銅像生け贄事件 12
「あれ、向井君。どうしたの?」
「佐藤さんこそ、どうしたの?」
結局毅瑠は、堂々と二年E組の教室で待っていた。毅瑠が教室に入ったとき、部活動をやっているわけでもないのに、正子の鞄は机にかかっていた。そして今、図書室の本を抱えて正子が教室に飛び込んできて、毅瑠を見つけて目を丸くしたのだった。
(さあ、どうする?)
毅瑠は、自分がいることで、正子が他人の命に手をかけるのを思い止まってくれれば良いと思っていた。それとも、毅瑠をなんとか追い出して、一人になろうとするだろうか。あるいは――毅瑠の命に手を伸ばすだろうか。
「そっか。生徒会の仕事ね」
毅瑠の予想に反して、正子は何の拘りもなく近付いてきた。
「まあね。生徒会室は狭いから、自分の机でかたそうかと思って」
「私はねえ、この教室が好きだから」正子は照れたように笑っている。「なんだか帰るのもったいなくて、いつも、こうやって図書室の本を読んでいるの」
正子は抱えていた本を毅瑠の前に並べて見せた。
「私ってほら、一年生のときは、あんまり学校に出てこられなかったから……こうして教室にいられることが嬉しいの」
「道生に聞いた」
「道生って、山瀬君ね? 生徒会副会長の。そっか、仲良いの?」
「まあね」
正子は毅瑠の前の席に腰を下ろした。
「あ、邪魔?」
「いや。そんなに急ぎの仕事でもないし」
「昨日はごめんね。あの後、彼女と仲直りできた?」
「もともとそんな仲じゃないし」
「うそ?」
「本当」
「あれ? じゃあ、私の勘違いなの?」
正子は両の頬に手をあてて、「え――」と驚いた顔を作った。
「でも、すごく綺麗な子だったよね。一年生?」
「そうだけど。彼女に興味があるの?」
「うーん、どっちかというと、向井君に興味があるなあ」
「は?」
「うふふ。暮れなずむ教室での読書って素敵じゃない? 静かで、一人だけの世界に浸れて……でも、二人だともっと素敵ね」
話の雲行きが怪しくなってきたことを感じて、毅瑠は内心焦った。女の子と二人きりだ、と妙に意識されて頬が熱を帯びる。昨日――八千穂の部屋ではそんなことはなかったのに。
今のこの状況を、どこかで八千穂が伺っているはずだ。D組かF組か、どちらか隣の教室だろうか? それとも、すぐそこのドアの外か――
「佐藤さん。今、屋上で警察が現場検証をやっているのを知ってる?」
「現場検証? ああ、一昨日の事故ね」
「うん。一年生の男子が落ちた件。閉めたはずの屋上の鍵が開いていて……」
「それ、私」
正子が制服のポケットから鍵を一つ取り出した。
「あの日、お昼休みに向井君と会ったじゃない? あのとき開けたの」
「……何で?」
毅瑠は自分の声が震えていることに気付いた。防げなかったと――あの日の後悔が、再び鎌首をもたげてくる。
「屋上って出たことなかったから。三年生の先輩の自殺で、もしかしたらもう出られなくなっちゃうかなあって思って。そうなる前に、一度出てみたかったのよ。本当は鍵をかけ直しておくつもりだったんだけど……すごい音がして、びっくりして忘れちゃった。向井君が階段から落ちて、ひっぱたかれたんだっけ?」
正子がほくそ笑む。しかし、毅瑠はまるっきり余裕がなかった。
「鍵はどうしたの?」
「用務員室からの無断借用で――す。どうせ、立ち入り禁止だし、なくてもそんなに困らないでしょう?」
「それで!」毅瑠は叫んで立ち上がった。「それで、松広君は事故にあった」
荒い息をして見下ろす毅瑠を、正子は冷めた目で見上げた。
「それ、私のせいなの?」
「え?」
「先生は事故だって言っていたけど、私知ってる。屋上の柵に異常なんてなかったわ。あの子、自分から飛び降りたんでしょ? でもそれって、鍵を開けたってだけで、私のせいになるの?」
「彼は飛び降りたときの記憶が……」
「馬鹿じゃないの? そんなの嘘に決まってるじゃない! 親や先生に言いたくない理由があるだけよ」
正子は手の中の鍵を毅瑠に投げつけた。目には涙が溜まっている。
「私だって……」
そこまで言いかけて、しかし正子は押し黙ると、自分の荷物を掴んで教室を飛び出していった。
どれくらいの時間が経ったのだろうか。呆然と立ち尽くしている毅瑠に、八千穂が近付いてきた。
「何やってる?」
「その……」
八千穂は床に落ちている鍵を拾い上げた。
「どうする? これ」
「用務員室に返さなくちゃな」
そう言いつつも、毅瑠は鍵を見つめたまま、しばらく動くことができなかった。