想と言っても下らないの一言ですみますよ。
わかりやすい象徴物として高欄帳を据えるつもりでしょうが、そんなものに頼る程度では信仰の程度も知れますね。
そもそも私はあまり神というものを信じていません。完璧なものなど存在しないことはわかりきっていますから。だから架空のものを信仰するという彼らの気持ちがあまりわからない」
いつも以上に辛辣な調子で喋る店長。心なしか舌も回っている。
「今回の騒動もそう。物珍しいから、利用できそうだから、人は簡単な動機で容易く分不相応な場所へ手を伸ばす。
分を弁えないのは多くの平行世界で共通のようですね。人、というより高度な知能を得た生物一般に言えることでもあります。はっきり言って嘆かわしい」
くだらないにも程がある。店長は断言し、吐き捨てた。
ハッと、言い終わった店長は申し訳なさそうに私たちに頭を下げる。
「申し訳ありません。つい喋りすぎてしまいました。
老人の小言など聞くに堪えないでしょう」
「い、いえ、話を振ったのは私ですから」
店長が謝ると私も申し訳なくなる。
だけど意外だ。普段朗らかな店長がこんなに他者を否定するなんて思わなかった。
だけど、あの日の事を思い出す。私が店長に初めて会った日。
私たちが初めて喫茶店桃花に赴いた日。
安全な居場所を提供し、一生生きていくのに困らない程の資金を提供し、困ったらいつでも頼ってくださいと、店長が優しく言ってくれた日。
あの日、店長はこう言った。
『間違っても、私を善い人だとは思わないでくださいね』
今まで思い出すことの無かったその言葉を、今思い出した。
「さあ、ともかく先に進みましょう。
だいぶ高欄帳に近づいていますからね。彼女と接触するのもそう遠くないでしょう」
誤魔化すように、店長は早足で使い魔の後につく。
子供のようなその仕草に少し笑みを浮かべて、私たちもその後に続く。
それから5分くらい歩き続けて、開けた道路に出る。やっと路地裏を抜けたようだ。
しかしそこで問題が生じた。
「ん? どうしました」
前を歩いていた使い魔。急遽その足が止まった。
「クウゥ~ン。ワンワン!!」
止まったかと思えば右に左に吼えまくる。
私たちに何かを伝えようと、右に行っては吼え、左に行っては吼えを繰り返す。
「もしかして、左右両方から匂いがするんじゃ」
「様子を見る限りそのようですね」
蛍の言葉は当たっていたようで、使い魔は何度も頷いて蛍を肯定した。
「しかしそうなると困りましたね。
確実に顕現者と接触するには二手に分かれないといけない。
どうでしょう。私一人と、美羽さんと蛍君の二人で行動するというのは?」
店長の提案。異論は無い。戦力的に考えて最良の決定だろう。私と蛍も賛成する。
「はい。蛍と一緒に、必ず見つけ出して見せます」
「それは心強いですね。気をつけて頑張ってください。
では私は左に行きますので、お二人は右をお願いします」
「わかりました。店長もお気をつけて」
それを皮切りに両者は別れる。
美羽と蛍は一刻も早く高欄帳を見つけようと自らを鼓舞する。
否笠は二人の事を少し心配しながら、自らも左に歩を進める。
しかし三人の脳内には、どうして高欄帳の匂いがあそこで別れたのか、疑問が残っていた。
次回、交通事故には気をつけよう