夢喰い事件 3
翌日の午後。弦悟は御祓いの準備を整えると、八千穂を従って家を出た。弦悟は神主装束を、八千穂は巫女装束を身につけている。
お互い、昨日の晩から一言も口をきいていなかった。しかし、元来二人とも無口なので、それがどうということもなかった。
炎天下、大汗をかきながら、二人は黙々と歩いた。
「これは、八千穂のおばあちゃんから聞いた話だ」
前を歩く弦悟が口を開いた。後ろで八千穂が頷く。弦悟には八千穂が見えていないのだが、親子の会話はそれでも成立する。
「お前のお母さん……七穂が生まれたとき、おばあちゃんは泣いて喜んだそうだ。何故だかわかるか?」
八千穂が首を振る。それも、弦悟は見ていない。
「自分の子供だ、当然嬉しい。しかし、それ以上に、七穂の〈魂糸〉は綺麗な環を描いていた」
弦悟は言葉を切った。
八千穂は赤ん坊の七穂を思った。子供の〈魂糸〉は綺麗だ。お母さんの〈魂糸〉は、さぞ綺麗だったに違いない。
「この子は、〈霊鬼割〉の宿命から逃れた。そして、自分の命もまた永らえた……」
蝉時雨が空を満たしていた。夏の日射しが町を脱色している。
立ち止まり振り返った弦悟の顔は、町と共に脱色されてしまったように見えた。
「八千穂」
八千穂も立ち止まった。
「子供を産むということは、その子の〈魂糸〉が切れてはみ出していたら、〈髪逆〉を譲るということだ。お前自身が命を永らえる術を、その子に譲らなければならないということなんだぞ」
「お父さん」
「なんだ?」
「私が子供を産むの?」
八千穂が小首を傾げた。脱色されていた弦悟の顔に、急激に色が戻ってくる。
「いや、あのな……何とかって男と……」
「毅瑠」
「そいつだ。ボーイフレンド何だろ?」
「友達」
「え?」
「毅瑠は友達。綾音も夏目も、生徒会のみんなも」
弦悟は口を大きく開けたまま固まった。そして、目に見えて脱力する。
「なんだ……七穂の奴。ボーイフレンドだなんて言うから……」
「ボーイフレンドと友達は違うの?」
「え?……いやあ、どうだろうな。最近の事情はよくわからん……」慌てて言い繕った後、弦悟は静かな口調に戻った。「……ちょっと、お父さんが先走ったみたいだな。でも、さっきのおばあちゃんの話は、覚えておきなさい」
弦悟が八千穂の頭に軽く手を乗せる。八千穂は小さく頷いた。
「よし、じゃあ行くか」
さっきまでの様子が嘘のように、弦悟の足取りが軽くなっていた。「友達、友達」と鼻歌まで歌っている。それに触発されて、八千穂は力のことを思い出した。
「お父さん」
「ん?」
「私の友達でも、眠る時間が長くなって、起きても譫言を言うようになった人がいる」
「何?」
「しかも、夢の中でランデブー」
「……」
事態は、冗談では済まされない事件へと発展しようとしていた。