夢喰い事件 19
八千穂が毅瑠の頬を張った途端、世界がゆがんだ。
「あーあ」
気が付くと、八千穂は療養所の屋上にいて、順が顔を覗き込んでいた。体は大勢に抑え込まれている。
「せっかく楽しいデートを演出してあげたのに」
「ふざけるな! ……こうやって、力も夢に絡め取ったのか」
八千穂は激昂した。毅瑠との茶番のデートが、この上ない侮辱に感じられた。
「力の場合、相手は私。まやかしじゃなくて、私は私だもの。今のとは違うわ」
華子が言った。八千穂が体験したデートは、八千穂の記憶から、鬼たちがでっち上げた毅瑠だった。しかし、力の相手をした華子は、華子の意識そのもの――そう言いたいらしい。
「私と力のデートは本物なの」
「なんと言おうと、それはまやかしだ。お前は力の何を知っている? お前が書いた筋書き以上に、何かを知ろうとしたのか?」
「しょうがないじゃない。私、ベッドから動けないんだから!」
「動けなくても、デートのやりようはある。形に拘る必要はないんだ。二人が楽しければ、それでいい」
それは、綾音の受け売りだった。八千穂自身よくわかってなどいない。しかし、言葉を紡がずにはいられなかった。
「力は優しい。夢でお前と知り合って約束をしたら、それを果たそうとするような人だ」
「そんな……そんな都合の良いこと、あるわけないじゃない!」
華子は、八千穂を抑えていた全員を退かせると、一人、八千穂に馬乗りになった。
「綺麗事は嫌い。パパもママも、結局は約束を守ってくれなかった。守ってくれなかったのよ」
華子は八千穂の喉笛に手をあてた。
「あんたなんか死んじゃえ」
「力を信じられないの?」
「え?」
「力を信じられないの?」
「だって……」
「私は友達のことは信じる」
「……」
「私を信じてくれた人のことは、絶対に信じる」
華子の手の力が緩んだ。
「……ねえ、今からでも間に合うかな」
「間に合う」
「力は約束を守ってくれるかな」
「守る」
「力に伝えてくれる? 待ってるって」
「わかった」
二人の会話を聞いていた順が慌てた。
「おい、華子。何を……」
「行って!」
華子は八千穂から飛び退ると、そう叫んだ。
八千穂は急いで立ち上がると、屋上の縁へと向かって駆けた。意識を集中し、再び現実世界との繋がりを探す。
毅瑠の顔が浮かぶ。そして叫んだ。
「毅瑠! どこ?」
――チホ
叫んだ八千穂の唇に、微かな温かさが触れた。
体全体が毅瑠の存在を確信する。
今度こそ、確信を持って、八千穂は屋上から飛び降りた。