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あさおん

 朝、木森(キモリ)シロウは目を覚ましたら女になっていた。


 まじですか、と……心の中で呟く。


 紛れもなく女だろう……。

 胸になにかが乗っている感覚があった。

 覚醒にはほど遠い意識で、衣服のうえから触って確認した。

 ないものがあって、あるものがない。

 寝たまま、謎の染みがついた天井をぼんやりと見つめる。

 両の手をかざせば、折れないか不安になるような華奢な腕があった。

 カーテンの隙間から朝日が当たる。

 伸ばした指先は白魚のような美しさである。


 シロウは芋虫のようにモゾモゾと体を震わせた。

 うんっ……と、毛布を横に蹴り飛ばす。

 その足は細くてしなやかなものであった。


 体が小さくなっている?


 昨夜から着ている、よれよれのTシャツとトランクスだけが、少女がシロウである事を証明する唯一の証拠である。

 シロウの意識が徐々に覚醒を始めた。

 最初に思ったのは、職場の事。

 強い焦りを感じる、このままでは非常に不味いのでは、鈍い頭でも気づきだしたのだ。


 シロウは慌てて布団から跳ね起きた。

 そして古畳の上を、膝で這いずるように移動して、折りたたみ机に手を伸ばす。

 置かれた小物の中から安物の鏡を取ると、寝ぼけた目でピントを合わせる。

 映ったのは歪んだ鏡面でもはっきりと分かる現実離れした美貌であった。


 うん……?


 しかし、それを認識する前に違和感を覚え、鏡を真横に動かす……耳が長い?

 


 


「エルフっ!?」


 ぼうっと見ていたシロウはようやく叫んだ。

 頭の回転がよろしくない彼は、ゆっくりと理解する。

 ええっ、と声をだしながら、ええっ、と手鏡。

 長い耳を指でこわごわと摘まんでみると、ぴくぴく小さく動く……ええっ、可愛い。


 鏡には白銀色の髪を持つ、妖精のような美しき少女が存在していた。


 先ほどまで焦りが霧散して驚きに取って代わられ魅了される。

 それは現実逃避ではない……美しいものを見た際に生き物が感じる、原始的な感動であった。

 そのときだけ、女になったという事実も、シロウにとって些細な事へと落ちてしまった。

 たぶん、男の性ままでもシロウは鏡を見続けただろう。

 それほどまでに、エルフの美貌とは浮世離れしたものであった。

 美しさに唯々、見惚れて、シロウは女座りのまま背を丸めて鏡に見入った。


 初めて鏡という文明の利器を手に入れた、太古の女のように。


「……………………!?」


 シロウは不意に気づく、いや、思いだした。

 己の中に湧き上がった悪魔のような考えにためらいを見せた。

 しかし、やがては柔和な顔が、キュと眉を寄せた決意の表情となる。

 真剣な顔である……でも可愛い。

 シロウは姿勢をただして正座になると、静かに鏡を置いた。


 見下ろすとお腹が見えなくなるサイズであった。

 体にあってないダボついたTシャツだが、胸だけはパツンパツンなのだ。

 いわゆるひとつの、巨乳というやつだろうか?


 目を閉じて、すーはぁーすーはぁーと深呼吸を繰り返す。

 その姿は自らの限界に挑む、孤高のアスリートのようだ。

 やがてシロウはTシャツの裾から中に、すくいあげるように両手を差しこむ。


 自らのおっぱいに触れるため……直触りである。


 そう、シロウは自分の今の体が女であると思い出してしまったのだ。

 となれば、臆病な彼とはいえ、やることは一つである。

 性別が転換したのならば、その性を象徴するものに触れるのはごく自然な流れである。

 けっして男子のスケベ心ではないのだ。


 ごくりと白い喉を鳴らす。

 指がTシャツの布地と、柔肉に軽く挟まれた。

 小指と薬指、中指と人差し指、そして最後に親指で……球体をホールド。


 それはシロウにとって、赤子の時以来……おそらく母親以外の初揉みであった。


 強くは握らない。

 いつか遭遇するかもしれない実戦のために、何度も念入りに繰り返した脳内練習(イメージ)どおり痛がらせないように触れていく。

 五指に伝わるのは、しっとりと吸つくのに弾力と重さのある確かな感触であった。

 少女の透明な美貌が、見る見るうちに、だらしないモノへと変化した。

 乳の柔らかさに、初めて味わう素敵な感触に、深い喜びを見だしてしまったのだ。


 木森シロウは童貞……いや、今は処女である。


 亡き母親を思いださせるような優しい柔らかさ。

 性的な気持ちの良さなどは特に感じない。

 所詮はただの脂肪の塊である。

 だが癖になる手触りに、シロウはたちどころに夢中になった。

 

 その姿は美少女のはずなのに、自慰行為中の男子にも似た物悲しさがあった。


 ゆるゆると豊かな乳房を自由に、あるがまま、思うままに揉む夢のような至福の時間。

 だが夢はいずれ覚め、残酷な現実がまっているものだ。


「はっ! ぼ、僕は何しているんだ!?」


 シロウは我に返る。

 恥ずかしい、虚しさはないが自分の行動が、ただひたすらに恥ずかった。

 誤魔化ように咳払いをすると、シロウは再び鏡を手に取って自らの姿を観察する。

 映る姿は一言でいうのなら極上の美しさだ。

 この顔の持ち主が自分自身でなかったら、見ただけで硬直して、口を開けたまま何もできなくなってしまうだろう。

 それほどの美貌、その程度にしか女に耐性のないシロウである。


「……やっぱりエルフかな? あ、あれ、ひょっとしてハイエルフ?」


 白銀色の髪に紫水晶のような色合いの瞳。

 以前観た、帝国テレビジョン放送のエルフ特集の番組。

 そこで紹介されたエルフの上位種という、世界で一体しか確認されていないというハイエルフの特徴そのものであった。

 容姿にコンプレックスのあるシロウは、「エルフ美形、うらやま、うらめしいな」と呟きながら熱心に観ていたので間違いない。


「これって取り替えっ子(ガチャ)病だよね? 病院の治療、お金いくらかかるかな……保険はきくのかなぁ」


 世情に疎いシロウでも知っている有名な病気、故に中途半端な知識しかなかった。

 非常に不安になる。

 打ち消すためにTシャツの上から一揉みすると、何故かオニギリが食べたくなった。

 ひどい空腹をシロウは覚えていたのだ。

 シロウは病院が開く前にご飯を済ませておく事にした。

 彼が常日頃から論理的に、客観的に物事を捉えられる人間なら、自分の身に起こった変化は肉体だけではないと、この時点で気づく事ができたのかもしれない。




 早生まれのシロウが十五の誕生日を迎えてから半年ほど経っていた。


 中学を卒業してから職について働いている。

 決して頭が良い人間ではなかったが、高校へと進学ができなかったのは家庭の事情だった。

 片親だった母が亡くなっているからだ。

 シロウは母から、父はシロウが産まれる前に亡くなっていると聞いていた。

 保護者代わりとなる者はいるが、援助をしてくれる者は存在せず、またシロウもそれを望まなかったので、自らを養うために働く必要があった。


 これは、そんなシロウが自分なりの幸せを見出し生きていく物語。

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