微かな違和感
「おっそいよ。」
「アンタと同じにしないでほしいっす!」
「怖い怖い怖い!」
ぎゃー、と悲鳴を上げているのは梶谷の後ろを進む莉音だ。3人は屋上へ続く梯子を登っていた。
梶谷は進むのが遅く、ビビリな莉音は悲鳴を上げながら進んでいた。それを後方から石田が呆れながらもついていっている状態だ。
なんとか登りきり、3人が屋上にたどり着く。
すでに2人は満身創痍だ。
「ちょっと、調査する余裕ある?」
「ありますけど、少しだけ息を整えさせてください。」
莉音がぜーぜーと、息を整えるのを石田は律儀に待っている。
一足先に息を整えた梶谷は空を見上げた。
確かにやけに空が近いように感じ、何となくだが誰かに見られているような感覚がある。
「USBを貰ったのはここだよ。
3つ目の事件の時に、非常用発電機をつけにきた時。酒門が部屋から出た時にここでさっきの再現みたいな光の影が現れたんだよ。」
「でも、何でそれが赤根さんと?」
「自ら名乗ったからね。」
温室や過去の事件と一切関係のないこの場で何故か、梶谷は首を傾げた。
後ろからおずおずと、莉音が石田に対して問いかけた。
「……石田さんは、酒門さんをはじめとした私たちのことは警戒しているのにどうして赤根さんのことは信じたんですか?」
「分からない。でもさっきの仮説の話に戻るけど、何となくあの【スズキ】とは違うように感じたんだよ。
それと、オレ2人のことは比較的信頼してるから。」
「何でっすか?」
梶谷はふと尋ねる。
莉音を信頼する理由は薄々気づいていたが自分の理由はいまいち分からなかった。
「武島は自殺しようとしたでしょ。【スズキ】の管理下ならそんな不測の事態なんて発生させない。
それに梶谷は外部にメールを送った。もしちゃんと送れているならオレ達のゲームの結果は置いておいて、【スズキ】にとっては不利益だ。」
「じゃあ逆にどうして酒門さんをそんなに警戒してるんですか? 酒門さんだって皆さんが出るために頑張ってますよね?」
莉音の言うことはもっともだ。梶谷も同意と言わんばかりに首を縦に振る。
「……酒門は、確かに信頼はできるけど信用はできない。やってることは確実に味方だけど、自分が持つ技術を明らかにしないあたり不穏に感じる。」
「うーん、確かに。」
莉音の優柔不断さはやはり元来の物らしく石田の意見に流されている。
しかし、梶谷としても石田の意見は分からなくもなかった。
「オレが言うのもなんだけど、この赤根さんって不思議な感じがするんだよね。」
「不思議な感じ、っすか?」
石田が頷く。
「……温室の赤根さん、っていうのは高校生なんでしょ? でも赤根さんの正体らしい管理人のスズキさんは成人のはず、今回の黒幕の【スズキ】も成人。
……でもここに現れた赤根さんは、温室の赤根さんと同じ話し方で、態度もよく似ていたし、何よりシルエットがオレ達と同じジャージだった。」
「でも、高校生女性なら成長期終わってるし身体じゃ分からないと思います……。」
「武島の言う通りなんだけど……うーん。」
どこか腑に落ちないところがあるらしい。
しかし、莉音に言い返す言葉はないらしく、石田は悩ましげにしていた。
「このことは皆さんに共有して酒門さんに話を聞いてみましょう。久我さんから何かを聞いてるかもしれません。で、USBは石田さんが持っててください。」
「……オレでいいの?」
「ええ。赤根さんがあえて石田さんが1人の時に渡したのかもしれないですし。
それにUSBのことは敢えて言います。」
「えっ、それは危なくない?! まだ裏切り者がいる可能性だって……。」
莉音は慌てて梶谷を止めようとする。
しかし、石田は納得したようで頷く。
「もし奪いに来るなら、よほどが無い限りオレは他の面子に負ける要素はない。それに寝込みを襲われるならそれはそれでいいよ。ウイルスがいるっていう証明にはなるし。」
「なんて交戦的な……。」
無表情に淡々と述べる彼に、莉音はやや引いていた。
「私もう二度と屋上行きません……!」
「フラグ?」
ブルブル震えて途中から降りれなくなった莉音をあっさりと不安定な梯子に立ち、抱えてしまう彼の身体能力を単純に尊敬していた。
もう気づけば日も暮れてもおり、1日目は終わろうとしていた。
「そういや日も暮れるけど、今って何日目なんだろう?」
「え、1日目と思ってたっす。」
「そうとも限らないんじゃない?」
梶谷としては盲点だった。
毎回1日目に確実に起きることができていた上、端末で何日目か確認できていたため抜け落ちていた。
「えっ、これまずくないっすか?!」
「そ、そうだよね! 私も今言葉にして焦ってきた!」
「でももう夜になったし、あと24時間あるのは確定じゃない?」
冷静な石田の意見に2人ははっと顔を上げる。
思わず上目遣いになったらしい2人に気圧されながらも石田は続ける。
「早く3人と合流しよう。もう少しで集合時間だよね。」
「それもそっすね! なら、早く行きましょう。」
梶谷がぐいぐいと背中を押して2人を集合場所のカフェテリアに連れて行く。
屋上からの視線には一切気づくことなく。
それからカフェテリアで3人と合流した。
相変わらず美波の顔色は悪い。楓は元気はなかったが3人をおかえり、と迎えてくれた。そして、千葉はなぜだか気難しげな顔をしており、梶谷が声をかけても曖昧な返事しか返さなかった。
「酒門さん、体調大丈夫っすか。」
「別に梶谷は心配しなくていいよ。」
「……心配くらいしかできないんすからさせてください。」
美波は脂汗を滲ませながらも苦笑した。
それから発見したことについて報告会を行った。楓からは施設中の電子機器は全て電源が切れていることを確認したそうだ。
千葉は安定の倉庫の中身の確認と隠し部屋の出入り口の調査を行なったらしい。
「あと、酒門に頼まれて図書館も調べてきた。そしたらいつもの世界の主の記憶を書いた本がなかった代わりに、【塵箱の物語】っつー本があった。
こんなに年季の入った本初めて見たぜ。」
「読んでも?」
「あまり気持ちの良いものではないけどね……。」
梶谷が確認すると、先に読んだらしい3人は表情を暗くして頷く。
「というかなんで黄ばんでるの。茶でも零したの?」
「オレが見つけた時にはもう黄ばんでたっつの!」
千葉が石田に食ってかかるのを尻目にページを読み進める。
『ここは箱庭、箱庭にはとある少女がいました。少女は毎日毎日来る日も来る日も代わる代わるやってくる子どもたちを見つめています。
彼らが少しでも楽しく生きられるよう、少女はみんなの安全を守るために戦っているのです。』
『少女はとある日気づいてしまったのです。子どもたちには帰る場所がありますが自分は役目を終えた時、どうなってしまうのだろう、と。でもそんな感情を持つことさえ許されない少女は叫ぶのです。そう、自分の部屋にある塵箱に向かって。助けて、と。』
『いつもと同じように塵箱に向かって叫んでいる時、初めて塵箱の中が見えました。そこにはなんとかつての仲間たち、エラーを起こしてウイルスと見なされた仲間たちが捨てられていたのです。その世界では消えるのを待つことしかできない、恨み辛みが聞こえてくるようでした。』
『箱庭は楽園と呼ばれていましたが、少女にとっては地獄、まるで社会の塵箱のように感じました。このままではいけない、少女は学びます。だから沢山の人に声をかけました。皆が前を向いて歩いていけるように。でも、無駄なのです。用が済んでしまえば自分も塵、なのですから。』
『少女もいつの間にか塵箱に捨てられていました。暗くて怖くて息苦しいところです。少女は叫ぶ気も起きませんでした。でも助けが来たのです。助けに来てくれた人は腕しか動けません。しかし、どこからか光の紐が降りてきて、少女達を救います。それは間違いなく少女には希望だったのです。』
「……意味がわからない。」
一緒に覗き込んでいた莉音が首を傾げて梶谷を見つける。梶谷自身もさっぱりだった。
それに答えたのは美波だった。
「久我のメモに書いてあった本だよ。
……メモは隠し部屋に置いてきたけど。前回ゲームの脱出に一役買った本らしいけど、私もどう活かせたのか想像もつかない。そもそも内容が比較できないから今回のゲームにも適応されるのかよく分からないけど。」
「うーん、でも塵箱ってつまりはダストボックスだよね? それは【スズキ】さんに支配されてるわけだから希望も何もないと思うなぁ……。」
楓のいうところも最もだ。
このゲームに適応されなければ意味はなく、前回のゲームはウイルス以外全ての勢力が参加者たちを救おうとしていた。
現状では外からの救出は期待できている状態か否か不明である限り、ダストボックスについて言及するのは難しい。
『前のゲームでは、外部からの介入がほぼできないシステムだったんです。だからこその機密性と安全性でしたけど。
今回はサーバー主、ダストボックス、それこそ外部から、さまざまなところからのアクセスが可能なんです。』
そういえばAIの綾音もダストボックスについて言及していた。もう少し詳しく聞きたいところであるが、端末の電源を入れることが許されない状況でどうすればいいのか。
石田も思い返しているようで、ふと目があった。
「ねぇ、酒門さ。」
「何?」
「やっぱり端末とかパソコンとかつけちゃダメなの? 調べられる量が限られてくるよ。」
「あー、それ私も思ったかも。」
「正直オレもっす。」
「でも点けたらまた【スズキ】さんが何かしてくるかもしれないんですよね?」
「オレも反対だ。あんな奴と顔合わせたくねぇし、何されるか知ったもんじゃねぇ。」
莉音と千葉は反対のようだ。
美波は腕を組み、困ったようにしながら黙り込む。
「……なら、最終日に解禁にしよう。」
「最終日? 今何日目か分かるんすか?」
「図書館にある、あの他の部屋の犠牲について書いてあるファイルあんだろ。それで経過日数見れるぞ。
ちなみに今は3日目に入ったところな。」
千葉から捕捉がやってくる。
それは生きているのか。
後ほど見に行こうと梶谷は内心で誓う。
「分かりました。オレはそれでいいっす。」
「……わかったよ。」
「うーん、みんながいいなら。でもこれ以上情報は出てこない気もするけど。」
「なら、再現映像について、たくさんまとめたので見てください! 私が持ってるので!」
梶谷とともに1日かけて纏めたノートを差し出す。
千葉がペラペラと捲ると感心したようにほう、と呟く。
「すげーな、2人でまとめたんだな。」
「へへ……。梶谷くんと、途中からは石田さんと。」
「そうなんだ。ありがとう、参考にさせてもらうね。」
距離を置かれていた楓にも礼を言われたのが嬉しかったのか、莉音は笑顔を浮かべた。
「……何か、変わったね、武島。」
「そう思います? 話してみるとちょっとずつっすけど彼女も頑張ってるのが分かってきてオレも嬉しかったっすよ。」
梶谷の言葉に、美波はきょとんと目を丸くしたが、慈しむかのように彼女は僅かに口元を緩めた。
「そっか。ーーーーーーなくて、良かった。」
「え?」
美波は小さく何かを呟いたが、梶谷の耳には届かなかった。
彼女は何でもないと首を横に振ると、ゆっくりと椅子に背を預けた。
「おう、上がった。」
「分かった。」
この晩から男女ともに一部屋ずつに集まることが決まった。入浴の順も男子部屋はジャンケンで決めた。
千葉と入れ替わりで石田が部屋を出ると、彼は頭をワシワシと適当に拭きながら武島に借りたらしいノートに目を通していた。
「そういや昼間、酒門さんってどうでしたか?」
「相変わらず、ずっと体調悪そうだったよ。やっぱり【サポーター】っつうことが影響してるのか?」
梶谷は千葉に話しておくべきか、と思案する。
「あの、【サポーター】のことなんすけど、その、」
「……この世界の終わりと同時に消滅するんだろ? 知ってるよ。」
千葉がまさに梶谷が告げようとしたことを言い当てるものだから、梶谷は二の句を継げなかった。
「酒門が、オレと本山に言ってきたよ。お前らも、いずれは知るだろうからって。
アイツはもう、消える覚悟をしてた。」
「えっ、なら、何でそんな冷静なんすか?!」
怒鳴っても仕方がないことを梶谷も理解はしていた。しかし、ともに笑い合っていた2人が静かに覚悟をしていたことに、納得はできなかった。
「……酒門に言われたんだよ。全員が助かるには犠牲もつきものだ、覚悟を決めろってな。
本当情けねぇよ。寿と、久我のことがあってからオレは何も前に進めてなかったことを思い知らされた。」
「そんなこと……。」
「そんなことあるだろ。お前と酒門は1つ目の事件で腹括って、石田も2つ目の事件で協力を選んで、本山は3つ目の事件で共に背負う覚悟をして、4つ目の事件で武島は生きる覚悟を決めた。」
千葉は自身の端末を梶谷に翳した。
「オレの端末は、お前と酒門は開けるようにした。あの写真の顔認証機能だ。
オレは馬鹿だからどうしようもねーけど、2人のことはずっと信じてるから、全部預ける。」
「何すかそれ。……オレだって、ここにいるみんなのこと信じてますよ。でも、」
不安を零す梶谷に対して、千葉は出会ったときのように乱雑に彼の肩を叩く。
確かその時はひ弱だと言って理不尽に須賀と共に梶谷を鍛えようとしてきたか、と思い返す。
「いいんだよ。お前は疑った上で、推理して、考えられる。それを繰り返せばいつか答えに辿り着くだろ。
お前はお前にできることをやりゃいいんだよ。」
「……そっすね、ありがとうございます。」
「なら、石田戻ってきたらさっさと寝ようぜ。休む時には休まねーと体力保たねぇ。」
2人はベッドにそれぞれ横になる。
しばらくすると石田も欠伸をしながら戻ってきて、すぐに布団に潜り込んだ。
誰から、とは言わずおやすみと挨拶をすると眠りについた。
まさかそれが、千葉を見る最後になるとは思いもせずに。




