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隣人

 シロウは築三十年を超えるアパートへと戻ってきた。


 素足である、錆びた階段を一歩ずつぺたぺたとあがる。

 ギシギシと軋む音に合わせて、シロウは悲し気な溜息をついた。

 サンダルは公園に置いてきたままで、コンビニ袋の中ではペットボトルに潰されたオニギリが見え隠れしていた。


 階段の途中で背後を振りかえる。

 清々しいほどに田舎だと実感させる田園風景、草がまばらに生えた砂利道が見えた。

 公園から追ってきた若者達からは、完全に逃げ切れたようだ。

 その事には安堵する。

 しかし、不可解な事が一つあった。

 公園からアパートまでの距離を全力疾走してきたはずなのに、少しも息が乱れていないのだ。

 

 シロウは思う、自分はここまで、本当に走ってきたのだろうかと?


 それは間違いないと思うのだが自信はない。

 見た景色は緩やかに流れているのに目まぐるしく、高速道路を走る車内からの眺めのようだった。

 疾走感は記憶に残っているが、風圧を感じなかった上に視界は良く見えていたから、余計に現実味がなくてテレビジョンでも観ていた気分である。

 

 エルフの体のせいなのか答えがでない。


 シロウは膝を上げて足裏を見てみた。

 土で汚れているだけで傷らしきものはなにもない。

 アパート付近の砂利道も駆けてきたのに、と……この体は明らかに普通ではないと気がついた。

 遅まきながらに、とんでもない力を得たのかもと震えて恐怖が湧きあがる。

 臆病なシロウには、優越感などというものは起きようもない。


 夏だというのに寒気がした。


 急いで部屋に戻ろうと視線をあげれば、階段先で誰かが待っていた。

 半透明の煤けた衝立に隠れて姿は見えないが、大きい影は誰かは分かる。

 人見知りの気があるシロウが、気兼ねなく挨拶できる知り合いの一人だ。

 狭い階段を二人同時に通るには無理がある、そのために待っていてくれているのだろう。

 シロウは慌てて階段をあがった。


「お、おはようございます、カナメさん」

「ああ、おはようシロ……ではないな、美人さん?」


 通路にいたのは、見あげるような大男である。

 一目見れば忘れられない特徴をもった容姿だ。


 ワイシャツと黒のチノパンのシンプルな着こなし。

 190cmを超える身長にしては細身だが、確かな体幹を感じさせる逞しい体である。

 和風の鋭い顔つき、鼻の上にちょこんと乗る丸眼鏡は小さく見えて玩具めいている。

 長い黒髪を首元でひっつめて、涼し気に背に流しているさまは大昔の侍のようだ。

 そして、彼にはそれ以外にも見て分かる特徴があった。

 赤銅色の肌、首元から見える鋼のような筋肉、そして額から生える二本の角。


 鋭く尖り刃物じみた二本の角は明らかな異形の証。


 オーガ種、和名は鬼。

 彼の名は高瀬(タカセ)カナメ。

 この鬼の青年は、シロウの隣の部屋の住人である。


 カナメは訝しげにシロウを見つめると、メガネのブリッジを太い指でつまんで持ちあげる。

 それは困ったときにでる彼の癖であった。

 どうしたんだろう、と考えるシロウ。

 エルフになってもシロウはやはり鈍く、自分の今の姿のことは当然頭にはない。

 しかし、鬼の青年の戸惑う様子は理解できた。

 

「あーすまない、私の知人にエルフはいないはずだが……君は私の事をどこで知ったんだ?」


 エルフの少女は鬼の青年に質問された。

 野生的な顔立ちには似合わぬ学者のような語り口調である。

 それに違和感がないのは、彼が理知的な話し方を常日頃からしているからだろう。

 カナメの思いもしない態度と発言である。

 阿呆みたいにポカンッと口を開けていたシロウは、しばらくしてから自分がエルフの少女になっているという事に気がついた。


「あ、あ、あ、あにょ、ぼ、ぼくぅ!?」

「…………ふむ?」


 慌てすぎて舌がまわらなかった。

 喉元が痙攣したかのように引きつり上手く声がだせない。

 気持ちばかりが先走って、言葉がまったくでてこない。


「あ、ひゃ、ぼ、あ、う!?」

「……ひょっとしたら、シロか?」


 天の救いは、説明をするべきカナメの口からであった。

 シロウの頭は激しく上下に動かす、白銀色の絹髪が滝のように流れて宙をはねた。


「あ、あの、あの、これは、あのう!?」

「取り換えっ子病、そうだな?」


 またしても正解っ!?

 シロウは頭を激しく振る、上下上下だ。


 膝に手をおき、カナメはゆっくりと腰をかがめた。

 まるで大人が子供の相手をするかのように、エルフ少女と視線の高さを同じにする。

 カナメは、シロウの足元を見て靴を履いてない事に気がついたが、特に指摘をしなかった。 


「いいか? 無理に喋らないでいいから、私から質問するからハイかイイエで首を振るだけでいい、できるなシロ?」


 エルフの少女はコクコクとうなずいた。


「病院には行ったのか?」

「(ぶんぶんぶん)」

「まだ行ってないのか……ということは発病に気がついたのは今朝か?」

「(こくこくこく)」


 凄い、また正解だっ!? シロウはカナメの察しの良さに感動した。


「今から病院にいくのか?」

「ひゃ、ひゃい」


 シロウは頭を縦に振りながら何とか声にだした。

 カナメの穏やかな雰囲気に、エルフの少女も少しずつ落ちつきを取り戻していく。

 

「肉体の変化以外で何か異常は感じるか?」

「あ、え、えっと、な、ないと思います……」

「ふむ、そうか、救急車の必要はないみたいだな」

「え、ええ、ええ、ええ」


 シロウは事情が伝わった安心感に壊れた機械のようにカクカクとうなずく。

 鬼の青年はエルフ少女の頭をポンポンと撫でる。

 それからカナメは、少しだけ考え。


「よし分かった、病院へは私も付き合おう、少しだけ待っていてくれ車をだしてくる」

「え、ええ?」

「ん、一緒に行くのは嫌か?」


 カナメの問い掛けに、とんでもないとシロウ。

 迷惑かけるのが嫌だなという気持ちと、それ以上に助けてもらえるのが、有り難かった。


「で、でも、いいんですか?」

「いいさ、今日の予定は何もない。それにその様子だと、君は病院に行っても上手く説明できなそうだしな」


 シロウを顔を赤く染めた。

 鬼はそんなシロウに苦笑を浮かべる。

 しかし彼からはシロウを馬鹿にする気配は微塵もない。



 ◇



 カナメの運転する車で、シロウは離れた場所にある国立附属病院まで行く事になった。

 近場の病院で済まそうとしていたシロウは、大事になっていく状況にビクビクとしていたのだが、カナメから説明をされた。


「取り換えっ子病は診察してもらえる病院が限られている、小さい病院だとたらい回しにされるだけだ」


 到着した国立附属病院は平日でも混雑をみせていた。


 異人種もちらほらと見かけるが、ほとんどが獣人種である。

 エルフのような希少種はここでも珍しいのだろう。

 自意識過剰ではなく、自分に集まる好奇の視線に、臆病者のシロウはひどく怯んだ。


「ううっ……」


 鬼の青年の大きい背中に隠れるようにして、ぷるぷるとついて行くエルフの少女。

 受付の手続きでは、シロウに代わってカナメが全てこなしてくれた。

 緊張で上手く説明する事ができないシロウとしては、ありがたいやら情けないやらで自己嫌悪だ。

 受付職員は希少種であるエルフの美少女を見て驚きの表情をしていた。


 すぐに本人確認のための検査が行われた。


 術式で検査した結果、提出した保険証に登録された生体魔力反応と、エルフとなったシロウの生体魔力反応との完全な一致が確認される。

 もしも一致しなかったらどうしようと、シロウは無意味にビクついていた。

 希少種のエルフ、しかもハイエルフらしき可能性もあるという事で、取り換えっ子病であるとの判断が下され認定を受ける事になった。


 安堵の溜息を漏らすシロウに、カナメは確認検査の理由を語る。


「取り換えっ子病の診察を受ける前に面倒な確認が必要なのは、仮病(・・)を騙る者が後を絶たないためなんだ。認定されると治療中の間は完全に生活の保障がされ、治療完了後も国から支援補助金がでるからな」


 それからの診察は比較的早く進んだ。


 ただ最初は一人だったはずの医師が時間が経つにつれ一人また一人と増えていく。

 その事にシロウは、自分がモルモットにでもなってしまったかのような恐怖を覚えた。

 保護者という形でカナメが傍に付き添い、医師の説明を補足する形でシロウにも分かりやすく伝えてくれた。


 半日近い診察を終え医師団(・・・)からの告げられた検査結果。


「現状では、エルフから人間種に戻るための術式を組むのは……非常に困難としか言いようがありません」


 シロウは絶望した。

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