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ひきわり  作者: 夏乃市
第二章 銅像生け贄事件
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銅像生け贄事件 18

 箱に詰められた六つのコーヒーゼリーを前にして、八千穂はしばし硬直した。

「いくつ……」

「私とお父さんで一つずつ、あと、向井さんにも一つ。後はあなたが食べなさい」

 毅瑠は、このときの八千穂の顔を一生忘れないだろう、と思った。破顔とはいえない、控えめにその目許と口許に浮かんだ微笑み。極寒の冬に春の到来を予感させる、小さなフキノトウのような――そんなほころび。常が無表情なだけに、その小さな輝きは印象的だった。

(これは……反則だ)

 八千穂はいそいそとコーヒーゼリーを手に取ると、スプーンで少しずつ攻め始めた。毅瑠は自分の前に置かれたコーヒーゼリーに手も付けず、その光景に見とれた。

「ごゆっくり」

 七穂が二人分のカップを運んでくると――さすがに今日は紅茶だった――買い物に行くと告げてその場を離れた。

 二人は庭に面した廊下に並んで腰掛けていた。

 毅瑠が案内されたとき、八千穂は裏庭にいて、竹刀で素振りをしていた。その場で七穂がケーキ屋の箱を開けたため、毅瑠もそこに落ち着くことになった。神坂家は神社側に玄関があり、家の裏手に庭がある。その庭は、花壇や小さな菜園があり、神社の境内であることを忘れさせる居心地の良い空間だった。

「会長さん……」一つ目のコーヒーゼリーを平らげた八千穂が口を開いた。「すごい人……」

「あれには俺も驚いたよ」

 聞けば、夏目が退場した後、生徒たちは三十分も体育館に立ち続けたらしい。教員たちも、あの場をどうしたら良いか悩んだようだ。

「それから、クラスの人達が謝った」

「お弁当のことか?」

「そう」

 あの生徒集会に出た生徒の大半は、夏目が何を怒っているのかわからなかったに違いない。しかし、優等生でならしている夏目をして、あそこまで激怒させる何かがあったのだと、その答えを探す必要に迫らせたはずだ。一年F組の所行はすぐに知れ渡っただろうし、夏目の対応の早さ、そしてその規模に、誰もが驚いたに違いない。当該の一年F組にしてみれば、その驚きと恐怖はいかほどのものだったろう。

〈いじめ〉という行為への糾弾は難しい。中途半端な注意は、それを助長しかねないからだ。だからこそ、夏目は徹底的にやった。いじめた本人たちにしてみれば些細な嫌がらせだったかもしれない。しかしそれが、あっという間に学園中を巻き込んで、あれだけの騒動へと発展した――行為とリスクの割が合わないことを、その身に体感させたのだ。もちろん、関わらなかった大半の生徒たちも、それは実感したに違いない。

 夏目は『友達以上・恋人未満』を掲げていた。しかし、それは馴れ合いを意味しない。間違いは間違いだと指摘する。怒るべきところは怒らなければならないのだ。

 恐怖政治だ、という指摘があるかもしれない。八千穂への嫌がらせが、見えないところへと潜る可能性も否定はできない。しかし、夏目は自分の信念を貫いて行動している。その時点で最良だと思ったことを、まっすぐ実行に移している。生徒会役員として、後輩として、毅瑠はその背中をしっかりと見た。

 自分もできる限りのことをしよう、と毅瑠は心に誓ったのだった。

「佐藤さんのこと、君のこと、事件のこと、いくつか確認したいことがある。今日はそれで来たんだ」

 毅瑠は本題に入ることにした。

「佐藤さんを今日まで放っておいたのは何故?」

「?」

「松広君の事故が起きたのが月曜日。今日は木曜日だ。月曜日の昼休みに機会がつぶれたのは俺のせいだ。それはわかる。でも、それ以降、君は特に急いでいないように見える。本当に佐藤さんはまたやるのか?」

「やる」

「なら、昨日の夕方、佐藤さんに術を施しても良かったんじゃないのか?」

「お前がいた」

「俺がいたから遠慮をしたと?」

「……」

「いずれ、佐藤さんは誰かを襲うはずだよね? それは、学校だとは限らない。そうだろ?」

「そう」

「なら、一刻も早く彼女をどうにかするべきじゃないのか? このままでは、被害者が増える可能性がある。命を落とす人、〈魂糸〉がはみ出して寿命が減る人、そこまでいかなくても怪我人が出るかもしれない」

 毅瑠の語気が強くなった。八千穂は無表情に毅瑠を見つめていたが、やがてゆっくりと言葉を紡いだ。

「そういう風に考えたことなかった。あの女みたいに、他人の〈魂糸〉を大量に取り込んだ鬼は、覚醒すると施術にも一苦労する。覚醒した鬼は本能的にあの剣を嫌う。結果として〈霊鬼割〉も警戒される。月曜日の昼はまだ覚醒していなかった。でも、放課後の事件以降は覚醒した。こちらも準備万端であたる必要があるから、タイミングを見計らっていた。それに、時間をおけば取り込んだ〈魂糸〉はすり減る。……あと、〈髪逆かみさか〉を使うところを、あまり人に見せてはいけない」

「〈髪逆〉って?」

「剣」

 八千穂の右の三つ編みが顕現したとき、内から現れた漆黒の剣。

 毅瑠の質問に、八千穂は焦りも、怒りもしなかった。彼女が見せた反応、それは「初めて聞いた」というような驚きだ。鬼と自分、それ以外には斟酌しんしゃくをしない。それは、一昨日話をしたときと同じ、八千穂の一貫した態度だった。神坂八千穂という人格が形成される前に、〈霊鬼割〉としての使命がすり込まれている――毅瑠はそんな風に感じた。

「でも、それじゃあ困るんだ」

「?」

 毅瑠の知る限り、今回の事件を真に解決できるのは八千穂だけだ。毅瑠は八千穂をしっかりと見た。今日の訪問に際して、毅瑠は心に決めてきたことがある。それは、いろいろある質問とは根本的に違うこと――そして、一番重要なことだった。

「神坂八千穂さん。友達になってくれないか」

「ともだち……」

 八千穂が小首を傾げる。

「そう、友達だ。君は、いつも友達から何て呼ばれているの?」

「……」

「じゃあ、ご両親からは?」

「八千穂」

「そうか。……じゃあ、『チホ』ってのはどうかな。八千穂のチホ。俺は君のことをそう呼ぶ。だめ?」

 八千穂はしばらく考えていたが、ゆっくりと首を振った。それは肯定だと、毅瑠は判じた。

「よし。俺のことは毅瑠と呼んでくれ」

「たる」

「え?」

「毅瑠のたる」

「……それはやめて欲しい……」

 毅瑠は本当に嫌そうな顔をして、それを見た八千穂の口許がほころんだ。

「毅瑠」

「うん。……それで、俺はチホに頼みがあるんだ」

「何?」

「事件の解決に手を貸して欲しい」

 あくまでも友達としての頼みだった。だから、断られても文句を言うつもりはない。さっきまでの毅瑠と八千穂の関係は、同じ学校の先輩と後輩、それだけだった。しかも毅瑠は生徒会役員だ。どうやっても対等なお願いにはならない。だから、友達。

 もっとも、拘っているのは毅瑠だけで、八千穂はそんなことは気にしていないかもしれなかった。

 それでも、と毅瑠は思う。口に出して始めて伝わることは多いのだ。恥ずかしくてもなんでも、友達になろうと宣言することは大切だ。

「できるだけ早く佐藤さんの〈魂糸〉を繋いで、これ以上犠牲者が出ないようにしたい」

「頼まれなくても施術はする」

「そうだな。でも、それだけじゃない。佐藤さんのせいで〈魂糸〉がはみ出した松広君にも、術を施して欲しい。仮に、不幸にも次の犠牲者が出てしまったら、その被害者も対処して欲しい。〈霊鬼割〉について俺は何も知らないから、もしかしたら難しいことを頼んでいるかもしれないけど……。手伝えることはなんでもする。だから、考えてくれないか」

 まっすぐ見つめ返してくる八千穂の瞳は、七穂とよく似ていた。透き通った瞳の奥で、彼女は何を考えているのだろうか。春の夕暮れが、八千穂の顔に神秘的な陰影を刻んでいた。

 どのくらいの時間が経っただろうか。八千穂が口を開いた。

「お店」

「え?」

「ここのお店を教えて欲しい」

 手伝えること。囮か、隠蔽工作か、と考えていた毅瑠は、肩すかしを喰った。でも、これはとても友達らしい取引だ。対価があった方が気を遣わない。でも、その損得は秤にかけないのが友達だ。

 もちろん、毅瑠はその条件を快諾した。

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