箱庭の終焉へ
そこからは速かった。
【スズキ】と石田が同時に動いた。
【スズキ】はモニターへ、石田はUSBを彼女に挿しに動いたのだ。
しかし、【スズキ】は今までの楓からは想像し難い速さで石田の腕を避けて頰に拳を振るう。流石に想像できなかったらしい彼はもろに食らうこととなるが、辛うじて踏みとどまる。
そこからは、距離の関係で【スズキ】がモニターに達する方が早いと思われたが、それより速かったのは梶谷の端末操作だった。
一瞬だけ【赤根茉莉花】が現れたかと思いきや、急に呻いて倒れた彼女に石田が容赦なくUSBを挿した。
【スズキ】は悲鳴をあげながらその場で悶えている。
莉音は小さく悲鳴をあげると後退し、それを庇うように梶谷が立ちはだかった。
口の中を切ったらしい彼は床に血の混ざった唾を吐き、2人の元にやって来た。
「梶谷、何したの?」
「【赤根さん】のプログラムの残骸を使って、【捕縛】を物理的に行えるようにしたんすよ。」
梶谷が隠し部屋の調査の時に、他の作業そっちのけで行なっていたことだ。
ほー、と呑気に感心してみせる。
「結果としては違いましたけど、万が一のためアンタに対抗する術が必要でしたからね。」
「なるほどね、でこの後どうするの? 見た感じ、アレも長くは保たないよ。」
こちらを鋭く睨みつける、獣のような声を出しながら硬直させる彼女を見て顔を顰めた。
「ほ、ほかの皆さんのデータをどうにか引っ張り出すんだよね?! できるの?!」
『いや、……できな…よ。』
焦った莉音の言葉に対して、冷静に述べるのはザップ音にかき消される千藤の僅かに焦った声だ。
段々と楓だったものが変貌していく。それが完遂された時、彼女はただのデータの塊となり3人、いや14人を消しにかかるのだろう。
その時、画面の向こうから恵の叫び声が聞こえた。
『ロ……アウト……で、互……じょうを!』
梶谷にはそれで十分だった。
2人を見遣り、叫んだ。
「とりあえざログインルームに移動します!
それでいいんすよね? 乙川さん?!」
影と化した彼女が頷いた。
腰の抜けかけた莉音の手を引き、梶谷はモニタールームを飛び出す。
3人は近場のログインルームに飛び込み、梶谷はすぐに操作を始めた。
「石田さんはオレの端末で自分のコードを、石田さんの端末で武島さんのコードを読んで!
武島さんはオレのコードを読み込んでください!」
「……分かった。」
「そっか、全員で【強制退場】してダストボックスに行くんだね!」
否定の言葉を述べないことが肯定だった。
一か八かの案なのだ。
ダストボックスに入ってしまえば、あとは自分たちでできることは何もなくなる。
逃げることも、もがくことも。
「ダストボックスとつながりました!」
「なら、ハイ。梶谷の3、2、1、ハイのカウントに合わせて【強制退場】ね。」
「……信じるよ、梶谷くん、石田さん。」
莉音の言葉に頷き合う。3人で互いの【強制退場】先が間違っていないことを確認した。
「いきます。」
「3」
「2」
「1」
ハイ、の掛け声と同時に目の前が真っ暗になった。
『【スズキ】さん、いや、ヤマモトさん。
貴女は、本物の赤根茉莉花の横で何を見ていたの?』
「うるさい……、私だって必死に助けようとしたんだ! なのに、私のルームの奴らはむざむざ消えていった!
何でルーム番号が1つ違っただけで、アイツは世間のヒーロー、私は無能な職員に成り下がる!
何で規則を違反したアンタが責められず、規則を守って助けようとした私たちが責められる?!」
あの事件、責められたのは責任者の政治家だけではなかった。会社単位で責任の所在を追及されたのだ。
結果として赤根茉莉花は功労者として多額の保証金を渡されることとなった。
しかし、他の職員に対して当たりは強かった。
再就職先は半数の者にしか用意されず、また再就職先でも無能と罵られることも少なくはなかった。
当時のゲーム、赤根茉莉花の隣の席にいたヤマモトも同じだった。
「私だって、助けたかった。
私だって、ヒーローになりたかった。
みんなに会えて良かったって言われたかった……!」
果たしてその言葉は、本山楓としてのものか、【スズキ】としてのものか、それは定かではない。
かつてそれを言われた【赤根】は優しくデータの残骸を抱きしめた。
『もう苦しまなくていいんだよ。
人を傷つけて、自分を傷つける必要はないんだよ。
見送ろう、あの子たちを、あの子たちの未来を。』
データの残骸は不協和音を鳴らし続ける。
とても不快な音だ。
しかし、それは【赤根】からすれば懐かしくも悲しい音で、消える世界の中で2人は静かに泣くことしかできなかった。




