この世界
魔術や仙術などの様々な術による科学が発達した文明世界。
目を凝らせば電柱の下にすら神を見出せる。
起源の古い国ほど強力な神が宿り国を守護をする。
神は形を成して知を授け、武を示しては、ファミレスでワンコインランチを食べる。
そんな世界で、様々な種族の中でも人間種だけがかかる特殊な病気があった。
取り替えっ子病。
人間種が十五の年を迎えた一年の間だけ、発病する可能性があるという奇病。
三百人に一人の確率で発病すると言われ、病にかかった者は例外なく人間種以外の種族へと肉体の変化を起こしてしまう。
人種や遺伝子の形状に関わらず発病し、様々な種族に変化する細分化性のため、有効な予防治療は未だに確立されてはいない。
しかし長年の研究から、一度変化した種族から人間種に戻ることは可能になっており、現在では治療可能な病気としてインフルエンザ程度の扱いであった。
誰が何の種族に変化するか、その発生原因が解明されてないため、一昔前はクジ引き病、今ではガチャ病と言われている。
◇
アパートにはご飯は無かった。
休日のため、買い置きしていた食料が全て切れていたのだ。
現在の時刻は七時十六分。
シロウが利用しているスーパーが開くのは十一時である。
開店する時間が遅いのは、それなりの田舎だからだ。
エルフの少女の胃袋が、キュウキュウと哀れに鳴いた。
普段ならお店が開くまで我慢するが、今朝に限ってはお腹が空いて仕方がなかった。
この飢餓感はとても耐えられそうになく、シロウは近所のコンビニに買いに行く事にしたのだ。
よれよれ、パツンパツンのTシャツはそのままに、ズボンはスウェットを履いた。
小柄な割には足が長いので、ズボンの丈は合うのだが問題は横幅であった。
ズボンはウェストのサイズが大きくて、ベルトを使ってもずり落ちるのだ。
人間種とも違う、エルフ特有のアニメのような体形であった。
苦労してズボンをあげて背中を見れば、ズボンの隙間からプリンっとした白いお尻が丸見えになっていて、シロウは人知れず赤面をした。
こんな状態で外に出ていたら恥をかいていたところだ。
仕方なく冬の寝間着代わりに使っていたボロいスウェットを引っ張りだして、紐を強引に絞って着けたのだ。
靴も合うサイズがなかったので、安物のゴム製サンダルなのだが、大きいスリッパのようで少々歩きにくい。
「戻ったら体を調べてみるかな……」
病院に行く前に確認は必要だよね……うん。
シロウはエロ心を隠す事を呟き、薄い財布を手に取った。
築三十年は超える古びたアパートだ。
シロウの部屋は二階の端の方である。
立てつけの悪い扉を閉めると、すぐ目の前に錆だらけの急な階段が見えた。
トントンと軽快に降りていく。
いつもなら軋む音が全く聞こえなかった。
急な上下の動き、ブラジャーを着けていないにも関わらず、大きい乳房はまったく揺れない。
今までの人生で恋人がいたためしがなく、同年代以上の若い女性と触れあう機会がほぼないシロウにそれを不思議がる気持ちはない。
それどころか、
「女の胸ってアニメみたいには揺れないんだね。これが現実なのかな」
よく分からない納得の仕方をしていた。
舗装のされてない田舎道をテクテクと歩きだす。
体の不都合さは感じない。
むしろ飛び跳ねて走れまわれそうなほどに軽やかだった。
何となく気分で、朝の空気を大きく胸の中に吸い込むと、今度はおっぱいが揺れた。
おぉ、と感動の声を上げるシロウ。
コンビニ付近の舗装されてた道まで来ると人通りが増えてきた。
田舎ゆえに移動には車が使われる事のほうが多いが、それでも学校やビルが並んでいる場所だけに歩きの人もそれなりにいる。
スーツを着た若いサラリーマンや、朝の散歩らしき犬を連れた老人。
学生服やジャージを着た少年少女達などなどが見えた。
歩く者はみな人間種か、それほど異形の少ない種族の者達だ。
都会とは違い、見た目で分かるような異人種はあまりいない。
シロウは、道ですれ違う人に、いつもより見られている気がした。
特に学生の集団などは顕著で、シロウが通ると立ち止まって、そしてシロウが通りすぎた後にヒソヒソ、ドっと笑うような大きな声がするのだ。
楽しそうな同年代の若者達である。
シロウの中に苦いものがこみあげ、言葉にしにくい感情が浮かぶ。
自意識が過剰なのだろうとは思っている。
それでも中学時代に容姿の事でよく馬鹿にされて、虐められた過去をもつシロウにとっては、彼らのような明るい集団は心穏やかに接する事ができないのだ。
駐車場の広いコンビニに入る。
レジに店員、そして雑誌を読んでいる背広姿の犬耳中年男性しかいなかった。
シロウが雑誌コーナーの前を通ると、気づいた犬耳中年男性がチラッとこちらを見て本に目を戻し……と、思ったら再びシロウを見て、慌てた様子で手に持っていた成人雑誌を棚に戻した。
背中に視線を感じたが、小心者のシロウは気づかない振りをしてお弁当コーナーへ向かった。
棚を確認するとオニギリはほぼ売り切れていた。
落胆して溜息をつく。
床には新しいオニギリの入ったコンテナが積み重ねて置いてあったが、この中から勝手に取るのは良くはないだろう。
店員に聞いてみるという社交性はシロウには無い。
それでも未練がましくウジウジと眺め、やがて諦めて、他の食べ物を探そうとしたそのときであった。
「あ、あの、お、お客さん? な、何かお探しですか?」
「えっ!?」
突然に話しかけられる。
横を見ると若い男の店員が立っていた。
近づいて来る事にシロウは気づいていたが、まさか自分に声を掛けてくるとは思っていなかったのでひどく驚いてしまった。
「ご、ご希望のものがありましたら、お、お取り致しますが?」
「……オ、オニギリ」
対人に難があり、人見知りのシロウは欲しい物を、ぶつ切りの単語でしか伝えられなかった。
自分に嫌悪を覚えながら、慌ててシロウは言葉を足そうとする。
だが、先に口を開いたのは店員のほうだった。
「あ、オニギリですか? えっ、えっと……そ、それじゃ食べたい具の希望とか、あ、ありますか?」
店員は頬を染め緊張した様子で、無意味に肩を揺すりながら話している。
彼の容姿は、髪はボサボサで肌が青白く体はひょろひょろ、いかにもサブカルチャー好きな野暮ったい青年といった感じだ。
シロウはファッショナブルなリア充やイケメンが苦手だ。
彼らを前にすると、自信のない容姿故に口数が少なくなり挙動不審になってしまう。
しかし、この年上と見える若者には安心と親近感を持った。
それどころか尊敬すら覚えた。
青年はシロウと同じで、コミュ能力が高そうには決して見えない。
だが、シロウが困っている様子を見て、わざわざ話しかけてきてくれたのだ。
そこまでする必要のないアルバイトだろうに。
人の親切にシロウの心が温かくなる。
「梅、ツナ」
優しさに、しっかりと応えようと思った矢先に、でた言葉は拙くて短い。
またしても自己嫌悪。
少しでも印象を良くしようと、ぎこちないながらも笑顔を作る。
やってから木森のキモスマイルと、中学生時代に女子からよく馬鹿にされていたのを思い出し、またも自己嫌悪だ。
シロウは中々に面倒くさいやつであった。
「は、はい! 梅とツナですねっ! 何個必要ですかっ!?」
しかしシロウの笑顔を……エルフ美少女の、ややぎこちない、恥ずかし気な笑顔をみた青年の反応は劇的である。
赤かった頬をさらに染めて、とても嬉しそうな顔をすると、畳み掛けるようにシロウに聞いてきた。
その勢いに「う、うおぅ……」と押されながらもシロウはゆっくりと指三本を立てる。
それから、これじゃ分からないと気づいて右手に一本、左手に二本を順に立てていく。
「梅1……ツナ2……で、お願いします」
「はいっ! かしこまりましたー!!」
今度はしっかりと言えた……言えたよ!!
シロウはプルプルと震えた。
青年の打って返すような返事が心地よい。
達成感に心の中の水位が増える。
そこで違和感を覚えるが、それが何かを考える余裕はシロウにはなかった。
印象をよくするために、キモくならない程度に青年に微笑む。
「う、ひゃあああっ!?」
途端に彼は奇声をあげて、首筋までを真っ赤にすると、オニギリを持ったまま走るような勢いでレジに飛び込んだ。
シロウは落ち込んだ、そんなにキモかったのかとひどく後悔した。
「あ…………」
そして飲み物も買おうかと少しだけ迷い、小心のため言いだす事も出来ず、青年の後を追ってレジへと向かった。
500mlペットボトルのお茶を、サービスで一本貰った。
思いがけない幸運に、シロウは心から喜んで店員の前で笑顔を見せる。
店員も蕩けるような素敵な笑顔を浮かべていた。
お互いにニコニコ。
青年の気持ちのいい挨拶に見送られてシロウは店をでたのだ。
節制を心がけているシロウだが、このコンビニにはまた行こうと思った。