テレパシー事件 プロローグ
それは奇妙な事件だった。
梅雨が中休みに入ったような六月のとある火曜日。私立涼心学園高校二年C組で、国語現代文の授業中に実施された小論文の抜き打ちテスト。そのテストで、クラス三十八人中、実に三十人が満点であったのだ――
成績が良かったにも拘わらず、それが事件となってしまったのは、三十人が三十人、一言一句同じ論文を提出したためだった。しかもそれは、テストを実施した国語教諭が、模範解答として用意した物とまったく同じ文章だった――それこそ、句読点の打ち方まで。
当然のようにカンニングを疑った国語教諭の蛯原は、二年C組全員を赤点にする、と息を巻いた。当日の放課後、蛯原とクラス担任の倉持教諭を含めた、長い長いホームルームが開かれたのは言うまでもない。
しかし、生徒たちは、まるで身に覚えがないことだと言い張った。
なるほど、三十人がまったく同じ論文を提出すれば、カンニングの疑いを免れえないことくらい、高校二年生にもなれば重々承知している。本当に不正を行ったのならば、言い回しや「てにをは」、句読点の位置を変えるなどの小細工があってしかるべきである。
生徒たちは、いささか説得力に欠けることを承知しつつ、偶然説を主張して、徹底抗戦の構えを取ったのだった。
そんな生徒たちの態度に怒り心頭に発した蛯原は、「素直に謝れば今回だけは大目に見てやろうかとも思ったが、もう絶対に駄目だ」と言い切った。
生徒たちと蛯原の対立は、ホームルームでは収まりの付かないところまでヒートアップした。結局、見兼ねたクラス担任の倉持が「ここは一旦私があずかる」と大見得を切り、なんとかその場を収めたのだった。
蛯原は再度提出された論文を精査する。生徒たちはとりあえず頭を冷やす。そして、翌週の同じ国語の授業までに再度の話し合いを持つ、ということになった。木曜日にもう一時間ある国語現代文の授業は自習に決まった。
この話は、翌日には学園中の知るところとなり、〈二年C組テレパシーカンニング事件〉と呼ばれるようになっていた。