零れ行く想い
「……ッ、何で久我くんがここにいるの?!」
「君こそ、でも彼女は来ないよ。」
僕が言うと目の前の彼女は表情をゆがめた。
ああ、やはり。
彼女は酒門さんを守りたかったんだ。
自分も含めて他の人を消してでも。
「美波ちゃんは……。」
「彼女には言ってないよ。僕はただ、君に思いとどまって欲しかっただけだから。」
「そう……。」
明らかに安堵した表情を浮かべた。
しかし、次の瞬間顔を上げた時には、もう彼女は決意を浮かべていた。
「……僕を消すつもり?」
「うん、美波ちゃんには久我くんが必要だと思ったけど、もう時間も、機会もない。ーーだから!」
彼女は自分の端末を掲げた。
自分の首元のコードを読み取る動作、僕にはそうにしか見えなかった。
「やめーーーー!」
止めようとした時だった。
急に何か目眩と衝撃に襲われ、僕はバランスを崩す。
目の前の彼女が大きく眼を見張る。
次に目覚めた時、目の前に広がっていたのは真っ赤な血の海とそこに沈む彼女。
そして、僕の身体に残ったのは饒舌し難いほどの、全身の痛みと、
言い訳がましくチラつく【強制退場】の選択肢であった。
「……久我。1つ聞いていいか?」
呆然とする者、警戒する者、同情する者、視線は様々であったが、千葉はいずれとも異なる視線を投げかける。
久我は答えないが一瞥をくれた。
それを了承の意ととり、彼は言葉を続ける。
「お前は、何を想ったんだ? アイツとは、最後に何を話したんだ?」
彼の手が震える。
ふぅ、と息を吐くと顔を上げて弱々しく笑いながら答えた。
「……僕にとって、酒門さんと寿さんは失い難い友人だよ。あの出血量を前にして、冷静じゃいられなかった。自分の端末に【外傷治療薬】がなくて、寿さんのを使おうとしたんだ。だけど、端末に電源が入らなくて……、誰かを呼びに行こうと思った。その時彼女に引き止められたんだ。」
あの時の弱々しく握る感触。
久我はそれを振り切れないのか、悲しげに手を握ったり開いたりしていた。
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「寿さん、良かった! まだ意識があるんだね。人を呼んでくるから離しーーーー。」
「私を消して、」
久我は固まる。
彼女がぼうっと遠くを見つめながら言う。
「あなたがいなくなったら私は自決するよ、早く。お願い、お願い……。」
頭部から流れる血は止まらない。
目元から流れる水滴は決して血でないだろう。
「……分かった。」
久我が端末を出して操作し始めると、彼女は首元のコードが見えるようにそっぽを向く。
「……ごめんね、ありがとう。」
「……僕こそ、ごめん。ありがとう。」
彼女が消えるのは一瞬だった。
あんなにもあっけなく、消えてしまうのか。
久我は下唇を強く噛み、己の弱さを呪う。
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「振り切ろうと思えば、振りほどけたんだ。でも、僕にはできなかった。だんだん、怖くなってきて、血で汚れた服を捨てて部屋に戻ったら、須賀さんとも会わなくて。そうしたら、情けないことに、ね。僕は罪を誤魔化そうとしてしまったんだ。」
彼は自嘲した。
「謝っても許されないと思うし、このことを伝えたからと言って同情してほしいとも思わないよ。」
彼は力なく、立ち上がる。
そして、ログインルームの装置、ログアウトの装置に手をかける。
「僕が、ログアウトすればこれ以上の犠牲者は出ないし、次の世界に行ける。独りにしてほしいな。」
「チッ、わかったよ。」
「嫌っすよ!」
千葉が出ようとすると、梶谷が久我に飛びつく。
彼は目を丸くした。
「アンタらみんなお人好しすぎっすよ! アンタも、寿さんも、酒門さんも! 1人で背負いすぎなんすよ!」
「……梶谷くん。」
彼はきょとんとした。
しかし、どこか嬉しそうに微笑むと千葉に目配せする。彼は、頷くと小柄な梶谷を羽交い締めにして部屋から出る。
それに倣って他の者も外に出て行く。
「なんか、パッとしない事件だったねー。」
何となく、全員カフェテリアで留まる。
お互いを警戒しているが、1人にもなりたくない気分の者がほとんどであった。
「……アイツら、マジで仲よかったからな。」
「うぬ、そうだな。久我も、酒門も、勿論寿も苦しかっただろうよ。」
高濱と須賀が同情的な意見を言う一方で、莉音は険しい表情のままであった。
「でも、結局のところ、寿さんは酒門さんを助けたいあまり暴走して、止めようとした久我さんが不可抗力とはいえ、寿さんを消した……。頭おかしいんじゃないの。」
「アンタに3人の何が分かるんすか!」
梶谷が怒鳴る。
莉音は彼の怒鳴り声に肩を震わせた。
「修輔は怒らないのー。莉音も言い過ぎだよー。こういう時こそ、お互いを信じて疑わないことが大事だよ〜。今は怖いけど、きっと信じれば争いは生まれないよ〜。」
華は2人を宥めつつ、そのように告げる。
莉音は明らかに安心したように微笑み、彼女の背後に回る。
梶谷は呆れたように溜息を吐き、貧乏ゆすりを続けていた。
「そういえば、酒門どこいった?」
ふと、麻結があたりを見渡す。
確かに渦中の人物であった彼女の姿が見えない。
「まだ、ログインルーム。」
「なんだよイチャこいてんのかよ!」
最後に出てきた石田が呟くと、嬉しそうな麻結が覗こうとしたため楓が溜息を吐きながら襟首を掴む。
「加藤さんの言うことに同意するわけではありませんが……。」
菜摘がポツリと言う。
少しばかり落ち着いた梶谷が、ん? と彼女を見やると、どこか寂しそうな、泣きそうな様子でログインルームを見つめていた。
「もう、あの3人が並んでいる姿を見られないと思うと寂しいですね。」
「……言うなよ。」
千葉も、己の美波への態度を省みているらしく、どこか覇気がない。
「ごめんなさい、梶谷くんが1番思っていますものね。」
「……っ。」
梶谷が目元を拭いながら頷く。
久我はログアウト装置を注視していた。
扉が閉まった音を聞いて安堵する。
さぁ、ログアウトしなければ。
決意を固めたが、手が震える。
このままログアウトせず居座ってしまえーーーー、邪な考えが浮かび首を横に振る。
独りになりたいといったが、いざなると何もできなくなる。
結局自分も寿さんに救われていた、と自嘲してしまう。
「……久我、」
「いっ?!」
まさか、と思い横を振り向く。
横から手を掬われ、ぎょっとする。
ここ数日で見慣れた、綺麗な手。
「……何で酒門さんいるの?」
「アンタらが勝手をしたんだから、私だってしてもいいでしょ? 私だって、アンタらには生きてほしかったよ。」
彼女は唇を尖らせて言う。
「だから、せめてアンタをログアウトさせてよ。」
久我は、ふと横を見て驚いた。
あの気丈な彼女が、泣いていたのだ。
「酒門さんって泣くんだ。」
「は? うわ……。」
本人は気づいていなかったのか慌てて拭う。
「酒門さん、可愛いところもあるんだね。」
「うるさいな。」
「……泣かせるつもりじゃなかったんだけどな。」
彼はゆるりと、彼女の長い髪を掬う。
しかし、物惜しさも見せず手放した。
驚いて美波が彼を見ると、どこか決意を固めたような目をしていた。
「ごめん、酒門さん。混乱させたくなくて、言わなかったんだけど。遺言と思って聞いてくれる?」
「……助言として受け取っておく。」
ふと彼は苦笑した。
「寿さんと会った時、僕は階段から落ちたって言ったでしょ? 僕自身も混乱してたんだけど、やっぱり気のせいじゃないなって思ってね。」
「……?」
「僕は、誰かに突き落とされた気がしたんだ。」
どういうことだ。
話を聞く限りだと、綾音の行為から彼女が突き落とすとは考えにくい。
そして第三者が近づいたとして、彼らが全く気づかないなんてことはあるだろうか。
「急な目眩がして、妙な感覚に襲われたと自覚した時にすでに転落した衝撃があったよ。あとね、前のゲームあったでしょ? その時の1つめの事件の話覚えている?」
「世界の主を救うためにコーチの先輩が別の男の人を消した。ってやつ?」
久我は頷く。
「その事件もね、実はというと犯人被害者ともに階段から落ちているんだ。でも、端末自体は生きていたらしい。」
「……つまりは、綾音の端末が壊れたことに違和感を感じる、と?」
「そう。僕の件も含めて、【スズキ】が関わっているんじゃないかってね。でもーーーー。」
いや、と首を横に振る。
あまり話し過ぎて変な先入観を持たせたくない。
美波もそれ以上追及をしてこなかった。
「残りは隠し部屋に置いてきたから世界が切り替わる前に見ておいてね。」
「分かった。」
ログインルームを沈黙が包む。
部屋の外から怒鳴り声が聞こえる。
何やら騒いでいるらしいため、そろそろ出なければいけないようだ。
先程は啖呵を切ったものの、いざその時となると手が震える。
「……怒鳴っているのは梶谷くんかな。」
「アイツもアンタのこと、好きだったからね。」
「も?」
気まずそうに美波が顔を逸らすと彼は嬉しそうに笑う。
「あーあ、普通のゲームだったら君たちと楽しく生活できただろうにな。」
「そうだね。」
「……梶谷くんと、みんなのことよろしくね。」
「アンタも含めて、助けるよ。約束。」
「うん。」
2人は小指を絡めた。
「じゃあ、また。」
「うん。」
美波が意を決してボタンを押したと同時だった。
一瞬、何か暖かいものに包まれて。
それが久我だということに気づいた時には彼はもういなくて。
「ーーーーッ、何でアンタらは、何も言わないで。」
人生でこんなに声をあげたことはあっただろうか。
部活で経験した悔しさよりも、過去に覚えた虚しさよりも、何よりも耐え難い蟠りが胸を揺さぶる。
横に当然のようにいた2人を想い、彼女は止まらない感情の波を吐き出し続けることしかできなかった。