お買い物
エルフの少女は困惑しながらたたずんでいた。
そこは下着売り場という名の色鮮やかな花園。
紫水晶の色をもつ無垢な瞳は捉えてしまう――紐と布で構成されたスケスケの危険物を。
少女は頬を朱に染めると、その穢れなき身には早すぎる桃色の空間から立ち去ろうと後ずさった。
そんな瞬間の出来事である。
カッ! カカカカッ!! と床を叩く音が少女の背後で鳴った。
振りむく間もなく、人の域を超える速さを持った何者かの腕で、エルフの少女は背後から捕獲されてしまう。
その手際は、まるで一瞬の隙を狙う肉食獣であった。
「ひ、ひええええええ!?」
体に感じた衝撃と柔らかい感触。
予想もしない出来事にエルフの少女――シロウは甲高い悲鳴をあげた。
「だ、大丈夫です。お、落ち着いて、エルフのお嬢さん、私が貴女にお似合いの素敵な一品を選んで差しあげます! ええ、私が選びますのでっ!?」
抱きついてきたのはお店の制服を着た、下着売り場の担当らしき若い女性店員だった。
興奮した様子の彼女は頬を染めてシロウを抱きしめたまま宣言する。
どう考えても、まず落ち着くのは彼女だろう。
女性店員のはいているパンプスからはうすく煙が出ていた。
高速移動の魔術――大学以上の学科で教わる高等技術を使用したらしい。
お客を確保して、逃がさないための魔術だろうか?
シロウの鼻が品のよい微かな香水の匂いを捉える。
背中に感じるのは女性特有の柔らかさであった。
シロウは今までの人生で、まったく触れる機会のなかった母以外の女の体に強く抱きしめられている。
普通ならば赤面してデレデレになっていただろう。
しかし実際には、あまりに突拍子のない女性店員の行動と発言が理解できず、恐怖のあまり涙目になっていた。
ぷるぷる震えるエルフの少女の姿は、罠にかかって怯える小動物であった。
「あー店員さん、かな? ちょっとこの子の下着を見繕って欲しいのですが」
助け船を出してくれたのは一連の漫才を呆れ顔で見ていたカナメである。
可憐なエルフの少女だけをロックし、厳つい鬼の青年の姿は目に映ってなかったのか、女性店員は「う、うおおぅ!?」と女性らしからぬ声をあげてシロウの体を離してしまう。
驚かれたカナメだが、その類の反応には慣れっこなのかまったく動じない。
カナメは欲しい下着の種類と必要とする枚数や値段、またシロウが下着選びに不慣れな事などを女性店員に手早く伝えた。
鬼の青年の巌のような見た目に似合わぬ的確な注文に、また「お、おおぅ!?」と驚きを見せる女性店員。
カナメの心強さに安堵して追加で涙するエルフの少女。
この二人は大丈夫なんだろうかと、少し不安になるカナメ。
「それじゃシロ、私は隣の雑貨屋で君に必要な生活用品を買ってくるから、細かい事は店員さんにお願いするといい」
「え、ええっ!? あの、カナメさんも一緒にっ!?」
「おいおい、シロ。私のような大男が女の下着売り場をうろついていたら、営業妨害になってしまうだろう?」
鬼の青年は苦笑いしてエルフの少女の頭をぽんぽんと撫でた。
シロウの願いもむなしく、カナメはその場から歩いていってしまう。
去っていく飼い主をみつめるワンコ状態のシロウと、カナメに綺麗なお辞儀をする女性店員。
そして女性店員は振り返る、ニチャァというとても素敵な笑顔を浮かべて。
蜘蛛の糸を得たと思ったエルフの少女は再び恐怖のどん底へと叩き落されたのだ。
……そこからシロウの記憶は曖昧である。
試着室で服を脱がされ『や、やめて、これは脱がさないでっ!?』『大丈夫! 先っぽ! 先っぽだけですから!?』と男物のパンツまで無理やり剥ぎ取られて体のサイズを隅々まで計られた。
その間『素晴らしい! 何と美しい! 素晴らしい!』を連呼する女性店員。
試着用の紙下着を履かされて、それから様々な種類の下着を試す事になった。
「取りあえず指定された下着はこのような物になりますね。着け心地に問題ないか試着をしてみましょう。え、ブラの付け方がわからない? さ、流石はエルフ!? これだけご立派なモノをお持ちなのに、今まで付けた事がないとは流石っ!?」
感心しきりの女性店員からレクチャーを受け、質素なデザインの下着を着けさせてもらった。
「ええ、ええ、とても素敵です! とてもよくお似合いですよ!! あ、よろしかったらこちらの下着などもいかがですか? 攻めのデザイン、彼氏さんも多分喜ばれると思いますよ? え、違う? 彼氏じゃない? またまた~美女と野獣で素敵なカップルですよ!!」
誤解され肩を軽く叩かれながら、フリルの付いたレース状の何かを勧められた。
「ぶらっ!? ブラボッ!! これマジでやばい!! ぶはぁ!?」
赤くなった鼻を押さえた女性店員に酷く興奮をされ。
「ええ、そうですね、下着は問題ないと思いますが、お洋服のほうがちょっと……え、服は彼氏さんから借りる予定? 熱々なんですね~? またまた~照れる姿も可愛らしい。市原ー! ちょっと来てーお客さまにお洋服を見てさしあげてー!!」
「はいはい~何です、うるさいですよ村瀬先輩? うぉぅ生エルフだっ!?」
後輩の市原さんとやらから大量の服を渡されて着けさせてもらい。
「これも可愛い!? 嘘これも行けるの!? 先輩やばいっす! エルフさんレベル高すぎ! これマジやばですよ!?」
「ええ、ええ、こんな田舎でエルフを見ることなんて本当に稀なのに、コーディネートまで出来るなんて!?」
「金田さーん! 金田さん来てー!? 凄いの見れるよー!?」
「ちょっと何よ市原? 店内で大声ださないで……うぉぅ生エルフだとっ!?」
さっきから、うぉぅ生エルフってなんだろう、生キャラメルの親戚だろうか?
ぼんやりと考えるシロウ、気がついたら何人もの女性店員に囲まれていた。
彼女達の厳選されたコーディネートの中から多数決の結果がでる。
お洋服は淡いピンクのブラウスと白のパンツルックに決まったようだ。
それからシロウは髪の毛をいじられ薄く化粧までされてしまった。
今まで体験した事のない殺人的な女性密度。
もう何も言えず、ぷるぷる震えて微笑むだけのシロウは『お店の方は大丈夫なのかな』と、人形状態になりながらも朧げに思ったのだ。
◇◇◇
シロウはカナメの大型車の助手席に座っていた。
所々の記憶が欠けている、ぼんやりと運転席のカナメを見上げると。
「ああ、よく似合ってるぞシロ」
目線は道路から離さず運転する鬼の青年。
頭をぽんぽんと撫でられ、エルフの少女は疲れた微笑みを浮かべた。
アパートに戻ったシロウは狭い玄関で足だけを使って器用に靴を脱ぐと、六畳一間に手に抱えた買い物袋を投げ捨てるように落とした。
買ったばかりの新品のローファーは乱雑に脱ぎ捨てたため引っくり返り、買い物袋からはいくつかの品物が乱暴な扱いに抗議するかのように転がりでてきた。
「つ、疲れたぁ……」
それを目で追い、唇からこぼれ落ちるため息。
ローファーをきちんと並べ品物を袋の中に入れ直す。
カナメによると、必要な物を購入して店内に戻ると、女性店員に囲まれてチワワのようにぷるぷるしているシロウの姿があったらしい。
走行中の車内で、そんな話をぼんやりと説明を聞いていたシロウだがブラウスの柔らかい手触りに気がつき、徐々に意識が戻ってくるとお金がいくら掛かったのか不安になってきた。
慌てて財布を取りだすとお金は全く減ってなく、どういう事かと混乱する。
そんなシロウにカナメが。
『ああ、お金は立て替えておいた。支援金も出ると思うし、その時にでも払ってくれればいいさ』
シロウはカナメから買い物のレシートを渡してもらった。
そうしないと、この青年は有耶無耶にしてしまう恐れがあるからだ。
カナメは気前がいいというのか、お金に関しては比較的ルーズなところがある。
ちなみに掛かった金額は……シロウは貯金を下ろす必要があった。
鬼の青年だが、アパート前にシロウを降ろすと離れた場所にある駐車場に車を置きに行った。
部屋に戻ったらシロウが普段着として使えそうな服を持って来てくれるらしい。
もう着る事のない服なので貰ってもいいという話だ。
カナメには普段から世話になりっぱなしである。今回の件もあるしシロウは何らかのお礼がしたいと思った。
何がいいかと考えていると部屋の隅に転がった荷物にシロウは気がつく。
買い物袋から転がり出ていたのは綺麗にラッピングされた小さな包みである。
確かお店を出る時に、最初に遭遇した女性店員の村瀬さんから『これはサービス品です、彼氏さんと楽しんでくださいね』と笑顔で手渡され、自分もぼんやり微笑みながら受け取ったのだ。
断じて彼氏ではないが、カナメと楽しめる?
ひょっとしてお礼になりそうな物だろうか?
シロウはそう考え包みを開けてみた。
……入っていたのは、紐と布で構成されたスケスケの危険物であった。
少女の左足の爪先が恐るべき柔軟さで綺麗に天井へと向いた。
腕を大きく振りかぶると迷う事なく、危険物を包みごと投擲した。
放物線も描かないレーザのような軌道、狙いたがわずゴミ箱にシュートだっ!!
投げきる美しい投球フォーム、エルフの少女の頬は羞恥で染まっていた。
「あの人……」
それ以上言葉が出ず沈黙……顔を手で押さえるとシロウは少しだけ考える。
――あれってどんな構造になっているのだろう……はっ!? な、なに考えているんだ僕は!?
――で、でも、好意で貰った物を捨てるなんて申し訳ないし、もったいないお化けが出るよね?
いやいやでもでも……と、迷った末に未知への好奇心が勝った。
緊張しながらゴミ箱から目線を離し、さり気無く回収しようとしたところで、カツンッ! と何かを叩く音が聞こえた。
びくんっ! と身を竦ませたシロウは慌てて部屋を見渡す。
しかし、変わったものはなにもなく、しばらく耳を澄ませてみたが何も聞こえない。
シロウの脳裏に浮かんだのは高速移動する女性店員の村瀬さんだった。
「ま、まさか危険物を捨てた事を感知して、ここまで追ってきた!?」
ひいぃ!? と小さい悲鳴がこぼれた。
それはシロウにとって、あり得なくも恐ろしい想像であった。
再びの静寂……シロウは息を殺す。
「き、気のせいなのかな……?」
……カツンッ……ガッ! ガッ! ガッ!
と思った途端にすぐ近くで連続して音が鳴った。
「う、うわぁぁぁぁ!?」
ラップ現象に似た音にシロウは大声を上げてしまう。
「え、ええっ……窓から……外から聞こえてくる!?」
シロウは音の発生源を探り当てる。
大きい虫が窓ガラスにぶつかるような音であった。
怯えながらも安物の窓カーテンを引いて抱きしめ、壁に背をつけ逃げ腰で窓の外を確認した。
「……あ、あれ、いない?」
少しだけ迷い、ゆっくりと窓ガラスを開けてみたがやはり何もいないようだ。
安堵して、空を見上げてみれば日はだいぶ落ちて薄暗くなってきていた。
それでもシロウの目は、いつもと違い周囲の景色を細部まで視認する事ができた。
…………こっ …………の …………さ
エルフの長い耳が意識せずに動いた。
闇夜すら見通す紫の瞳は確かに捉える。
鈴のような羽音と声、そして正面から猛スピードで突っ込んでくる小さい影。
『こんにゃろー! いい加減開きやがれなのさー!!』
「わあっ!!」
シロウは頭を抱え尻餅をついて畳の上に転がった。
髪の毛が風圧で跳ねあがる、間一髪で頭上を何かが高速で通り抜けていく。
一瞬見えたそれは、小さな人であった。
『ぎゃあああああああああああっっっっっ!?』
びたあああああああああんんっ!!
六畳の部屋を横断し、玄関の扉に凄まじい勢いでぶつかった。
甲高い叫び声と、びりびりとした振動が生まれて、埃が舞い上がる。
そして針の落ちる音さえ聞こえそうな静寂がおとずれた。
しばらく様子を見ていたが反応がまったくない……死んだのだろうか?
玄関の段差に入り込んだのか姿は見えなかった。
涙目のシロウは喉を鳴らし、逃げちゃだめだ! と覚悟を決めて表情をキッと引き締めた。
どちらにしろ逃げ場のない自宅である。
虫なら外に捨てないと安心して寝る事もできない。
シロウは、よつんばいでビクビクしながら玄関に近づいていく。
『う、う~ん、や、やるじゃないのさ~』
「――――――!?」
驚いたシロウの体が立ち上がって大きく後ろに移動した。
身軽なネコのように、一瞬で部屋の反対側の壁まで飛んだのだ。
スーハ―スーハ―と深呼吸をする、見えたのは仰向けに寝転ぶ小さい影だった。
そこにいたのは透明の羽をもつ美しい妖精。
可憐な少女の姿をした悪戯妖精が目を回して大の字で転がっていたのだ。