テレパシー事件 17
翌日、日曜日の午後。
K駅前の喫茶店に、綾音、毅瑠、八千穂の三人が顔を揃えていた。
「まず……ごめん」毅瑠が綾音に頭を下げた。
「何が?」
「説明の仕方が悪趣味だった。それに、言葉も足りなかった。だから、怖い思いをさせてしまったみたいで……本当にごめん」
「本当よ。やっぱり、向井君はサドなんじゃない?」
毅瑠は押し黙ったまま。隣に座る八千穂が口を開いた。
「毅瑠。サドって何?」
「サドってのはサディストのこと。人を痛めつけるのが嬉しい人のことよ」綾音が説明する。
「毅瑠。そうなの?」
「そんなつもりはないんだけど……」
今までの毅瑠なら徹底的に抗弁するだろうに、今日は幾分殊勝な態度だ。
ぷっと綾音は吹き出した。
「向井君。もしかして、戸時先輩に怒られた?」
「ああ。こっぴどくね」
それでも、こうして顔を出すのだから、生徒会役員としてはまじめだ。意地悪を意図しての発言ではなかった、というのも本当かもしれない。ただ、自分の嗜好に毅瑠が気付いていないだけ――という可能性は捨てきれないが。
「わかったわ。戸時先輩のお陰で、なんとか私も浮上できたし、ここら辺で良しとするわ。ああ、もちろん、ここは奢ってくれるのよね? 向井君」
「え?……ああ、もちろん」
「すいませ――ん。パフェとクレープの追加をお願いします」
「ちょ……」
慌てる毅瑠に、八千穂が追い打ちをかけた。
「私はコーヒーゼリー追加」
「チホまで!」
それからしばらく、テーブルの下で財布の中身を数える毅瑠の呟きが、ぶつぶつと辺りを漂い続けた。
「さて、気を取り直して本題にはいるよ」
追加オーダーが揃ったのを見計らって、毅瑠が言った。
「明日の月曜日、すべてを決着させる。昼休みに蛯原先生、放課後に二年C組だ」
「別々にやるんだ」
「まあね。それで、乙蔵さんにも手伝ってもらいたいんだ」
「何をやるの?」
「蛯原先生との交渉。それから、二年C組の方はサクラだね」
昨日の夏目の話が蘇る。毅瑠はどこまで話すだろうか。
毅瑠は、傍らの鞄から書類を引っ張り出すと、説明を始めた。最初の説明――蛯原教諭との交渉内容を聞いているうちに、綾音は呆れ、ついには笑い出してしまった。
「ねえ、蛯原先生のこれ……全部本物なの?」
「ああ。道生が集めてくれたんだ。本物だよ」
「これで、よく私たちのことを言えたものね」
「最初に乙蔵さんの話を聞いたときに、頭に浮かんだ原稿用紙は最初から完成していたのか? それとも、順次浮かんできたのか? と訊いたのを覚えている?」
「ええ。完成していたって答えたわよね?」
「だからさ。もしかしたらって思って調べたら、案の定だった」
「ふーん」綾音はコピーの束を手に取り、矯めつ眇めつした。「わかった。じゃあ、明日朝一番で蛯原先生にアポを取るわ」
「よろしく。で、放課後は二年C組だ。これは全部俺が説明する」
毅瑠は計画を説明した。それは、昨日、夏目に聞いた通りの内容だった。綾音は苦労して、初めて聞くような表情を作った。そして――夏目の予想通り、毅瑠は、生徒会役員たちが走り回っているはずの仕込みについては言及しなかった。
「ええと……つまり、蛯原先生に説明した内容については、クラス全員で口裏を合わせると。その上で、人形の呪いだってことで、お祓いをするのね?」
「お祓いといっても、チホが巫女の格好をして、大幣を振るくらいだ。重要なのは、ここで必ず、チホが全員に触れることだ」
「〈魂糸〉……だっけ? その環を繋ぐのね?」
「そう。施術と呼んでいる」
綾音は八千穂を見た。無表情で――綾音にはそう見えた――コーヒーゼリーをつついている。
「ねえ、訊いていい?」綾音は八千穂に言った。
「?」
「一昨日、屋上で、私に何をしたの?」
「施術。〈魂糸〉の環を繋いだ」
「商店街での女の人も、秋山さんも同じね?」
こくん、と八千穂が頷いた。
ほーっ、と綾音は大きく息を吐いた。心の重荷が減った気がした。
「向井君が、鬼を狩る、なんて物騒な言い方をするから、私、神坂さんが、何か悪いことをしているように感じていたわ。でも、全部、〈魂糸〉がはみ出してしまった人のために……ええと、施術? それをしてあげたのね」
「違う」八千穂は言下に否定した。
「え?」
「あのままだと、被害者も鬼も増えてしまうから」
「結果的には同じことでしょ?」
八千穂が小首を傾げる。答えたのは毅瑠だった。
「誰の命がすり減ろうと、誰の寿命が短くなろうと、本来〈霊鬼割〉には関係ないんだ。切れた〈魂糸〉を片端から繋いでいく正義の味方でも、慈善事業でもないんだよ。他人に害をなすようになって初めて、〈霊鬼割〉は施術を行う。そうなってしまった人を〈鬼〉と呼んでね」
「じゃあ……本来、私たちは……」
毅瑠の瞳は悲しげで、それは、残酷なことを雄弁に語っていた。
「基本的に被害者は対象外だった」
「加害者だけが救われるの?」
「救われない。大抵生きる意味を失う」八千穂が淡々と言葉を挟んだ。「人形を売っていた女は、客の願いを叶えることが生き甲斐だった。でも、施術したから、それはもうできない」
「じゃあ、神坂さんは、何のためにそれをしているの?」
「自分のため」
綾音は絶句し、それ以上言葉を継げなかった。
「乙蔵さん。チホに施術してもらってどうだった?」毅瑠が静かに問う。「四月の事件のとき、チホは始め、鬼以外には目もくれなかったんだ。でも……話をして、お願いをして……最後には、被害者の〈魂糸〉を繋いでもらった。今回、チホじゃなかったら、あの女子大学生を施術して終わりだった可能性が大きいんだ」
綾音は自分の手を見た。八千穂の施術は――暖かかった。あのとき、なんだかほっとしたのを覚えている。
「チホはチホの基準で、できることを精一杯やってくれる。もしかしたら、乙蔵さんの基準では理解できないことがあるかもしれない。でも……世界なんて、俺たちにはわからないことだらけだろう? そう考えたら、理解できないことが、イコール受け入れられないことにはならないよね?」
毅瑠は一生懸命だった。残酷な内容も、それがありのままだと、今回は感じられた。
「戸時先輩に話したことある?」
「チホのこと? いや、ない」
それでも、夏目は綾音の話を否定せずに聞いてくれた。恐らく、何を言っているのか、ほとんどわからなかっただろうに――綾音の言葉を受け止め、一緒に考え、答えへと導いてくれた――
「理解はできなくても、受け入れることはできるか……」
「……」
「わかったわ。全面的に協力する。元々こちらからしたお願い事だしね。結論が気に入らない……なんて言っていられないわ」
八千穂のこと。毅瑠のこと。綾音には、尋ねてみたいことが山程あった。しかし、今はそれは置いておいて、〈二年C組テレパシーカンニング事件〉を決着させるのが先決だった。