八千穂事件 7
「あら、向井さん。いらっしゃい」
七穂の言葉に、毅瑠は反射的に謝ってしまいそうになった。この度は、八千穂さんが停学になるようなことになり云々(うんぬん)――しかし、さっきの綾音の言葉を思い出し、辛うじてそれは思い止まった。
「夏休み中はお世話になりました」
「どういたしまして。いつでも、遠慮なく使って頂戴」
生徒会の面々は、夏休み中、広くて涼しい神坂家の居間を、第二の生徒会室として便利に使わせてもらっていたのだ。
七穂の笑顔に送られて、毅瑠と八千穂は、八千穂の自室へと入った。テーブルに二枚の座布団が敷かれている。毅瑠は、さっきまで綾音が座っていただろう座布団の上に腰を下ろした。
「昨日今日とどうしていた?」
「正門の外で見張っていた」
「学校のか?」
「そう」
例の鬼――鶴牧有人による被害者がいないかどうか、それを見張っていたのだという。毅瑠は自分が悩むことで手一杯で、まるで気が付かなかった。
「よく、ばれなかったな」
「綾音にはばれた」
なるほど。生徒会室を飛び出した綾音が、学校を出たところで八千穂を見つけた、ということだったようだ。
「それで? 被害者はいたか?」
八千穂は首を振った。
「そうか。ここ二日、俺も生徒たちには気を配っていたが、特に問題はなかった」
もちろん、毅瑠は〈魂見鏡〉で鶴牧を見た。なんとも醜い〈魂糸〉だった。あまりの醜さに、既にどれが本人の〈魂糸〉なのかわからなくなっていた。
「〈魂の要〉どこにあった?」
「どこって?」
八千穂は、鶴牧を〈髪逆〉で貫いたときのことを話した。胸にあるはずの〈魂の要〉――その手応えがなかったこと。
「……すまん。わからない。そんなこと考えても見なかった。明日、もう一度確認してみるよ」
「そう。あの鬼はだいぶ手強そう。充分に準備をして臨まないと」
鶴牧を施術する算段をする八千穂を見て、毅瑠はつい口走ってしまった。
「ごめんな」
「なに?」
綾音は言った。八千穂は毅瑠を信じている、と。だから、これ以上のことは言ってはならない――たとえ毅瑠の心がその重さに耐えられなくなっても、それを八千穂に投げてはならない――
「いや……、昨日、電話に出られなくてごめんな。ねちゃっててさ」
「別にいい。それよりも施術」
「そうだな」
毅瑠は八千穂の顔を見た。鬼について語っているというのに、その表情は随分と穏やかだった。初めて会った頃の無表情とは雲泥の差だ。
今、初めて多くの仲間に囲まれた八千穂は、そちらに針が振れているのだ。〈霊鬼割〉の重さより、仲間の重さが勝っているわけではなく、乗せたばかりで、天秤がそちらに傾いているだけなのだ。なにより、〈霊鬼割〉の重さは本人の命の重さだ。時が経てば、バランスが取れる――取れるはずだ。だから、それまでの間、誰かが支えてやらなければならない。
毅瑠は思う。俺がひとりで――と思うのは、きっと思い上がりなのだろうと。でも、なんとかこの危機は切り抜けてやりたい。明日には八千穂の停学が明ける。登校した八千穂に対し、生徒たちがどんな反応をするかはわからないが――でも、守ってやりたいと思う。
なにより、八千穂の行動は、生徒を想ってのものだったのだから。