テレパシー事件 14
毅瑠と別れた八千穂は、秋山彰子の自宅を目指した。
学校を出た時点で午後五時半を過ぎていた。学校最寄りのK駅まで徒歩で十五分。電車に乗って二駅。そこから住居表示を頼りに歩き、目的地に着いた頃には午後六時半を回っていた。晴れていれば夕焼けが見られるのだろうが、雨がそぼ降る中では、辺りは薄暗い。
彰子の家は新興住宅街の中にあった。いかにも作ったばかりという遊歩道に沿って、同じような外観の一戸建てが並んでいる。その中の一軒に〈秋山〉の表札がかかっていた。
帰宅する学生やサラリーマンに混ざって、八千穂は秋山家の前を通り過ぎ、それとなく観察した。規格住宅の二階建て。表札には四人の名前が書いてある。両親と彰子と、あとは弟だろうか。
彰子は部活動をやっていないという。学校を出るときに下駄箱を確認したところ、上履きが収まっていた。恐らく、もう帰宅しているはずだった。
どうやって彰子に接触するか――八千穂は考えた。
一番簡単なのは、同じ学校の生徒なのだから、普通に訪ねることだ。訝しがられるだろうが、この制服がものをいうはずだ。会えないということはないだろう。ただ――できれば、顔を見られたくなかった。
別れ際に毅瑠が言った「同じ学校の生徒だから、充分気をつけろ」というのは、そういうことだ。毅瑠は、顔を見られることで、今後の八千穂の学園生活を心配してくれているのだ。
それでも、彰子が完全に鬼なら、八千穂は躊躇しない。しかし、今回はそうではない。彼女は被害者だし、ここで顔を見られると、この後に毅瑠が考えているはずの、二年C組に対する説明にも支障を来すかもしれない。
忍び込むという手もある。しかし、穏便な忍び込み方を八千穂は知らなかった。
結局、残っている選択肢は、彰子が一人で出てくるのを待つ、という方法だけだった。
雨の住宅街というのは、張り込みに向かないことこの上ない。傘を差した女子高生が立ち尽くしていれば、それだけで目立つ。
結局八千穂は、人混みに紛れ、何度も秋山家の前を行ったり来たりすることになってしまった。時々は、携帯電話をかけているふりもしてみた。目立たないように歩いている限り、誰も八千穂に目を向けない。普段は目立つ片方の三つ編みも、雨の夕暮れでは目立たなかった。
どれ程そうしていたか、日はとっぷり暮れてしまった。携帯電話の時計が午後八時近くを示している。さすがに人通りが減り始めていた。これ以上うろうろしていると、不審者に間違われる可能性が高い。
今日はこれを最後にしよう、と秋山家の前を通り過ぎたとき、玄関のドアが開いた。
「気をつけるのよ」
「わかってる。お父さん待ってると思うから、急ぐね」
中から、傘を二本持った高校生くらいの女の子が現れた。一本を差し、もう一本を小脇に抱える。会話から察するに、傘を忘れた父親を駅まで迎えに行くのだろう。八千穂は面識がなかった。でも――間違いない。八千穂の目には、彼女の体からはみ出した〈魂糸〉が見えた――秋山彰子だ。
八千穂は一旦秋山家の前を通り過ぎると、少し先で立ち止まった。彰子が八千穂に注意を払った様子はない。
駅までまっすぐ歩けば十分程の距離だ。八千穂は周辺の地理を思い浮かべた。うろうろと一時間以上も彷徨っていたおかげで、周囲の様子が頭に入っている。住宅街の外れ、駅に向かう大通りに出る手前に、小さな公園がある。そこが最適だと思われた。
十メートルほどの距離を取って、八千穂は彰子の後ろを歩いた。雨のカーテンの中では、その距離でも目立たない。
歩きながら、八千穂は右手を背後に回す。彰子を見たときから顕現していた右の三つ編みが解け、漆黒の剣が現れた。それを逆手に握り、振り抜き様に順手に握り直した。
目の前を歩く彰子は、ちょうど公園の入り口に入ったところだった。
小さなその公園には、外灯が二本ある。しかし、お陰で影も多い。周囲に人の目がないことを確認すると、八千穂は駆けた。
〈魂の要〉をこの剣で貫くと、〈魂糸〉が痺れ、人は動きを止める。剣は〈魂糸〉だけに作用し、人体に傷はつかない。その間に左手で〈魂糸〉を繋ぐ術を行うつもりだった。歩いている間に観察すると、彰子はあちこちから〈魂糸〉がはみ出していた。例の女子大学生に、随分と酷く刻まれたようだ。綾音に行ったような簡単な施術では済みそうにない。
風のように彰子に迫り、剣を突き立てようとしたその瞬間――
「彰子」
前方から声がした。
「お父さん」彰子の声が弾む。「何? 雨の中走ってきたの?」
「ああ。たいしたことないと思ってな。迎えに来てくれたんだな」
「はい。傘」
「ありがとう。ところで、今、お前の後ろに誰かいたぞ」
「え?」
間一髪、八千穂は公園の暗闇へと身をひそめていた。
「やだ、お父さん。薄気味悪いこと言わないでよ」
「変だな……、お父さんの勘違いか。ごめんごめん。さ、帰ろう」
公園の入り口には、八千穂の傘がひっくり返って雨に濡れていた。