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ひきわり  作者: 夏乃市
第二章 銅像生け贄事件
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銅像生け贄事件 2

 その日の昼休み、毅瑠はげんなりした顔で校内を歩いていた。

 校内の巡回は、即日始めることになった。その開始にあたって太一が毅瑠に手渡したもの――それは、サッカー部が練習に使うビブスだった。

「授業中に作ったんだ」

 サッカー部所属で、体が大きく、よく日に焼けた太一が、照れたように五分刈りの頭をかいた。ビブスには『生徒会巡回中 話しかけてください』と大書したゼッケンが、がっちりと縫いつけられていた。

(いい笑いものだ……)

 まさか嫌だとは言えず、毅瑠は渋々そのビブスを受け取ったのだった。

 毅瑠と太一は二手に分かれ、太一は一般教室棟の一階から、毅瑠は五階から巡回を開始した。一般教室棟は、二階に三年生、三階に二年生、四階に一年生の各教室が並んでいる。一階には昇降口と家庭科実習室、五階にはコンピュータ実習室といくつかの空き教室があった。新学期が始まったばかりのこの時期、昼休みにコンピュータ実習室を使っている生徒はおらず、五階はしんとしていた。

 保健室や相談室を使用してくれる生徒は、まだ話をする余地があるだけ良い。心配されているのは、誰にも相談をせず、後追い自殺を企てようとする生徒が現れることだった。高校生は感受性が強い時期だけに、同級生の自殺に感化されないとも限らない。毅瑠達の巡回は、そういう兆候を示す生徒がいないかを監視する意味も含まれている。そういう意味では、今毅瑠がいる五階や、一つ下の四階は要注意だった。

「ご苦労様」

 下の階から上がってきた女生徒が、毅瑠に声をかけてきた。上履きの色から二年生と知れるが、毅瑠はその顔を知らなかった。

「ありがとう。実習室に用?」

 女生徒は、痩せていて、どこか儚げな雰囲気を漂わせていた。肩甲骨辺りで切り揃えられた髪も、あまり艶がない。後追い自殺のことが頭を掠め、毅瑠は僅かに緊張した。

「お手洗いよ」

 悪戯っぽい微笑みで女生徒が答えた。その眼が意外に強い光を湛えている。毅瑠は少し決まりが悪くなり、足早にその場を離れた。

 五階は問題なしと判断して、毅瑠は下の階へ下りることにした。四階の一年生達にビブスを見られるのかと思うと少し気が重い。しかし、そんなことを言っている場合ではなかった。

「!」

 下り階段に足をかけたとき、階段の踊り場に一人の女生徒が立っていることに毅瑠は気付いた。

 窓を背にして立つその姿は、すらりとして美しく、毅瑠は見とれた。正面から見るとボブカット風の髪型。しかし、腰の辺りでは、左右二本の三つ編みが揺れている。上履きの色は一年生のものだ。

 さっきの女生徒のこともあって、この子もお手洗いだろうと毅瑠は思った。下の階は混んでいるのだろう。

 三つ編みの女生徒が、まっすぐ階段を上がってくる。毅瑠は階段の中程に立ち尽くしていた。

「役立たず……」

 すれ違いざまに彼女が発した声は、非常に小さかったが、毅瑠の耳にはしっかりと届いた。

 事件のことで、知らず気持ちがたかぶっていたのかもしれない。ビブスをつけての巡回で、神経質になっていたのかもしれない。見とれていた気恥ずかしさも手伝ったのかもしれない。とにかく――毅瑠はかっとなった。

「ちょっと待って!」

 毅瑠は、右側をすれ違った女生徒の肩を掴もうとした。しかし、伸ばした手は空を切り、それでも食い下がった結果、右の三つ編みを掴んでしまった。

「な……!」

 いきなり三つ編みを引っ張られた女生徒は、驚きの声をあげて振り向いた。それが、二人のバランスを崩す結果となった。毅瑠と女生徒は、もんどり打って踊り場まで転げ落ちた。

――」

 毅瑠が頭を振りながら立ち上がると、先に立ち上がっていた女生徒が、下を向いて肩を震わせていた。泣かせてしまったか、と思い毅瑠は焦った。

「ごめん、悪かったよ。怪我は……」

 ぱんっ、と乾いた音が踊り場に響いた。

 毅瑠は視界がぶれ、一瞬、何が起きたのかわからなかった。じわじわと押し寄せた頬の痛みで事態を認識し、女生徒へと向き直る。目の前の顔は、憤怒に彩られていた。

「髪を掴むなんて……」

「え?」

 女生徒の声は淡々としていた。それがかえって、彼女の怒りの深さを物語っているように感じられた。一発叩いただけでは収まらないのか、彼女の右手が再度振り上げられた。そのとき――

「何をしているの?」

 階段の上からの声が割って入った。声の主は、さっき五階で会った女生徒だった。

 三つ編みの一年生は、階段を下りてくる二年生を見ると身をひるがえした。一瞬で毅瑠に興味を失ったような顔になり、階下へと駆け下りていく。

「すごい音がしたけど、何かあったの?」

 毅瑠は、右手の甲に擦り傷ができていた。落ちたとき、三つ編みの女生徒の下になったため、腰も少し打ったようだ。しかし、それ以上に、張られた左頬が痛む――

「ちょっとぶつかって、二人して転げ落ちた。あの子、怒らせちゃったかな……」

 女生徒が、まじまじと毅瑠を見ていた。

 考えてみれば、彼女の言った「すごい音」というのは、転げ落ちた音のことだったのか? それとも、頬を張られた音のことだったのか? ――毅瑠は、またも決まりが悪くなった。

「向井君だよね?」

「うん」

「……」

「……」

「やっぱり、私のこと覚えていないのね?」

「さっき、五階で会ったこと……じゃないよね?」

「今年は同じクラスじゃない」

「え……?」

「そんな困った顔しないで」彼女はくすくすと笑い出した。「一年生のときは休みがちで印象が薄かったし、向井君とはクラスも違ったんだから」

 始業式の日に事件があり、授業が始まってからも、休み時間ともなれば生徒会の用事で奔走していた毅瑠は、自分のクラスメイト――二年E組全員の顔と名前を覚えている自信がなかった。言われてみれば、窓際の席に座っていた女生徒のような気がしないでもない――しかし、名前は思い出せなかった。

「正子よ。佐藤正子さとうまさこ。ありがちな名前だし、印象薄いのよね」

 なんと答えたものやら、毅瑠は言葉を探して途方に暮れた。

「あ、ごめん。お仕事中だったわね」正子はビブスを指さした。

「格好悪いよな、これ」

「大事なのは格好じゃないんじゃない? がんばってね」

 そう言うと、正子は笑いながら階段を下りていった。痩せてはかなげな外見とは裏腹に、悪戯いたずらっぽくはきはきとした言動が、毅瑠には妙にアンバランスに感じられた。

「……?」

 自分も階段を下りようとして、毅瑠は足下に落ちているものに気付いた。

(眼鏡……だよな?)

 それは、小説の表紙で、かの怪盗アルセーヌ・ルパンがシルクハットとセットでかけているような、時代がかったデザインの片眼鏡かためがねだった。

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