テレパシー事件 1
「ここまでが事件の概要ね。何か質問は?」
生徒会長の戸時夏目が、窓際で腕組みをしたまま生徒会室を見渡した。
「特にないわね。それじゃあ乙蔵さん、続けてくれる?」
「はい」
一旦棚上げになったものの、蛯原教諭がカンニングの疑いを解いていないことは明らかだった。謝る前に時間をやるからよく考えろ――そう思っていることが、その態度から見て取れた。
なにより生徒側を不利にしているのは、二十五分間と区切られたテストで、授業中にも拘わらず、蛯原が十分間席を外していたことだった。その間はもちろん教室には生徒たちしかおらず、しかも、教卓上には、蛯原が書いた模範解答が置いたままになっていた。
単に無罪を主張するだけでは埒が明かないと考えた二年C組の生徒たちは、藁にも縋る思いで、生徒会に応援を頼むことにした。
私立涼心学園高校は、伝統的に生徒会活動が盛んだ。学園が生徒たちに認めている自治権が大きく、その時々の生徒会は、それぞれ独自の方針を掲げて生徒たちを率いてきた。現生徒会長戸時夏目は『友達以上・恋人未満』を標榜し、行事運営はもとより、喧嘩の仲裁、恋愛相談などから学園との交渉事まで、生徒一人一人に対して身近で頼れる生徒会を目指して運営をしてきた。昨年十二月の改選から七ヶ月あまり、夏目率いる生徒会は充分に生徒たちの信頼を勝ち得ていた。
そんなわけで、事件の翌日の放課後、二年C組のクラス委員、乙蔵綾音は、全権を委任されて、ここ特別教室棟三階にある生徒会室の扉を叩いたのだった。今現在、ホワイトボードの前に立って話す綾音の言葉に、生徒会の面々が耳を傾けている。
二年C組から生徒会への依頼――というか、要望は二つ。
一つは、蛯原との和解を仲立ちして欲しいということ。
もう一つは、現象としての事件の解明に知恵を貸して欲しいということ。
蛯原との和解については、最低限赤点さえ免れれば良い、というのが二年C組の大勢だった。蛯原との心理的なわだかまりは解消に及ばず――解消されるに越したことはないが、押してする必要を認めず――という点が、蛯原が生徒たちからどう思われているかを、端的に表していた。
それよりも、三十人が同じ論文を書いた謎を解明したい――こちらの方が、二年C組の生徒たちにとっては、深刻な問題のようだった。つまりは、彼らにしても、今回の事態――現象が、偶然ではありえないことだと重々承知しているのである。しかし、カンニングに身に覚えがないのだから、その困惑は蛯原以上だといえた。
「以上、二年C組を代表しまして、是非生徒会の皆様のお力をお借りいたしたく、よろしくお願いいたします」
綾音は背筋を伸ばし、顎を引いて、腰を九十度に折り曲げた。今日のために、トレードマークのバレッタもシックなデザインの物を選んできた。それが全員に見えたであろうことを、綾音は意識する。
「ちょっといいかな」
綾音が顔を上げると、おでこの広い、細い眼鏡をかけた男子生徒が手を挙げていた。確か、生徒会副会長で名前は山瀬道生――と、綾音は頭の中を探った。綾音と同じ二年生だったはずだ。
道生は綾音の目を見据えると、淡々とした口調で訊いた。
「本当に、誰もカンニングをしていないの?」
「していません」
綾音は、目を逸らさないように努力しながら、一呼吸置いて答えた。
道生の質問は、当然されてしかるべきものだった。綾音も、ひいては二年C組の全員が、まず訊かれるだろうと予測していた。そして、生徒会に信じてもらうにはどう説明したら良いかが問題になったのだった。
理論的に説明するべきだ、との意見があった。説明は不要だ、との意見もあった。事前に、不正はしていない旨の宣誓書と、全員の署名を用意しておくのはどうか、との意見もあった――そして結局、どう説明するかは綾音の判断に託されたのだった。
綾音が選択したのは、目を逸らさず、事実のみを簡潔に伝える方法。言葉を重ねて言い募るより、力一杯否定するより、一番確実で、しかし一番難しい方法だった。
生徒会室の中央には、会議用の長テーブルが二脚平行に並べられていて、その周囲に、道生を含めた六人が座っている。その全員が綾音を見つめていた。唯一、窓際に立った生徒会長戸時夏目だけが、綾音と他の面子の顔を、交互に均等に眺めている。
綾音にとって永遠にも感じられた数秒の後、ぱんっ、という乾いた音がして、全員の視線が音のした方へと流れた。夏目だった。
ぱんぱん、と夏目は再度手を打った。
「オッケー、引き受けましょう」
夏目の言葉に、綾音は、ほっと肩の力を抜いた。どうやら信じてもらえたようだ。質問を発した道生の顔にも疑念の色はない。形式的な質問だったようだ。
「まずは調査ね」夏目は窓から離れると、綾音の脇に立った。「今手が空いているのは……向井君。大丈夫?」
はい、と答えたのは、道生の隣に座っている男子生徒だった。色素の薄い柔らかな癖毛の持ち主は、生徒会書記で、二年E組の向井毅瑠。とある理由から、彼の名前を知らない生徒はいない程の有名人だ。
「それから、乙蔵さん。あなたもお手伝いをお願いね」
「え? 私ですか?」
「そうよ。あなたのクラスの問題でしょ?」
綾音より頭半分ほど背の高い夏目が、にっこりと笑った。まだ稚い子供に言って聞かせるように。もっとも、考えてみれば当たり前の話で、綾音は、生徒会にすべて任せてしまえると思っていた自分に驚いた。
三度夏目が手を打った。それを合図に、生徒会の面々は次の仕事へと移っていった。
ホワイトボードの前で、一瞬、置いてきぼりを喰らったような顔をした綾音に、毅瑠が声をかけた。
「じゃあ、乙蔵さん。早速、今から調べに行こうか」
言って、さっさと生徒会室を出る毅瑠の後を、綾音は慌てて追いかけた。