テレパシー事件 4
「明日の放課後、また生徒会室に来てくれる?」
綾音にそう言い残して、毅瑠は二年C組を後にした。足早に廊下を抜け、生徒会室へと戻る。そこで、簡単な報告と、いくつかの頼み事を他の面々にすると、再び渡り廊下を越えた。目指すは厚生棟だ。
厚生棟――通称〈食堂〉は、一般教室棟の北側に位置している。二階建てで、一階に学生食堂が、二階に本や文具などを扱う売店と職員食堂がある。高等学校としては広い学生食堂は、涼心学園高校の一つの売りで、私立高校ならではの施設だった。この時間――午後五時半では、食堂はもちろん営業していない。しかし、部活動が終了する午後六時までは、テーブルを談話スペースとして使うことができる。
毅瑠は、まばらに生徒たちが点在する食堂に足を踏み入れると、入り口脇の自動販売機でカップのコーヒーを二杯買った。そして奥を目指す。敷地の北側に建っているため、食堂のほとんどは校舎の陰になる。しかし、食堂最奥の一角だけ、校舎の陰から外れ、西日が差し込んでいた。オレンジ色に染まったその席に、一人の女生徒の後ろ姿がある。
「チホ」
左側だけの長い三つ編み――それは、綾音が見た、中庭から一般教室棟を見上げていた女生徒――神坂八千穂だった。
毅瑠の声に、八千穂は読みかけの文庫本を閉じた。毅瑠はテーブルを回り込むと、彼女の向かいに腰を下ろした。
「遅くなった。これはお詫び」
毅瑠は、手にしたカップの一つを差し出した。八千穂は無言で頷き、それを受け取る。
西日の中、しばし、二人は無言でコーヒーを啜った。
「用は何?」先にコーヒーを飲み干した八千穂が訊いた。毅瑠は、携帯電話のメールを使って、八千穂をここに呼び出していた。
「二年C組テレパシーカンニング事件。聞いたか?」
小さく八千穂が頷いた。
「鬼の匂いがするだろう?」
「学校内に鬼の気配はない」
「そうか……。二年C組の生徒を誰か視た?」
小さく八千穂が首を振る。
「一人……生徒会に相談をしにきた女子を〈魂見鏡〉で視たよ。……少しだけど〈魂糸〉が切れてはみ出していた」
「はみ出したら、少しもたくさんもない」
「そうだな」と毅瑠が苦笑した。「恐らく、同じ論文を書いた全員がはみ出しているな」
八千穂の目付きが、すっと鋭くなった。
「毅瑠。鬼の心当たりがあるの?」
「二年C組では、駅前の露店で売っているマスコット人形が流行っている。今回テレパシーを発症した生徒たちは、恐らく全員それを持っている」
「人形?」
「親指くらいの大きさの不細工な人形だ。なんでも〈願い事が叶うお守り〉なんだそうだ」
「……いつ頃から?」
「秋山さんという女子が見つけてきたらしい。ここにくる前に電話した。秋山さんがその人形を最初に買ったのは先週の日曜日。十日程前だな。水曜には、欲しいと言ったクラスの女子の分を、金曜日には、さらに追加で男子の分を買った。全部で三十個近くだ」
無表情な八千穂の顔の中で、瞳だけが一瞬天井を見た。毅瑠は、これが、何かを考えるときの彼女の癖であることを知っている。
「俺は、その人形が怪しいと思う。例えば、人形に〈魂糸〉を仕込んで、時間差でそれを発動させる……なんてことはできるのかな?」
「本体から切り離された〈魂糸〉はすぐに消えてしまう」
「一瞬で?」
「しばらくは持つ場合もある。でも、切れ端なら一瞬」
「ん――、人形が犯人という説はだめか」
「売り子が怪しい」
「でも、実際に露店で売り子の女性に会ったのは秋山さんだけなんだ」
「……」
「まあ、でも怪しいのは間違いない。秋山さんに場所を訊いたから、調べてくれないか?」
八千穂は小さく頷いた。
「毅瑠は?」
「一緒に行きたいのは山々だけど、国語の蝦原先生を説得する材料も探さなきゃならないんだ。今、生徒会のみんなが手分けして二年C組の全員に話を聞いてる。俺も手伝わなきゃ」
「わかった。コーヒーご馳走様」八千穂は席を立つと、一人食堂を後にした。
毅瑠は、コーヒーの残りを飲み干すと、ゆっくりと八千穂の後を追った。