テレパシー事件 6
同じ頃、涼心学園高校から程近いK駅前の商店街に、綾音は一人で向かっていた。
日が一番長いこの時期、六時半近くなっても空には燃えるような夕焼けを見ることができた。とはいえ、あまり帰宅が遅くなると、お母さんに怒られてしまう――普段ならそう考えるところだが、今の綾音には、そんなことを気にしている余裕はなかった。
二年C組の教室で毅瑠と別れた綾音は、一旦はまっすぐ帰ろうとした。しかし、マスコット人形のことがどうしても頭から離れなかった。散々悩んだ挙げ句、秋山彰子に電話をかけたのだった。
綾音が何の前置きもなく、マスコット人形が売っている場所を詳しく教えて欲しい、と言うと、彰子は笑いながらこう言った。
「どうしたの? さっき生徒会の人からも同じような電話があったのよ。小論文の件はついでみたいな訊き方だったわ」
毅瑠と別れてからまだ三〜四十分ほどしか経っていなかった。生徒会の――というよりは毅瑠の行動の速さに、綾音は信頼感よりも、どうしようもない焦燥感を覚えた。彰子への礼もそこそこに電話を切ると、急いで商店街へと走ったのだった。
彰子によると、露店が出るときは大抵同じ場所で、商店街中程の閉店した洋品店のシャッターの前だという。
(ここら辺のはずだけど……)
聞いた場所に露店は見あたらなかった。
綾音は、気が抜けるのと同時に冷静さを取り戻した。露店を見つけてどうするつもりだったのか、実は何も考えていなかったことに思い至り、独り赤面した。
(帰ろう)
そう思ったとき、視界の隅に何かが引っかかった。シャッターの隅に何か落ちている。目を凝らすと、見覚えのあるマスコット人形だった。綾音の携帯電話にぶら下がっているのと同じ物――
綾音は近付くと、腰を屈めて人形を拾い上げた。そのとき、図らず、洋品店脇の路地を覗き込む格好となった。
「?」
商店街のイルミネーションの影になり、路地は薄暗い。その暗がりの中に、人が二人向かい合っていた。
一人は、大学生だと思われる女の人。
一人は、涼心学園高校の制服を着た女生徒。
綾音から見て、女生徒は背を向けて仁王立ちしていた。その向こう側で女子大学生がへたり込んでいる。女子大学生が右手に握り引きずっている布は、露店用の敷物らしい。布から零れるような形で、大量の人形やアクセサリーが路地に散乱していた。――明らかに、女生徒が女子大学生を追い詰めている。
女生徒――その左だけの長い三つ編みは、見間違いようもなく、神坂八千穂だった。
綾音は拾った人形を握りしめたまま棒立ちになった。路地の二人が綾音に気付いた様子はない。
「自分が何をしているのか、お前、わかっているのか?」
八千穂が糾した。感情のこもっていない、平坦な声だった。
「な……なにって、何よ! 手作りのアクセサリーを売っていただけよ。確かに商店街に許可は取ってないけど……」
「そういうことじゃない」
八千穂は足下に散らばった人形を一つ摘み上げた。無造作にそれを引き千切る。そして、中から何かを引っ張り出した。綾音のところからではよく見えなかったが、細い糸のような物――
「髪の毛……。悪趣味」八千穂が呟く。
綾音は驚き、思わず人形から手を離した。軽いフェルト製の人形は、音もなくアスファルトへと落下した。
「お前、これを買った人達に何をした?」
「か、買った人の願いが叶いますようにって、その場でお祈りをしただけよ」
「それで、切ったのか」
「切る? 何のこと?」
「先週、私と同じ制服を着た生徒が、一人でたくさん買ったはずだ。そのときも同じに祈ったのか?」
「な……なんでよ……」
「祈ったのか?」八千穂が繰り返した。
「……友達の分だって言うから、その友達の願いも叶うようにって、そう祈っただけよ! い、言いがかりをつけられる覚えはないわ。本当に願いが叶ったって随分感謝もされたのよ!」
「叶った願いが、何を犠牲にしているかも知らずに……」
――異変は突然起った。
八千穂の右のうなじ辺りから、淡く輝く光の束が現れ始めた。虹色に輝くそれは、見る見る長くなり、腰までの長さの三つ編みを形作る。やがて光は消え、それは本当に艶やかな黒髪となって揺れた。
目を丸くする綾音の前で、異変はさらに続いた。
現れた右の三つ編みが先端から解け始めた――それはまるで、絡み合った三匹の蛇が、お互いの体を離していくようだった。そして、解けた三つ編みの中から、一振りの漆黒の剣が姿を現した。鍔のない、黒光る直刀。八千穂は右手でそれを逆手に握ると、引き抜いた。
「ひっ……」
女子大学生が、へたり込んだまま後退りした。
「ひっ……ひっ……」
何かを叫ぼうとして、しかし、彼女の喉は言葉を発することができない。
八千穂は、そんな女子大学生を尻目に、散らばった人形やアクセサリーを一瞥した。刹那、漆黒の剣が虚空を一閃する。その剣風に煽られた人形が、アクセサリーが、一斉に炎を上げた。
「あ……」
それまで怯え一辺倒だった女子大学生の声に、別の響きが混じった。ちろちろと燃える炎を映した瞳が、少しずつ険しさを宿してゆく。
「……あなたは、なぜ私の想いを燃やしてしまうの?」
八千穂が女子大学生を睨み付けた。
「私が祈れば、みんなの願いが叶った。私が祈れば……世界が変わった。私が祈れば! いのれば! イノレバ!」
ゆらり、と女子大学生が立ち上がった。
「今はまだ目の前だけ……。でも、いずれは、私の祈りで世界が変わる! 救われる! 私が世界の救世主になるのよ!」
女子大学生の肩甲骨辺りまでの髪が、ぶわっと広がった。風などではない。まるで――まるで、一本一本まで意志が込められたように――
綾音は膝ががくがくと震えた。しかし、目を離すことができなかった。
「それが私の存在意義! 生まれてきた意味なのよ!」
女子大学生が自分の髪の毛を一束鷲掴みにした。そして、力一杯それを引き抜く。
「ひっ!」と綾音は声をあげてしまった。
女子大学生の手中の髪束は、あり得べからざる体をなしていた。それはまるで針金のように、硬く、鋭く、ぴんと伸びたままになっている。彼女はその束を頭上高く掲げると、叫んだ。
「邪魔はさせない!」
針のような髪が八千穂に向かって放たれた。
八千穂は剣を逆手のまま体の前に構えると、無造作に、しかし正確にそれを振るった。一瞬で飛来した髪が炎を上げ灰となる。
続く一歩で、八千穂は女子大学生の懐へと飛び込んでいた。
「終わり」
右手の剣を、くるっと順手に持ち直した八千穂は、それを女子大学生の胸の中央目掛け躊躇なく突き刺した。
綾音は息が止まった。吹き出す血飛沫を想像した。
しかし、まるで彼女だけ時が止まったように、女子大学生は動きを止めただけだった。
「大分減っている……」
八千穂は、剣を女子大学生の胸に突き刺したままの姿勢で、左手を広げ、それを女子大学生の額にあてた。
「魂の綾は己が内へ、環を廻し命を紡げ……」
そんな言葉と共に、八千穂の左手の指が小刻みに躍った。まるで、操り人形を繰る人形遣いのように。やがて――
「封!」という気合いと共に、八千穂は女子大学生の額を左手で叩いた。びくん、と女子大学生の体が大きく跳ねた。
どうやら、それで終わりのようだった。八千穂は大きく一つ息を吐くと、右手の剣を引き抜いた。くるっと逆手に握り直し、背後に回す。解けていた右の三つ編みがそれを巻き込む。ビデオの逆回しのように、三つ編みはじわじわと色が薄れ、消えた。ゆっくりと、八千穂は女子大学生の体から離れた。
綾音の予想と反して、女子大学生は倒れなかった。へたり込んだまま、虚ろな瞳で呆けている。しかし、間違いなく生きているようだ。薄暗がりではっきりしないが、胸元に、剣を刺したような傷を見ることはできない――綾音は、ようやく止めていた息を吐いた。
「!」
ゆっくりと八千穂が振り返る。
綾音は一目散にその場から逃げ出した。