第十話 緊急事態 in Parallel World
前回、二人の悩み
日曜日の朝。私は鞄に荷物を詰め込んでいた。
結局、カナの準優勝おめでとうパーティーは来週することになった。
本当は今日にでも行おうとしたが、カナも疲れているだろうし、たまには朝から晩までゆっくり休んで欲しい。
それに、私たちにも事情ができた。
つい先ほど、店長から連絡があった。
曰く、緊急の仕事が入ったとのこと。
詳しい内容は店に来てから話す。けれど顕現者絡みのことではあるらしい。
きっと蛍にも伝わっているだろう。靴を履き自宅のドアを開ける。
開かれたドアの前には、見慣れた親友がいない。
それを少し寂しく思いながら、私は桃花へ走った。
いつも通る街道を過ぎ去り、10分ほどして、私は喫茶店・桃花に着いた。
店の前には人影。誰かが立っている。近づいてみたら蛍だった。
「おはよう、美羽」
「おはよう。もしかして待っててくれたの?」
「ううん、今来たところだよ」
多少汗をかいている私と違い、蛍は涼しげにしている。
きっと顕現を使って跳んできたんだろう。便利だなぁ、羨ましい。
その言葉を胸にしまって、蛍の背後に目を向ける。
喫茶店・桃花。扉にかけられている小さい看板は『CLOSE』になっている。今日は表の仕事は休みだ。
従業員用の扉を開き、中に入る。
厨房には誰もいない。店内の椅子や机もがら空き。上か。
二人で階段を上る。段々と人の話し声が聞こえてきた。この声は店長のものだ。
「はい、もちろんです。ええ、一番近いのが私たちと・・・・・はい・・・・・もちろんです。おまかせください。これも我々の仕事ですから」
二階に上がると、店長がソファーに座りながらテーブルに置いてある鳥人形と話していた。
一見変な光景に思えるが、当の本人の表情は真剣そのもの。
話している相手は高天原だろう。私たちのお得意様の。
やがて話が終わったのか、店長は立ち上がりこちらに振り向く。
「おはようございます。美羽さんに蛍君。
日曜日なのにわざわざ呼び出してしまって申し訳ありません」
店長の否笠さんが深々と頭を下げる。
店長に謝られても困る。私たちは返答した。
「いえ、私たちも特に予定はありませんでしたから」
「はい。それに裏の仕事を休む気はありませんよ」
それを聞いた店長は、頭を起こし、私たちに座るよう合図する。
それに甘えてソファーに座り、店長の説明を受けた。
「では、今回の依頼を説明させていただきましょう。
今回我々がすることは顕現者の確保です」
顕現者の確保。その言葉を聞いて、私に疑問が浮かんだ。
「顕現者って、この世界に私たち以外の顕現者が現われたんですか?」
「いえ、この世界ではありません。比較的近い分岐の平行世界です」
平行世界。
私たちが住む世界を、包括的に葦原中国と呼ぶ。葦原中国は可能性によって様々な分岐が生じる、いわゆる平行世界だ。
もうちょっと正確に言うのなら、葦の国は無数の平行世界論を含む超複合型世界なのだが、今はそれはどうでもいい。
時間を無限に区切った最小単位ごとに、無限大に世界が分岐する。ifの世界が許容されている。
私たちがいるこの世界も、その分岐のたった一つ。
店長の言う近い分岐というのは、枝分かれしている分岐が、比較的離れていない世界ということだ。
「じゃあ今回は、別の平行世界に行くんですか」
「ええ、そうなります。お二人は初めてですよね?」
「はい」
というより、桃花の店員以外の顕現者と会うことも初めてだ。
顕現者の保護。それも粛正機関の仕事の一つ。
放って置いたら咎人に殺される可能性もあるため、早急に庇護下に置く必要がある。
初めての連続。最近になってその体験が増えてきた。
そのことに関して不安はもちろんある。堅洲国に行くのとではわけがちがうから。
「では、私も同行させていただきます。
初めてですからね。それに顕現者絡みのことです。もしものことがあったら対応できる人がいないといけませんから」
その言葉を聞いて安心する。
店長は初老だけど、私達なんて比べものにもならないくらい強い顕現者だ。そんな人が同行してくれて、安心しないはずがない。
店長は虚空に目を向けると、そこに電子的な画面が表示される。
思考同期型インターネット。それが私達に、対象の写真を見せる。
映っているのは私たちより少し幼い少女の姿があった。
短いショートの茶髪。目の下の泣きぼくろ。年相応の笑顔を浮かべている。
「この子が、顕現者なんですか?」
「ええ。名前は高欄帳。
年は14。あちらの時間軸で、数日前に顕現を発現したようです」
「じゃあ、この子を保護すればいいわけですね」
この子についてまだ何も知らない。けれど、きっとこの少女は突如発現した顕現に驚き、戸惑っているはずだ。
その気持ちはよく理解できる。私たちも最初はそうだったから。
いざ腰を上げようとした時、店長が私たちを制止した。
「そうなのですが、少し面倒なことになっているんですよ」
「面倒なこと?」
「はい。ただ彼女を保護すればいいというわけではなくなりました」
店長の言い方から、これから話す内容が重要であると理解する。
店長はサングラスをかけ直す。
「実は、彼女の顕現を利用するため、いくつかの組織が彼女を捕まえようと追いかけ回しているそうなのです」
「え?」
「しかも国家ぐるみで」
「・・・・・・・」
なんだって?
国家ぐるみの組織が顕現者を捕まえようとしている?
事の大きさに、思考がうまく働かない。
「なんでそんなことを? という顔をしていますね」
こちらの動揺を察したのか、店長はいつものアルカイックスマイルを浮かべる。
「簡単なことですよ。どのような顕現かは知りませんが、その力を我が物にしたいんです。
うまく活用すればどんな兵器よりも強力な武器になりますからね。
お二人も自分事として考えていただければ理解できると思います。
可能性から外れ、一方的に影響を与えるだけの存在。
顕現という超常現象を容易く引き起こすその力。
欲深い人間にとっては喉から手が出る代物でしょうね」
面倒なものです。店長は呆れたように呟く。
自分の両腕に目を向ける。冷静に考えれば、確かに納得できる。
自らの顕現。それをもし兵器として利用したら、世界にとって脅威となることは明らかだった。
可能性世界から外れている顕現者は、同じ顕現者でしか害することはできない。
絶対無敵の超兵器。常人から見れば顕現者はそう見えるのだろう。
ゆえにその力を求める者が多いこともわかる。
・・・・・・・もしも私たちが店長に保護されていなかったなら、この少女のように国ぐるみで追いかけ回されていたのだろうか。
そう思うとゾッとする。
「なので彼女を保護するために動けば、彼女を追う組織と接触する可能性があります。
戦闘もやむなし、という状況もあるでしょうね」
「・・・・・・・・人と、ですか?」
店長の話を聞いて、蛍が質問する。
咎人ではなく、ただの人間と戦う可能性がある。
それを考えて、いつもの緊張とはまた違う、恐怖にも似た震えが全身を走る。
おかしい。もうだいぶ慣れたはずなのに。
店長は蛍の言葉に閉口し、ややあって口を開く。
「どう対処するかはその時の判断に任せましょう。
一番いいのは気絶させることですね。蛍君の顕現なら無力化も容易だと思います。
・・・・・・まあ、最悪殺してしまっても構いませんよ」
「・・・・・・っ」
最後の言葉。何気なく発せられた殺すという言葉。
いつも私たちがしていること。堅洲国で何度も行ったこと。
それなのに、背筋を貫くような寒気を感じる。
おかしい、おかしい。どうして今更緊張しているんだ。
そんな私の心情を見透かしているのか、店長は気楽な体で話を続ける。
「といってもそんな事態は起こるかもしれない程度です。
この前も体験していただいた通り、お二人には銃弾も爆弾も通じません。
組織のことは無視して構いません。足がすくんでしまったのなら逃げて貰ってもいい。
むしろ問題は顕現者のほう。彼女を追っている組織が下手に刺激しなければいいんですが」
店長が思案するように、画面に映る少女を見つめる。
確かにそれも緊張の一因だ。私たちは顕現者と対峙した経験はない。それは堅洲国でも同じ。
唯一私たちに影響を及ぼすもの。もしかしたら私たちを殺せるかもしれないもの。その危険性も念頭に置いた方がいい。
「さて、説明は終わりです。
後は一刻も早く彼女を保護しましょう。
その前に・・・・・・」
店長が立ち上がり、二階に備え付けのドアをトントンと叩く。
数秒後、ガチャリと内側からドアが開き、中からゆらりとある人物が出てきた。
首本まで伸びる茶色い髪。
その目は一切の光を持たず、かといって一切の闇も持たず、混沌に渦巻いている超常のもの。
独特の黒と赤のコートには、よく見れば私が見た事も聞いたこともない奇妙な文字がびっしりと書き込まれている。
纏う雰囲気は冷徹的で、熱狂的で、いかなる言葉でも形容ができない。
世界の全てを圧倒する超然とした気迫。完全な黄金比のもとに作られたかのような魔的な美貌。
そこにいるだけで不安で押し潰されそうになるのは、一年と数ヶ月経った今でも変わらない。
私達より、咎人なんかよりも遥かに異質で、格の違いを思わせるその人物。
その名はアラディアさん。
喫茶店・桃花の従業員であり、もちろん顕現者でもある魔術師だ。
「なんでしょうか、店長」
アラディアさんが要件を尋ねる。
その僅かな言葉だけで、過小な人間の魂などいくらでも押し潰す神秘が込められている。
本人が抑えていてこれなのだから、その本領が底知れない域にあるのは、推して知るべきことだ。
「ご苦労様ですアラディアさん。
顕現者の保護のため、私たちはこれから別の平行世界に跳びます。
なので二人にあの魔術を教えてあげて欲しいんです」
「ああ、あれですか。わかりました」
その話を聞いて、アラディアさんは欠伸をしながら、ソファーに座る私たちに近づく。
私と蛍の額に指で触れると、その指先から光が漏れだした。
「あ、アラディアさん?」
「あの、何をしてるんですか」
「・・・・・・・・・」
私たちのくぐもった声を、アラディアさんは当然のように無視した。
しかし何かが脳内に入ってくる感覚がある。脳が活性化し、脳内で得体の知れない何かが爆走している。
ああ、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いイタイイタイイタイイタイイタイイタイ!!!!
まるで脳髄を無理矢理こじ開けられて、グツグツ煮え立つマグマを注ぎ込まれたかのような激痛が脳裏に走る。
しかもなぜか叫べない。叫んでその激痛を逃すことすら許してくれない陰湿ぶり。
数秒して、その光が収まる。
それと同時に脳内を爆走していた痛みも収まる。アラディアさんが額から指を離した。
「あの、一体何をしたんですか?」
「・・・・・じきにわかる」
そう言うとアラディアさんは踵を返し、再び自分の部屋に戻っていった。
説明一切なし。うん、平常運転。いつものアラディアさんだ。
「まあ、そういうことです。準備は終わりました。では行きましょうか」
店長が私たちに呼びかける。
その手は複雑な魔術式を描き、空間にその文字を刻んでいる。
私たちが堅洲国に行く時に使う壁。あれと似たような紋様ができあがると、空間に歪みが生じた。
「次元を歪ませて、別の世界とつなげました。
時間や空間と違って、次元だけは平行世界共通ですからね」
豆知識です、店長は目の前を指して言った。
歪んだ景色の先、何か光が見える。
それは暗闇の中に見える光。光に照らされたビルの姿がある。
これが別の平行世界への扉。あちらの世界の景色が見える。
私たちは立ち上がり、店長と同じ位置に立つ。
店長は先んじてその歪みの中に入っていく。
私たちもそれに続く。白い光に飲み込まれる前に、対象の少女、高欄帳を思い出す。
顕現を発現し、その力を利用しようとする組織に追われている彼女。
初めてのことで色々不安はあるけれど、必ず救ってみせると心に誓って、私は一歩踏み出した。
次回、複数の視点