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風の精霊

 玄関の扉に万歳(じばく)アタックを敢行した小さな妖精はすぐに目を覚ました。

 床に倒れたままシロウを見あげると這いずりはじめる妖精。

 ずりっ……ずりっ……ずりりっ……。

 まるで半身を叩き潰されたゴキブリのようであった。


「ひぃぃぃぃぃぃぃぃ!?」


 夢に出てきそうな不気味な動きにエルフの少女は甲高い悲鳴をあげてしまう。

 怯えるシロウに手を伸ばして、ぷるぷると震えながらゴキブ……妖精は言う。


『エ、エルフさん、アタシ、力使いすぎて……死にそうナンデス。カ、カロリー……ハチ……ハチミツ酒を、プリーズなのさぁ……』

「……はい?」


 木森(キモリ)家にはハチミツ酒などと言う洒落た物は存在しない。

 代わりになるかなとシロウは砂糖水を作ってみるのであった。



 彼女は風精霊と名乗った。

 精霊とは高い魔術素養と資質がないと視認できない存在である。

 写真には写らず機械的な手段では捉える事ができないのだ。

 そのため常人が精霊の存在を知る手段は、精霊が力を使用した際に生じる魔力の光か、視える者の手によってスケッチされた姿絵のみであった。


『くふぅ~生き返るー!! まずぅぅぅーい! もう一杯さぁ!! ……あ、すいません、今度はソルトも少しつまんで入れてね?』 


 その精霊は紙コップを両手で抱えて、折りたたみ机の上にぺちゃりと女の子座りをしていた。

 彼女は生ビールを飲みきった中年サラリーマンのように、ぷはぁーと歓喜の声をあげ空になった紙コップをシロウに差しだす。

 先ほどまでの死にそうな雰囲気はどこにやらだ。

 それどころか彼女は、自らの体と同じ大きさの紙コップの中身を全て飲み干してしまった。


「うんっと、砂糖水は美味しくなかったのかな?」

『美味しかったさ~ハチミツ酒には及ばないけど、これはこれで中々美味なのさ~!』

「あ、そうなんだ。てっきり不味かったのかと思って」


 キョトンとした表情になる精霊。


『ん? ひょっとしてエルフさんは、不味いもう一杯! のネタしらない?』

「え……? ごめん、僕は流行とか詳しくないから」

『なんだなんだエルフさん! ナウでヤングなガールたるもの、流行には敏感にならなきゃダメダメなのさ~!!』


 シロウも何度か聞いた事のある、かつての流行語と言う名の死語だった。

 職場の店長がたまに使っている。

 精霊はニッと笑顔になると腰に両手を当て、えっへんというポーズ。

 そしてケラケラと笑い出した……危ない薬でも投与されているようなテンションだ。

 シロウは六畳間の小さい台所で注文通りの塩を少し入れて砂糖水を作った。


『アタシの五感をビンビン刺激するいい匂いがしたんで来てみたら、契約できる年なのにまだ精霊持ちじゃないエルフさんがいるし! うんむ、アタシってば本当に運がいいラッキガールさね!!』

「そ、そうですか、お代わりどうぞ」


 シロウは砂糖水入りの紙コップを妖精の前に置いた。


『お、キタキター! シュガーの雑な甘味とソルトのほのかな塩味、かっー、こーれがまた美味いんだなぁ!!』


 B級グルメ漫画に出てきそうな安っぽいキャラ発言だった。

 二杯目は一気飲みはしないらしく味わうようにコクコクと飲んでいる。

 大きさ故にコップに抱きつくようなグビ飲みになる。

 可憐な見た目に反して、おっとと、ぷはーなどと一々リアクションがおっさんじみていた。

 シロウとしては精霊の体積に匹敵しそうな水が何処に消えていくのかが不思議で仕方ない。


「あの……僕は木森シロウって言うんだけど、君の名前は?」

『キモ……シロゥ?』

「シロウでいいです」


 シロウを見上げながら小さな手でごしごしと口元を拭う精霊。

 中学時代の『キモイシロウ』のあだ名を思い出して、シロウは悲しみをおぼえながら消極的に訂正した。


『ラジャリコなのさ! アタシの名前はシェルル! 風精霊のシェルル様なのさ~! よろしくねシロシロ!!』

「シロシロ……う、うん。よろしく、そのシェルル?」

『おーいぇすぅ~。名乗り合ったという事は、若い二人は合意したものと見なして、早速婚前交渉を……』

「…………?」


 抱えていたコップを机に置くシェルル。

 姿勢をただし咳払いをすると、サッと両拳を突き上げた。 


『シロシロ! アタシと契約してエレメンタルマスターになるのさっ!!』

「エ……エレメンタル、マスター?」


 突然の宣言にエルフの少女は目をパチクリと開いた。


『イエース、イエース! エルフと精霊の友情ワンセットで君も明日からエレメンタルマスターさねっ!!』


 精霊の支配者(エレメンタルマスター)――精霊と契約して使役する術者の事だ。

 詳しい事はシロウには分からないが、学校で受けた授業などで精霊の支配者とは高度な術者(エリート)であるという事だけは知っていた。

 魔術の才能や魔力量だけでは契約はできず、精霊との相性が何よりも重要視される。

 それゆえに彼らに最も性質の近いエルフが適していると言われていた。


「え!? そ、その、無理です!?」

『ええっ!? ど、ど、ど、どうして!? どうしてさっ!?』

「……どうしてと言われましても」


 シロウは悩み考えながら断った理由を話す事にした。


「えっと、実は僕は取り換えっ子なので本物のエルフではないんです」

『本物じゃない? う~! そんなこと言ってアタシと契約したくないのねっ!?』

「あ、いや、そうじゃなくて……そのうち人間に戻る予定なので、精霊と契約なんて恐れ多くて無理です」

『シロシロはどこからどう見ても本物のエルフさねっ!? ハッ!? 本当は契約する気なんてこれっぽっちもなくてアタシの名前(からだ)だけが目的だったのね!! うわあぁぁんー! シロシロの精霊たらし! ひ、酷いのさ~!!』

「え、ええ!? な、何でそうなるの!?」


 身振り手振りで何とか説得しようとするシロウと、話をまともに聞いてないどころか不味い感じで捏造していくシェルル。

 焦りを覚えるも語呂が豊富ではないシロウの口は直ぐに止まってしまう。


『うう、うぅぅー!!』

「あー、うー、うー」


 断られたシェルルは涙目になってぷるぷると震えていた。

 シロウに至っては、あーうーとすでに言語の体をなしていない。

 今にも泣き出しそうなシェルルの様子にどうしようかとただ狼狽えるばかりだ。

 人が悲しんだり苦しんだりする姿が凄まじく苦手なシロウは罪悪感に駆られて、小さな精霊を慰めるように手を差しだす。

 シェルルはシロウの指をつかむと、子供のように胸元でぎゅっと抱きしめる。


 音がした……り――ん、という羽音。

 お互いの体の熱と魔力がゆっくりと触れ合った。


 緩やかに二人の魔力が干渉して、交じりあって淡い光を生みだした。

 薄暗くなった部屋の中を照らすように広がっていく。

 デジャブ、というものだろうか? シロウは不思議な懐かしさを覚えた。

 指にすがりつくシェルルを見ていると、幼い頃から知っているような気持ちになるのだ。

 風精霊はシロウの魔力に触れて安心した様子で微笑んでいる。

 シロウもいつのまにか焦りも不安も忘れ静かに微笑んでいた。


『エルフのシロシロ、アタシと契約してくださいなのさ』


 再び、り――んっという羽音。


 精霊の真剣な眼差しと鈴のような透明な声。

 二本の指に抱きつき真っ直ぐに見上げる風精霊のシェルルに、ハイエルフの少女はうなずき真摯な気持ちで答えた。


「ごめんなさい、今回はご縁がなかったという事で……」

『なんでさっ!?』

「ひえっ!?」


 怒鳴られた!?


 シェルルは指を離して背中の羽をブンっと震わせると、瞬間移動じみた動きでシロウの肩に飛び乗った。

 長い耳を小さな手が、ぎゅむっとつかむ。

 エルフの少女はあまりのくすぐったさに、あっあっと身悶えてしまう。

 シロウは初めて知った、エルフ耳は非常に敏感らしい。


『こういうノリの場合は普通はオッケーさねっ!? 俺の可愛い精霊は君に決めたっ!! 一生離さないぜ可愛い子ちゃん!! じゃないのさっ!?』

「だ、だって、精霊の支配者(エレメンタルマスター)って、凄い力のある術者でしょう!? いくらなんでもボクには無理だよ!?」

『何でさ! 何でさ! 何でなんさぁー!!』

「あっ! み、耳を引っ張らないで噛まないで吸わないで!! ああ……も、もう困ったなぁ」


 シロウが回らない頭を悩ましていると、玄関からコンコンと静かなノック音が聞こえた。


「シロいるか? 着れそうな物を見繕ってきたのだが、今、ドアを開けても大丈夫かな?」

「え、カナメさん? あ……ちょっ、ちょっと待ってください!?」

「ん? ああ、待っているから、大丈夫になったら言ってくれ」

「は、はい、すいません!!」


 シロウは慌ててシェルルを見た。

 精霊は揺れる肩の上で、おっとと危ねぃ!? などとのんきな声を出しながらサーファーのようにバランスを取っていた。


「ど、どうしようシェルル、カナメさん来ちゃった!」

『うにゅ? カナメン? 何がどうしたなのさ?』

「あ、あの、シェルルのこと、カ、カナメさんになんて言えばいいのかな?」

『お、おぅ……?』

「ああ、どうしよう!? どうしよう!?」


 シロウは白銀の頭を両手でワシャワシャとかいた。

 カナメに状況を話せばいいだけだが、説明しにくい事になると途端にパニックになるのがシロウのシロウたる所以である。


『シロシロ、シロシロ』

「な、なにシェルル!?」

『問題はないさ~』

「え、え、ど、どうして!?」

『だって普通の人にはアタシを見ることができないからネ~』

「…………あっ!?」


 シロウは鬼種であるカナメが何の仕事をしているのか詳しくは知らない。

 しかし精霊を視れる高度な術者であるとは聞いた事がなく、シェルルを認識する事はできないはずだ。

 シロウは説明を後回しにできる事に安堵のため息をついた。

 言いだすタイミングを確実に失ういつものパターンである。


「い、今開けますねー」

「ああ、分かった」


 シロウ狭い部屋を横断して玄関まで行く。

 シェルルがエルフ耳を片手でつかみひっついてくる。

 ドアノブをつかむとろくに確認もせずに、外開きの扉を思いっきり開くシロウ。


「す、すみません、お待たせしました」

「こちらこそ、くつろいでるところをすまんな、取り敢えず普段着として着れそうな物を持ってきた」


 カナメはシロウの行動を予想して、扉に当たらぬよう玄関の脇によけていた。

 そして片目をつむり、シロウに片手で持っている手提げ袋を持ち上げて見せる。

 頭を下げ恐縮しながらシロウは差し出された袋を受け取った。


「こ、こんなに一杯!? カナメさん、本当にありがとうございます」

「いや、大した事ではないさ。サイズだが合わなそうなら言ってくれ。着れる物が少なくて生活に支障がでるようなら、また買い物(・・・)が必要になるしな」

「そ、それは……ちょっと」


 シロウはつい数時間前の悲劇を思い出して途端に情けない顔になる。

 カナメは笑いながら手をシロウの頭上に差し伸べて……途中で止めた。


「あの、カナメさん?」


 中途半端に出された手を疑問に思うシロウ。

 190センチを超える巨漢の困惑したような雰囲気。

 やがてグローブのような大きい手が何もせずに戻された。


「あー……何でもない。私はこれで失礼するよ。明日は約束通りに君の職場に一緒に行って取り替えっ子病の説明をするから、迎えに行くまでは部屋で待っていてくれ」

「はい、なにからなにまで色々と迷惑かけてすいません。本当に助かります」

「いいさ、知らない仲でもないし。それにシロ、君はもう少し他人に甘える事を覚えたほうがいい」

「え、は、はい?」


 カナメの発言にシロウは戸惑ってしまう。

 シロウとしては母が亡くなってからというもの、他人に頼り過ぎてると感じる事が多いのだが、カナメからは違って見えるらしい。


「それじゃシロ、また明日。戸締りはしっかりとな」

「あ、はい、おやすみなさいカナメさん」


 片手をあげて去っていくカナメ。

 シロウはお辞儀をして見送り、部屋に戻ると受け取った荷物を買い物袋の横にそっとおろした。


『ねえ、ねえ、シロシロ』

「うん、なにシェルル?」


 カナメの前では一言も喋らず、黙っていたシェルルに話しかけられる。


『あの鬼さんは一体何者なのさ?』

「え、隣に住んでいる高瀬(タカセ)カナメさん。とても親切な人なんだ」

『……怪しい』

「えっ?」


 腕を組みB級探偵漫画の安いキャラのように、うんうんと唸りだすシェルル。


「怪しいって……カナメさんが?」

『そうなのさ、だってあのカナメン、アタシの事に気づいていたみたい?』

「ええ…………!?」

『はっきり見えていたかは分からないけど。それと、アタシの突進(・・)に耐えられるこのアパートも何かおかしいさね?』


 カナメさんが怪しくてアパートがおかしい?

 シェルルの言っている事はシロウには今一つ理解できなかった。


『シロシロも、エルフならもっと自覚したほうがいいさ。渡る世間は()ばかり、契約もしてないエルフは食い物にされるだけさね?』

「………………」


 大昔、エルフの希少性と高い魔力から、契約前の力のない子供がさらわれ、奴隷にされ高値で売り買いされていた時代があったらしい。

 そのためにエルフは自分達だけの独自のコミュニティを形成し、他の種族との関わりを減らして排他的になったのだとか。

 今の時代にそんな事と笑っていられるほどシロウも能天気ではなかった。

 母親が亡くなった際、親戚と名乗る男に騙され、遺産を奪われる経験をしているのだから。


「……気を付けるよ。でもカナメさんは良い人だよ?」

『うーん、カナメンからは悪い感じはしなかったけど……。う、うん!! シロシロは身の安全のためにも、アタシと今すぐ契約したほうがいいと思うのさっ!?』


 エルフ耳を小さい手で引っ張り、すかさず自分をアピールしてくる風精霊。

 くすぐったさに再び身悶えする。

 シロウはスーパーでハチミツ酒とやらを買ってきて、契約の話は有耶無耶にしようと考えるのであった。

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