第一章 鬼眼(おにつら)一刀流〈3〉
「〈結界符〉の発明で土鬼蜘蛛との戦闘による退儺師の死亡率が半減したのです。特に土鬼蜘蛛から身を守る術をもたなかった感知退儺師の死亡率は70%も減ったって云われてるのです」
フォークで適当にフライドポテトを突きさしながら口へ運ぶ美千代がつづけた。
「今回の〈忌人譜〉もその術式を応用して作られたものなのです。陰陽師の人たちは昔から人ばらいの魔法をもっているけど、土鬼蜘蛛退治に特化した鬼道にそう云う魔法はなかったって云うか、必要性がなかったって云うか」
元来、単独行動する土鬼蜘蛛が人の多い場所にあらわれるようなことはなかった。
また、土鬼蜘蛛の結界にとらわれたふつうの人間は、土鬼蜘蛛の結界が消えると同時に結界内での記憶を失ってしまう。
土鬼蜘蛛の餌食となった人々の記憶も他の人々から完全に失われてしまう。
たとえば、土鬼蜘蛛の餌食となった人々の写真がのこっていたとしても、見る人がその姿を意識することはなくなる。路面へ転がる砂利1粒のように、そこへあっても気づかなくなってしまうのだ。
そのため、結果として犠牲者がでようがでまいが、土鬼蜘蛛の結界にとらわれた人々のその後のケアは必要なかった。
しかし、ここ数ヶ月、土鬼蜘蛛の動勢に変化が見られるようになった。
複数匹の土鬼蜘蛛があらわれて多くの人々を喰らう事例が頻発している。先日、明宏たちが退治した飛儺がまだ数匹いる可能性も示唆されている。
先の飛儺との戦闘では、戦場となった私立台和高等学校に爆弾テロ予告があったとニセ情報を流して全校生徒を避難させたが、土鬼蜘蛛があらわれるたびにニセ情報をデッチあげて避難させるわけにもいかない。
そのため、大勢の人々を「無意識のうちに」避難させる必要が生じた。
そんな無理難題を可能にしたのが〈忌人譜〉である。
「……それを無能力者の明宏でも使える鬼道譜にしあげたところが、鬼道譜の革命児とよばれる金壺金龍斎の面目躍如ってとこよね」
千草の言葉に一馬がチキンドリアを頬ばりながらうなづいた。
「そっか。云われてみると、たしかにスゴイ」
鬼道に触れて日があさい明宏にしてみれば、鬼道はなんでもありの魔法であり、細々とした法術体系のちがいで、できることできないことがあるのを理解するのは難しい。
しばしばひきあいにだされる陰陽師や陰陽道には接したことすらない。
「あ、そうだ。ところでライカさん、明宏クンに用って一体なんなんですか?」
そもそもの本題を思いだした千草が桐壺雷華へたずねた。
『ああ、そうだった。少年、ぶしつけな頼みで恐縮だが、きみの学んでいる剣術を拝見できないだろうか?』
手話と口の動きでそう語ると、刀をふるうジェスチャーをしてみせた。一応、千草が発話する。
「たぶん大丈夫だと思いますけど……」
明宏がいぶかしみつつ答えた。
〈羅刹姫〉桐壺雷華は〈蜘蛛切〉の太刀の遣い手である。
〈蜘蛛切〉の太刀は、かつて平安時代の武将・源頼光が葛城山の土蜘蛛退治の際に、伊勢大神宮からたまわったとされる伝説の太刀であり、明宏の身に宿る退儺の刀同様、土鬼蜘蛛と斬りむすぶことができる。
明宏は一度だけ〈羅刹姫〉桐壺雷華の戦いぶりを目の当たりにしたが、彼女の剣術の腕はまちがいなく明宏より上だ。
明宏の学ぶ〈鬼眼一刀流〉第12代師範・穴森大膳とほぼ互角、あるいはそれ以上の腕のもち主と見ている。
そんな彼女がどうして〈鬼眼一刀流〉に興味をもつのか理解できなかった。
おそらく明宏の胸中を察したのだろう。桐壺雷華が再び声をださずに口を開いた。
『先だってのきみの太刀筋にある疑念と云うか、興味をおぼえてね。どうしてもそれをハッキリさせたいのさ』
「疑念……って、今からですか?」
『できれば』
「……ちょっと道場に電話してみます」
明宏は席を外すとスマートフォンで彼の居候先でもある穴森道場へ連絡を入れた。
ややあって明宏がみんなの席へもどってきた。
「ライカさん、喜んで歓迎しますとのことです」
『無理を云って済まなかったな』
雷華が手話でこたえた。
本来、古武術の技は他流派の人間に気安く見せるものではない。
現代では、古武術の試武や演武もさかんにおこなわれているが、やはり流派の神髄とよぶべき技を簡単に見せることはない。
剣術の遣い手である〈羅刹姫〉桐壺雷華はそのことを重々承知の上で、明宏の〈鬼眼一刀流〉の見学を乞うた。
〈それじゃみんな。そう云うことで私は少年と道場へ見学に行ってくるからゆっくりしていってくれ。もちろん、ここはオネーサンのおごりだから気にするな〉
雷華が皮製の黒いバットケースを肩にかけて立ち上がると、すでに食事をおえていた明日香もあわてて席を立った。
『あ、あの……私も行きたいです!』
「はいはーい! それじゃ私も行きたいっ!」
心なし頬の赤い明日香の手話と念話に、目の見えない千草も挙手して立ち上がった。
「オレも後学のために見ておきたいな」
一馬がたどたどしい口調で云うと、美千代も同調した。
「ミチヨだけ仲間外れはないのです。よくわかんないけど、ミチヨもお供するのです」
『……ほんじゃま、みんなで行こっか。いいよな少年?』
雷華の言葉に明宏がうなづいた。
「ええ。別にかまいませんけど……」
そんなわけで、全員で穴森道場を訪れることとなった。