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ひきわり  作者: 夏乃市
第一章 テレパシー事件
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テレパシー事件 10

 毅瑠は鍵で扉を開け、綾音と八千穂を屋上へと導いた。

 屋上には、高さ二メートルにもなる金網が張り巡らされている。今年の三月までは、生徒たちは簡単に屋上に出ることができた。綾音も何度か、クラスメイトと屋上で弁当を使ったことがある。当時は金網はなく、肩ぐらいの高さの、スチールの柵があるだけだった。

「屋上、久しぶりだわ。出ていいの?」

「生徒会はたまに打ち合わせに使っている。この鍵も正規の物だ。でも……これは、ないしょね」

 今年の四月、屋上から生徒が二人相次いで落ちる、という事件があった。一人は亡くなり、一人は命を取り留めた。前後の騒ぎと併せて〈銅像生け贄事件〉と呼ばれるその事件以降、屋上には金網が巡らされ、生徒は立ち入り禁止になったのだ。

「乙蔵さん。彼女は一年F組の神坂八千穂さん。調査を手伝ってもらっている」毅瑠は改まって紹介をした。「で、こちらは二年C組のクラス委員、乙蔵綾音さん」

 八千穂が小さく会釈をした。

 綾音の脳裏に、昨日の商店街での光景が蘇る。平坦な声。漆黒の剣。ちろちろと燃える炎――しかし、話を聞くと決めたばかりだ。綾音は思い切って右手を差し出した。

「?」

 八千穂が小首を傾げる。

「握手だよ。握手」

 毅瑠にそう言われて、八千穂はおずおずと綾音の手を握り返した。

「よろしくね、神坂さん」

 八千穂の手は、女の子にしては大きく、ひんやりとしていた。

「さて、それじゃあ話を始めようか」

 六月の空が、今にも泣き出しそうな色をしていた。肌にまとわりつく湿り気を帯びた風が、思い出したように屋上を舞う。

 三人は給水塔の土台部分に並んで腰掛けた。綾音、毅瑠そして八千穂の順だ。

「少し遠回りで長い話になる。でも、本題に入る前に必要なんだ。我慢して聞いてくれる?」

 毅瑠の言葉に、綾音は頷いた。

「乙蔵さん。生き物はなぜ生きていられるのか、説明できる?」

「?……命があるから?」

「正解。じゃあ〈命〉って何?」

「……」

 ある程度覚悟はしていたものの、まるっきり禅問答のような始まりに、綾音は困惑した。それでも、最後まで聞いてみよう――そう、自分に言い聞かせる。

「生き物は命があるから生きている。なら、〈命〉という何かが存在しているはずだね」

「何かって……」

「考えてもみて欲しい。俺たちは、こうやって手や脚を思い通りに動かすことができる。でも、死体から部品を集めて人間の形に繋ぎ合わせても、人は生き返ったりしない。なぜか? もちろん、命がないからだ」

「うん」

「ということは、〈命〉というのは、体中の細胞と細胞、組織と組織を繋いで、まとめて、動かしているもの……ということになる。人の腕は、脚は、すべて命という糸で繋がっているから、思い通りに動く」

「糸……」

「そう、まさに糸。ビーズ細工を想像してみるとわかりやすい。ビーズが細胞で、それを繋いでいる糸が命」

「〈魂糸たまいと〉」と初めて八千穂が口を挟んだ。

「たまいと?」

「たましいのいと、と書いて〈魂糸〉。昔から、その存在を知る一部の人たちは、命の糸をそう呼んできたんだ」

「……」

「乙蔵さん。これは作り話じゃない。〈魂糸〉は普通は目に見えないし、現代科学では観測されていない。でも、こうして俺たちが生きていることが、その存在の証だ。そして、ここから先の話は〈魂糸〉の存在がベースになる。だからまず、そこを信じて欲しい。……仮に信じ切れなくても、前提として受け入れて欲しいんだ」

 綾音は即答できなかった。毅瑠から目を逸らし、自分の掌を見つめる。この中に、〈魂糸〉という命の糸が張り巡らされているという――

 すっと影が差し、綾音は顔を上げた。八千穂が目の前に立っていた。

「見えなくても、感じることはできる」

 八千穂が左手を差し出した。反射的に綾音は握り返す。その手は、さっき握手した右手よりも熱かった。

 とんとん――と、八千穂の指が綾音の手の甲にリズムを刻む。

「あっ……」

 唐突に全身を駆け抜けた熱さに、綾音は思わず声をあげてしまった。慌てて右手で口を抑える。ちらっと毅瑠を見ると、なんともいえない顔で二人を見ている。綾音は耳まで真っ赤になった。

 八千穂が刻むリズムは続いていた。最初の突き抜けるような熱さ――快感以降、体に大きな変化はない。しかし、何か――何か穏やかで暖かなものが体内を巡っているのを感じることができる。全身を巡る――命の流れ。

「これが……」

「そう。〈魂糸〉」

 とんっ、と最後に一つ強く指をはじくと、八千穂は手を離した。余韻はしばらく綾音の体を巡り、徐々に消えた。綾音は頬の熱さが引くのを待った。幾分ぼんやりとした視界の中に、八千穂の背に揺れる二本の三つ編みが映る。――ああ、昨日と同じだな、そう思う。

 傍らでは、毅瑠が辛抱強く待っていた。

「……わかったわ。とりあえず、前提は了解してあげる」

 表わした言葉は、随分と上から目線になってしまった。しかし、自分の体内にある命の糸について、言葉による理解を越えたところで、綾音はその存在を実感した。とりあえずも何もないのだ。――ただ、毅瑠の目の前であげてしまった嬌声の気恥ずかしさが消えなかっただけだ。

「さて」毅瑠が話を再開した。「体の隅々まで行き渡った命の糸〈魂糸〉なんだけど、すべて繋がっていて、人ひとりの中で〈〉になっているんだ。環になって、巡っている。ちょうど、血液が巡るのと同じような感じだ。血は血管を通る。〈魂糸〉は体中のすべてを通る。そしてそれが、生まれてから死ぬまで、生き物の個体を個体として成り立たせ続ける。細胞の新陳代謝で、有機体としての生き物はどんどん変化していく。それでも、個体としてのアイデンティティが確保され続けるのは〈魂糸〉のおかげだ」

 毅瑠が一旦言葉を切り、居住まいを正した。

「で、ここからが本題だ。本来〈魂糸〉は環になっていて、命の力は一個体内で巡り、消耗し、年齢と共に次第に弱り、やがて死に至る。それが自然の摂理ってやつだ。一般的な、健康的な流れなんだ。……でも、その環が切れることがある」

「切れるの?」

「切れる。怪我をしたり、何かの拍子に切れるんだ。ただ、普通はすぐに元に戻る。自己治癒する。〈魂糸〉の復元力の結果が体の自然治癒力に反映される。体より先に、まず〈魂糸〉が復元するのが普通だ。通常、傷の大小による体へのダメージと、〈魂糸〉が受けるダメージは、我々が今までに持っている常識の範囲に収まる。だから、〈魂糸〉のことを気にする必要はない……はみ出さない限りはね」

「はみ出すって……」

「簡単に言えば、体から飛び出してしまう。そうなると、もう環には復元しない」

「どうなるの?」

「はみ出したところから〈魂糸〉はすり切れる。その分生命力が削られ、寿命も短くなる。まあ、それも含めて寿命だ、とする考え方もあるけれど……でも、問題は別のところにあるんだ」

 生温い風が、綾音のうなじを撫でていった。

「はみ出した〈魂糸〉、これは力なんだ」

「どういうこと?」

「はみ出したとはいえ本人の命の一部だ。手を伸ばすのと同じように、その糸は本人の意志に呼応する」

 綾音は両手で口を抑えた。いやな予感が体中を駆け巡る。

「世に超能力といわれる力は、切れて体から飛び出した〈魂糸〉によるものだ。手を触れずにスプーンを曲げる。コップを動かす」

 毅瑠は指を一本立てて、くいっと曲げて見せた。

「曲がれ、と念じる。すると、体からはみ出した〈魂糸〉がスプーンまで伸びて、絡んで、それを曲げる。文字通り命をすり減らしていることに、本人たちは気付いていないんだ」

「まさか……」

「そう。誰かの考えを知りたいと思えば、その人に〈魂糸〉を伸ばして繋げばいい。テレパシーの正体はそれ」

(だって、だって……)

「今回の事件の真相も同じだ」

 綾音は震えが止まらなくなっていた。

〈魂糸〉は、切れなければはみ出さない。はみ出していなければ、それで何かを行うことはできない。クラスの皆がその力を使うことができたというなら、それは、既に魂糸が切れているということ――命が、すり減っているということにならないか。

 ――もちろん、綾音自身も。

「乙蔵さん、『文字で埋まった原稿用紙が見えた』って言ったよね? 二年C組に聞き取り調査を行った結果、同じ小論文を書いた生徒全員が、大なり小なり同じようなことを答えたよ。原稿用紙が見えた……ってね。それこそが、みんなが蛯原先生の頭の中を覗いた証拠だ」

 綾音は言葉を発することができなかった。

「普通は、三十人もの人の〈魂糸〉が同時に切れている、なんてことはありえない。あるとすれば、それは何か人為的に仕組まれたことだ」

 綾音の脳裏に昨日の光景が蘇った。――それで、切ったのか? と、八千穂が女子大学生に向かって訊いていなかったか?

「人形……」

「うん」毅瑠が頷いた。「案の定、同じ小論文を書いた生徒たちは、例外なく、あのマスコット人形を持っていたよ」

「それじゃあ……」と身を乗り出した綾音を、毅瑠が制した。

「待って。早合点しないでくれ。チホによると、人形の中には、女子大学生の髪の毛が仕込まれていたそうだね。今、持ってる?」

「燃やした」

 綾音は、昨日帰ってすぐ、自宅マンションの駐車場の隅で人形を燃やした。髪の毛が仕込んであると知ってなお、そのマスコット人形を持っていられる程、綾音は図太くも、無神経でもなかった。

「当然か。でもね、人形自体には何の力もなかったんだ」

「?」

「基本的に〈魂糸〉は、本体に繋がっていて力を発揮する。その切れ端を髪の毛などに込めることは、できなくはないけれど、力はすぐに消えてしまうんだ。人の中には、〈魂糸〉で編み上げられた核のようなものがあって、〈魂糸〉が切れたり別れたりした場合は、核がある方が本体と見なされるんだ」

「〈魂のかなめ〉」八千穂が言った。

 毅瑠は一つ頷くと続ける。

「今回、〈鬼〉だった女子大学生に会ったのは秋山さん一人だ」

「鬼?」

「〈魂糸〉で他人の〈魂糸〉を傷つける存在のことだ。〈鬼〉は、人形を買った秋山さんに対して『願い事が叶いますように』と祈ったという。それはつまり……〈魂糸〉を使って何かが行なえるように、あなたの〈魂糸〉を切って、引きずり出してあげます……ということだ」

 秋山彰子が体の中から何かを引きずり出されるイメージが浮かび、綾音は思わず口を抑えた。吐き気がして、目に涙が滲む。

「チホ」

 八千穂が綾音の傍らに寄り、その背をさすった。綾音はしばらく肩を振るわせていたが、なんとか吐かずにすんだ。

「……ありがとう、神坂さん。大丈夫よ」

「毅瑠。悪趣味」

 毅瑠は、心外だというように目を丸くした。

「向井君、続けて」

「ここまで来れば後は簡単だよ。今度は秋山さんが願ったんだ。人形を買ったクラスメイトの願いが叶いますようにって。それが、三十人近い生徒の〈魂糸〉を切ることになった」

「そんなに簡単に……切れるの?」

「〈魂糸〉を持ってすると、他人の〈魂糸〉は案外簡単に切れる」

 ――そして、二年C組の全員が、あの場面で小論文の例文を望んだ。望んで――〈魂糸〉を伸ばして――

 再び吐き気に襲われ、綾音は奥歯をかみしめた。

 雨の匂いを含んだ風が吹き始めた。風で屋上の金網が微かに軋む。

 ふと、綾音の脳裏に閃くものがあった。

「まさか……四月の事件も……」

「そうだよ。半分は鬼の仕業だった」

 今年の新学期、学園中を震撼させた〈銅像生け贄事件〉――生徒会室での夏目との会話が蘇り、綾音は恐る恐る八千穂を見やった。

「違うよ」毅瑠が語気を強めた。「チホは鬼でも犯人でもない。むしろ逆だ」

「逆?」

「彼女は、鬼を狩り、はみ出した〈魂糸〉を環に繋ぐことができる……〈霊鬼割ひきわり〉だ」

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