夢喰い事件 13
八千穂は、雨戸を開けて、庭に面した廊下に座っていた。
携帯電話の時計が午後十一時を伝えている。弦悟と毅瑠が〈夢糸〉を辿り始めてから、二十四時間が経過しようとしていた。鬼に辿り着いたら即座に連絡がくることになっている。しかし――未だ連絡はなかった。
携帯電話のリダイヤルボタンを押すと、画面に表示されるのは毅瑠の電話番号だった。発信ボタンに指をかけ、そしてやめる。もう何度、そんなことを繰り返しただろうか。毅瑠は今、必死に〈夢糸〉を辿っている。邪魔をするべきでないことぐらいわかっている――でも、ただ待つということが、こんなに辛いとは八千穂は知らなかった。
お風呂の後は、七穂を含めた全員で夕食の支度をした。メニューはカレーライスだった。これも合宿の定番だと夏目が言った。食卓は大騒ぎだった。
食後は、綾音が用意した花火を庭でやった。神社の境内に咲いた炎の華は、とても綺麗だった。
七穂を交えたトランプ大会は、夏目の圧勝で幕を閉じた。希奈と綾音は顔に出やすい。八千穂は自分が意外に強かったことに驚いた。
それから、居間に蒲団を四組並べて敷いた。枕投げをして七穂に怒られた。気を取り直して、車座になり、怪談をやった。八千穂はなんとも思わなかったが、夜の神社での怪談に、みんな随分と肝を冷やしたようだった。
その後、一人ひとつずつ、秘密を打ち明け合った。
そのどれも、八千穂は皆に言われるままに参加するのが精一杯だった。もちろん、とても楽しかった。しかし――毅瑠がいなかった。作も力もいなかった。道生も太一もいなかった。お父さんもいなかった――全員が揃っていたら、もっともっと楽しかったのだろうか、と八千穂は思った。
「眠れないの?」
気が付くと、パジャマ姿の夏目が立っていた。夏目は八千穂の隣に腰を下ろした。
「夜は随分と過ごしやすいわね」
星明かりに照らされた庭は、昼の暑さの余韻を残しつつ、夏に一息入れたような涼しげな佇まいを見せている。気の早い秋の虫が、時折鈴を転がしたような鳴き声をあげる。
「八千穂ちゃんの将来の夢ってなあに?」
星を見上げながら、突然夏目がそう訊いた。
「夢……」
その言葉から、八千穂はまず〈夢糸〉を連想した。力が捕らわれ、毅瑠が辿っている――
でも、夏目が言っているのはそういうことではない。
夢。希望。
八千穂は自分の将来など考えたこともなかった。
「私の夢はね、世界中を訪ねて回ることなの」
「世界中……」
「そう。アメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、中東、アジア。行ってみたいところが沢山あるわ。色々な場所を見て、色々な人と話をしてみたい。だから、沢山の言葉を覚えたいの。英語、フランス語、ドイツ語、中国語……。それを活かした仕事に就けたら嬉しいと思うわ。通訳とかね」
語る夏目の目は輝いていた。
私は何になりたいのだろうか、と八千穂は思う。自分は既に〈霊鬼割〉という存在だ。これからもずっと、ただ〈霊鬼割〉であり続けるのだろう――漠然とそう思っていた。しかし、学校を卒業すれば、八千穂とて収入を得る必要がある。生活の方便として働かなければならないだろう。大人になった自分、働く自分を、八千穂は想像できなかった。
「そんなに悩ませるつもりはなかったんだけれど……」夏目が八千穂の浴衣の肩を抱き寄せた。「二学期になると大変よ。体育祭に文化祭、その他のイベントも重なるから。八千穂ちゃんにも大いに働いてもらわなくちゃね」
数えたり、揃えたりという地味な事務仕事が、思いの外自分の性に合っていると八千穂が気付いたのは最近のことだ。生徒会の仕事を手伝う自分など、半年前は想像もしていなかった。
「勉強して、生徒会の仕事をして、遊んで、恋して、そうこうしているうちに、自分がやりたいこと、将来の夢がきっと見つかるわよ」
そういうものだろうか。
「私だって、いつ考えが変わるかもしれない。運命の人に出会って、突然結婚する気になるかもしれないわ」
夏目の瞳が、八千穂のそれを覗き込んだ。お互いの顔が映り込む。
「結婚?」
「たとえばよ。つまり、今はまだ何を夢見てもいいってことね。あなたも、私も、まだ何者でもないんだから」
「何者でもない? 私が?」
「そうよ。若い命は真っ白なのよ。何にでもなれるわ」
未来。
真っ白な未来。
八千穂は、きゅっと胸が締め付けられる思いがした。力の未来も――真っ白なはずだ。
「八千穂ちゃん?」
八千穂は寝間着として着ている浴衣のままサンダルを突っ掛けると、家を飛び出していった。




