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ひきわり  作者: 夏乃市
第三章 夢喰い事件
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夢喰い事件 17

〈髪逆〉を振るいながら、八千穂は違和感を拭えなかった。

 殆どの鬼は、生理的に〈髪逆〉を嫌う。理屈を知らずとも、〈霊鬼割〉に対して本能的に牙をむく。だから、圧倒的な抵抗を予想していた。しかし、予想に反して抵抗はなかった。張り巡らされた〈夢糸〉を切りながら進むと、程なく療養所の建物に辿り着いた。あまりに手応えがなさ過ぎた。まるで――まるで、招いてすらいるように感じる。

 罠だろうか。それとも、もう抵抗する力も残っていないのだろうか。

 疑念は尽きないが、立ち止まるわけにはいかない。八千穂は慎重に建物の中に足を踏み入れた。

 療養所の中はしんと静まり返っていた。入り口正面の受付も、待合室の灯りも消えている。所々にある非常灯が、何やらまがまがしい輝きを放っている。深夜という時間帯を考えれば、人がいないことに不思議はないのだが――

 どれ程の人がここで療養をしているのだろうか。当然、大勢の職員もいるはずだ。彼らも含めて、全員が鬼に〈夢糸〉を絡め取られてしまったのだろうか。

 八千穂は、入り口脇の案内板を確認した。病室は二階と三階だ。恐らく――眠り続ける患者の一人が鬼となったのだろう。

 八千穂は階段で二階へと上がった。手近な病室の扉を開けて中を確認する。

 最初の部屋には老人が一人寝ていた。次の部屋は四十代の男性。その次は小さな男の子だった。どの部屋の患者も、不審なところなどなかった。

(……おかしい)

 八千穂は、さっきから〈魂糸〉の気配をまるっきり感じていないことに気が付いた。右の三つ編みは顕現しているにもかかわらずだ。そして――右手に握っていたはずの〈髪逆〉が、なかった。

(しまった。ここは……)

「気が付いたね」

 目の前のベッドで、男の子が上体を起こし、八千穂を見つめていた。

 ここは――鬼が見る夢の世界だ。いつの間にか、八千穂の〈魂糸〉が絡め取られ、意識が夢の世界に引きずり込まれてしまったらしい。

 八千穂は、自分の体はどうなっているのだろうか、と考えた。療養所の建物の中で倒れているか――それとも、庭の途中だろうか。

「お姉さんも、これでここの住人だよ」

 男の子がそう言った途端、建物中の照明が灯った。ざわざわと人の話し声が溢れる。

「順君、どうしたね?」

 最初に八千穂が覗いた部屋の老人が、八千穂の背後から現れた。

「新しい住人だよ」

 八千穂は厳しい視線を、順と呼ばれた男の子に向けた。

「お前が鬼か?」

「鬼?」

「力の命を吸ったのはお前か?」

「ああ、華子はなこがお気に入りのお兄さんのこと?」

「お前が力の夢を絡め取った。命を吸い上げ、眠らせ続けた」

「違うよ。あれは華子が連れてきたんだ。それに、僕たちは無理強いなんかしていない。ここにいる人たちは、みんな自分の意志でここにいる」

「何?」

「お姉さんは、ちょっと困ったことをしたから強引に連れてきたけどね。ここは、みんな楽しいことだけを繰り返していられる場所だよ」

「力も、自分の意志で眠り続けたというのか?」

「力がいなくなったのは、あなたのせいなの?」

 背後から別の声が聞こえた。声の主は、白いワンピースを着た少女だった。

「また会おうって約束したのよ。でも、さっきから力が見つからないよ!」

 突然、少女の手が八千穂の喉笛に伸びた。八千穂はそれを辛うじて躱すと、廊下にまろび出る。廊下には、騒ぎを聞きつけたらしい他の患者たちが、わらわらと溢れ出てきた。その数は、とても療養所の建物の収まる人数だとは思えないほど多い。

(なんてこと……)

 八千穂は、溢れる人を掻き分け、押し分け、階段を駆け上がった。外から見たとき、屋上があったはずだ。

(全員が……鬼だ)

 発端が誰だったのかは、こうなってしまうともうわからない。一人の鬼が、別の一人の〈夢糸〉を絡め取り、夢の世界に取り込んだ。その一人が、また別の一人を捕まえた。そうして、この療養所の患者たちは、全員が夢の中の住人となった。療養所の中の人間をすべて取り込み、草も木も動物も取り込み、そして、外へと〈魂糸〉を伸ばし、外部の〈夢糸〉を絡め取り始めた――きっと、寝たきりの患者が多かったのだろう。彼らは、友達と仲良く普通の生活をしたかっただけかもしれない――しかし――

 八千穂は屋上へと飛び出した。

 振り返ると、屋上に人が溢れていた。一番前にいるのは、順と、華子と呼ばれた少女。

「お姉さん。僕たち、何か悪いことをしたの?」

「人の命を喰った。それは悪いことだ」

「そんなの知らないよ。みんな、僕たちの友達になってくれた。彼らの夢を叶えてあげたら、喜んで一緒にいてくれたんだよ」

 そう――八千穂には最初から気になっていることがあった。作は言った。最近力が寝過ぎだと。それはつまり、いきなり〈夢糸〉を絡め取られたわけではない、ということだ。最初の接触から、眠り続けるまでの段階が存在しているのだ。それは、茂庭幸江も同じだった。

 だから、この事件には、被害者自信の意志も少なからず反映している、というのは決して嘘ではないのだろう。しかし――

「なら、お前らは、力の記憶をまるっきりいじっていないと言えるのか?」

 華子が一瞬たじろいだ。

「作……力のお姉さんが言っていた。力が同じ夢を見続けていると。いつも同じデートの夢」

「それは力が望んだからよ」

「望んでも、繰り返せば飽きる。前の記憶を消したな?」

「だって!」

「それは許されない。人の心を操って、それで一緒にいても、そんなのはまやかしだ」

「だって! 私たちは病気なのよ。しょうがないじゃない!」

 華子が叫んだ。それを合図に、八千穂に向かって人垣が押し寄せた。

 この夢の世界は、一人の人間が見ているものではない。複数人の夢の集合体だ。だから、それなりのルールが存在するようだった。それは恐らく現実の世界に近い。ここが誰か一人の夢ならば、とうの昔に八千穂の〈魂糸〉は切り刻まれていたに違いない。

 人の意識は〈魂の要〉に宿ると考えられている。八千穂の意志がここに表出しているということは、体と繋がっているということだ。〈魂の要〉は体から外には出せない。だから、被害者たちは、体が眠り続けたまま〈夢糸〉で繋がる、という状態に留め置かれたのだ。〈魂糸〉を全部抜いてしまえば、せっかく夢に招いたその人物の意識は消えてしまう。鬼たちが八千穂の意識を保持しようとは考えないだろうが、まだ〈魂糸〉のすべてを取り込まれるだけの時間は経っていない。急げば、間に合うはずだ。

 八千穂は屋上の端まで逃れると、意識を集中した。どこかに――どこかに、現実世界との繋がりがあるはずだ。

 八千穂にとっての現実世界、大好きな仲間達の顔を思い浮かべる。

 丸一に置いてしまった力。泣かせてしまった作。一緒にお風呂に入った綾音。星を見ながら話をした夏目。希奈、道生、太一。お父さんにお母さん。そして――毅瑠。

 柔らかいくせっ毛の、眉毛の太い毅瑠の笑顔が浮かぶ。毅瑠に会ってから、八千穂の世界は変わった。世界はどんどん変わるのだ。同じことを繰り返すような、夢の世界に取り込まれるわけにはいかない。

 八千穂は、迫りくる華子達を見据えた。お前たちだって、現実の世界でいずれ変化は訪れるはずだ。儚い希望でも、僅かな希望でも、それは希望なのだ。来るべき未来を受け入れるためには、現実世界で生きていなければならないのだ。

 八千穂は屋上から下を見ると、その身を宙に躍らせた。

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