毅瑠の遊園地大作戦
「チホ、ゴールデンウイークはどこかに遊びに行く予定あるのか?」
「ない」
四月下旬。学園中を震撼させた〈銅像生け贄事件〉が一段落し、涼心学園高校は平静を取り戻していた。そして、明日からゴールデンウイークに入る。
事件を通して知り合った向井毅瑠と神坂八千穂は、最近一緒に行動することが多い。今は、二人揃って下校途中だ。
「何かその他の予定があるのか?」
「別にない。なんで?」
「……もし良かったらだけど、一緒に遊園地でも行かないか?」
「遊園地?」
「そ。暇なら遊びに行こう。……友達同士」
八千穂はしばらく考えていたが、「行く」と言って頷いた。
「すごい人」
「そうだな……」
ゴールデンウイークの一日。毅瑠と八千穂は、郊外の遊園地へとやってきていた。
毅瑠としては、駅前で待ち合わせなどをしたかったのだが、その提案には八千穂が首を傾げた。確かに、駅で待ち合わせるより、どちらかの家まで行った方が近いのだが――。仕方なく、毅瑠は神坂神社まで八千穂を迎えに行ったのだった。
淡い色のワンピースの上にパーカーを羽織った八千穂は、制服姿より幼く見えた。変な話だが、制服姿が非常に大人っぽく見える八千穂は、これでやっと年相応といえた。
「とにかく入場しなくちゃ。列に並ぼう」
ゴールデンウイークの遊園地は混んでいた。入場券売り場から長蛇の列ができている。
「チホは遊園地に来たことあるか?」
「小さい頃、お父さんとお母さんと」
基本的に八千穂は言葉数が少ない。遊びに来れば少しははしゃくだろうか、と毅瑠は考えていたが、そんな様子もあまりなかった。
三十分ほど並んで、二人はようやく入園することができた。
「さて、何から乗ろうか」
「わからない」
周囲をきょろきょろと見回しながら、八千穂が呆然と言った。本当に判断が付かないようだった。
「よし。じゃあ、端から乗るか」
ここぞとばかり、毅瑠は先頭に立って歩き始めた。
一番近いアトラクションはメリーゴーラウンドだった。端からと宣言したものの、高校生でこれは恥ずかしい――と毅瑠は腰が引けた。
「これは……やめておこうか」
「なぜ?」
いきなり発言を翻したとあっては男らしくないと考えた毅瑠は、腹を決めて列に並んだ。
小さい子供が多いのは当然だが、毅瑠達と同い年くらいのカップルも結構並んでいた。そして、ここでも長蛇の列。八千穂は文句一つ言わずに並んでいるが、毅瑠は先が思いやられた。
毅瑠達の目の前で、メリーゴーラウンドは何度となく回った。軽やかな音楽に合わせて、くるくると回る。八千穂がそれを憑かれたように見入っていた。
「綺麗」
「そうかな? 随分と痛んでるし、ちょっと白々しいよな」
「……」
八千穂から向けられた非難の眼差しに、毅瑠は口をつぐんだ。
「毅瑠、夢がない」
「でも、俺は〈夢飼い〉かもしれないんだろ?」
「違う気がしてきた」
本人が夢のある思考形態をとることと、〈夢飼い〉なる能力者であることに、何か相関関係があるのだろうか。じりじりと進む列の中で、毅瑠はぼんやり考えた。
「やっぱり、乗り物を選ぼう」
メリーゴーラウンドを下りた毅瑠は、八千穂に提案した。メリーゴーラウンドだけで三十分以上を要している。このペースで端から乗っていたら、半分も行かないうちに日が暮れる。
「毅瑠に任せる」
「チホは、ジェットコースターは大丈夫か?」
「乗ったことない」
「あれだ」
毅瑠が指さした先には、遊園地の目玉であるジェットコースターが聳えていた。疾走するコースターから、乗客の甲高い叫び声が聞こえる。
「乗る」
「よし」
当然だが、ここでも長蛇の列ができていた。毅瑠は事前に二人分のジュースと菓子を買って、列に並んだ。
「お行儀悪い」
立って菓子の袋を開ける毅瑠を、八千穂が咎めた。
「遊園地ではいいんだよ」
「本当?」
「……七穂小母さんて、そういうところ厳しいのか?」
八千穂が首を傾げる。比較対象がないのだから、厳しいのかどうかわからないのだろう。
毅瑠が差し出した菓子の袋に、八千穂は恐る恐る手を入れた。そして、幾分居心地悪そうにそれを口に運ぶ。
「……」
なんだろう。毅瑠は、そんな些細な初々しさに、妙に胸が高鳴るのを感じた。
一時間近く並んで、ようやく二人はジェットコースターに辿り着いた。
「前のバーをしっかり握ってください」
係員の言葉に、八千穂がきまじめに頷く。はたして、八千穂は叫び声をあげるだろうか?
ジェットコースターがゆっくりと動き出した。毅瑠はちらちらと八千穂を見る。バーをしっかりと握り、前を直視している。その瞳に揺らめくのは期待か――
がくん、と唐突にコースターが下を向き、急加速が始まった。
上へ、下へ、右へ、左へ、ジェットコースターは限界まで客を揺さぶり、その叫び声を絞り出そうとする。さすがの毅瑠も八千穂を見る余裕がなく、楽しい叫び声をあげる。すぐ脇では八千穂の声が――
「叫び声上げなかったな」
ジェットコースターを下りて、ふらつく体で毅瑠は言った。終始気にしていたわけではないが、八千穂の叫び声は聞こえなかった。
八千穂は無言で小さく頷いた。
「面白かったか?」
「……」
八千穂の返事がない。と――
「あ!」
毅瑠の背後で、小さな女の子らしき声がした。同時に八千穂が飛び出す。一瞬遅れて振り返った毅瑠が見たものは――転んだ女の子と、同じく転んだ八千穂と、空へと舞い上がる風船だった。
「チホ?」
どうやら、女の子が転んで風船を放してしまったので、それを捕まえようと飛び出したらしい。そして、上手くいかずに自分も転んだ――普段の八千穂ならそんなことはありえないから、これはそうとうジェットコースターが効いているようだ。
「あらあら大丈夫?」
母親が女の子を抱き起こした。
「うん、みなこ平気。でもお姉ちゃんが」
女の子は自分が転んだことよりも、目の前で同じように転んだ八千穂に驚いてしまったようだ。飛んでいってしまった風船も忘れている。
「あなた、大丈夫?」母親が今度は八千穂に訊いた。
「平気」
八千穂は悔しそうに風船を見上げながら言った。
毅瑠は八千穂に手を差し出すと、助け起こした。
「ジェットコースター、苦手だったんだな」
「知らなかった」
よく見れば、八千穂の顔色が幾分蒼いような気がする。
「よし、一休みして昼飯にしよう。午後はあんまり激しいのはやめような」
八千穂はゆっくり頷いた。
夕方、家路につく人混みに紛れて、毅瑠と八千穂も遊園地を後にした。
午後はアトラクションにはあまり乗らず、売店を見たり、園内を歩くキャラクターのぬいぐるみを眺めたりして過ごした。それでも二人は、充分遊園地気分を満喫した。
遊園地からバスに乗り、地元のK駅前に到着した二人は、駅前の喫茶店に入った。チェーン店ではない、ちょっと洒落た喫茶店だった。ちょうど空いた窓際の席に座り、二人ともブレンドコーヒーを頼む。
「喫茶店初めて」八千穂が呟いた。
「え? 嘘だろ?」
「……根岸さんの店以外は初めて」
根岸さんの店というのは、八千穂の家の近所にある喫茶店らしい。父親と一緒に何度か入ったことがあるという。
「意外だな。コーヒー好きのチホなら、あっちこっちの喫茶店に行っているもんだと思っていた」
「喫茶店に入るのには勇気がいる」
「まあ、女子高生ひとりじゃ入りずらいか」
「値段も高い」
「チェーン店は安いだろ?」
「家で飲んだ方が安い」
「まあ、そうだな」
一人喫茶店でだらだらする理由も趣味も八千穂にはないのだろう。
そうこうしているうちに、ブレンドコーヒーが運ばれてきた。
最初の一口で、八千穂の顔色が変わった。
「美味しい」
「そうだな」
「この風味は初めて」
「喫茶店も、店によって違うからな」
「……」
しばし無言で、八千穂はコーヒーを堪能した。毅瑠はその様子を見ながら、幾分複雑な心境だった。一日かけた遊園地よりも、今の八千穂の方が楽しそうだ。
「なあ、チホ」
「なに?」
「今度、喫茶店巡りをしようか?」
「本当?」
八千穂が身を乗り出す。
「俺もそんなに知っているわけじゃないけど、一緒に調べよう。一日中だらだらと、じゃべったり、本を読んだりしてさ。遊園地とどっちがいい?」
「喫茶店」
八千穂は即答した。毅瑠は苦笑せざるをえなかった。
ゴールデンウイークに際して、毅瑠は道生に相談をしていた。八千穂と一緒に遊びに行くのに最初はどこがいいか? と。道生のお薦めは遊園地だった。自分はいつもそうだ、と言っていた。恋愛ごとでは道生の方が進んでいると思っている毅瑠は、そのアドバイスをいれることにした。それで、今日のデート――八千穂はデートだなどと思っていなさそうだが――となったのだが。
「道生……人それぞれってことだな」
「なに?」
「いや、なんでもない」
それでも今日は収穫がいっぱいあった。
八千穂は立ってお菓子を食べるのは行儀が悪いと言った。
八千穂はメリーゴーラウンドが綺麗だと言った。
八千穂はジェットコースターが苦手だった。
八千穂は喫茶店に入ったことがなかった。(近所の根岸さんのところは除く)
そして、八千穂と喫茶店巡りの約束をした。
八千穂は俺について少しでも新しい発見をしてくれただろうか、と毅瑠は思う。
こうして、少しずつ――少しずつ――
神坂八千穂という女の子が、毅瑠の中で大きくなっていく――
《毅瑠の遊園地大作戦 了》




