空の言葉と空の瞳
「ねーねー、莉音〜。みんなとお話ししようよ〜。」
この世界になって2回目の朝、少し早めにカフェテリアに向かうと華が少し困ったような声音で莉音に話しかけている。一方の莉音は、少々硬い表情でひたすら首を横に振っている。
それを遠目で傍観しているのは香坂だ。
「おはようございます。一体何が?」
「オレに聞くな。……下僕も戻ってこないし、暇していただけだ。」
下僕、つまりは荻のことであろう。
美波はそう、とだけ返して同じく傍観に徹するかと思った。
噂をすれば、件の男、荻が玄関の方からやってきた。
「な〜に〜? 騒いじゃって。せっかくの気持ちのいい朝なのに。」
「こんな世界で気持ちのいい朝なんてあるわけないじゃない……!」
「それはごもっとも。」
彼はなんて事のないようにからからと笑う。
それを嫌味と捉えたらしい莉音は鋭い目つきで彼を睨みつけた。
「聞いてよ〜。莉音が誰とも話さないっていうんだよ〜? 華のことを信じてくれるのは嬉しいけどまだまだ莉音は他に信頼できる人がいないんだよ〜。」
「当たり前だよ! だって酒門さんの世界の時のこと考えてみれば分かるでしょ……。」
「でも幼馴染のあの2人は仲良しじゃない。」
荻がそう言うと、莉音は黙り込む。
図星だろうか、彼女の様子を見守ると、彼女は視線を落として呟く。
「……どうせ、無理だよ。」
「そう文句を言うなら最低限の行動をしてから言ってほしいね。」
荻の鋭い言葉に、彼女は涙を溜めた視線を向けたが言い返す言葉がないらしく、そのままカフェテリアを後にする。
「莉音〜! 龍平言い過ぎだよ〜!」
「君も君だよ。彼女を甘やかしすぎじゃない? 調査を一緒にした時だってどうかと思ったけど。」
「……龍平は、華たちのこと信じてくれないんだね〜。」
華はそれだけを寂しげに言うと、莉音を追いかけて小走りで去ってしまった。
「どうした? お前にしては何か焦っているようだが?」
「……別に。香坂サンはどうするの?」
「オレは図書館にいるさ。体力勝負の調査などオレに合わん。」
「そっかぁ……、なら肉体派の酒門サンにご協力願おうかな?」
「は? 私?」
荻は頷いた。
モニタールームで【スズキ】とコンタクトをとる予定であったが、何かと鋭い指摘を繰り返す彼の誘いに興味がないわけではなかった。
「……聞こうか。」
「うんうん、さすが酒門サンだね。あの人らとは違うね。」
彼がピリピリしている理由も少し気になった美波は彼の誘いに応じることにした。
「屋上とあの2人の自室を調べたい?」
「うん。」
彼は素直に頷く。
「2人がいるところで調べたじゃん。」
「あんな監視された中で調べるなんて調べたって言えないよ。」
そう、あの解散の後、再度一部の者で2人の部屋の探索を行った。
特にめぼしいものはなく、殆どの者は興味を示さなかった。
「しかも、あれからあの部屋の近くにいつも高濱サンか石田サンがいるんだよ? もちろん夜中も。おかしいでしょ。」
「……確かに。」
自分の時は、こんな世界だしと特に頓着していなかったが、荻の話を信じるならばやや過剰な反応であるようにも感じた。
「……にしても、意外だよ。」
「なにが?」
「寝る間も惜しんでアンタが調査してること。」
「……ああ、僕もさっさとこの世界から出たいからね〜。思ったよりつまらなくて飽きちゃったし!」
頭の後ろで腕を組むと、彼は笑う。
果たして本音なのか建前なのか、それは定かではなかったが調査に熱心なことに違いはないらしい。
「いいよ、協力する。さすがに2人に殴り勝つとかはできないけど。」
「やっぱり話が分かるね! そこまで期待してないから安心してよ。」
「で、何をすればいい?」
やや強引に話を進めると、彼はまず1つ、と指を立てた。
「どこかのタイミングで、倉庫にある梯子を使って屋上の調査をしたい。これはできるだけ早いタイミングがいい。」
「ならこの後すぐ行こうか。」
美波が提案すると彼は頷く。
そして立てる指の数を増やす。
「2つ目ね。可能であればもう1人協力者を立てて、石田サン、高濱サンを監視した上であの2人の自室を調べたい。ということで適任はいない?」
隠し事ができて、それなりに2人をうまく引きつけられる人間、何より信頼できる人か。
「……梶谷かな。」
「ま、だよね〜! ……本当、悔やまれるよ。」
「何のこと?」
美波が尋ねると、どこか寂しそうに微笑みながら彼が答える。
「久我サンがいたら、久我サンとあなたに真っ先に相談したのに、ってこと。」
確かに彼自身は久我をひどく気に入っていた覚えはある。
人当たりのいい彼は適任だったかもしれない。
「アンタも、結構応えてるんだ?」
「まぁ、ね。あんな光景はもう二度と見たくない。だから、あの人らを見ると少し腹が立つんだよね〜。」
軽口を叩くような声音で語るが、これは本心だろう。
でなければ、あのように糾弾はしないはずだ。
しかし、その糾弾を今責めても何も生まれないと美波は判断し、特に咎めることなく返す。
「悔いても仕方ないし、ね。梶谷にはいつまでに相談すればいい?」
「そうだね〜。実行は明日の早朝とか? たぶん1番警戒が薄い時間帯だし、ね。」
「部屋の調査はアンタがするんでしょ? なら、高濱を私が、石田を梶谷が様子見るのがいいかな。」
「いいの?」
荻は意外そうに言う。
「私はそういう細々とした調査は得意じゃないし、あの部屋に違和感を感じなかった。恐らく梶谷も関心はないだろうから、同じ。それなら違和感を感じたアンタが調べるべきだよ。それに、アンタは妙なことや駆け引きはするけど、嘘はつかないでしょ?」
美波がそのように言うと、荻はまるで鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。しかし、すぐに噴き出し破顔した。
「はー! これだから酒門サンは面白いよね! ぜひリアルで会ってみたいよ。」
「それは光栄で。」
美波も僅かに口元を緩めた。
それから2人はすぐに倉庫に向かい、大きな脚立を取り出す。作業員よろしく、屋上への梯子の元へ運び設置した。
美波が先に向かう。
というのも、荻は高さに驚いていたらしく、少しばかり恐怖を感じたようだ。
彼のペースなど気にせず、美波は屋上に降り立つ。
「ここが屋上か。」
申し訳程度の転落防止柵、大きな貯水タンク2つ、何らかの設備を収納しているであろう小屋のような倉庫が並んでいる。
美波があたりを見渡していると、やっと荻が追いついてきた。
「遅かったね。」
「うるさいよ。にしても、ここは早く調査すべきだったかもね。あの倉庫……あれ?」
荻が見つめる先に視線を送ると、そこから石田がひょっこりと現れたのだ。
「石田さん、きてたんですね。」
「まぁ……、調べるって言った手前。」
相変わらずのポーカーフェイスで彼はそう告げる。
荻は興味深そうに彼の姿を観察すると、ふうんと小さく呟く。
「僕らも調べたいんだけど、1番屋上に来る機会が多かったあなたの所見を聞きたいな。時間ある?」
「構わないけど……。」
「ん、何が言いたいことがあるみたいだね?」
荻は無遠慮に、石田に接近し詰め寄る。
石田は困ったように後ずさると、あっさり壁に追い詰められた。美波に救いを求める視線を送ってくるが、美波は静かに首を横に振った。
諦めたのか、肩をすくめると渋々といった様子でぽつりと呟いた。
「いや、荻って適当なこと言ってるイメージあったから真面目に調査しているのが意外で……。ごめん。」
「そんなこと? 酒門サンも言ってたし。というか、何でそんな遠慮しいなのさ。」
美波は内心で荻の方こそ遠慮すべきと思っていたが余計な口を挟まずに静観していた。
というのも、石田が先に口を開いたからだ。
「……昔からオレ人が傷つく言葉っていうのに疎くて。一度どうしようもないくらい揉めて、その時に助けてくれたのが風磨なんだ。かなり拗れたんだけど、あの時の風磨は凄かったよ。」
優しい表情が、どれ程に思い入れがあるかを語っていた。
しかし、荻は気に食わなかったらしく反論する。
「でも、あなたはもう自分の駄目だったところ分かってるんでしょ? ならそれを踏まえて自分で話した方が良くない? 少なくともオレは高濱サン越しの言葉より、鋭すぎても石田サン自身の言葉の方がいいなーって思うけど。ねぇ? 酒門サン。」
「えぇ、ああ、まぁね。通訳頼むの面倒だったし。」
美波のぶっきらぼうな態度に、石田は目を丸くしていたが、無意識か言葉を漏らす。
「そう……。そっか……。」
「じゃあそういうことで、石田サンの言葉で説明してよね。」
「……。」
まだ言葉が碌に出てこないらしい彼は素直に頷いた。
それを気にせず、美波はズカズカと小屋に押し入り、薄暗い部屋を端末のライトで照らす。埃っぽかったが、石田達が出入りしたせいか少しばかり埃の絨毯は剥げていた。
小屋の中には空調設備に加え、この箱庭の電気設備などがある。
「これは?」
「変電機器や非常用発電機。このレバーを上げると発電機が動き始めるよ。」
「そういえばブレーカーって見てないな。」
「え〜、気づいてないの〜? 2階の空き部屋の横にあったよ〜? 酒門サンの世界の時も一緒。」
「……2階の担当アンタじゃん。」
苦し紛れに言い返すと彼はどこ吹かぬ風か、ケラケラ笑って躱すばかりだ。
「ちなみにこの変電機や発電機の存在知ってる人は?」
「オレと千葉だけ。別に言うことでもないし。それより、2人はここにいて何も感じない?」
石田の質問に、美波と荻は顔を見合わせて首をかしげる。
「別に何も感じないけど。」
「そう、ならあの貯水タンクの上は?」
「……貯水タンクの上?」
美波は小屋から出てタンクの傍らに設置してある梯子を登り、その上に乗った。その瞬間だった。
やけに空が近く感じたのだ。
確かに、強い日差しが掛かっているには違いない。
そして距離以上に空から嫌な気配を感じるのだ。
「どうしたのさ、酒門サン。」
「……。」
石田は美波が何を感じているのか察しており、言葉を待つばかりだ。
「ーーーーられてる。」
「は?」
荻が聞き返す。
「誰かに、見られている。」
そう呟いた瞬間、青い空に広がるものが一斉に視線になったような気がして。
美波は言葉を失い、それ以上の逃げ道を見つけることができなかった。