八千穂事件 5
「毅瑠……そんなこと言ったの?」
八千穂の部屋で、八千穂と綾音は向かい合っていた。
学校の前で泣いていては目立つ。停学中の八千穂は目立ちたくない――そんなこんなで、泣きやまない綾音をなんとか引っ張って、八千穂は自宅の神坂神社へと帰ってきたのだった。
綾音を見ると、七穂は何も言わずに温かいミルクをいれてくれた。それを飲み、ひとしきり泣いた綾音は、ようやく落ち着いた。そして今、事情を八千穂に話しているところだった。
「……夏休み前の事件のときさ、向井君には散々酷い目にあわされたけど、悪意はなかったと思っていたのよ。でも、今回はちょっと……悔しかった。私が八千穂と仲良くなったの知ってて、それでもあの男は、自分一人ですべてを背負っているようなことを言うのよ」
「私、停学は平気。毅瑠だって停学になった」
「そうよね。そんなことも忘れちゃっているのよ、あいつ」
「……たぶん、毅瑠は責任を感じているんだと思う」
「責任?」
八千穂は、自分用のマグカップを両手に包み込んだ。コーヒーの香が鼻をくすぐる。
「綾音。前に屋上で話をしたとき、以前の私について毅瑠が話したのを覚えてる?」
「被害者は施術の対象外だったって話?」
「そう。それは本当の話。被害者に施術するなんて考えてもみたことなかった。でも、毅瑠が言ったの。被害者の〈魂糸〉の環を繋いで欲しいって。友達として頼みたいって」
「友達……」
「私、友達になろうって言われたの、毅瑠が初めてだった。綾音は二番目」
「……」
「鬼の施術のときは、必要な〈魂糸〉は鬼から調達する。だから、〈霊鬼割〉の命は減らない。でも、被害者の場合はそうはいかない。〈霊鬼割〉は、自分の命を永らえるための術だから、被害者の施術は理に反する……」
「それでもやってくれって?」
綾音の目つきが険しくなる。しかし、八千穂は穏やかに首を振った。
「それを私に頼んだときの毅瑠は、そのことを知らなかった。でも、私が了解した。友達だから」
「八千穂……」
「やってみたら、それが正しい気がした。だから、それからは、被害者にも目を向けるようになった。誰かに鬼の〈魂糸〉が伸びたとき、その誰かは守らなきゃって……。だから、一昨日も体が反応した。考えるより先に。毅瑠は、自分が私をそうしちゃったんだって思っていると思う。責任を感じているんだと思う。……違うのに」
「違うの?」
「毅瑠のお陰でこうなれたの。自分の命を永らえるためだけに鬼を狩るより、誰かを守るために鬼を狩る方が、ずっと心が軽い。私ひとりじゃ全部は無理でも、目に見えるところだけでも……随分違う。だから、あの二年生を守れた私を、毅瑠にはほめてもらいたい……」
ふわっと綾音が八千穂に抱きついた。さっき、泣きながら抱きついてきたのとは違う、優しい抱擁だった。
「八千穂……良い子だね」
「なに?」
「なんでもない……」
何故だかわからなかったが、綾音はまた泣いているようだった。
「八千穂。ずっと友達でいようね」
「綾音はずっと友達」
体を離して微笑んだ綾音の顔は、涙でぐしゃぐしゃになっていた。