綾音のお友達大作戦
乙蔵綾音は悩んでいた。
〈二年C組テレパシーカンニング事件〉が無事解決し、クラスには平穏が戻っていた。だから綾音の悩みは、クラスとは別のことだ。
「どうしたの? 綾音」
クラスメイトの羽田厚子が、机に突っ伏した綾音に声をかけた。
「あ――、厚子。今朝ふられたの」
「え? だれにだれに? 私の知っている人?」
「もちろん。この前会ったばっかりよ」
「この前……もしかして、テレパシー事件のとき?」
「そ」
厚子は、綾音が誰のことを言っているのかわかったらしく、そうかそうかと頷いている。
「でも綾音、あれはやめておきな」
「何で?」
「だって、あんまりいい噂を聞かないよ。そりゃ、生徒会に関わっているから頭良いんだろうけどさ。綾音には、もっと普通のがいいよ」
「それは聞き捨てならないわ」
綾音は上体を起こすと、厚子を見た。
「髪型とか、噂とか、そんなことで人を判断するのは悲しいことよ」
「なにそれ?」
「……て、戸時先輩が言ってた」
「ふーん。ところで、髪型って?」
「あれ? 髪型のこと言ってなかった? やっぱり、すぐそれが出るでしょ?」
「そんなに珍しい髪型してたかしら。まあ、天パーってくらい?」
「……厚子、誰の話をしているの?」
「向井毅瑠じゃないの?」
綾音は勢いよく立ち上がった。
「冗談じゃないわ。あんな悪趣味サド男なんて、百万円積まれてもお断り」
「酷い言いようね。じゃあ……誰?」
「決まっているじゃない。神坂八千穂さんよ」
「は?」
綾音は、八千穂とどうしたら友達になれるかで悩んでいたのだった。
今朝、綾音は登校時に八千穂を見かけた。
いつも通り、左一本だけの三つ編みを揺らし、背筋をまっすぐ伸ばし、孤高の雰囲気を振りまいて歩いていた。
それでも、綾音は勇気を振り絞って声をかけた。
「おはよう。神坂さん!」
「おはよう」
立ち止まった八千穂は、綾音を見ながら小さく答えた。
「今日も良いお天気ね」
「そう」
「朝ご飯は何を食べたの?」
「目玉焼き」
「洋食なんだ?」
「和食」
「……」
「……」
「ねえ、私の名前覚えている?」
八千穂は小首を傾げた。
綾音はがっくりと肩を落とした。そして、頭を上げたときには、八千穂はさっさと行ってしまっていた。綾音は、その場で名乗ることもできなかった。
「向井君」
「な……何?」
凄まじい形相で生徒会室に飛び込んできた綾音に、向井毅瑠はたじろいだ。
「ちょっと来て」
綾音は毅瑠の手を掴むと、強引に生徒会室から引っ張り出した。そのままの勢いで特別教室棟三階の廊下を突進し、階段の前の防火扉に毅瑠を叩き付けた。
「ちょ……痛って……」
「神坂さんてどんな子?」
「は?」
「私、神坂さんに忘れられていたわ」
「……」
「笑わないで」
毅瑠は綾音の手をふりほどくと、シャツの襟を整えた。
「笑ってないよ。でも変だな」
「変?」
「ほら、K駅前で乙蔵さんがチホを見かけた日。夜の電話で、チホは乙蔵さんに見られたって、わかっていたけど」
「じゃあ、なんで今朝挨拶しても、首を傾げられたのよ?」
「……まてよ。あのとき……そうか。チホは、乙蔵さんの名前を言ったわけじゃない。あれだ、ほら……バレンタイン?」
「バレンタイン? 何?」
「……髪につける」
「バレッタ?」
「そう、それだ。チホは乙蔵さんのバレッタに見覚えがあったようなんだ」
綾音は自分の頭に手をやった。トレードマークのバレッタ。好きでいろいろな物を集めている。そうだ――女の子なら、これに反応して当たり前だ。
「チホの反応は僅かだから、わかりづら……」
再び、綾音は毅瑠を防火扉に押しつけた。
「神坂さんの好きなものって何?」
「好きなもの? ……コーヒーかな。あと……あれ?」
綾音は、毅瑠の言葉を最後まで聞かずに、その場を後にした。
翌朝、綾音は早めに登校した。
そして、正門の少し手前で八千穂が登校してくるのを待っていた。
八千穂はいつも通りの時間に登校してきた。
綾音は意を決すると、後ろから八千穂を追い越した。そして、八千穂に後頭部を見せつけるように歩く。
「あ」
八千穂が小さな声をあげたのを、綾音は聞き逃さなかった。振り向き、そして八千穂を見る。
「神坂さん。おはよう」
「おはよう……」
「ねえ、気が付いた?」
何を? とは言わなかったが、八千穂は頷いた。
「かわいい」
「ふふふ」
綾音は前を向くと、八千穂によく見えるように、もう一度後頭部を見せる。そこには、コーヒーカップを象ったバレッタがついていた。花やリボンを象った物は多いが、コーヒーカップは珍しい。綾音は昨日、商店街を隅から隅まで探して、これを買ってきたのだった。
「神坂さんは、バレッタはしないの?」
「髪型が……」
八千穂の言葉が、幾分しゅんとした。普段、無表情でぶっきらぼうなのでわかりづらいが、普通の女の子ではないか。
「全然大丈夫よ。左の三つ編みの根本につけてもいいし、いっそ、その三つ編みをどうにかする手もあるわね」
「どうにか?」
「うん……じゃあ、お昼休みに一緒にご飯しない? やってあげる。迎えに行くから」
そう言って綾音は駆けだした。
少し先で立ち止まると、くるっと振り返る。
「そうだ。私は綾音よ。あ・や・ね。今度こそ覚えてね」
その日の放課後。
生徒会室に現れた八千穂を見て、その場にいた誰もが驚きの声をあげた。
いつもは無造作に下がっている三つ編みが、左側頭部に綺麗な輪を作っている。そして、巻いた三つ編みは、コーヒーカップを象ったかわいいバレッタで止められていた。
「あら、八千穂ちゃん。素敵ね」夏目が、感心しきりといった表情で言った。
「随分と大人っぽく見えるわ。色っぽいし」希奈がうらやましそうに言う。
「これは、男どもの目に毒だわね」と笑ったのは作だ。
太一は顔を真っ赤にして声が出ない。
「いつもそうしていれば、髪型でどうこう言われることないのに」と道生。
「ひとりじゃできない」八千穂がぽつりと呟いた。
「確かに面倒臭そうだね」と力。
「で、誰にやってもらったんだ?」と毅瑠が訊いた。
八千穂は髪をいじりつつ、嬉しそうな声で答えた。
「綾音」
《綾音のお友達大作戦 了》