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ひきわり  作者: 夏乃市
第一章 テレパシー事件
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テレパシー事件 20

 毅瑠が予告した通り、二年C組担任の倉持教諭は、急用ができたから、とホームルームには出てこなかった。代りに教壇に立ったクラス委員の綾音は、ざわつく生徒たちに向かって声をあげた。

「今日は報告があります。先週の、蛯原先生の授業のこと」

 クラス中の視線が綾音に集中した。一瞬で、水を打ったように静まり返る。

「みんなも知っての通り、生徒会の人に協力してもらって色々調べたの。これからその報告をしたいんだけど、いいかしら」

 もちろん、クラスに否はなかった。綾音は教壇から飛び降りると、教室前方の扉を開けた。ゆっくりとした足取りで、毅瑠と八千穂が入ってきた。

 ざわっ、と教室中が揺れた。全員の視線が一点に集中する。それもそのはずで、毅瑠の後ろを歩く八千穂は、緋袴ひばかまを穿いた巫女姿だった。

 まっすぐ、二人は教壇に上がった。

「今回、うちのクラスの問題を担当してくれた、生徒会書記の向井君と、事務員の神坂さん。じゃあ、説明は向井君からお願いするわ」

 綾音はそう紹介すると、後を二人に託して自分の席へと戻った。

「どうも。生徒会書記の向井毅瑠です。〈銅像生け贄事件〉の向井です、と言った方が通りがいいかな」

 ははは、と毅瑠が一人で笑う。教室は、しんとしている――というより、明らかに毅瑠のテンションに引いている。しかし、毅瑠は、そんな雰囲気を意に介することなく話を続けた。

「さて、今回生徒会は、このクラスで発生した、俗に言う〈二年C組テレパシーカンニング事件〉についての依頼を受けました。一つ、蛯原先生との和解を仲立ちして欲しい。一つ、今回の現象を解明して欲しい。生徒会としても、皆さんが『普通の意味でのカンニングはしていない』という観点から、ここ数日調査をさせていただきました」

 相変わらず悪趣味な話し方だな、と綾音は思った。――校内で知らない人はいない不思議美少女〈神坂八千穂〉、しかも〈巫女装束〉。加えて〈銅像生け贄事件〉の〈向井毅瑠〉。聞き取り調査のときに、これ見よがしに訊かれた〈マスコット人形〉。そして今の、「普通の意味でのカンニング」などという意味深な言葉――これだけの餌を目の前に吊して、それでもなお、毅瑠は平然と引っ張ろうとしている。まだ足りないらしい――このクラス全体にマジックを仕掛けるには――

「で、報告その一です。蛯原先生は赤点を取り下げました」

 おお――、と教室中が揺れた。

「この件については、これ以上の追求はないと思います。でも、もう一回同じ小論文が実施されると思いますので、今度は皆さん、自分で考えてくださいね」

 一瞬にして教室内が凍り付いた。しかし、それでも毅瑠は動じることなく話を続ける。コピー紙を何枚も黒板に貼ると、昼休みに職員室で行った説明を繰り返した。その内容の白々さたるや、聞いている綾音が恥ずかしくなってしまうほどだった。

「――というわけで、皆さんにお願いです。蛯原先生は今の説明を受け入れました。ですから、是非、口裏を合わせてくれるようお願いします」

 教室内、どん引きの空気は続いていた。毅瑠はクラス中を見回すと、小さく肩を竦める。

「ええと、皆さんご不満のようですね?」

「蛯原先生にそんな嘘を言うってことは、生徒会は俺たちを信じてないってことだろ?」

 誰かがそう言った。

「あれ? そんな風に聞こえましたか?」

「さっき、今度は自分で考えろって、そんなこと言ったじゃないか?」

「でも、結果的に赤点は免れたんだから、いいじゃないですか」

「ふざけるな!」

 誰かが叫び、ブーイングの嵐が巻き起る。それはひとしきり続き、綾音が壇上に飛び出して、ようやく制した。

「待って待って。向井君……本当にこのままで終わらせるつもり?」

 毅瑠は、ちらっと八千穂を見た。その視線にクラス中が釣られた。

「ええと……皆さん。ことの真相、本当に知りたいですか?」

 ここまで引っ張っておいて、話をせずに済まそう、というのは無理な話だった。クラス中が、早く話せ、という雰囲気で満たされている。

「それでは……」

 毅瑠の雰囲気ががらりと変わった。ここからが本番だ、と誰もが思う。綾音だけが、苦虫をかみ潰したような顔をした。

「生徒会には色々な相談が寄せられます。その中には、我々が〈Xレベル〉と呼んでいる類のものがたまにあります」

 アメリカの人気ドラマを捩った安直なネーミング。しかし、その安直さは、聞き手の想像を一方向に簡単に誘導する。そのドラマは、科学では解明できない事件を扱った物だった。

 毅瑠は、聞き手が想像を巡らせるに充分な、考えを巡らすには足りないだけの、絶妙な間を取って続けた。

「たとえば、四月のあの事件が〈Xレベル〉でした」

 綾音は、クラス中の生徒の血の気が引く音を聞いた気がした。

「俗に言う〈銅像生け贄事件〉は、最終的に二人が亡くなり、大勢の怪我人が出ました。生徒会があの事件を終わらせるためにやったこと……それは、皆さんも知っていると思います」

 教室中の誰もが、四月の事件の顛末を思い出しているに違いない。

「あの事件のとき、原因を突き止めたのは、誰あろう、ここにいる神坂さんです」

 四月の事件については、綾音は、毅瑠達から何も聞かされていなかった。だから、この発言の真偽はわからない。しかし、毅瑠が何をしたかは知っている。それは他の生徒たちも同じで、憑かれたように、毅瑠の話に耳を傾けている。

「今回の件も、生徒会は〈Xレベル〉に分類しました。そして、神坂さんによれば、『蛯原先生の頭の中が見えてしまった』原因が、確かにこの教室にあるようです」

 毅瑠は意味ありげに八千穂の顔を見た。八千穂は神妙な顔で室内を見渡すと、すっと一人の生徒を指さした。秋山彰子だった。

「な……何?」

「秋山彰子さん。最近、あなたが流行らせたものがありますね?」

 教室中がどよめいた。「やっぱり」という呟きが、あちこちで聞こえる。

「これのこと?」

 彰子は携帯電話にぶら下がったマスコット人形を掲げた。

「見せてください」

 毅瑠は教壇を下りて彰子に近付いた。

 彰子が携帯電話ごと人形を差し出す。そして、毅瑠の伸ばした手が人形に触れた瞬間――


 ガシャン!


 毅瑠がそれを取り落とした。

 携帯電話が床にぶつかる硬質な音が、パニックの引き金を引いた。

 誰もがポケットや鞄から人形を取り出し、床に投げ捨てる。教室は大騒ぎとなった。

 どんどん、と毅瑠が乱暴に教卓を叩く。

「皆さん、落ち着いてください! まだ、人形が原因だと決まったわけではありません」

 しかし、ざわめきは止まらない。毅瑠は再度教卓を叩き、声を張り上げた。

「では、ちょっと実験をしてみましょう」

 話の展開が意外だったのか、騒ぎは一旦沈静化した。その隙を逃さず、毅瑠が真っ白な紙を全員に配る。B5サイズのコピー紙だった。

「はい。それでは、今配った紙に、皆さん俳句を書いてみてください。名前は書かなくて結構です」

「俳句?」クラス中から疑問の声が上がる。

「そうです。五・七・五。なんでもいいですよ。すぐに集めます」

 綾音は白紙の前で悩んだ――悩んで、一つの決断を下した。

 その間にも、毅瑠はどんどん紙を集めていった。追い立てられるように、生徒たちは俳句を書き、紙を毅瑠に渡した。

 全員分、三十八枚の紙を集め終わった毅瑠は、最前列に座っている男子生徒に声をかけた。

「これ、読み上げてもらえますか?」

 男子生徒は、毅瑠から渡された紙の束を手にすると、立ち上がった。

「じゃあ、一枚目……『長梅雨は いやだいやだよ ああいやだ』……」

「ははは。面白い句ですね」毅瑠が笑った。

 しかし、読み上げた男子生徒の顔が真っ青になっている。

「次をお願いします」

「二枚目……『長梅雨は いやだいやだよ ああいやだ』」

「三枚目は?」

「……同じだ」

「同じ?」

「全部……全部同じだ」

 男子生徒がパニックになって放り出した紙束を、毅瑠は拾い上げた。そして、むしろ楽しそうな様子で、一枚一枚をマグネットで黒板に貼っていく――

「……!」

 クラス中が息を飲んだ。

 三十八枚中――三十枚に同じ俳句が書かれていた。


『長梅雨は いやだいやだよ ああいやだ』


 今度こそ本当にパニックになった。人形を放り出した生徒たちは、椅子から立ち上がり、教室の後ろへと、転がるように逃げた。綾音だけがタイミングを逸して自分の席に留まっていた。

「ああ……まだ、続いているようですね」

 感慨深げに、毅瑠が黒板を眺めて呟いた。教室は、四十人もの生徒が居るとは思えないほど、しんと静まり返っている。

「乙蔵さん、全員の人形を集めてもらえますか?」

「……え、ええ」

 綾音は、床に投げ捨てられた人形を集めて回った。全部で二十九個。自分の物は既に燃やしてしまっている。

 毅瑠は、綾音が教壇に積み上げた人形の一つを手に取ると、引き千切った――そして、中から糸のような物を引っ張り出す――

 毅瑠の指先に、二年C組の生徒たち全員の視線が集中する。

「髪の毛ですね。髪には怨念が宿るといいますから……ほら、こっちにも」

 毅瑠は、もうひとつ人形を壊してみせた。やはり、中から髪の毛が現れた。

「実験の結果は……明らかです。間違いなく、この人形のせいだったようです。こんな、冗談みたいな俳句が三十枚も重なるなんて偶然、起きるわけがない」

 クラス中が毅瑠の言葉に頷かざるをえなかった。

「神坂さん」

 毅瑠は八千穂に向き直ると、髪の毛をかざした。八千穂がゆっくりと手を近づけると、突然、髪の毛に火が点る。髪の毛が焼ける嫌な匂いが教室に漂った。

 それは恐らく、綾音が商店街で八千穂を見たあのときに、人形を燃やしたのと同じ力――しかし、巫女装束でその力を見せられると、とても神聖に思えるから不思議だった。

「願いを叶える人形が、どうしてこんな呪いの人形になってしまったのか……それはわかりません。でも、大丈夫です。この通り、呪いの髪の毛も、神坂さんの神通力には負けたようです。浄化の炎が清めてくれます」

 毅瑠は、髪の毛の燃えかすを、ポケットから出したハンカチの上に慎重に置いた。

「人形はすべて生徒会で処分します。それで、この事件も終了です。処分が完了したらお知らせします。そのとき、もう一度試してみてください」

 毅瑠は、黒板に貼った俳句を指さした。

「もう、同じことは起らないでしょうから。……それでも皆さん、今後も充分注意してください……いつどこでまた、同じようなモノに巡り会うかもわかりません。安直に叶う願い事は……何か大切なものを犠牲にしているのかもしれませんから……」

 殊更陰惨な口調で毅瑠が言った。相変わらず悪趣味だ――と綾音は思った。

「さて、神坂さんのこの神通力ですが、実は彼女は神坂神社の娘さんなのです。それで、今回皆さんのために、お祓いの準備と、お札を用意してもらいました。肌身離さず持っていれば、人形の呪いも晴れるでしょう。人形を持っていなかった人も、せっかくなので祓ってもらってください。これで、本当に終わりです」

 毅瑠の大芝居を、今や二年C組はすっかり信じていた――いや、逆に呪われたのではないかしら? と綾音は内心苦笑する。しかし、肝心なのはここからである。

 綾音は、まず私が、と八千穂の前に進み出た。

「今回、人形の呪いは『書く』という行為で、手に現れました。だから、手を中心に祓います」

 毅瑠が尤もらしいことを言う。綾音は、右掌を上にして、八千穂へと差し出した。

 八千穂は、綾音の右手に左手を乗せると、右手で大幣を左右に振った。

「魂の綾は己が内へ、環を廻し命をつむげ……」

 八千穂の口からこの言葉を聴くのは三度目だった。とんとん、と綾音の右掌で八千穂の左指が躍る。そして――「封!」という気合い。

 この前の屋上での経験から、今は施術をしていないのがわかる。でも、綾音の後ろにいる三十七人には――いや、繋ぐ必要のない人を除いて二十八人か――〈霊鬼割〉の施術が行われるのだ。時間にして十秒程――この十秒の重大さに、どれほどの人が気付くのだろうか。

 綾音は、ここに来て初めて、ことを明かしてくれた毅瑠に感謝をした。そして八千穂にも。

「はい」八千穂がお札を差し出していた。

「ありがとう」綾音は本当の感謝を込めて言った。

 それ以降、二年C組の生徒たちは、順番に八千穂のお祓いを受けた。

 普段は左一本の八千穂の三つ編みが、左右揃っていることに気が付いた生徒は、綾音以外にはいなかった。

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