第三話 神への賛歌
前回、あの人はなにもかも突然だ
(美羽、見て!集先輩が僕たちの知らない女の子と話し合ってる!)
(見たよ蛍!あの子誰?私たちと同年代くらい。
しかも可愛い。集先輩の知り合いかな?)
集たちから離れた後方では、美羽と蛍が衝撃の光景を目にしていた。
エクシリアと背中を合わせて咎人の迎撃にあたっている集。
それは二人の間で左右の分担を言語外で行った結果なのだが、美羽と蛍からすればいきなりの展開でついてこれない。
まさか彼女!?そんな疑惑が浮かび、後で集に問い詰めようと二人は決めた。
もちろん咎人の迎撃はしている。
ここから一歩も行かせない。腕と思考を動かしながら、一体一体無力化していく。
特に蛍の顕現は広域の殲滅に向いている。今も無数の武器が空中に発生し、埒外の威力で咎人に降り注ぐ。
幾百の咎人を相手にしながら、息切れすることなく、服すら乱れない。
最短の動きで敵に切迫し、動きを読んで攻撃を躱し、自然と急所に叩き込む。
使用できる並列思考は二人とも50を超えている。四つの思考を四肢の動きに対応させた結果、まるで別々の生き物のように動き、効率よく咎人を処理する。
破壊力も創造力も増している。それが霊格の増大と比例していることは間違いない。
今まで行けなかった領域にまで行ける気がする。二人は自らの成長をひしひしと感じていた。
破壊し、殺した死骸は山のよう。その中には能天使や力天使レベルの顕現者も混じっている。
数日前までは苦戦したであろう敵。それが今や相手にもならない。
言語で表すことが難しい高揚感が二人の底で湧き上がる。
もう一対一で相手するという思考はなかった。
それを証拠に二人は一撃で5,6体の咎人を地に伏せ、発生した衝撃波で何体仕留められるかまで計算する。
連続して喰らう死者の魂。塵も積もれば山となるように、二人の魂が徐々に増大していく。
一ヶ月前三層で味わった、一方的で優位な立場。
それを再び二人は味わっていた。
一方、その様子を間近で見ながら、霞も二人の成長に舌を巻いていた。
(順調だね~。もう中層は相手じゃないか。
今日は七層の咎人を殺すって言ってたけど、上手くいけば今日中に智天使になれちゃうってわけね)
とんでもない成長速度だ。アラディアのトレーニングと二人の成長予定を聞かされた時は鼻で笑ったが、実際にそうなってさらに笑う。
このままなら順調に咎人を殲滅できそうだ。
百鬼夜行の馬鹿騒ぎも、あと一時間もすれば終わるだろう。
と、呑気に酒を楽しんでいた霞だが、あるものを視認した。
「ん?」
奥。集の拳で、押し寄せる咎人の群れに風穴が空く。
そこにそれがいた。
それは、七色でネオンサインのように発光する不気味な球体だった。
大きさはバスケットボールの二倍程。
CDの光のように色を変えながら、宙に浮かぶ謎の球体。
三体の衛星が周囲を旋回しているのを見ると、小型の星のようなものかもしれない。
何より、その霊格は、
「・・・・・・・・・」
霞の表情から一切の余裕と油断が消えた。
平時から酔っ払っている彼女を知る者ほど、その唐突な変容を見たら驚きを隠せないだろう。
殺意さえ纏いながら、霞はそれを睨み付ける。
謎の球体はすぐに咎人の群れで見えなくなった。
(あれが、今回の空亡役か?)
しばし動かなかった霞だが、ワイン瓶の中身を一気に飲み干し、ついに動きだす。
「集~!聞こえてるだろ~!」
「はい!?なんすかこんな時に?」
「終わらせる。咎人の足止めご苦労さん。
二人にも伝えな~」
「え?」
遠くからそれを聞いた集は、まさかと顔を霞の方へ向ける。
すっかり酔いから醒めた霞は、詠うようにそれを唱え始めた。
「六根の 罪をも咎も 忘るるは 酒に勝したる 極楽はなし」
それを聞いて、集は側で戦うエクシリアに声をかける。
「エクシリアちゃん!俺たちは退却しよう」
「退却って、咎人まだあんなに残ってますよ?」
「ああ、もう終わる」
それを聞いて首を傾げるエクシリア。
けど集の真剣な顔を見て、その言葉が嘘ではないことを察知する。
戸惑いながらも、集とともに後退を開始した。
「これより先は狂喜乱舞の馬鹿騒ぎ。
手には杯、内には狂気。どいつもこいつも笑い踊って死に狂え」
霞の近くにいた美羽と蛍の耳にも、その詠唱は届いた。
何をしているんだ?酔って歌い出したか?
だがそうではなさそうだ。言葉と共に高まる霞の霊格。まるで星の爆発の前兆のように、大気が震えている。
良からぬことが起きる。二人は揃ってそう思った。
「杯を満たせ、溢れるまでに!歓喜は酒より輝き出でる。
この世は天国、ああ、ありがたや」
咎人も異常を察知した。
前列の者たちが進行を止める。金縛りにあったかのように、そこからピタリとも動かない。
それもそうだ。火山の噴火を目前に、わざわざ火口に近づく馬鹿はいないだろう。
「されば諸君。
その名を私と共に唱え、偉大なる酒酔神に言祝ぐといい。
天国をもたらしたまふ、私のミューズ。
お前の名前を歌わせておくれ」
そして世界も震えた。
霞の存在が一気に拡大する。たった一人で堅洲国一層を圧迫するその霊格は、単なる酔っ払いのそれではない。
今の彼女は世界に狂喜をもたらし、解放を至上命題とする神そのもの。
大地を真紅に染め、実りを与える泥酔の神。
酒、音楽、舞踏、乱交、殺害、流血。
狂気の名の下に、全ての鎖を解き放つ。
「Ergo bibamus!飲めや飲め、唄えや唄え、どうせ死ぬなら笑わにゃ損損」
最後に彼女は、手に持つワイン瓶の中身を大地に零した。
その一滴で大地は波打ち、芳醇な香りが辺りに立ちこめる。
そして、最後のそれが引き金だった。
「酒池肉林――顕現 狂宴怒濤催す酒神」
霞を中心に、0から発生した津波が周囲の全てを押し流した。
その色は赤、黄、黒、白、様々。酒特有の匂いが鼻腔の奥底をくすぐる。
100メートルを優に超える津波は、咎人に覆い被さるように膨大な質量を叩きつける。
たかが津波に巻き込まれて害を被る咎人などここにはいない。
だが霞の起こすそれは違う。水滴、飛沫の一つすら彼女そのもの。
熾天使である彼女の質量、霊格、属性、神性。その全てを真っ正面からぶつけられる。
それだけに留まらない。世界を塗りつぶす彼女の展開型。彼女の顕現が咎人を絡め取る。
霞の領域に入った者は肉体と精神、魂までも溶け、液体のように形を失い最後には自らも酒になる。
それは人も機械も獣も一切関係ない。現実性を剥ぎ取られ融解し、霞の一部となっていく。
領域内には陶酔が拡散する。液体化を免れた者も、酒を飲んだように酔いしれる。思考を忘れ、五感が機能せず、歩くことすらままならない。
青天井に上がり続ける体内のアルコール濃度。細胞が沸騰し、内側から発火してもなお、酔いしれる心地よさには敵わない。
天国に昇ったかのような幸福の絶頂の中で、咎人たちは一人一人溶けていく。
領域はどんどん広がり、咎人をさらに飲み込んでいく。
ついには一層に集った咎人を一人余さず飲み込んだ。
荒れ狂う津波の攪乱に耐えられる者も、陶酔から逃れられる者もいなかった。
最奥にいた謎の球体の元にも酒の海は迫るが、それが触れる寸前に球体は消えた。
当然だが範囲内にいる美羽たちも巻き込まれている。
が、酒の海は器用に彼女たちを避けて咎人だけに襲いかかる。
酒の海から緑の大地が出現する。木々が生え、即座に森を形成する。
木々には果実が実り、枝には肉が実る。
酒を持って池となし、肉をかけて林となす。
文字通り、酒池肉林の楽園が出来上がる。
狂喜と陶酔の世界。八つ裂きの庭園が完成した。
一切合切を見ていた美羽は、その力に瞠目した。
(私たちと規模が全く違う・・・・・・。
これが、世界を操る顕現型)
美羽は以前も展開型の顕現者に会ったことがある。
とある平行世界で出会った帳という少女は、自らの想いから無音の白い街を作り上げた。
けれど、霞の顕現はそれと比較にもならない。
単純に桁が違う。質量も強度も、世界を支配する想いの強さも。
咎人は一人余さず消えた。世界は縮小を始め、やがて滴となる。
霞は手に持った酒器でそれを受け止め、クイッと飲み干す。
幾千幾万の咎人たちの魂。それを凝縮した液体はどんな味がするのか。
推測するしかないが、霞の頬はほろ酔いぎみに火照る。
お気に召したのか、霞は私たちに向かって手を振る。
「お~い、皆。帰るぜ~」
いつの間にか辺りは荒野。いつも通りの赤い大地に戻っていた。
今回の百鬼夜行はこれにて終了。各粛正者はそれぞれ元の平行世界に戻ったのだった。
■ ■ ■
「展開型への対策って、あるんですか?」
帰ったきた私たちは、すぐさまトレーニングに移行した。
天都さんとのトレーニングの最中。二人で一撃与えるために迫る。
天都さんも指を三本使って応戦。一本では厳しくなったのだろう。嬉しい限りだ。もっと使わせてあげたい。
先ほどの事を思い出して、私は肉薄しながら天都さんに質問した。
今まで私たちは展開型の咎人と交戦したことがない。
これから先そのタイプの咎人と出会った時、少しでも優位に立つために何かしらの情報が欲しい。
「・・・・・・ある」
天都さんは少し考え、そして言葉を吐き出した。
「例えばハッキングにより世界の支配権を乗っ取ること。
自らの情報、自分という世界をウイルスのようにばら撒いて、相手の世界を改竄する。それによる法則の書き換えも一つの手だ。
他には、その世界を破壊したりとか。
展開型は国と同じ。国力は土地の多さに比例する。世界の大きさに比例して展開型は強化されるが、逆に自らの領域を失えば霊格もそれ相応に落ちる」
なるほど。国か。
広大な国土を有する国は相応に強い。それを破壊すれば世界そのものである展開型も弱体化する。
聞いた限り最後者が一番簡単そうだ。
「そして、その対策が一切通じないのも展開型の特徴だ」
「え?」
呆気にとられながらも攻撃の手は止めない。
一瞬の間に異なる30の攻撃を仕掛ける。一撃一撃が脅威的な威力を誇る連撃を、しかし天都さんは5本のワイヤーで防ぐ。
「展開型は、自らの世界そのものに偏在している。
空気中や海中、土の中や宇宙空間中。原子や素粒子の全て。範囲内にいた有機物や無機物。時間や空間や次元にも。元々そこに存在していた概念すら自らのものにしてな。
あれは自分、自分はあれ。世界という最大単位を自分のものにできるんだ。その世界の全てにいると思え。
そして、世界の掌握に長けた展開型への干渉は、同レベル以上の精度を必要とする。
そんな高度なことは具現型や無形型では不可能だ。可能だとしても同格以上の展開型だろうな」
「えっと、つまり、どういうことですか?」
「押しつけられてくる能力に抗いながら戦うしかない」
対策はあるけど基本無意味。
それを聞いて気が消沈した。
相手の世界に飲まれながら戦うということは、周りの全てが敵ということだ。
そんな相手とどうやって戦うのか。
「そういえば」
次に質問したのは蛍だった。
天都さんに向かって袈裟切りを放ちながら問う。
「霞さんは顕現を使う前に何か言ってましたけど、あれなんですか?」
「詠唱か?あれは一種の方向付けだ」
「方向付け?」
また聞いたことのない用語が出てきた。
「お前たちは顕現をただ使っているだけだ。
むしろそれが正しい使い方なんだが、小細工を用いれば多少その使い道を変えることができる」
「顕現の効果を変えることができるんですか?」
「違う。そんなことはできん」
断言する天都さん。二本の指でワイヤーを操り、私たちを引き離す。
「だが、自らが望む方向に少しだけ特化させることはできる。
火を発生させる顕現があるとする。それを使った戦術はたくさんあることは理解出来るだろう。
例を挙げるなら、火を使って酸素を燃焼させるという一点に集中させる、といった風にな」
話を聞きながら、離れた私たちは次元を急上昇して突貫する。
蛍は想像して多方向からの攻撃を開始する。虚空から幾十の巨腕が現われ、天都さんに殴りかかる。
私も渇きと熱の黒炎を手に纏い、地表を舐めるように燃やし尽くす。
「顕現の根本にある想いは自らの魂から発せられるものだ。
その時折の状況においてそれも変わるだろう。
癒やしたいという顕現なら、物理的に癒やすか、精神的に癒やすか、と言ったように。
本来多面的な使用方法がある顕現を、詠唱や行為によって局所的に増大させる。それが方向付けだ」
逃げ場のない攻撃に、しかしワイヤーで切り裂いて逃げ道を作り上げる。
二本の指を使っている分、以前よりも多彩な攻撃を可能にしているんだ。
「霞のあれはただ単に顕現の効果と威力を増大するためのものだ。
詠唱には言霊効果も付与される。詳しいことは専門外だから知らんが、言葉にある程度の神性と世界改変性を込めるらしい。これ以上のことはアラディアから聞け」
「分かりました」
頷きながら、目前に迫るワイヤーを避ける。
確かに手数は増えたが、根本の戦術は変わっていない。
糸のように張り巡らせて、トラップのように触れた者を切り裂く。
立体的な魔術陣を作り、魔術を発動させる。
複数の糸を束ねて、私たちの攻撃を防ぐ。
先日戦ったアルディと通じるところがある。だから彼との戦闘時に優位に立てたのだが。
昨日は私も蛍も死にかけた。なんとか生きているのは新たな顕現のおかげだ。
「そういえば、なんですけど」
「なんだ?」
この機会だ。気になったことも色々と聞いておきたい。
天都さんは発言を許してくれる。アラディアさんとはこれまで質問したくてもできなかったことがあった。
「私たち粛正者って、死んだらどうなるんですか?」
当たり前といえば当たり前の質問。
四層以下の階層ではそんな疑問を抱くことすらなかった。
だけど同格の敵との戦いで死を意識し、私たちが死んだら公ではどうなるのか、考え始めた。
粛正機関は超法的な機関。私たち以外には誰も知らないし、知った人には何らかの対処を施さないといけない。
その言葉を聞いて、目を細めた天都さんは確認する。
「死後の扱いを言っているのか?」
「はい」
「・・・・・・・お前たちが桃花で働くことになった時に、店長から聞かされなかったのか?」
「えっと、覚えてないです」
確かにだいぶ前に店長から聞いた気がする。
けどあの時は状況が状況だったし、あまり記憶にない。
溜息をついて、天都さんは説明した。
「粛正機関に属する者が堅洲国で死亡、もしくは消滅した場合、葦の国での存在の痕跡は一切残らないよう改変される。
それは世界に齟齬と矛盾を起こさせないためだ。理屈は分かるだろう」
ああ、そうだ。確かに店長もそんなことを言っていた気がする。
もしも私が死んだりしたら、私が生まれたことやこれまでの歩みの全てが、人の記憶から消されるのだろう。
自分の死を悲しんでくれる人はいない。未練を残さないという点ではこれ以上はないだろう。
他者の記憶からも完全に消えるということは、完全な死を意味するのだから。
けど、自分の事を誰にも覚えて貰えないのは辛いな。
「それって、特例とかは許されないんですか?
事故で死んだってことにされて、葬儀もされるっていうのは」
「面倒だが、そうすることも可能だ。
そもそも、死体を回収できる可能性は低いがな。
お前はそうされたいのか?」
「親しい人だけでも覚えていて欲しいなって思って」
「・・・・・・そうか」
返答は短かった。
そして、苛烈な攻撃も止んだ。
周囲に張り巡らされたワイヤーが操られ、天都さんの元へ戻っていく。
先ほどまで放たれていた濃密な殺意も鳴りを潜め、終わりだと言わんばかりに全ての戦闘活動を停止する。
「今日は予定が混み合っている。俺とのトレーニングはこれまででいい。
アラディアの所に行け」
天都さんが指差す方向には扉。アラディアさんのところに繋がっているんだろう。
「「ありがとうございました!」」
二人して頭を下げ、扉の方へ向かう。
次回、アラディアさんによる魔術講座




