八千穂事件 16
夢を見ていた。
夢の中で、八千穂は鬼と闘っていた。八千穂が〈魂糸〉を使うと、弦悟の〈魂糸〉が減った。毅瑠の〈魂糸〉が減った。それなのに、鬼との闘いは一向に終わらなかった。いったい、いつまで続くのだろうか――
目が覚めると夕方になっていた。
八千穂は居間を飛び出した後、自分の部屋にこもった。そして眠ってしまった。あの後、毅瑠と弦悟はどうしただろうか。八千穂は身繕いをすると、忍び足で部屋を出た。
居間には誰もいなかった。それどころか、家の中にも誰もいなかった。七穂は買い物に出かけている頃合いだ。弦悟は神社だろうか。毅瑠は帰ったか――
八千穂はサンダルを突っ掛けると、ふらふらと家を出た。夕焼けで、世界が真っ赤に染まっている。その赤の中、神社の鳥居の下に、八千穂は見慣れた背中を見つけた。
「毅瑠」
呼びかけた背中が振り向いた。八千穂はなぜか、胸が締め付けられるような切なさを感じた。
「毅瑠……まだいたの?」
毅瑠は鳥居の下から続く石段に腰掛けていた。八千穂も並び、腰を下ろす。
「作戦について考えていた」
「さっきのやつ?」
毅瑠は頷いた。さっきと言っても、居間での話し合いから随分と時間が経っている。
「あの後、お父さん大丈夫だった?」
「ああ……」
毅瑠は言葉を濁した。何か酷いことでも言われたのだろうか。
「チホはどうしたい?」
「毅瑠はどうして欲しい?」
質問に問いかけで返すのがよくないのはわかっている。しかし――毅瑠の言葉が聞きたかった。
「俺は、チホと一緒に涼心学園高校に通いたい。先輩たちや、道生達と一緒に、普通の高校生活をこれからも続けたい。そのためなら、この寿命が短くなっても構わないと思っていた」
「……いた?」
「今でも思っている。でも、神坂さんと七穂小母さんがヒントをくれた。俺もチホも〈魂糸〉を減らさずに済む方法のね」
「〈髪逆〉?」
「わかっていたのか」
もちろん、それは考えた。しかし、剣〈髪逆〉は代々受け継がれてきたもので、これからも伝えていかなければならないものだ。ここで使ってしまって良いのだろうか。
「神坂さんは言っていたよ。〈霊鬼割〉は神坂家にかけられた呪いなんじゃないかって」
「呪い?」
「未来永劫鬼を狩り、命をすり減らさなければいけないという呪いだ」毅瑠は一旦言葉を切った。「ねえ、剣〈髪逆〉で〈魂糸〉の環を繋いでいるとき、チホの〈魂糸〉はまるっきり普通の人と同じなの?」
「同じじゃない。少しずつだけど……減っていく」
「それは、普通の減り方より早いってこと?」
「そう」
「だから鬼を狩る?」
八千穂が頷いた。
「じゃあ、剣〈髪逆〉はどう?」
「どうって?」
「あれは、代々の〈霊鬼割〉の〈魂糸〉なんだろう? 使うと〈魂糸〉が減るだろう?」
「……減らない」
「……」
空を見上げて考えを巡らしていた毅瑠が、ゆっくりと八千穂へと向いた。
「チホ……普通より減りの早いチホの〈魂糸〉が、剣〈髪逆〉に吸われている、ということはないのか?」
「?」
八千穂は、毅瑠が何を言っているのかがわからなかった。剣〈髪逆〉は八千穂の命を繋ぎ止めてきたものだ。それが、八千穂の〈魂糸〉を吸っている――?
いったいどんな顔をしていたのだろうか。八千穂の顔を見た毅瑠が、慌てて言い募った。
「剣〈髪逆〉が悪いとか、そういう話じゃないんだ。もし、俺が考えた通りの作戦を実行したとして、問題になるのはその後のチホの〈魂糸〉だ。さっき言ったことが本当なら、減りは激減するはずだろう? 繋ぎ止めておきさえすれば、もう鬼を狩る必要もなくなるかもしれない」
「でも……伝えなきゃ」
「俺も神坂さんも、チホが一番大事だ。まずなにより、今ここにいるチホが幸せになれる選択をしたいんだ。先のことは……それから考えればいい」
「毅瑠。今までと言っていることが違う」
「そうだな。戸時会長に言われたんだ。『丸く収めることばかり考えていると、大切なことを見失う』って」
大切なこと――八千穂の大切なことは、あの学園に詰まっている。今、この時点でも増え続けているかもしれない被害者。高笑いを響かせているだろう鬼――鶴牧有人。弦悟が心配してくれていることはわかる。現状は明らかに八千穂のキャパシティを越えている。しかし――それでも――〈霊鬼割〉として、ましてや学園の生徒として、八千穂はそれを看過することはできない。
毅瑠が手伝ってくれるという。ずっと一緒にいたいと言ってくれる。そして、〈霊鬼割〉としてのすべてをかければ、何とかできる可能性がある――
八千穂は夕焼け空を見上げた。
心は決まった。
毅瑠の言ったように、先のことは後から考えよう。
(いい?)
心の中でのその問いかけは、今は不可視の右の三つ編み――その中に宿る、代々の〈魂糸〉を宿した剣〈髪逆〉に対して向けられたものだ。
秋の香を乗せた風が吹き、八千穂のうなじを優しく撫でていった。それは、心のままに――という、剣〈髪逆〉からの答えのような気がした。




