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ひきわり  作者: 夏乃市
第四章 八千穂事件
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八千穂事件 16

 夢を見ていた。

 夢の中で、八千穂は鬼と闘っていた。八千穂が〈魂糸〉を使うと、弦悟の〈魂糸〉が減った。毅瑠の〈魂糸〉が減った。それなのに、鬼との闘いは一向に終わらなかった。いったい、いつまで続くのだろうか――

 目が覚めると夕方になっていた。

 八千穂は居間を飛び出した後、自分の部屋にこもった。そして眠ってしまった。あの後、毅瑠と弦悟はどうしただろうか。八千穂は身繕いをすると、忍び足で部屋を出た。

 居間には誰もいなかった。それどころか、家の中にも誰もいなかった。七穂は買い物に出かけている頃合いだ。弦悟は神社だろうか。毅瑠は帰ったか――

 八千穂はサンダルを突っ掛けると、ふらふらと家を出た。夕焼けで、世界が真っ赤に染まっている。その赤の中、神社の鳥居の下に、八千穂は見慣れた背中を見つけた。

「毅瑠」

 呼びかけた背中が振り向いた。八千穂はなぜか、胸が締め付けられるような切なさを感じた。

「毅瑠……まだいたの?」

 毅瑠は鳥居の下から続く石段に腰掛けていた。八千穂も並び、腰を下ろす。

「作戦について考えていた」

「さっきのやつ?」

 毅瑠は頷いた。さっきと言っても、居間での話し合いから随分と時間が経っている。

「あの後、お父さん大丈夫だった?」

「ああ……」

 毅瑠は言葉を濁した。何か酷いことでも言われたのだろうか。

「チホはどうしたい?」

「毅瑠はどうして欲しい?」

 質問に問いかけで返すのがよくないのはわかっている。しかし――毅瑠の言葉が聞きたかった。

「俺は、チホと一緒に涼心学園高校に通いたい。先輩たちや、道生達と一緒に、普通の高校生活をこれからも続けたい。そのためなら、この寿命が短くなっても構わないと思っていた」

「……いた?」

「今でも思っている。でも、神坂さんと七穂小母さんがヒントをくれた。俺もチホも〈魂糸〉を減らさずに済む方法のね」

「〈髪逆〉?」

「わかっていたのか」

 もちろん、それは考えた。しかし、剣〈髪逆〉は代々受け継がれてきたもので、これからも伝えていかなければならないものだ。ここで使ってしまって良いのだろうか。

「神坂さんは言っていたよ。〈霊鬼割〉は神坂家にかけられた呪いなんじゃないかって」

「呪い?」

「未来永劫鬼を狩り、命をすり減らさなければいけないという呪いだ」毅瑠は一旦言葉を切った。「ねえ、剣〈髪逆〉で〈魂糸〉の環を繋いでいるとき、チホの〈魂糸〉はまるっきり普通の人と同じなの?」

「同じじゃない。少しずつだけど……減っていく」

「それは、普通の減り方より早いってこと?」

「そう」

「だから鬼を狩る?」

 八千穂が頷いた。

「じゃあ、剣〈髪逆〉はどう?」

「どうって?」

「あれは、代々の〈霊鬼割〉の〈魂糸〉なんだろう? 使うと〈魂糸〉が減るだろう?」

「……減らない」

「……」

 空を見上げて考えを巡らしていた毅瑠が、ゆっくりと八千穂へと向いた。

「チホ……普通より減りの早いチホの〈魂糸〉が、剣〈髪逆〉に吸われている、ということはないのか?」

「?」

 八千穂は、毅瑠が何を言っているのかがわからなかった。剣〈髪逆〉は八千穂の命を繋ぎ止めてきたものだ。それが、八千穂の〈魂糸〉を吸っている――?

 いったいどんな顔をしていたのだろうか。八千穂の顔を見た毅瑠が、慌てて言い募った。

「剣〈髪逆〉が悪いとか、そういう話じゃないんだ。もし、俺が考えた通りの作戦を実行したとして、問題になるのはその後のチホの〈魂糸〉だ。さっき言ったことが本当なら、減りは激減するはずだろう? 繋ぎ止めておきさえすれば、もう鬼を狩る必要もなくなるかもしれない」

「でも……伝えなきゃ」

「俺も神坂さんも、チホが一番大事だ。まずなにより、今ここにいるチホが幸せになれる選択をしたいんだ。先のことは……それから考えればいい」

「毅瑠。今までと言っていることが違う」

「そうだな。戸時会長に言われたんだ。『丸く収めることばかり考えていると、大切なことを見失う』って」

 大切なこと――八千穂の大切なことは、あの学園に詰まっている。今、この時点でも増え続けているかもしれない被害者。高笑いを響かせているだろう鬼――鶴牧有人。弦悟が心配してくれていることはわかる。現状は明らかに八千穂のキャパシティを越えている。しかし――それでも――〈霊鬼割〉として、ましてや学園の生徒として、八千穂はそれを看過することはできない。

 毅瑠が手伝ってくれるという。ずっと一緒にいたいと言ってくれる。そして、〈霊鬼割〉としてのすべてをかければ、何とかできる可能性がある――

 八千穂は夕焼け空を見上げた。

 心は決まった。

 毅瑠の言ったように、先のことは後から考えよう。

(いい?)

 心の中でのその問いかけは、今は不可視の右の三つ編み――その中に宿る、代々の〈魂糸〉を宿した剣〈髪逆〉に対して向けられたものだ。

 秋の香を乗せた風が吹き、八千穂のうなじを優しく撫でていった。それは、心のままに――という、剣〈髪逆〉からの答えのような気がした。

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