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ひきわり  作者: 夏乃市
第四章 八千穂事件
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八千穂事件 8

 八千穂の停学が明けた日、朝早く登校した毅瑠は、予想を遙かに越えた光景を目にして固まった。

『神坂八千穂を退学にしろ!』

 そう大書した横断幕を持った鶴牧が、朝早くから正門前に陣取っていたのだった。

「あんな野蛮で得体のしれない生徒と一緒に、君たちは勉強ができるのか? 私は、間違いなく、黒い剣でこの胸を貫かれた。傷跡が残っていないというのが、また不気味ではないか。君たちも見ただろう? あれは夢ではない。自分たちの目を信じるのだ。いいか! 神坂八千穂は得体がしれない。本当に人か? 今一度問う。本当に君たちは、あの女と一緒に学園生活を送ることができるのか? どうだ?」

 拡声器を使って、鶴牧は声を張り上げた。登校してくる生徒たちが、呆気にとられてその様子を見ている。

「一学期、銅像絡みの事件のとき、神坂八千穂が関係しているのではないか、という噂が立ったそうではないか。それは、たぶん真実だ。君たち、自分の直感を信じたまえ。Believe Yourself!」

 不思議なことは、教職員が止めに入らないことだった。それを良いことに、鶴牧の言葉はエスカレートする。そして、次第に観衆――生徒たちも、その論調に同調し始めていた。朝の校門前に、異様な熱気の集団が出現していた。ついには、シュプレヒコールを始める。

「神坂八千穂をやめさせろ! 神坂八千穂をやめさせろ! 神坂八千穂をやめさせろ!」

「やめなさい!」

 シュプレヒコールに負けない大音量の声が降り注いだ。一瞬、声が止む。

「鶴牧先生、何を考えていらっしゃるんですか! 馬鹿もほどほどになさってください」

 声の主、生徒会長戸時夏目は、やはり拡声器を持って校舎から正門に向かって歩いてきていた。

「先生が、一人の生徒をやめさせるために生徒たちを焚き付けるなんて、聞いたこともないわ」

「これはこれは、生徒会長さんだね」

「戸時夏目です」

「戸時君か。ときに、君はあのとき、私と神坂の一番近くにいた。違うかね?」

「その通りです」

「それなら見たはずだ。あの女が、私の胸を貫いたのを」

「見ていません」

「何だと?」

「見ていません」

「ふん……こざかしい。そうか、あいつは生徒会の関係者だったな。自分の生徒会に傷が付くからなあ。不利なことはもみ消しか」

「見ていないものは、見ていません。集まっている皆さんも、何を見たって言うんですか?」

 夏目は自信満々で言い放った。鶴牧に先導されていた生徒たちが、ざわっと不安げに揺れる。そこまで自信たっぷりに訊かれて、大概の生徒は自信が揺らいでいるのだ。

「私……右側にも長い髪の毛を見たような気がする……」人垣の中から、誰かがそんな呟きを漏らした。

「俺も見た気がする」「うん、確かに左右に髪があったよ」「何だったんだあれ」――

「そら見ろ、やはり神坂八千穂は得体がしれない! あんなの、恐らく人じゃない!」

 鶴牧は勢い込んで言った。その目が異様にぎらついている。

「ではお伺いします」夏目が冷静な口調で言った。

「なんだ?」

「神坂さんが飛び出してきたとき、先生はこうおっしゃっていました。『俺に逆らったり、俺を馬鹿にした奴がどうなるか』と。いったい、何をなさろうとしていたのですか?」

 どよっ、と群衆が揺れた。

「そんなことはどうでもいい!」

「よくありません。あれがなければ、神坂さんが飛び出してくる必要もなかったんですから」

「結果的に俺は何もしていないんだから、問題ではない」

「結果的に? じゃあ、何かをするつもりだったのですね?」

「屁理屈をこねるな!」

「質問に答えてください。先生は、あの二年生に何をなさるおつもりだったのですか? 私のことが気に入らないなら、今ここで、私にそれをやってみますか?」

 今や、正門前はしんと静まり返っていた。誰もが息を詰めて、鶴牧と夏目のやりとりを見つめている。

「殴るおつもりですか? それとも蹴るのかしら? あのときもそうだけれど、これだけの観衆の中でそれをやったら、先生の責任も問われますわね? それとも、学園長にコネでもあるのかしら?」

 鶴牧の顔が憤怒に彩られた。夏目を睨み付けている。夏目はその視線を受け止めた。

「それとも先生、手も足も出さずに、私をどうにかするすべをお持ちなのかしら?」

 その言葉は、鶴牧だけでなく、その場にいる全員に衝撃を与えた。鶴牧は虚を突かれたような顔をして、一歩下がった。

「もし、先生が一歩も動かずに私をどうにかできたら、先生の方が人外じんがいのものだということになってしまいますけれど」

 艶然と、凄惨な笑みを浮かべた夏目に、今や鶴牧は完全に押されていた。これは鶴牧の負けだ――誰もがそう思ったとき――

「神坂だ」

 その一言で人垣が割れた。正門の手前に、呆然と立つ八千穂の姿があった。

「チホ」

 毅瑠はその側に駆け寄った。

 八千穂は鶴牧が持つ横断幕を見上げた。

 集まった生徒たちは、一様に怯えた目で八千穂を見た。

 八千穂が一歩前に足を踏み出すと、周りの人垣が半歩下がった。

 そして――誰かが呟いた。

「よく出てきたな……」

 その声に誘発されて、少しずつ、さっきのシュプレヒコールが再現される――

 叩き付けられる言葉の暴力に、八千穂は踵を返すと、正門に背を向けて走り去っていった。

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