夢喰い事件 18
「チホ、待たせた」
K駅前広場の噴水前で、八千穂は毅瑠と待ち合わせていた。
「毅瑠。遅い」
「すまん。出がけに道生から電話があってね。そしたら、電車を一本乗り損ねた」
「コーヒーゼリー」
「え?」
「罰」
「……わかったよ。後で奢るから。ほら、映画に遅れるぞ」
二人は、先週封切られたばかりの新作映画を観る約束にしていた。八千穂は両親以外と映画を観にくるのは初めてだった。
「しかし、本当にこんな映画観るのか?」
毅瑠の持つチケットは、日本映画の大作時代劇のものだった。高校生カップルが入るには、あまりに渋すぎる選択だ。
「観る」
「はいはい」
案の定というか、二人が入った映画館は、年齢層の高い時代劇ファンばかりで、二人はかなり浮いていた。それでも、八千穂は存分に映画を楽しんだ。
「さ、食事はどうしようか?」
「コーヒーゼリー」
「それは食後、もしくはお茶のときにな。とりあえず歩くか」
二人は、デパートのレストラン街を回った。しかし、意外に値段が高い。悩んだ挙げ句、昼食はファーストフードで済ませることにした。
「悪いな、こんなんで」
「別にいい。毅瑠と一緒なら」
八千穂はハンバーガーにかぶりつきながら、臆面もなくそう言った。
「あら、お二人さん」唐突に、二人の背後から声がした。「休みの日にデート? 隅に置けないわね」
声の主は夏目だった。一緒に綾音もいる。
「いやあ、まあ」毅瑠が照れたように頭をかいた。「二人は何してるんですか?」
「バーゲンよ、バーゲン」
答えたのは綾音だった。よく見れば、二人とも大きな紙袋を下げている。
「おかげですっからかん」綾音がため息をつき、全員が笑った。
「じゃあ、ごゆっくり」
夏目はそう言うと、綾音を促して離れた席へと歩いていった。
「一緒に食べればいいのに」と八千穂。
「俺らに気を利かせたんだよ」
「気を?」
「恋人同士だからね」
八千穂の鼓動が一つ、跳ね上がった。恋人同士――私と毅瑠が?
「どうした?」
八千穂は無言で首を振る。心は嬉しさで躍っている――でも、この違和感はなんだろう?
食事が終わると、二人はあちこちの店を見て回った。昼食代に事欠くくらいだから、今日は特に買い物をする予定はない。それでも、毅瑠と二人のウインドウショッピングは楽しかった。
「お茶にしようか」
「うん」
二人は喫茶店に入った。毅瑠はホットコーヒー。八千穂はホットコーヒーとコーヒーゼリー。
「その組み合わせはどうかな」
毅瑠が幾分うんざりした顔で指摘する。
「いいの」
「そうか」
コーヒーを飲みながら、二人は延々と、たわいもない話に興じた。
喫茶店を出ると、空は夕暮れに染まっていた。毅瑠がどこかに向かっている。それに付いて歩いていると、いつの間にか、海が見える公園に出ていた。
「どう? とっておきの場所」
「……」
夕日に染まる海は、言葉では表せないほど綺麗だった。八千穂が呆然と見つめていると、毅瑠が肩を抱いてきた。
「毅瑠?」
「チホ」
今このとき、世界には二人しかいない。自分と毅瑠と。八千穂は頭がぼうっとした。毅瑠の顔が近付いてくる。キス――八千穂は思った。そうだ、ここはキスをする場面だ。
八千穂は目を閉じた。
夢のようなデートの時間がここで終わる。デートの締めはキスなのだ――夢に見たような楽しいデート――
――違う。
何かがそう告げた。
(八千穂が向井君と一緒にしたいことって何?)
綾音の声が脳裏に木霊する。
あのとき、あのお風呂場で、私はなんと答えただろうか――私は毅瑠とこんなデートがしたかったのだろうか――
それに、毅瑠は二人を「恋人同士」だと言った。でも、違う。私と毅瑠は友達だ――掛け替えのない、大切な友達だ。将来がどうなるかはわからない。でも、今は、友達という言葉が最優先で出てこなければいけないはずなのだ――
八千穂は目を開いた。
現前に迫った毅瑠の顔を、思いっきりひっぱたいた。