テレパシー事件 11
ぽつぽつと雨が降り始めた。
三人は、屋上の出入り口にある庇の下へと避難した。庇は小さかったが、出入り口が風除けになり、雨宿りには充分だった。
「長梅雨は いやだいやだよ ああいやだ」
雨空を見上げて、毅瑠が呟いた。
「毅瑠。何? それ」と八千穂。
「俳句を捻ってみたんだけど……どうだ?」
「下手」八千穂が一言で切って捨てた。
綾音は、ふっ、とため息とも、なんともつかない笑いを漏らした。しかし、それもすぐに消えた。
「クラスのみんなや、蛯原先生にも同じことを説明するの?」
「いや。それは別の説明を考えているところだ」
「嘘をつくの?」
綾音の目の隈が濃い。薄暗くなった雨の屋上で、その顔は凄惨だった。
「話せ、と?」
綾音は泣きそうな顔をした。
「なんで私にだけ……」
毅瑠は答えなかった。答えなくても、綾音は答えを知っているはずなのだ。
「……帰るわ」ぼそっと言って、綾音は扉に手をかけた。「ちょっと……混乱してる」
「ああ、気をつけて」
毅瑠の言葉が終わらないうちに扉は閉められた。
残された毅瑠と八千穂は、しばらく、屋上に落ちる雨を眺めていた。
やがて、毅瑠が口を開いた。
「乙蔵さんの〈魂糸〉、繋いだのか?」
八千穂が頷く。
「みんな……、あんなに反応するのか?」
八千穂が手を繋いだときの綾音の反応を思い出して、毅瑠は頭をかいた。
「少し乱暴にやった。〈魂糸〉が実感できるように」
「なるほど……」
よく考えれば、八千穂による〈魂糸〉の環の復元は、毅瑠自身も体験したことがある。ただ、綾音の敏感な反応に驚いてしまった。
ため息をつく毅瑠を、八千穂が不思議そうな顔で眺めていた。
「あと、二十九人だな」
「鬼に会った人は別」
「そうだった。秋山さんにはいつ会いに行くか……」
「私が一人で行く。住所を教えて」
雨が強くなってきていた。二人は扉の中に入った。
毅瑠が鍵をかけるのを待って、八千穂が繰り返す。
「住所を教えて」
「わかった。ここじゃあわからない。生徒会室へ行こう」
秋山彰子の顔はわかるのか? という質問はしない。秋山彰子は、まず間違いなく〈魂糸〉が切れてはみ出している。八千穂ならば、会えばそれとわかる。
「昨日さ、校内に鬼の気配はないって言ってたよな。例の女子大学生に誘発されたとはいえ、クラスメイトの〈魂糸〉を切った時点で、秋山さんは鬼になったんじゃないのか?」
廊下を歩きながら、毅瑠が訊いた。
「彼女はまだ被害者」
「じゃあ、秋山さんの存在……というか、彼女の〈魂糸〉が切れていることには、気付いてたのか?」
八千穂は首を振った。
「〈魂糸〉が切れている生徒ならたまにいる。私が気付かないこともある」
それにしては、自信たっぷりに「気配はない」と言い切ったな――という言葉を、毅瑠は飲み込んだ。八千穂にしてみれば、自分には感じられない、という程度の発言だったのだろう。言葉数が少ない八千穂と付き合うには、その程度で目くじらを立てていてはやっていられない。
「鬼なのか、そうでないか、の線引きが、俺にはまだよくわからないんだ」
「自分の意志で他人の〈魂糸〉に手を出すのが〈鬼〉」
「つまり……女子大学生は、自分が祈ることで他人に実際に影響があることに自覚的だった。だから鬼。秋山さんに自覚はなかった。だから被害者。そういうことか?」
「そう」
毅瑠は、四月の事件の折、八千穂と偶然知り合った。そして、〈魂糸〉と〈鬼〉と〈霊鬼割〉について知ることとなった。
神坂八千穂――自らを〈霊鬼割〉だと名乗る少女を、毅瑠は疑っていない。八千穂と知り合ったとき、さっき綾音に行ったような懇切丁寧な説明はなかった――いや、八千穂による説明はあるにはあったが、言葉数はとても少なかった。それでも、毅瑠は理解することができた。なぜなら――見ることができたから。
「二年C組、覗いてみるか?」
三階の渡り廊下の手前で、毅瑠は八千穂を誘った。
教室には誰もいなかった。
毅瑠はポケットから片眼鏡を取り出してつけた。これは〈魂見鏡〉という道具で、能力のある者がかけると、〈魂糸〉を視認することができる。毅瑠はこれを使うことができたのだ。だから――見えたから、今こうして、八千穂と同じ立ち位置にいる。
「もう、一昨日の話だからな。〈魂見鏡〉でも、痕跡ははっきりしない」
八千穂は無言で目を細めている。背中では、三つ編みが左右二本揺れていた。
「……私にもわからない」
「そうか。……よし。行こうか」
二人は二年C組を後にした。
歩きながら毅瑠は思う。綾音への説明には、欠けてしまった点が随分あった。綾音本人のはみ出た〈魂糸〉を繋ぎ直したこともそうだし、二年C組の〈魂糸〉がはみ出した生徒たちに、同じように施術するつもりであることも伝えていない。秋山彰子をどうするのか、もだ。さらには、昨日綾音が見たことへの詳しい説明も結局はできなかった。八千穂が〈霊鬼割〉だと、そう教えただけだ。綾音は八千穂のことをどんな風に理解したのだろうか。鬼を退治する正義の味方だとでも思ってはいないだろうか。
毅瑠は八千穂の顔を見た。相変わらずの無表情だった。
「?」
八千穂が目で尋ねる。
「いや、何でもない」
誤解があるなら、いずれ解く必要がある。――〈霊鬼割〉は、決して正義の味方などではないのだ。